ファーストリテイリング:メンズショップ小郡商事の開業とユニクロ袋町店の出店
小郡商事の紳士服分離から香港調達のユニクロへ
1949年〜宇部の駅前に構えた紳士服店と、動かなかった35年
1949年3月、柳井等氏が山口県宇部市の宇部新川駅前商店街で紳士服店メンズショップ小郡商事を開店した。資本の後ろ盾を持たない、一代かぎりの個人経営の店だった。開業から14年を経た1963年5月、柳井等氏は個人営業を引き継いで資本金600万円の小郡商事株式会社を設立した。本店を宇部市大字小串63番地147に置き、法人になっても株式は一族の外へ出なかった。上場から間もない1994年8月期でも、31.31%を持つ柳井正氏を筆頭に一族4人で54.86%を占めていた。外部の資本を入れずに意思決定を握る体制は、この法人化の時点で定まっていたと思われる。
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [1]1949年3月、柳井等氏が山口県宇部市の宇部新川駅前商店街で紳士服店メンズショップ小郡商事を開業した
- [2]小郡商事は柳井等氏が一代で興した個人経営の紳士服店であった
- [3]1963年5月、個人営業を引き継ぎ資本金600万円で小郡商事株式会社を設立した
- [4]小郡商事株式会社の本店は山口県宇部市大字小串63番地147に置かれた
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【大株主の状況】
- [5]1994年8月期の大株主は柳井正31.31%・柳井一海9.20%・柳井康治8.10%・柳井照代6.25%で、4人の合計は54.86%であった
- [6]1994年8月期の大株主は柳井正31.31%・柳井一海9.20%・柳井康治8.10%・柳井照代6.25%で、4人の合計は54.86%であった
1971年、柳井等氏の長男である柳井正氏が早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業した。最初の勤め先はジャスコで、在籍は約9か月にとどまっている。1972年8月、柳井正氏は宇部へ戻って家業の小郡商事に入り、翌9月に取締役へ就任した。入社した1972年の小郡商事は、宇部の駅前で紳士服を売る一軒の店にすぎなかった。柳井等氏が社長の座にあったのは、1963年の法人化から1984年9月までの21年である。入社から社長を継ぐまでの12年、小郡商事が扱う商材は紳士服から動かなかった。継ぐ順番の決まっていた長男にとって、この12年は継いだあとに何を売るかを決めるための助走でもあっただろう。
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【役員の状況】
- [7]柳井正氏は1971年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業した
- [10]1972年9月、柳井正氏が小郡商事の取締役に就任した
- [12]柳井等氏は1963年5月の法人化と同時に代表取締役社長へ就任し、1984年9月まで務めた
- 柳井正『一勝九敗』(新潮社, 2003)
- [8]柳井正氏の最初の勤務先はジャスコで、在籍期間は約9か月であった
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [9]1972年8月、柳井正氏が小郡商事へ入社した
- [11]1984年6月に広島県第1号店を出店するまで、小郡商事が扱う商材は紳士服にとどまった
- [13]1984年6月に広島県第1号店を出店するまで、小郡商事が扱う商材は紳士服にとどまった
柳井等氏が社長を務めた21年、そして1949年の開業から数えれば35年を通じて、小郡商事が売ったのは紳士服だった。広島県に第1号店を出す1984年6月まで、扱う商材はそこから動いていない。一軒の店が駅前の人通りに支えられる商いでは、売り場を移す判断も仕入れを組み替える判断も必要にならない。商材と経営者が同じ年に替わったのは1984年である。同年6月に祖業の紳士服事業がオーエス販売として切り離され、9月に長男の柳井正氏が代表取締役社長へ就任した。柳井正氏が家業へ入った1972年から数えても、商材が替わるまでには12年を要している。承継と業態の入れ替えは、この一年のうちに重なった。
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【役員の状況】
- [14]柳井等氏は1963年5月から1984年9月まで小郡商事の代表取締役社長を務めた
- [18]1984年9月、柳井正氏が代表取締役社長に就任した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [15]1949年3月の開業から1984年6月の広島県第1号店出店まで、小郡商事は紳士服の小売を営んだ
- [16]1949年3月の開業から1984年6月の広島県第1号店出店まで、小郡商事は紳士服の小売を営んだ
- [19]1972年、柳井正氏が小郡商事へ入社した
- 柳井正『一勝九敗』(新潮社, 2003)
- [17]1984年6月、祖業の紳士服事業をオーエス販売として分離した
参考文献[1]-[19]
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [1]1949年3月、柳井等氏が山口県宇部市の宇部新川駅前商店街で紳士服店メンズショップ小郡商事を開業した
- [2]小郡商事は柳井等氏が一代で興した個人経営の紳士服店であった
- [3]1963年5月、個人営業を引き継ぎ資本金600万円で小郡商事株式会社を設立した
- [4]小郡商事株式会社の本店は山口県宇部市大字小串63番地147に置かれた
- [9]1972年8月、柳井正氏が小郡商事へ入社した
- [11]1984年6月に広島県第1号店を出店するまで、小郡商事が扱う商材は紳士服にとどまった
- [13]1984年6月に広島県第1号店を出店するまで、小郡商事が扱う商材は紳士服にとどまった
- [15]1949年3月の開業から1984年6月の広島県第1号店出店まで、小郡商事は紳士服の小売を営んだ
- [16]1949年3月の開業から1984年6月の広島県第1号店出店まで、小郡商事は紳士服の小売を営んだ
- [19]1972年、柳井正氏が小郡商事へ入社した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【大株主の状況】
- [5]1994年8月期の大株主は柳井正31.31%・柳井一海9.20%・柳井康治8.10%・柳井照代6.25%で、4人の合計は54.86%であった
- [6]1994年8月期の大株主は柳井正31.31%・柳井一海9.20%・柳井康治8.10%・柳井照代6.25%で、4人の合計は54.86%であった
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【役員の状況】
- [7]柳井正氏は1971年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業した
- [10]1972年9月、柳井正氏が小郡商事の取締役に就任した
- [12]柳井等氏は1963年5月の法人化と同時に代表取締役社長へ就任し、1984年9月まで務めた
- [14]柳井等氏は1963年5月から1984年9月まで小郡商事の代表取締役社長を務めた
- [18]1984年9月、柳井正氏が代表取締役社長に就任した
- 柳井正『一勝九敗』(新潮社, 2003)
- [8]柳井正氏の最初の勤務先はジャスコで、在籍期間は約9か月であった
- [17]1984年6月、祖業の紳士服事業をオーエス販売として分離した
1984年〜紳士服の分離と、広島・袋町からのカジュアル参入
1984年6月、小郡商事は祖業の紳士服事業をオーエス販売として分離した。同じ月、広島市中区袋町にユニクロ袋町店を出店し、カジュアルウエアの小売業へ参入した。出店先は宇部ではなく広島で、祖業の商圏の外に最初の一店を置いている。同年9月、35歳の柳井正氏が代表取締役社長へ就任した。法人化から21年、紳士服だけを売ってきた会社が、この年に扱う商材を入れ替えたことになる。オーエス販売が紳士服を引き取ったことで、小郡商事の店頭にはカジュアルウエアだけが並ぶようになった。柳井正氏は紳士服と普段着を一つの会社に併存させず、祖業を切り離してから始めており、旧来の商いに判断を引きずられない体制を先に作ったといえる。
- 柳井正『一勝九敗』(新潮社, 2003)
- [20]1984年6月、祖業の紳士服事業をオーエス販売として分離した
- [26]1984年6月、祖業の紳士服事業をオーエス販売として分離した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [21]1984年6月、広島県広島市中区袋町にユニクロ袋町店を出店し、カジュアルウエア小売業に参入した
- [22]1984年6月、広島県広島市中区袋町にユニクロ袋町店を出店し、カジュアルウエア小売業に参入した
- [25]1963年5月の法人化から1984年6月の広島県第1号店出店まで、小郡商事は紳士服小売を営んだ
- [27]1984年6月、広島県広島市中区袋町にユニクロ袋町店を出店し、カジュアルウエア小売業に参入した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【役員の状況】
- [23]1984年9月、柳井正氏が代表取締役社長に就任した
- 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
- [24]柳井正氏は紳士服店チェーンを創業した父の後を継ぎ、1984年に35歳で社長に就任した
広島に一号店を出した翌1985年、小郡商事は山口県下関市の幹線道路沿いにユニクロ山の田店を出店した。郊外のロードサイドへの出店は、ここから始まった。広島市中区袋町の一号店はその後も残ったが、1991年に閉じている。1984年6月の開業以来、ユニクロが売ったのはボリュームプライスの商品であり、売り方はセルフサービスだった。店員が採寸して仕立てる紳士服とは、客一人あたりに掛ける手間も、一点あたりの単価も違う。商店街の一店舗と郊外の一店舗では、客が店を選ぶときに見るものが入れ替わり、価格と品質が前面へ出た。1985年以降、出店の軸は幹線道路沿いに移り、駅前商店街の一店舗という祖業の売り方からは離れていった。
- 柳井正『一勝九敗』(新潮社, 2003)
- [28]1985年、山口県下関市の幹線道路沿いにユニクロ山の田店を出店し、郊外ロードサイド型へ転換した
- [29]1985年、山口県下関市の幹線道路沿いにユニクロ山の田店を出店し、郊外ロードサイド型へ転換した
- [33]1985年、山口県下関市の幹線道路沿いにユニクロ山の田店を出店し、郊外ロードサイド型へ転換した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [30]1984年6月に出店したユニクロ袋町店は1991年に閉店した
- 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
- [31]1984年6月の創業以来、カジュアル衣料店ユニクロはボリュームプライスの商品をセルフサービスで販売した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)
- [32]ファーストリテイリングはノンエイジ・ノンセックスのカジュアルウエアを低価格かつ高品質で提供する方針を掲げた
郊外の幹線道路沿いに来る客が求めたのは、安くて品質の良い普段着だった。年齢も性別も問わないノンエイジ・ノンセックスという括りで商品を組み、値段はボリュームプライスに置いている。メーカーから問屋を通って店頭に並ぶ当時の流通では、低価格と品質を両立させることができず、アパレル企業や商社が介在する限り、同じ値段で一段上の商品を出すこともかなわなかった。ファーストリテイリングは企画開発から販売までを自社で一貫して手がけ、流通の段階を短くすることで両方を実現しようとした。売り場はセルフサービスとし、商品を選んでレジまで持っていくのは客の側だった。これは採寸や接客で客単価を上げる紳士服の商売とは、必要な粗利の組み立てが根本から違う。
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)
- [34]ファーストリテイリングはノンエイジ・ノンセックスのカジュアルウエアを低価格かつ高品質で提供する方針を掲げた
- [35]ファーストリテイリングはノンエイジ・ノンセックスのカジュアルウエアを低価格かつ高品質で提供する方針を掲げた
- [39]1994年8月期の有価証券報告書で、企画開発から販売まで一貫した商品政策により流通経路を短縮すると明記した
- 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
- [36]1984年6月の創業以来、カジュアル衣料店ユニクロはボリュームプライスの商品をセルフサービスで販売した
- [40]1984年6月の創業以来、カジュアル衣料店ユニクロはボリュームプライスの商品をセルフサービスで販売した
- 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
- [37]アパレルや商社を間に挟まないため、競合他社と比べて同じ価格でもワンランク上の商品を作れた
- [38]アパレルや商社を間に挟まないため、競合他社と比べて同じ価格でもワンランク上の商品を作れた
参考文献[20]-[40]
- 柳井正『一勝九敗』(新潮社, 2003)
- [20]1984年6月、祖業の紳士服事業をオーエス販売として分離した
- [26]1984年6月、祖業の紳士服事業をオーエス販売として分離した
- [28]1985年、山口県下関市の幹線道路沿いにユニクロ山の田店を出店し、郊外ロードサイド型へ転換した
- [29]1985年、山口県下関市の幹線道路沿いにユニクロ山の田店を出店し、郊外ロードサイド型へ転換した
- [33]1985年、山口県下関市の幹線道路沿いにユニクロ山の田店を出店し、郊外ロードサイド型へ転換した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [21]1984年6月、広島県広島市中区袋町にユニクロ袋町店を出店し、カジュアルウエア小売業に参入した
- [22]1984年6月、広島県広島市中区袋町にユニクロ袋町店を出店し、カジュアルウエア小売業に参入した
- [25]1963年5月の法人化から1984年6月の広島県第1号店出店まで、小郡商事は紳士服小売を営んだ
- [27]1984年6月、広島県広島市中区袋町にユニクロ袋町店を出店し、カジュアルウエア小売業に参入した
- [30]1984年6月に出店したユニクロ袋町店は1991年に閉店した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【役員の状況】
- [23]1984年9月、柳井正氏が代表取締役社長に就任した
- 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
- [24]柳井正氏は紳士服店チェーンを創業した父の後を継ぎ、1984年に35歳で社長に就任した
- [37]アパレルや商社を間に挟まないため、競合他社と比べて同じ価格でもワンランク上の商品を作れた
- [38]アパレルや商社を間に挟まないため、競合他社と比べて同じ価格でもワンランク上の商品を作れた
- 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
- [31]1984年6月の創業以来、カジュアル衣料店ユニクロはボリュームプライスの商品をセルフサービスで販売した
- [36]1984年6月の創業以来、カジュアル衣料店ユニクロはボリュームプライスの商品をセルフサービスで販売した
- [40]1984年6月の創業以来、カジュアル衣料店ユニクロはボリュームプライスの商品をセルフサービスで販売した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)
- [32]ファーストリテイリングはノンエイジ・ノンセックスのカジュアルウエアを低価格かつ高品質で提供する方針を掲げた
- [34]ファーストリテイリングはノンエイジ・ノンセックスのカジュアルウエアを低価格かつ高品質で提供する方針を掲げた
- [35]ファーストリテイリングはノンエイジ・ノンセックスのカジュアルウエアを低価格かつ高品質で提供する方針を掲げた
- [39]1994年8月期の有価証券報告書で、企画開発から販売まで一貫した商品政策により流通経路を短縮すると明記した
1988年〜香港経由の直接調達と、カジュアルチェーンへの移行
1988年、小郡商事は香港に購買のための事務所を設けた。企画と設計を担うのは日本側のスタッフで、発注はこの香港拠点を経由して中国やベトナムの縫製工場へ直接届けた。仕入れの対象は商品にとどまらず、欧米の一流小売業のプライベートブランドや有力ブランドの生産を請け負う工場に対しては、一定期間分の生産ラインごと買い取る契約を結んだ。その生産期間中は日本から担当者を派遣して駐在させ、生産方法と品質の管理に当たらせた。有力な工場は世界中の小売業から奪い合いになるため、扱うアイテム数を絞り込み、1アイテムあたり数万から数十万点という単位で丸ごと買い取ることで、契約交渉を自社に有利な形で進めた。1995年時点で仕入れ全体の90%以上を輸入が占め、そのうちの90%以上が中国からだった。小売業でありながら作る側の工程まで手を入れる構造が、ここで骨格になった。
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [41]1988年、香港に購買事務所を開設し、中国・ベトナムの縫製工場へ直接発注する調達へ移行した
- 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
- [42]企画や設計は日本のスタッフが担当し、香港の購買事務所を通じて中国やベトナムの縫製工場へ直接発注した。欧米一流小売業のPBや一流ブランドを生産する縫製工場と一定期間の生産ラインを買い取る契約を交わし、生産中は生産管理者を日本から派遣して生産方法と品質を管理した
- [43]企画や設計は日本のスタッフが担当し、香港の購買事務所を通じて中国やベトナムの縫製工場へ直接発注した。欧米一流小売業のPBや一流ブランドを生産する縫製工場と一定期間の生産ラインを買い取る契約を交わし、生産中は生産管理者を日本から派遣して生産方法と品質を管理した
- [44]企画や設計は日本のスタッフが担当し、香港の購買事務所を通じて中国やベトナムの縫製工場へ直接発注した。欧米一流小売業のPBや一流ブランドを生産する縫製工場と一定期間の生産ラインを買い取る契約を交わし、生産中は生産管理者を日本から派遣して生産方法と品質を管理した
- [45]一流工場は世界のアパレル会社や小売業の間で奪い合いとなるため、アイテム数を絞って生産ロットを増やし、1アイテムを数万〜数十万点と大量に発注して完全買い取りすることで契約交渉を有利に運んだ
- 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
- [46]1995年時点で全仕入れの90%以上を輸入が占め、そのうち90%以上が中国からであった
1991年9月、小郡商事は商号をファーストリテイリングへ変更した。同時に出店を年30店規模へ引き上げる計画を掲げている。柳井正氏はのちに、1984年に始めたカジュアルショップが7年後の1991年、直営22店舗の時点でカジュアルチェーンへ移行したと整理した。一店ずつ売り方を決める商いと、同じ売り方を何十店にも複製する商いでは、必要になる仕組みが違う。速度を支えたのは地元の銀行だけではなかった。日本長期信用銀行広島支店はこの会社をベンチャー企業として評価して融資し、地方銀行の横並びに縛られない資金の道をつけている。商号から小郡の地名が消えたのは、宇部の一店舗を母体とする会社ではなくなったことの現れでもあった。祖業の紳士服を切り離してから、ここまでが7年である。
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [47]1991年9月、商号を小郡商事からファーストリテイリングへ変更し、出店を年30店規模へ引き上げる計画を掲げた
- [48]1991年9月、商号を小郡商事からファーストリテイリングへ変更し、出店を年30店規模へ引き上げる計画を掲げた
- 証券アナリストジャーナル 1998年11月号
- [49]1984年にカジュアルショップとして始め、7年後の1991年に直営店22店舗の段階でカジュアルショップからカジュアルチェーンへ移行した
- 長銀総研L 1995年5月号
- [50]日本長期信用銀行広島支店がファーストリテイリングをベンチャー企業として評価して融資し、地方銀行の横並びを解いた
- 柳井正『一勝九敗』(新潮社, 2003)
- [51]1984年6月に祖業の紳士服事業をオーエス販売として分離した
業態を入れ替えた結果は、1990年代に入って計数に表れた。1990年8月期の売上高は51.5億円、当期純利益は0.4億円である。翌1991年8月期には売上高71.7億円、当期純利益1.4億円となり、利益は3倍を超えて伸びた。同じ1991年、広島市中区袋町の一号店を閉じている。始まりの店を残さずに畳めたのは、店そのものではなく事業の稼ぎが売り方と仕入れから生まれるようになっていたからだろう。ファーストリテイリングが企画開発から販売までを一貫させて流通経路を短縮すると明文化したのは、上場後の1994年8月期のことだった。1949年に宇部の駅前で紳士服を売り始めた会社は、42年をかけて売るものも作り方も入れ替えた。
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【主要な経営指標等の推移】
- [52]1990年8月期の小郡商事の単体売上高は51.5億円、当期純利益は0.4億円であった
- [53]1990年8月期の小郡商事の単体売上高は51.5億円、当期純利益は0.4億円であった
- [54]1991年8月期の小郡商事の単体売上高は71.7億円、当期純利益は1.4億円であった
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [55]1984年6月に出店したユニクロ袋町店は1991年に閉店した
- [57]1949年3月に紳士服店として開業した小郡商事は、1991年9月に商号をファーストリテイリングへ変更した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)
- [56]1994年8月期の有価証券報告書で、企画開発から販売まで一貫した商品政策により流通経路を短縮すると明記した
参考文献[41]-[57]
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- [41]1988年、香港に購買事務所を開設し、中国・ベトナムの縫製工場へ直接発注する調達へ移行した
- [47]1991年9月、商号を小郡商事からファーストリテイリングへ変更し、出店を年30店規模へ引き上げる計画を掲げた
- [48]1991年9月、商号を小郡商事からファーストリテイリングへ変更し、出店を年30店規模へ引き上げる計画を掲げた
- [55]1984年6月に出店したユニクロ袋町店は1991年に閉店した
- [57]1949年3月に紳士服店として開業した小郡商事は、1991年9月に商号をファーストリテイリングへ変更した
- 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
- [42]企画や設計は日本のスタッフが担当し、香港の購買事務所を通じて中国やベトナムの縫製工場へ直接発注した。欧米一流小売業のPBや一流ブランドを生産する縫製工場と一定期間の生産ラインを買い取る契約を交わし、生産中は生産管理者を日本から派遣して生産方法と品質を管理した
- [43]企画や設計は日本のスタッフが担当し、香港の購買事務所を通じて中国やベトナムの縫製工場へ直接発注した。欧米一流小売業のPBや一流ブランドを生産する縫製工場と一定期間の生産ラインを買い取る契約を交わし、生産中は生産管理者を日本から派遣して生産方法と品質を管理した
- [44]企画や設計は日本のスタッフが担当し、香港の購買事務所を通じて中国やベトナムの縫製工場へ直接発注した。欧米一流小売業のPBや一流ブランドを生産する縫製工場と一定期間の生産ラインを買い取る契約を交わし、生産中は生産管理者を日本から派遣して生産方法と品質を管理した
- [45]一流工場は世界のアパレル会社や小売業の間で奪い合いとなるため、アイテム数を絞って生産ロットを増やし、1アイテムを数万〜数十万点と大量に発注して完全買い取りすることで契約交渉を有利に運んだ
- 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
- [46]1995年時点で全仕入れの90%以上を輸入が占め、そのうち90%以上が中国からであった
- 証券アナリストジャーナル 1998年11月号
- [49]1984年にカジュアルショップとして始め、7年後の1991年に直営店22店舗の段階でカジュアルショップからカジュアルチェーンへ移行した
- 長銀総研L 1995年5月号
- [50]日本長期信用銀行広島支店がファーストリテイリングをベンチャー企業として評価して融資し、地方銀行の横並びを解いた
- 柳井正『一勝九敗』(新潮社, 2003)
- [51]1984年6月に祖業の紳士服事業をオーエス販売として分離した
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【主要な経営指標等の推移】
- [52]1990年8月期の小郡商事の単体売上高は51.5億円、当期純利益は0.4億円であった
- [53]1990年8月期の小郡商事の単体売上高は51.5億円、当期純利益は0.4億円であった
- [54]1991年8月期の小郡商事の単体売上高は71.7億円、当期純利益は1.4億円であった
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)
- [56]1994年8月期の有価証券報告書で、企画開発から販売まで一貫した商品政策により流通経路を短縮すると明記した
筆者考察
家業を継ぐことは、受け取った商いをそのまま続けることではない。柳井等氏が1949年に宇部新川駅前で構えたメンズショップ小郡商事は、紳士服を一軒で売る店であり、その姿は35年変わらなかった。1972年に家業へ入った長男の柳井正氏が1984年6月に選んだのは、紳士服の売り方を改めることではなく、紳士服を扱う事業ごと切り離すことだった。祖業はオーエス販売へ移り、広島市中区袋町に出した新しい店には別の商材が並んだ。残すものを決めないまま変えれば、古い商いの都合が新しい売り場へそのまま持ち込まれる。柳井正氏は分離を先に済ませ、参入をその後に置いた。社長へ就任したのは、その3か月後である。
安く売ることと品質を保つことは、店頭の努力だけでは両立しない。1985年に下関市の幹線道路沿いへ移ってからユニクロが相手にしたのは自動車で来る客で、値段と品質のどちらも譲れなかった。メーカーから問屋を経て小売へ渡る当時の経路では、その二つは同時に満たせない。1988年に香港へ置いた購買事務所は、仕入れ先を探すための窓口ではなく、作る工程を自分の側へ引き寄せるための装置だった。一流ブランドを手がける工場の生産ラインを期間ごと買い取り、品目を絞って数万点単位で完全に買い取る。返品のできない在庫を抱える取り方であり、売り切る運営と対でなければ立たない。1991年9月に小郡商事の名を手放したとき、この会社はもう紳士服店の延長ではなくなっていた。
- 単体。出所はファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【主要な経営指標等の推移】。
1949年〜1991年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1972年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1973年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1974年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1975年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1976年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1977年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1978年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1979年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1980年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1981年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1982年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1983年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1984年08月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1985年08月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1986年08月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年08月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年08月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年08月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年08月期 | 単体 | 51 | n/a | 0 | 0.8% | n/a |
| 1991年08月期 | 単体 | 71 | +39.2% | 1 | 2.0% | n/a |
出所:有価証券報告書
出典・参考
10件
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【大株主の状況】
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)
- ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【主要な経営指標等の推移】
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
- ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【役員の状況】
- 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
- 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
- 長銀総研L 1995年5月号
- 証券アナリストジャーナル 1998年11月号
- 柳井正『一勝九敗』(新潮社, 2003)