任天堂:レジャー機器の在庫過剰と1977年のテレビゲーム参入
1966年〜定款の事業目的を拡大して挑んだ総合室内ゲーム
1968年の時点で、トランプにかるた類を合わせた市場での任天堂の国内占有率は70%で、同業他社の追随を許さない位置にあった。年間売上高は24億円を超え、従業員は496名、資本金は6億6,150万円。トランプ、かるた、麻雀、室内ゲーム、特殊玩具類と事業に掲げる製品を広げ、室内ゲームと特殊玩具の分野へ積極的に乗り出したのは、当時の任天堂が室内娯楽品の総合メーカーを目指していたからである。トランプとかるたでの半ば独占的な地位は、この後1970年代の半ばまで揺るがなかった。この拡大は、トランプの会社としての任天堂が、総合的な室内ゲームを扱う会社へと殻を破る過程だった。前章の終わりにぶつかった天井を、遊技具の種類を増やして越えようとしたのである。
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [1]1968年時点 トランプ・かるた類の国内市場占有率70%・同業他社の追随を許さず
- [2]1968年時点 年間売上高24億円超
- [3]1968年時点 従業員496名・資本金6億6,150万円
- [4]1968年時点の事業はトランプ・かるた・麻雀・室内ゲーム・特殊玩具類
- [5]室内娯楽品の総合メーカーを指向し室内ゲーム・特殊玩具の分野へ積極的に進出
- [7]トランプの任天堂から総合室内ゲームの任天堂への脱皮
- 日本企業要覧 1976年版「任天堂」
- [6]1970年代半ば時点でトランプ・かるたは半独占
1970年代の任天堂が会社の目的として掲げていたのは、トランプ類の製造販売に加えて、娯楽用具・運動具・音響機器および乗物、事務用機器および事務用品、教材・育児用品・家庭用品および電気用品、印刷・出版および紙製品の加工、合成樹脂・金属・木製品の加工にまで及ぶ範囲だった。実際に力を注いだのは各種ゲーム用品と、複写機などの事務機である。製品としては無線操縦方式のレーシングカーを発売し、1974年には紙製品の立体式組立工作であるペーパー・モデルを出した。遊技具の会社が事務機を手がけるのは飛躍に見えるが、紙と樹脂の加工技術という一点では地続きだった。
- 日本企業要覧 1976年版「任天堂」
- [8]会社の目的はトランプ類の製造販売/娯楽用具・運動具・音響機器及び乗物/事務用機器及び事務用品/教材・育児用品・家庭用品及び電気用品/印刷・出版及び紙製品の加工/合成樹脂・金属及び木製品の加工
- [10]無線操縦方式のレーシングカーを発売
- [11]1974年 ペーパー・モデル(紙製品の立体式組立工作)を発売
- 日本企業要覧 1977年版「任天堂」
- [9]各種ゲーム用品と複写機など事務機への進出に注力
1969年11月の増資で資本金は10億5,800万円となり、1970年には大阪証券取引所市場第一部へ昇格した。1970年6月期の売上高は30億2,000万円、当期純利益は3億1,000万円で、1965年6月期の14億円から5年で倍を超えている。1972年10月には第1事業本部と第2事業本部の二本立てで製造と営業を分ける体制を敷いた。上場市場は大阪と京都の二つにとどまり、主要取引銀行は京都銀行・大和銀行・三菱銀行・東海銀行・三和銀行の5行だった。トランプ一品の会社であれば要らなかった組織の階層が、製品の種類を増やしたことで必要になった。
- 日本企業要覧 1977年版「任天堂」
- [12]1969年11月 増資により資本金10億5,800万円
- 日本企業要覧 1976年版「任天堂」
- [13]1970年 大阪証券取引所市場第1部へ昇格
- [17]上場市場は大阪・京都
- [18]取引銀行は京都・大和・三菱・東海・三和
- 株式会社年鑑
- [14]1970年6月期 売上高30.2億円・当期純利益3.10億円
- [15]1965年6月期 売上高14.0億円
- 日本企業要覧 1973年版「任天堂」
- [16]1972年10月 第1事業本部・第2事業本部を置く体制
参考文献[1]-[18]
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- [1]1968年時点 トランプ・かるた類の国内市場占有率70%・同業他社の追随を許さず
- [2]1968年時点 年間売上高24億円超
- [3]1968年時点 従業員496名・資本金6億6,150万円
- [4]1968年時点の事業はトランプ・かるた・麻雀・室内ゲーム・特殊玩具類
- [5]室内娯楽品の総合メーカーを指向し室内ゲーム・特殊玩具の分野へ積極的に進出
- [7]トランプの任天堂から総合室内ゲームの任天堂への脱皮
- 日本企業要覧 1976年版「任天堂」
- [6]1970年代半ば時点でトランプ・かるたは半独占
- [8]会社の目的はトランプ類の製造販売/娯楽用具・運動具・音響機器及び乗物/事務用機器及び事務用品/教材・育児用品・家庭用品及び電気用品/印刷・出版及び紙製品の加工/合成樹脂・金属及び木製品の加工
- [10]無線操縦方式のレーシングカーを発売
- [11]1974年 ペーパー・モデル(紙製品の立体式組立工作)を発売
- [13]1970年 大阪証券取引所市場第1部へ昇格
- [17]上場市場は大阪・京都
- [18]取引銀行は京都・大和・三菱・東海・三和
- 日本企業要覧 1977年版「任天堂」
- [9]各種ゲーム用品と複写機など事務機への進出に注力
- [12]1969年11月 増資により資本金10億5,800万円
- 株式会社年鑑
- [14]1970年6月期 売上高30.2億円・当期純利益3.10億円
- [15]1965年6月期 売上高14.0億円
- 日本企業要覧 1973年版「任天堂」
- [16]1972年10月 第1事業本部・第2事業本部を置く体制
1973年〜レーザークレーに賭けたレジャー機器と不況下の停滞
1973年5月、任天堂は光線銃による室内射撃システム、レーザークレーを発売した。無線操縦のレーシングカーに続く新分野で、ここから会社はレジャー機器の事業へ本格的に踏み込む。続いてレーザークレーの小型版であるシミュレーション・システムを当面三機種にしぼって重点販売にかけた。トランプやかるたが一世帯に一組あれば足りる消耗品であるのに対し、射撃システムは施設に据えて客から料金を取る設備である。売る相手が個人から事業者へ移り、一件あたりの単価も回収の期間も、それまでの製品とは別の性質を帯びた。
- 日本企業要覧 1976年版「任天堂」
- [19]1973年5月 光線銃による室内射撃システム「レーザークレー」を発売
- [21]レーザークレーの小型版「シミュレーション・システム」を当面三機種で重点販売
- 日本企業要覧 1977年版「任天堂」
- [20]レーザークレーの発売によりレジャー機器の分野へ進出
1975年度の事業内容はトランプ・カルタ57%、トイ・事務用機器11%、レーザークレー7%、その他25%で、稼ぎ頭は依然としてトランプとかるたである。当時の決算期は2月末と8月末の年2回で、1年ぶんを合わせた売上高は1973年8月期に64億8,000万円、1974年8月期に77億円、当期純利益はそれぞれ3億5,300万円と3億9,100万円だった。半期でみると1976年2月期は売上高45億円余、経常利益4億7,071万円、純利益2億3,180万円で、前の半期に対する増収増益となった。会社はその要因をトランプ・カルタ類の高級品とレジャー機器の伸長に求めている。レジャー機器は伸びてはいたが、売上を押し上げていたのはなお値の張るトランプとかるたのほうだった。
- 日本企業要覧 1976年版「任天堂」
- [22]1975年度 事業内容 トランプ・カルタ57%/トイ・事務用機器11%/レーザークレー7%/その他25%
- [25]1976年2月期(年2回決算) 売上高45億円余・経常利益4億7,071万円・純利益2億3,180万円/前期比で増収増益
- [26]トランプ・カルタ類の高級品とレジャー機器の伸長が増収増益の主因
- 株式会社年鑑
- [23]1973年8月期(年2回決算の1年ぶん) 売上高64.8億円・当期純利益3.53億円
- [24]1974年8月期(年2回決算の1年ぶん) 売上高77.0億円・当期純利益3.91億円
決算を年2回から年1回に改めたのは1977年8月期からである。それ以前の最後の半期にあたる1976年8月期は、販売の促進と経費の節減に努めたものの、不需要期に不況の影響が重なり、前の半期からほぼ横ばいの不本意な決算に終わった。会社は事業各般で効率的な政策を進め、企業体質の強化をはかっているとした。1976年度の事業内容でもトランプ・カルタが49.3%を占め、レジャー機器は9.8%と1割に届かない。従業員は1976年に482名、1977年に476名、1978年に466名と減り続けた。総合室内ゲームへの脱皮を掲げて10年、事業の柱はまだ入れ替わっていなかった。
- 日本企業要覧 1977年版「任天堂」
- [27]1977年度より年1回決算(8月31日)へ移行
- [28]1976年8月期(年2回決算の下期) 販売促進と経費節減に努めるも不需要期と不況の影響で前期比ほぼ横ばい・不本意な決算と総括
- [29]事業各般における効率的政策を推進し企業体質の強化をはかっていると総括
- [30]1976年度 事業内容 トランプ・カルタ49.3%/レジャー機器9.8%
- [31]従業員 1976年482名・1977年476名
- 日本企業要覧 1979年版「任天堂」
- [32]1978年 従業員466名
参考文献[19]-[32]
- 日本企業要覧 1976年版「任天堂」
- [19]1973年5月 光線銃による室内射撃システム「レーザークレー」を発売
- [21]レーザークレーの小型版「シミュレーション・システム」を当面三機種で重点販売
- [22]1975年度 事業内容 トランプ・カルタ57%/トイ・事務用機器11%/レーザークレー7%/その他25%
- [25]1976年2月期(年2回決算) 売上高45億円余・経常利益4億7,071万円・純利益2億3,180万円/前期比で増収増益
- [26]トランプ・カルタ類の高級品とレジャー機器の伸長が増収増益の主因
- 日本企業要覧 1977年版「任天堂」
- [20]レーザークレーの発売によりレジャー機器の分野へ進出
- [27]1977年度より年1回決算(8月31日)へ移行
- [28]1976年8月期(年2回決算の下期) 販売促進と経費節減に努めるも不需要期と不況の影響で前期比ほぼ横ばい・不本意な決算と総括
- [29]事業各般における効率的政策を推進し企業体質の強化をはかっていると総括
- [30]1976年度 事業内容 トランプ・カルタ49.3%/レジャー機器9.8%
- [31]従業員 1976年482名・1977年476名
- 株式会社年鑑
- [23]1973年8月期(年2回決算の1年ぶん) 売上高64.8億円・当期純利益3.53億円
- [24]1974年8月期(年2回決算の1年ぶん) 売上高77.0億円・当期純利益3.91億円
- 日本企業要覧 1979年版「任天堂」
- [32]1978年 従業員466名
1978年〜インベーダーの崩落から電子ゲームへ移行した主力
倒産企業が次々に出て市場がすっかり縮むという大きな後遺症は、インベーダー・ゲームのブームが残したものだった。日本で最初のマイコン・ゲームとして1978年の暮れから1979年の前半に社会問題になるほど流行したこのゲームは、1979年の夏には早くも勢いを失っていた。マイコン・ゲームの時代は終わったとみる向きが大勢だったが、山内溥氏の判断は逆で、共産圏以外の世界で娯楽の市場にマイコン・ゲームが大きな役割を担うと見て、その時点から技術の開発に取りかかった。原価で1枚10数万円もするインベーダー機の基板は市場に残ったままで、廃棄するには高価すぎた。その基板に別のゲームを開発して載せる動きが、ここから相次いで生まれてくる。この時期を振り返り、山内氏は後年『インベーダーがあまりにも大ブームになって、そしてつぶれた。その後遺症が残って、どうしたらいいかということからスタートが切られたわけですよ』と語っている。
- 証券アナリストジャーナル 1983年21巻9号
- [33]インベーダー・ゲームの凋落により倒産企業が続出し市場が縮小
- [34]1978年暮れから1979年前半にかけてインベーダー・ゲームがブーム化し社会問題となり1979年夏に凋落
- [35]当時はマイコン・ゲームは終わったとする見方が支配的
- [36]山内溥氏はマイコン・ゲームが共産圏を除く世界の娯楽市場で大きな役割を果たすと判断し技術開発に着手
- コンピュートピア 1986年「情報化時代の経営戦略(5) 任天堂・山内溥社長が語る娯楽革命の秘密」
- [37]インベーダー機の基板は1枚あたり原価10数万円で廃棄できなかった
- [38]マイクロコンピュータによるビデオゲームを開発して既存の基板に載せる動きが連鎖的に生じた
家庭用では1980年に開発したLCDゲーム、ゲーム&ウオッチを1980年春から発売し、1981年から1982年にかけて爆発的な人気を呼んでシリーズを増やしていった。1980年末からは立体パズルのテンビリオンも好調に売れた。業務用では、マイクロコンピュータを使ったビデオ・ゲーム・マシンを手がけ、1981年に市場へ出したドンキーコングがアメリカ市場を中心に爆発的に売れた。ドンキーコングのソフトウェア開発は池上通信機へ委託し、1981年6月末に業務を完了して7月20日に委託料を支払っている。資本金は1980年11月に15億3,153万円となった。開発の主体を自社に置きながら、要素となる技術は外部へ出して調達する形が、この時期に定まった。
- 日本企業要覧 1981年版「任天堂」
- [39]1980年春よりLCDゲーム「ゲーム&ウオッチ」を発売
- [40]ゲーム&ウオッチが爆発的人気を呼びシリーズを増加
- [41]1980年末より立体パズル「テンビリオン」が好調
- [44]1980年11月 資本金15億3,153万円
- 証券アナリストジャーナル 1983年21巻9号
- [42]1981年に市場投入した「ドンキーコング」がアメリカ市場を中心に爆発的に売れた
- [43]ドンキーコングのソフトウェア開発を池上通信機へ委託/1981年6月末に業務完了・7月20日に委託料を支払い
売上高は1977年8月期の97億3,000万円から1980年8月期に156億700万円へ伸び、経常利益も9億3,700万円から18億4,300万円へ倍増した。1980年度の事業内容は業務用レジャー機器48%、家庭用レジャー機器28%、その他24%で、トランプ・カルタは構成比の表から姿を消している。1982年8月期の販売実績は業務用211億6,300万円、家庭用340億2,400万円、その他23億9,700万円の合計575億8,400万円、輸出比率61.1%に達した。従業員は468人。山内氏はこの転換を『昭和55年が大転換期となり、55~57年の3年間で当社の業務は一変し、売上高の97%ぐらいまでがコンピューター・ゲーム機器関係に変わった』と総括している。
- 日本企業要覧 1981年版「任天堂」
- [45]売上高 1977年8月期97億3,000万円→1980年8月期156億700万円/経常利益 9億3,700万円→18億4,300万円
- [46]1980年度 事業内容 レジャー機器(業務用)48%/レジャー機器(家庭用)28%/その他24%
- 証券 1983年35巻8号
- [47]1982年8月期 販売実績 業務用レジャー機器211億6,300万円(36.7%)・家庭用レジャー機器340億2,400万円(59.1%)・その他23億9,700万円(4.2%)/合計575億8,400万円/輸出比率61.1%
- [48]1982年8月31日現在 従業員468人
参考文献[33]-[48]
- 証券アナリストジャーナル 1983年21巻9号
- [33]インベーダー・ゲームの凋落により倒産企業が続出し市場が縮小
- [34]1978年暮れから1979年前半にかけてインベーダー・ゲームがブーム化し社会問題となり1979年夏に凋落
- [35]当時はマイコン・ゲームは終わったとする見方が支配的
- [36]山内溥氏はマイコン・ゲームが共産圏を除く世界の娯楽市場で大きな役割を果たすと判断し技術開発に着手
- [42]1981年に市場投入した「ドンキーコング」がアメリカ市場を中心に爆発的に売れた
- [43]ドンキーコングのソフトウェア開発を池上通信機へ委託/1981年6月末に業務完了・7月20日に委託料を支払い
- コンピュートピア 1986年「情報化時代の経営戦略(5) 任天堂・山内溥社長が語る娯楽革命の秘密」
- [37]インベーダー機の基板は1枚あたり原価10数万円で廃棄できなかった
- [38]マイクロコンピュータによるビデオゲームを開発して既存の基板に載せる動きが連鎖的に生じた
- 日本企業要覧 1981年版「任天堂」
- [39]1980年春よりLCDゲーム「ゲーム&ウオッチ」を発売
- [40]ゲーム&ウオッチが爆発的人気を呼びシリーズを増加
- [41]1980年末より立体パズル「テンビリオン」が好調
- [44]1980年11月 資本金15億3,153万円
- [45]売上高 1977年8月期97億3,000万円→1980年8月期156億700万円/経常利益 9億3,700万円→18億4,300万円
- [46]1980年度 事業内容 レジャー機器(業務用)48%/レジャー機器(家庭用)28%/その他24%
- 証券 1983年35巻8号
- [47]1982年8月期 販売実績 業務用レジャー機器211億6,300万円(36.7%)・家庭用レジャー機器340億2,400万円(59.1%)・その他23億9,700万円(4.2%)/合計575億8,400万円/輸出比率61.1%
- [48]1982年8月31日現在 従業員468人
1966年〜1982年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1966年06月期 | 単体 | 15 | n/a | n/a | n/a | 1 | 8.3% | n/a |
| 1967年06月期 | 単体 | 17 | +13.8% | n/a | n/a | 1 | 8.2% | n/a |
| 1968年06月期 | 単体 | 24 | +39.3% | n/a | n/a | 2 | 8.8% | n/a |
| 1969年06月期 | 単体 | 34 | +41.9% | n/a | n/a | 3 | 9.6% | n/a |
| 1970年06月期 | 単体 | 30 | ▲11.7% | n/a | n/a | 3 | 10.3% | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1973年08月期 | 単体 | 64 | n/a | n/a | n/a | 3 | 5.4% | n/a |
| 1974年08月期 | 単体 | 77 | +18.8% | n/a | n/a | 3 | 5.1% | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1977年08月期 | 単体 | 97 | n/a | n/a | 9 | 4 | 5.0% | n/a |
| 1978年08月期 | 単体 | 109 | +12.4% | n/a | 12 | 6 | 5.8% | n/a |
| 1979年08月期 | 単体 | 152 | +39.2% | 18 | 14 | 6 | 4.5% | n/a |
| 1980年08月期 | 単体 | 156 | +2.5% | n/a | 18 | 7 | 4.5% | n/a |
| 1981年08月期 | 単体 | 230 | +47.7% | n/a | 39 | 16 | 7.0% | n/a |
| 1982年08月期 | 単体 | 575 | +149.9% | n/a | 177 | 77 | 13.5% | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
10件
- 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
- 株式会社年鑑
- 証券アナリストジャーナル 1983年21巻9号
- 証券 1983年35巻8号
- 日本企業要覧 1973年版「任天堂」
- 日本企業要覧 1976年版「任天堂」
- 日本企業要覧 1977年版「任天堂」
- 日本企業要覧 1979年版「任天堂」
- 日本企業要覧 1981年版「任天堂」
- コンピュートピア 1986年「情報化時代の経営戦略(5) 任天堂・山内溥社長が語る娯楽革命の秘密」