第1章 年〜年

ユニバーサルエンターテインメント:ユニバーサルリースの設立と回胴式遊技機への参入

1969年〜小山市のジュークボックスリースと、上野へ出たユニバーサル販売

1969年12月2日、栃木県小山市間々田にユニバーサルリースが設立された。事業の目的は、ジュークボックスを店舗へ貸し出すリース業。1988年にユニバーサルグループを率いていた社長の岡田和生氏は、技術者として研究を重ねてきた経歴の持ち主で、グループは1969年を創業の年としていた。この最初の法人は1971年に㈱ユニバーサルへ改称し、1993年の合併で消滅会社となる。貸した機械が店でどう稼ぐかを見てきたことが、自ら機械を作る次の段の足場になったとみられる。

  • 有価証券報告書 第28期(2001年6月提出)【沿革】
    • [1]1969年12月、ジュークボックスのリース業を目的に栃木県小山市間々田2515番地でユニバーサルリース㈱を設立
    • [2]1969年12月、ジュークボックスのリース業を目的に栃木県小山市間々田2515番地でユニバーサルリース㈱を設立
    • [4]変遷図:ユニバーサルリース㈱(1969年12月2日設立)→㈱ユニバーサル(1971年10月1日商号変更)→1993年4月1日の合併で消滅会社
  • 近代企業リサーチ 576号 1988年10月10日「ユニバーサル販売」(村田猛雄)p52-55
    • [3]1988年時点でユニバーサルグループを率いる社長は岡田和生氏。技術者として研究を重ねてきた。1969年の創業から20年

1970年7月、ユニバーサルリースは小山の同じ敷地に工場を建て、遊戯機械の製造を始めた。翌1971年10月には商号を㈱ユニバーサルへ改め、社名からリースの語を外した。1972年6月に工場の隣接地約300坪を取得し、建坪約100坪の工場を増設。1975年9月には敷地約1,300坪の新工場を小山に建て、各種ゲームマシンの製造を本格化させた。1988年時点でも㈱ユニバーサルはアミューズメント機器の開発と製造を担う会社であり、製造の拠点は創業の地に置かれ続けた。貸し出しの賃料より、機械を作って売るほうが採算が厚いと判断したのだろう。

  • 有価証券報告書 第28期(2001年6月提出)【沿革】
    • [5]1970年7月に同地へ工場を建設し遊戯機械の製造開始、1971年10月に㈱ユニバーサルへ商号変更、1972年6月に隣接地約300坪を購入し約100坪の工場新設、1975年9月に小山に約1,300坪の新工場を建設しゲームマシンの製造を本格化
    • [6]1970年7月に同地へ工場を建設し遊戯機械の製造開始、1971年10月に㈱ユニバーサルへ商号変更、1972年6月に隣接地約300坪を購入し約100坪の工場新設、1975年9月に小山に約1,300坪の新工場を建設しゲームマシンの製造を本格化
    • [7]1970年7月に同地へ工場を建設し遊戯機械の製造開始、1971年10月に㈱ユニバーサルへ商号変更、1972年6月に隣接地約300坪を購入し約100坪の工場新設、1975年9月に小山に約1,300坪の新工場を建設しゲームマシンの製造を本格化
    • [8]1970年7月に同地へ工場を建設し遊戯機械の製造開始、1971年10月に㈱ユニバーサルへ商号変更、1972年6月に隣接地約300坪を購入し約100坪の工場新設、1975年9月に小山に約1,300坪の新工場を建設しゲームマシンの製造を本格化
  • 近代企業リサーチ 576号 1988年10月10日「ユニバーサル販売」(村田猛雄)p52-55
    • [9]1988年時点で㈱ユニバーサルは各種アミューズメント機器の開発及び製造を担う

1973年6月26日、㈱ユニバーサルは販売部門を切り離し、ユニバーサル技研を設立した。1975年5月にはユニバーサル技研の本社を東京都台東区上野5丁目へ移し、商号をユニバーサル販売に改めている。同年9月に大阪府吹田市へ大阪営業所を、1976年11月に名古屋市中区へ名古屋営業所を開設した。1978年4月には東京都中央区日本橋堀留町にユニバーサルビルを建て、本社を移転。1988年時点のユニバーサル販売は、アミューズメント機器の販売と輸出入を主な業務としていた。工場を小山に残したまま得意先の多い大都市に売る機能を置くには、別会社のほうが動かしやすかったと推察される。

  • 有価証券報告書 第28期(2001年6月提出)【沿革】
    • [10]1973年6月に販売部門を分離しユニバーサル技研㈱設立、1975年5月に台東区上野5-11-1へ本社移転しユニバーサル販売㈱に商号変更、1975年9月大阪営業所(吹田市)、1976年11月名古屋営業所、1978年4月日本橋堀留町にユニバーサルビル建設・本社移転
    • [11]1973年6月に販売部門を分離しユニバーサル技研㈱設立、1975年5月に台東区上野5-11-1へ本社移転しユニバーサル販売㈱に商号変更、1975年9月大阪営業所(吹田市)、1976年11月名古屋営業所、1978年4月日本橋堀留町にユニバーサルビル建設・本社移転
    • [12]1973年6月に販売部門を分離しユニバーサル技研㈱設立、1975年5月に台東区上野5-11-1へ本社移転しユニバーサル販売㈱に商号変更、1975年9月大阪営業所(吹田市)、1976年11月名古屋営業所、1978年4月日本橋堀留町にユニバーサルビル建設・本社移転
    • [13]1973年6月に販売部門を分離しユニバーサル技研㈱設立、1975年5月に台東区上野5-11-1へ本社移転しユニバーサル販売㈱に商号変更、1975年9月大阪営業所(吹田市)、1976年11月名古屋営業所、1978年4月日本橋堀留町にユニバーサルビル建設・本社移転
  • 近代企業リサーチ 576号 1988年10月10日「ユニバーサル販売」(村田猛雄)p52-55
    • [14]1988年時点でユニバーサル販売㈱はアミューズメント機器の販売及び輸出入を主業務とする
参考文献[1]-[14]
  • 有価証券報告書 第28期(2001年6月提出)【沿革】
    • [1]1969年12月、ジュークボックスのリース業を目的に栃木県小山市間々田2515番地でユニバーサルリース㈱を設立
    • [2]1969年12月、ジュークボックスのリース業を目的に栃木県小山市間々田2515番地でユニバーサルリース㈱を設立
    • [4]変遷図:ユニバーサルリース㈱(1969年12月2日設立)→㈱ユニバーサル(1971年10月1日商号変更)→1993年4月1日の合併で消滅会社
    • [5]1970年7月に同地へ工場を建設し遊戯機械の製造開始、1971年10月に㈱ユニバーサルへ商号変更、1972年6月に隣接地約300坪を購入し約100坪の工場新設、1975年9月に小山に約1,300坪の新工場を建設しゲームマシンの製造を本格化
    • [6]1970年7月に同地へ工場を建設し遊戯機械の製造開始、1971年10月に㈱ユニバーサルへ商号変更、1972年6月に隣接地約300坪を購入し約100坪の工場新設、1975年9月に小山に約1,300坪の新工場を建設しゲームマシンの製造を本格化
    • [7]1970年7月に同地へ工場を建設し遊戯機械の製造開始、1971年10月に㈱ユニバーサルへ商号変更、1972年6月に隣接地約300坪を購入し約100坪の工場新設、1975年9月に小山に約1,300坪の新工場を建設しゲームマシンの製造を本格化
    • [8]1970年7月に同地へ工場を建設し遊戯機械の製造開始、1971年10月に㈱ユニバーサルへ商号変更、1972年6月に隣接地約300坪を購入し約100坪の工場新設、1975年9月に小山に約1,300坪の新工場を建設しゲームマシンの製造を本格化
    • [10]1973年6月に販売部門を分離しユニバーサル技研㈱設立、1975年5月に台東区上野5-11-1へ本社移転しユニバーサル販売㈱に商号変更、1975年9月大阪営業所(吹田市)、1976年11月名古屋営業所、1978年4月日本橋堀留町にユニバーサルビル建設・本社移転
    • [11]1973年6月に販売部門を分離しユニバーサル技研㈱設立、1975年5月に台東区上野5-11-1へ本社移転しユニバーサル販売㈱に商号変更、1975年9月大阪営業所(吹田市)、1976年11月名古屋営業所、1978年4月日本橋堀留町にユニバーサルビル建設・本社移転
    • [12]1973年6月に販売部門を分離しユニバーサル技研㈱設立、1975年5月に台東区上野5-11-1へ本社移転しユニバーサル販売㈱に商号変更、1975年9月大阪営業所(吹田市)、1976年11月名古屋営業所、1978年4月日本橋堀留町にユニバーサルビル建設・本社移転
    • [13]1973年6月に販売部門を分離しユニバーサル技研㈱設立、1975年5月に台東区上野5-11-1へ本社移転しユニバーサル販売㈱に商号変更、1975年9月大阪営業所(吹田市)、1976年11月名古屋営業所、1978年4月日本橋堀留町にユニバーサルビル建設・本社移転
  • 近代企業リサーチ 576号 1988年10月10日「ユニバーサル販売」(村田猛雄)p52-55
    • [3]1988年時点でユニバーサルグループを率いる社長は岡田和生氏。技術者として研究を重ねてきた。1969年の創業から20年
    • [9]1988年時点で㈱ユニバーサルは各種アミューズメント機器の開発及び製造を担う
    • [14]1988年時点でユニバーサル販売㈱はアミューズメント機器の販売及び輸出入を主業務とする

1979年〜小山第二工場で始めた回胴式遊技機と、ユニバーサル販売への製造の吸収

1979年12月10日、㈱ユニバーサルは開発部門を切り離し、ユニバーサルテクノスを設立した。1980年3月には小山市の第三工業団地に敷地3,000坪の小山第二工場を建てて移り、ゲームマシンから風俗営業向けの回胴式マシンへ進出している。同業のセガ・タイトー・ナムコは、自前のロケーション収入とメーカー部門の二本立てで経営を安定させていた。自前の設置場所を持たず機械の製造だけで業界へ参入したユニバーサルは収益が安定せず、その打開策に選んだのがパチスロ機の開発である。アミューズメント機との二本立ては想定より難しく、のちにアミューズメント分野から撤退し、パチスロ機に経営資源を集中した。

  • 有価証券報告書 第28期(2001年6月提出)【沿革】
    • [15]1979年12月に開発部門を分離しユニバーサルテクノス㈱設立、1980年3月に小山市第三工業団地に敷地3,000坪の小山第二工場を建設・移転し、ゲームマシンから風俗営業業界の回胴式マシーンへ進出
    • [16]1979年12月に開発部門を分離しユニバーサルテクノス㈱設立、1980年3月に小山市第三工業団地に敷地3,000坪の小山第二工場を建設・移転し、ゲームマシンから風俗営業業界の回胴式マシーンへ進出
  • 証券アナリストジャーナル 36巻11号 1998年10月(岡田和生)
    • [17]セガ・タイトー・ナムコはロケーション収入とメーカーの二頭立て。同社はロケーションを持たないメーカーとして参入し経営が不安定だったためパチスロ機を開発して参入。二頭立ては難しく、アミューズメント分野を放棄しパチスロ一本に絞った
    • [18]セガ・タイトー・ナムコはロケーション収入とメーカーの二頭立て。同社はロケーションを持たないメーカーとして参入し経営が不安定だったためパチスロ機を開発して参入。二頭立ては難しく、アミューズメント分野を放棄しパチスロ一本に絞った
    • [19]セガ・タイトー・ナムコはロケーション収入とメーカーの二頭立て。同社はロケーションを持たないメーカーとして参入し経営が不安定だったためパチスロ機を開発して参入。二頭立ては難しく、アミューズメント分野を放棄しパチスロ一本に絞った

ユニバーサル販売は1981年1月の福岡営業所を皮切りに、1982年5月に札幌、1983年に仙台・鹿児島・新潟へ営業所を開設した。1985年には青森・高松・神戸・広島・宇都宮へ拠点を広げ、1992年までに埼玉・神奈川・千葉・京都の営業所が加わった。1988年4月、東京都港区高輪にユニバーサル販売の本社ビルが完成。同じ年の5月6日には、フランス政府がカジノへのスロットマシン導入を認めた5社に、日本企業2社のうちの1社として選ばれた。海外の拠点はラスベガス・ロンドン・オーストラリアにあり、フランス向けにリールスロットとビデオポーカーを輸出する計画も立てていた。パチスロ機はホールへの納入と保守を各地で受け持つ必要があり、営業所の数が販路の広さを決めたと思われる。

  • 有価証券報告書 第28期(2001年6月提出)【沿革】
    • [20]1981年1月福岡営業所、1982年5月北海道営業所(札幌)、1983年仙台・鹿児島・新潟、1985年青森・四国(高松)・神戸・広島・北関東(宇都宮)、1988年4月港区高輪にユニバーサル販売本社ビル建設、1992年埼玉・神奈川・千葉・京都営業所
    • [21]1981年1月福岡営業所、1982年5月北海道営業所(札幌)、1983年仙台・鹿児島・新潟、1985年青森・四国(高松)・神戸・広島・北関東(宇都宮)、1988年4月港区高輪にユニバーサル販売本社ビル建設、1992年埼玉・神奈川・千葉・京都営業所
    • [22]1981年1月福岡営業所、1982年5月北海道営業所(札幌)、1983年仙台・鹿児島・新潟、1985年青森・四国(高松)・神戸・広島・北関東(宇都宮)、1988年4月港区高輪にユニバーサル販売本社ビル建設、1992年埼玉・神奈川・千葉・京都営業所
  • 近代企業リサーチ 576号 1988年10月10日「ユニバーサル販売」(村田猛雄)p52-55
    • [23]1988年5月6日、フランスのカジノへのゲームマシン導入でユニバーサル販売とシグマ商事の日本2社を含む5社が許可。海外拠点はラスベガス・ロンドン・オーストラリア。リールスロットとビデオポーカーを輸出する計画
    • [24]1988年5月6日、フランスのカジノへのゲームマシン導入でユニバーサル販売とシグマ商事の日本2社を含む5社が許可。海外拠点はラスベガス・ロンドン・オーストラリア。リールスロットとビデオポーカーを輸出する計画

1993年4月1日、ユニバーサル販売は製造会社の㈱ユニバーサルを吸収合併し、同年7月に本社を高輪のユニバーサル本社ビルへ移した。創業時のユニバーサルリースから続いた法人は、この合併で消滅会社となる。1997年には初のパチンコ機「乙姫」を開発し、ホールの設置台数の8割近くを占めるパチンコ機の市場へ参入した。同年8月末までに、ユニバーサル販売はパチスロ機「クランキーコンテスト」を約2万台強出荷しており、社長は岡田和生氏が務めていた。1998年4月にはユニバーサルテクノスがユニバーサル販売を吸収合併してアルゼへ改称し、形式上の存続会社はテクノス、実質上の存続会社は販売という系譜になった。パチスロ機に経営資源を集中した以上、製造と販売を分けておく利点が薄れたと考えられる。

  • 有価証券報告書 第28期(2001年6月提出)【沿革】
    • [25]1993年4月にユニバーサル販売㈱が㈱ユニバーサルを吸収合併(㈱ユニバーサルは消滅)、同年7月に高輪のユニバーサル本社ビルへ本社移転
    • [26]1993年4月にユニバーサル販売㈱が㈱ユニバーサルを吸収合併(㈱ユニバーサルは消滅)、同年7月に高輪のユニバーサル本社ビルへ本社移転
    • [29]1998年4月1日、ユニバーサルテクノス㈱(形式上の存続会社)がユニバーサル販売㈱(実質上の存続会社)を吸収合併しアルゼ㈱に商号変更
  • 証券アナリストジャーナル 36巻11号 1998年10月(岡田和生)
    • [27]ホールの機械の8割近くがパチンコ機であるため、1997年に初めてパチンコ「乙姫」を開発し製造販売を開始
  • 遊技通信 1217号 1997年10月号「ユニバーサル岡田社長が記者懇開く」p46
    • [28]1997年9月1日の業界誌懇談会時点でユニバーサル販売㈱(港区高輪)の社長は岡田和生氏。「クランキーコンテスト」は8月末現在で約2万台強を出荷
参考文献[15]-[29]
  • 有価証券報告書 第28期(2001年6月提出)【沿革】
    • [15]1979年12月に開発部門を分離しユニバーサルテクノス㈱設立、1980年3月に小山市第三工業団地に敷地3,000坪の小山第二工場を建設・移転し、ゲームマシンから風俗営業業界の回胴式マシーンへ進出
    • [16]1979年12月に開発部門を分離しユニバーサルテクノス㈱設立、1980年3月に小山市第三工業団地に敷地3,000坪の小山第二工場を建設・移転し、ゲームマシンから風俗営業業界の回胴式マシーンへ進出
    • [20]1981年1月福岡営業所、1982年5月北海道営業所(札幌)、1983年仙台・鹿児島・新潟、1985年青森・四国(高松)・神戸・広島・北関東(宇都宮)、1988年4月港区高輪にユニバーサル販売本社ビル建設、1992年埼玉・神奈川・千葉・京都営業所
    • [21]1981年1月福岡営業所、1982年5月北海道営業所(札幌)、1983年仙台・鹿児島・新潟、1985年青森・四国(高松)・神戸・広島・北関東(宇都宮)、1988年4月港区高輪にユニバーサル販売本社ビル建設、1992年埼玉・神奈川・千葉・京都営業所
    • [22]1981年1月福岡営業所、1982年5月北海道営業所(札幌)、1983年仙台・鹿児島・新潟、1985年青森・四国(高松)・神戸・広島・北関東(宇都宮)、1988年4月港区高輪にユニバーサル販売本社ビル建設、1992年埼玉・神奈川・千葉・京都営業所
    • [25]1993年4月にユニバーサル販売㈱が㈱ユニバーサルを吸収合併(㈱ユニバーサルは消滅)、同年7月に高輪のユニバーサル本社ビルへ本社移転
    • [26]1993年4月にユニバーサル販売㈱が㈱ユニバーサルを吸収合併(㈱ユニバーサルは消滅)、同年7月に高輪のユニバーサル本社ビルへ本社移転
    • [29]1998年4月1日、ユニバーサルテクノス㈱(形式上の存続会社)がユニバーサル販売㈱(実質上の存続会社)を吸収合併しアルゼ㈱に商号変更
  • 証券アナリストジャーナル 36巻11号 1998年10月(岡田和生)
    • [17]セガ・タイトー・ナムコはロケーション収入とメーカーの二頭立て。同社はロケーションを持たないメーカーとして参入し経営が不安定だったためパチスロ機を開発して参入。二頭立ては難しく、アミューズメント分野を放棄しパチスロ一本に絞った
    • [18]セガ・タイトー・ナムコはロケーション収入とメーカーの二頭立て。同社はロケーションを持たないメーカーとして参入し経営が不安定だったためパチスロ機を開発して参入。二頭立ては難しく、アミューズメント分野を放棄しパチスロ一本に絞った
    • [19]セガ・タイトー・ナムコはロケーション収入とメーカーの二頭立て。同社はロケーションを持たないメーカーとして参入し経営が不安定だったためパチスロ機を開発して参入。二頭立ては難しく、アミューズメント分野を放棄しパチスロ一本に絞った
    • [27]ホールの機械の8割近くがパチンコ機であるため、1997年に初めてパチンコ「乙姫」を開発し製造販売を開始
  • 近代企業リサーチ 576号 1988年10月10日「ユニバーサル販売」(村田猛雄)p52-55
    • [23]1988年5月6日、フランスのカジノへのゲームマシン導入でユニバーサル販売とシグマ商事の日本2社を含む5社が許可。海外拠点はラスベガス・ロンドン・オーストラリア。リールスロットとビデオポーカーを輸出する計画
    • [24]1988年5月6日、フランスのカジノへのゲームマシン導入でユニバーサル販売とシグマ商事の日本2社を含む5社が許可。海外拠点はラスベガス・ロンドン・オーストラリア。リールスロットとビデオポーカーを輸出する計画
  • 遊技通信 1217号 1997年10月号「ユニバーサル岡田社長が記者懇開く」p46
    • [28]1997年9月1日の業界誌懇談会時点でユニバーサル販売㈱(港区高輪)の社長は岡田和生氏。「クランキーコンテスト」は8月末現在で約2万台強を出荷

出典・参考

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出典・参考
  • 有価証券報告書 第28期(2001年6月提出)【沿革】
  • 近代企業リサーチ 576号 1988年10月10日「ユニバーサル販売」(村田猛雄)p52-55
  • 遊技通信 1217号 1997年10月号「ユニバーサル岡田社長が記者懇開く」p46
  • 証券アナリストジャーナル 36巻11号 1998年10月(岡田和生)

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