ソニー:CBSレコード・コロンビア買収によるソフト事業への多角化
1980年〜事業本部制への組み替えと、フィリップスと組んだCD規格
1982年、ソニーは大賀典雄氏を社長に据えた。大賀氏は1970年から、米CBS Inc.との折半出資によるシービーエス・ソニーレコードの社長を務めていた人物である。就任は逆オイルショック後の世界同時不況のさなかで、在庫調整に後れた同社は大幅な減益に見舞われていた。1982年10月期の単独売上高は8,329億円、当期純利益は416億円だった。大賀氏はトップに直結していた組織を事業本部制へ改めて権限を分散させ、半導体などの部品は製品を差別化するために外部へ売らないとしてきた方針を覆して外販へ踏み出した。就任の記者会見では『この会社の財産は工場でも建物でもない。「SONY」という4つの文字だ』と述べ、会社の財産を工場でも建物でもなく四文字の商標に置いている。
- 日経ビジネス 1989年8月14日号
- [1]1982年 大賀典雄氏がソニー社長に就任
- [2]大賀典雄氏 1970年からシービーエス・ソニーレコード社長
- [4]社長就任時は逆オイルショック下の世界同時不況で在庫調整に後れ大幅減益
- [6]トップ直結型の組織を事業本部制へ改め、部品の外販へ転換
- [7]1982年 社長就任記者会見での発言
- ソニーグループ 有価証券報告書 第108期(2025年3月期)【沿革】
- [3]シービーエス・ソニーレコードは米CBS Inc.との合弁(当社50%出資)
- 会社年鑑(1986年版)
- [5]1982年10月期 単独売上高8,329億円・当期純利益416億円
1983年10月期、ソニーは単独で8年ぶりの減収と2年連続の減益を記録し、海外の子会社71社を合わせた連結決算も初めて減収減益となった。単独の売上高は前期の8,329億円から7,700億円へ、当期純利益は416億円から255億円へ落ちている。1984年1月末の株主総会は午前10時から深夜11時半まで13時間半続き、特殊株主の集中砲火を浴びて最長記録を更新した。家庭用ビデオではベータ方式が振るわず、技術のソニーという像は徐々に薄れつつあった。会社は総会の前に立て直しの方策を打ち出しており、1月のマネジメント会同では民生用だけでなく成長の著しい産業用の分野にも力を注ぐ方針が示された。
- Decide 1986年4巻2号(岩淵明男)
- [8]1983年10月期 単独8年ぶり減収・2年連続減益、海外子会社71社を含む連結が初の減収減益
- [10]1984年1月末の株主総会が13時間半に及ぶ
- [13]1984年1月のマネジメント会同でノン・コンシューマー分野への注力を打ち出す
- 会社年鑑(1986年版)
- [9]1983年10月期 単独売上高7,700億円・当期純利益255億円
- 日経ビジネス 1989年8月14日号
- [11]1984年1月の株主総会が特殊株主の追及で最長記録を更新
- 日経ビジネス 1984年12月10日号
- [12]ベータ方式の不振と業績悪化により技術のソニーという商標の像が後退
コンパクトディスクは、ソニーがオランダのフィリップスと1980年6月に規格方式を連名で提案し、複数方式の並立を避けて統一を実現した規格である。1982年8月に第1号機CDP-101を16万9,800円で発表したが、価格の高さと盤の種類の少なさから売れ行きは伸びず、1984年までの市場全体の累積は25万台ほどにとどまった。第2世代の開発では、縦横13センチ・高さ4センチの木型に事業部長が日付と署名を入れて寸法を固定し、8個のLSIのうち3個を1チップへまとめている。1984年10月に発売したD-50は4万9,800円で、同時にCBS・ソニーが盤の定価を3,000円へ下げた。単独売上高は1984年10月期に9,119億円へ戻り、機器と中身の値段を同時に落とす手は、1990年度に年間900万台の販売目標を掲げるところまで市場を広げた。
- 日経ビジネス 1984年12月10日号
- [14]1980年6月 フィリップスと連名でCDの規格方式を提案し世界統一を実現
- [15]1982年8月 第1号機CDP-101を16万9,800円で発表
- [16]CDプレーヤーの市場累積は1984年時点で約25万台
- [17]縦横13センチ・高さ4センチの木型に事業部長が日付と署名を入れて目標を固定
- [18]8個のLSIのうち3個を1チップ化
- [19]1984年10月 D-50を4万9,800円で発売、CBS・ソニーが盤の定価を3,000円へ引き下げ
- 会社年鑑(1986年版)
- [20]1984年10月期 単独売上高9,119億円
- 証券アナリストジャーナル 1990年28巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- [21]1990年度 CDプレーヤーの年間販売目標を900万台へ引き上げ(前年度実績710万台)
参考文献[1]-[21]
- 日経ビジネス 1989年8月14日号
- [1]1982年 大賀典雄氏がソニー社長に就任
- [2]大賀典雄氏 1970年からシービーエス・ソニーレコード社長
- [4]社長就任時は逆オイルショック下の世界同時不況で在庫調整に後れ大幅減益
- [6]トップ直結型の組織を事業本部制へ改め、部品の外販へ転換
- [7]1982年 社長就任記者会見での発言
- [11]1984年1月の株主総会が特殊株主の追及で最長記録を更新
- ソニーグループ 有価証券報告書 第108期(2025年3月期)【沿革】
- [3]シービーエス・ソニーレコードは米CBS Inc.との合弁(当社50%出資)
- 会社年鑑(1986年版)
- [5]1982年10月期 単独売上高8,329億円・当期純利益416億円
- [9]1983年10月期 単独売上高7,700億円・当期純利益255億円
- [20]1984年10月期 単独売上高9,119億円
- Decide 1986年4巻2号(岩淵明男)
- [8]1983年10月期 単独8年ぶり減収・2年連続減益、海外子会社71社を含む連結が初の減収減益
- [10]1984年1月末の株主総会が13時間半に及ぶ
- [13]1984年1月のマネジメント会同でノン・コンシューマー分野への注力を打ち出す
- 日経ビジネス 1984年12月10日号
- [12]ベータ方式の不振と業績悪化により技術のソニーという商標の像が後退
- [14]1980年6月 フィリップスと連名でCDの規格方式を提案し世界統一を実現
- [15]1982年8月 第1号機CDP-101を16万9,800円で発表
- [16]CDプレーヤーの市場累積は1984年時点で約25万台
- [17]縦横13センチ・高さ4センチの木型に事業部長が日付と署名を入れて目標を固定
- [18]8個のLSIのうち3個を1チップ化
- [19]1984年10月 D-50を4万9,800円で発売、CBS・ソニーが盤の定価を3,000円へ引き下げ
- 証券アナリストジャーナル 1990年28巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- [21]1990年度 CDプレーヤーの年間販売目標を900万台へ引き上げ(前年度実績710万台)
1984年〜産業用への間口拡大と、円高が押し出した海外生産
1984年1月のマネジメント会同で、ソニーは民生用に加えて成長の著しい産業用の分野へ力を注ぐ方針を掲げ、光ディスク、ニューメディア、OAとコンピュータ、ソフト、半導体、ディスプレイ、コンポーネント、高精細ビデオの八つを全社プロジェクトに定めた。翌1985年度にはファクトリー・オートメーションが加わり九つになっている。1983年度の産業用部門は連結売上の16%にすぎない。同じころ松下電器産業は特機部門の比率を31%から39%へ引き上げる計画を掲げており、民生機器の成熟は業界に共通する前提だった。1984年7月にはソニーマグネスケール、1987年7月にはソニーケミカルの株式を東京証券取引所市場第二部へ上場させ、単独売上高は1985年10月期に1兆713億円と1兆円を超えた。
- Decide 1986年4巻2号(岩淵明男)
- [22]1984年 八つのコーポレート・プロジェクトを設定(光ディスク・ニューメディア・OA・ソフト・半導体・ディスプレイ・コンポーネント・HDVS)
- [23]1985年度 ファクトリー・オートメーションが加わり九つに
- [24]1983年度 ノン・コンシューマー部門は連結売上の16%
- [25]松下電器産業が特機部門の比率を31%から39%へ引き上げる計画を掲げる
- ソニーグループ 有価証券報告書 第108期(2025年3月期)【沿革】
- [26]1984年7月 ソニーマグネスケール、1987年7月 ソニーケミカルを東京証券取引所市場第二部へ上場
- 証券アナリストジャーナル 1986年24巻1号(橋本綱夫)
- [27]1985年10月期 単独売上高1兆713億円
1985年秋のプラザ合意の後、1ドル240円だった円相場は1987年末に120円となり、円の価値は二年あまりで二倍になった。輸出依存度の高い家電産業の業績は急速に悪化し、松下電器産業・ソニー・シャープ・三洋電機の四社を合わせた1986年度の営業利益は前年度の半分以下に縮んだ。ソニーの単独売上高は1985年10月期の1兆713億円から1986年10月期は1兆361億円へ減り、当期純利益は489億円から309億円へ落ちている。四社は生産拠点の海外移転を広げ、売上に占める国内販売の比率を1983年度の54%から1988年度の63%へ高めた。ソニーもこの時期から海外での基盤強化と生産の増強に取り組んでいる。
- 日本産業史(日経文庫)第4巻 電機・電子「家電-本格的な「冬の時代」に」
- [28]1985年秋のプラザ合意後、1ドル240円から1987年末に120円へ
- [29]大手家電四社の1986年度合計営業利益が前年度の半分以下に
- [31]家電四社の国内販売比率が1983年度54%から1988年度63%へ
- 証券アナリストジャーナル 1986年24巻1号(橋本綱夫)
- [30]1985年10月期 単独売上高1兆713億円・当期純利益489億円、1986年10月期 1兆361億円・309億円
- 証券アナリストジャーナル 1991年29巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- [32]1985年のプラザ合意以降、海外での基盤強化と生産増強を推進
1988年1月、ソニーは日本ビクターが開発したVHS方式の家庭用ビデオを併せて売ると発表した。1975年5月に世界で初めてベータ方式を出してから13年、ベータ陣営からVHS陣営へ移るメーカーが相次ぎ、ベータを手がけるのはソニーだけになっていた。1987年度の国内の家庭用ビデオ生産台数およそ3,200万台に対し、ソニーのベータは140万台でシェアは約4%にすぎない。決め手は機器ではなく中身の側にあった。普及率が1982年に12.4%を超えたころからレンタル店が増えて約1万3,000店に達し、映画のビデオソフトはVHS九に対しベータ一の比率で作られていた。国内のビデオ出荷は1988年に716万台のピークをつけており、市場そのものは伸びている。中身の品揃えが機器の規格を決める市場に変わっていた。
- Decide 1988年5巻12号(岩淵明男)
- [33]1988年1月 VHS方式の家庭用VTRの併売を発表
- [34]ベータ陣営からVHS陣営への転換が相次ぎ、ベータを手がけるのはソニーのみに
- [35]1987年度 国内の家庭用VTR生産台数約3,200万台に対しベータは140万台・シェア約4%
- [36]VTR普及率は1982年に12.4%、ビデオレンタル店は約1万3,000店に
- [37]映画のビデオソフトの生産比率はVHS9対ベータ1
- 日本産業史(日経文庫)第4巻 電機・電子「家電-本格的な「冬の時代」に」
- [38]国内のVTR出荷は1988年に716万台でピーク
参考文献[22]-[38]
- Decide 1986年4巻2号(岩淵明男)
- [22]1984年 八つのコーポレート・プロジェクトを設定(光ディスク・ニューメディア・OA・ソフト・半導体・ディスプレイ・コンポーネント・HDVS)
- [23]1985年度 ファクトリー・オートメーションが加わり九つに
- [24]1983年度 ノン・コンシューマー部門は連結売上の16%
- [25]松下電器産業が特機部門の比率を31%から39%へ引き上げる計画を掲げる
- ソニーグループ 有価証券報告書 第108期(2025年3月期)【沿革】
- [26]1984年7月 ソニーマグネスケール、1987年7月 ソニーケミカルを東京証券取引所市場第二部へ上場
- 証券アナリストジャーナル 1986年24巻1号(橋本綱夫)
- [27]1985年10月期 単独売上高1兆713億円
- [30]1985年10月期 単独売上高1兆713億円・当期純利益489億円、1986年10月期 1兆361億円・309億円
- 日本産業史(日経文庫)第4巻 電機・電子「家電-本格的な「冬の時代」に」
- [28]1985年秋のプラザ合意後、1ドル240円から1987年末に120円へ
- [29]大手家電四社の1986年度合計営業利益が前年度の半分以下に
- [31]家電四社の国内販売比率が1983年度54%から1988年度63%へ
- [38]国内のVTR出荷は1988年に716万台でピーク
- 証券アナリストジャーナル 1991年29巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- [32]1985年のプラザ合意以降、海外での基盤強化と生産増強を推進
- Decide 1988年5巻12号(岩淵明男)
- [33]1988年1月 VHS方式の家庭用VTRの併売を発表
- [34]ベータ陣営からVHS陣営への転換が相次ぎ、ベータを手がけるのはソニーのみに
- [35]1987年度 国内の家庭用VTR生産台数約3,200万台に対しベータは140万台・シェア約4%
- [36]VTR普及率は1982年に12.4%、ビデオレンタル店は約1万3,000店に
- [37]映画のビデオソフトの生産比率はVHS9対ベータ1
1988年〜CBSレコードとコロンビアの買収による機器とソフトの垂直統合
1988年1月、ソニーは米CBS Inc.のレコード部門であるCBS Records Inc.を約20億ドルで買収した。払込の行われた1月5日の為替は1ドル124円80銭で、邦貨にしておよそ2,500億円にあたる。1987年9月末のソニーの資産は9,666億円であり、全財産の約4分の1を一件の買収へ投じた計算になる。資金は借入で賄っており、盛田昭夫会長は前年12月の講演で『借金してやるわけですが、大賀君とは「これがうまくいかなかったら、二人とも首吊るんだな」といっている』と語っている。同じ月には折半出資だったシービーエス・ソニーレコードへの持分も100%へ引き上げた。機器を作る会社が、その機器で再生される中身を作る会社を、資本ごと自社の内側へ置いた。
- ソニーグループ 有価証券報告書 第108期(2025年3月期)【沿革】
- [39]1988年1月 米CBS Inc.のレコード部門CBS Records Inc.を買収(約20億ドル)
- [43]1988年1月 シービーエス・ソニーレコードを当社100%出資へ
- Decide 1988年5巻12号(岩淵明男)
- [40]1988年1月5日の払込時の為替は1ドル124円80銭・邦貨で約2,500億円
- [41]1987年9月末のソニーの資産9,666億円・買収額は約4分の1に相当
- [42]盛田昭夫氏 1987年12月の講演での発言
1989年11月、ソニーは米Columbia Pictures Entertainment, Inc.を買収した。持分の取得額は約34億ドルである。1990年度上期末の営業権は前年同期末比4,836億円増の5,466億円へ膨らみ、自己資本比率は44.6%から32.6%へ下がり、支払利息は前年同期比154億円増の257億円となった。同じ年の10月には薄膜形成装置のMRC社を5,820万ドルで米国ソニーの完全子会社としている。買収先に常駐する社員は置かず、四半期に一度の委員会で中長期の経営課題だけを話す形をとった。米国ソニー執行副会長の盛田正明氏は『日本的経営と称されるものの中で、役に立ちそうなものがあったら採用すればいい。一方的に命じるべきことではない』と述べ、ソフト事業はマイケル・シュルホフ氏が統括した。買った会社を日本から動かさない形で、統合は進められた。
- ソニーグループ 有価証券報告書 第108期(2025年3月期)【沿革】
- [44]1989年11月 米Columbia Pictures Entertainment, Inc.を買収
- [45]コロンビア・ピクチャーズの持分取得額は約34億ドル
- 証券アナリストジャーナル 1990年28巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- [46]1990年度上期末 営業権5,466億円・自己資本比率32.6%・支払利息257億円
- 日経ビジネス 1991年5月27日号
- [47]1989年10月 MRCを総額5,820万ドルで買収し米国ソニーの100%子会社化
- [48]MRCに常駐社員を置かず、四半期に一度の委員会で中長期の課題のみを扱う
- [49]盛田正明氏 日本的経営の押し付けを否定
- [50]米国ソニーのソフト事業はマイケル・シュルホフ氏が統括
1991年度上期、円は対米ドルで7%、対独マルクで15%、対英ポンドで18%上昇し、前年と同水準の為替であれば連結売上高は632億円多かった計算になる。米国の景気後退の長期化と欧州の景気鈍化、国内の価格競争が重なり、上期の連結営業利益は前年同期比35.6%減、当期純利益は同13.3%減となった。通期では連結売上高4兆円を見込みながら、営業利益は23%減の2,300億円、単独の経常利益は48%減の600億円を予想している。1991年11月にはソニー・ミュージックエンタテインメントの株式を東京証券取引所市場第二部へ上場させた。国内の家電需要はバブルの崩壊で1991年から減り始めており、機器で稼いで中身を買う循環は、稼ぐ側から細っていった。
- 証券アナリストジャーナル 1991年29巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- [51]1991年度上期 対米ドル7%・対独マルク15%・対英ポンド18%の円高、連結売上高への影響632億円
- [52]1991年度上期 連結営業利益が前年同期比35.6%減・当期純利益13.3%減
- [53]1991年度通期見通し 連結売上高4兆円・営業利益2,300億円(23%減)・単独経常利益600億円(48%減)
- ソニーグループ 有価証券報告書 第108期(2025年3月期)【沿革】
- [54]1991年11月 ソニー・ミュージックエンタテインメントの株式を東京証券取引所市場第二部へ上場
- 日本産業史(日経文庫)第4巻 電機・電子「家電-本格的な「冬の時代」に」
- [55]バブル崩壊により国内の家電需要が1991年以降に減少
参考文献[39]-[55]
- ソニーグループ 有価証券報告書 第108期(2025年3月期)【沿革】
- [39]1988年1月 米CBS Inc.のレコード部門CBS Records Inc.を買収(約20億ドル)
- [43]1988年1月 シービーエス・ソニーレコードを当社100%出資へ
- [44]1989年11月 米Columbia Pictures Entertainment, Inc.を買収
- [45]コロンビア・ピクチャーズの持分取得額は約34億ドル
- [54]1991年11月 ソニー・ミュージックエンタテインメントの株式を東京証券取引所市場第二部へ上場
- Decide 1988年5巻12号(岩淵明男)
- [40]1988年1月5日の払込時の為替は1ドル124円80銭・邦貨で約2,500億円
- [41]1987年9月末のソニーの資産9,666億円・買収額は約4分の1に相当
- [42]盛田昭夫氏 1987年12月の講演での発言
- 証券アナリストジャーナル 1990年28巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- [46]1990年度上期末 営業権5,466億円・自己資本比率32.6%・支払利息257億円
- 日経ビジネス 1991年5月27日号
- [47]1989年10月 MRCを総額5,820万ドルで買収し米国ソニーの100%子会社化
- [48]MRCに常駐社員を置かず、四半期に一度の委員会で中長期の課題のみを扱う
- [49]盛田正明氏 日本的経営の押し付けを否定
- [50]米国ソニーのソフト事業はマイケル・シュルホフ氏が統括
- 証券アナリストジャーナル 1991年29巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- [51]1991年度上期 対米ドル7%・対独マルク15%・対英ポンド18%の円高、連結売上高への影響632億円
- [52]1991年度上期 連結営業利益が前年同期比35.6%減・当期純利益13.3%減
- [53]1991年度通期見通し 連結売上高4兆円・営業利益2,300億円(23%減)・単独経常利益600億円(48%減)
- 日本産業史(日経文庫)第4巻 電機・電子「家電-本格的な「冬の時代」に」
- [55]バブル崩壊により国内の家電需要が1991年以降に減少
筆者考察
規格を作る力と、その規格を市場に通す力は別のものである。ソニーは1975年にベータ方式の家庭用ビデオを世界で初めて出しながら、1987年度には国内生産3,200万台のうち140万台、シェア4%まで落ちた。同じ会社が、1980年にフィリップスと組んで提案したコンパクトディスクでは世界の統一規格を実現している。違いは、組んだ相手の数と、中身を誰が供給するかにあった。ビデオでは映画会社が9対1の比率でVHSの盤を作り、1万3,000店に増えたレンタル店の棚がその比率をそのまま映した。機器の優劣を決めていたのは、機器の外にある中身の量だった。
この経験から出た答えが、中身そのものを資本で買うことだった。1988年に約20億ドルでCBSレコードを、1989年に約34億ドルでコロンビア・ピクチャーズを取り込み、2年でおよそ60億ドルを米国のソフト産業へ移している。買収前のソニーの資産9,666億円に対し、レコード部門だけで4分の1にあたる額を投じた計算になる。ただし、この答えには条件があった。借入の利息も営業権の償却も、機器を売って稼いだ現金から払われる。1991年度は円高と欧米の景気後退が重なり、連結営業利益は23%の減益を見込む水準まで落ちた。中身を抱える体力は、抱えた中身ではなく、なお機器の側が支えていた。
- 1988年1月 米CBS Inc.のレコード部門を約20億ドルで買収
- 1989年11月 コロンビア・ピクチャーズを買収(持分取得額 約34億ドル)
- 棒はすべて単体。決算期は10月期。1983年10月期の減収と1986年10月期の減収は、それぞれベータ方式の不振とプラザ合意後の円高による。
- 棒の出所は1980〜1984年が会社年鑑(1986年版)、1985年が証券アナリストジャーナル 1986年24巻1号、1986年が同 1987年25巻1号。
1980年〜1992年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1980年10月期 | 単体 | 6,050 | n/a | 652 | 320 | 5.3% | n/a |
| 1981年10月期 | 単体 | 7,779 | +28.6% | 860 | 471 | 6.1% | n/a |
| 1982年10月期 | 単体 | 8,329 | +7.1% | 723 | 416 | 5.0% | n/a |
| 1983年10月期 | 単体 | 7,700 | ▲7.6% | 415 | 255 | 3.3% | n/a |
| 1984年10月期 | 単体 | 9,119 | +18.4% | 805 | 350 | 3.8% | n/a |
| 1985年10月期 | 単体 | 10,713 | +17.5% | n/a | 489 | 4.6% | n/a |
| 1986年10月期 | 単体 | 10,361 | ▲3.3% | n/a | 309 | 3.0% | n/a |
| 1987年03月期 | 連結 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 連結 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 連結 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 連結 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 連結 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 連結 | 39,286 | n/a | n/a | 1,201 | 3.1% | n/a |
出所:会社年鑑、証券調査
出典・参考
11件
- ソニーグループ 有価証券報告書 第108期(2025年3月期)【沿革】
- 会社年鑑(1986年版)
- 日本産業史(日経文庫)第4巻 電機・電子「家電-本格的な「冬の時代」に」
- 日経ビジネス 1984年12月10日号
- Decide 1986年4巻2号(岩淵明男)
- 証券アナリストジャーナル 1986年24巻1号(橋本綱夫)
- Decide 1988年5巻12号(岩淵明男)
- 日経ビジネス 1989年8月14日号
- 証券アナリストジャーナル 1990年28巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- 証券アナリストジャーナル 1991年29巻12号(取締役総務グループ本部長 佐野角夫氏の講演要旨)
- 日経ビジネス 1991年5月27日号