東海カーボンの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

社名から電極を外した1975年、創業製品はすでに主力ではなくなっていた。カーボンブラックは1937年に九州若松工場で副生するピッチオイルを原料とする研究へ着手し、1950年に自社技術で日本初のファーネス式製造を工業化した製品である。1960年に米キャボット社と製造技術で提携し、1962年に知多工場を建設して量産へ移ると、1975年下期には総売上の4割を超えた。商号を東海電極から東海カーボンへ改めたのは同じ1975年6月で、1980年にはカーボンブラックが社内売上の5割を超えている。1992年1月には同年創業の東洋カーボンと合併して、カーボンブラック・人造黒鉛電極・不浸透性黒鉛の3品目で国内首位に立った。電極のために興した会社が、電極を焼く技術の応用先のほうで規模を得た。

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