第2章 年〜年

ファーストリテイリング:全店のユニクロ統一と製造小売業への垂直統合

自社企画8割への転換によるユニクロ年50店の出店

1992年〜全店ユニクロへの統一と、値付けを本部へ集約した売り切り運営

全店の看板をユニクロに揃える

1992年4月、ファーストリテイリングは紳士服販売店OS本店をユニクロ恩田店へ業態変更し、全店をカジュアルウエア販売店ユニクロに統一した。祖業の紳士服を店頭で売る店は、これで社内から消えている。統一の前年にあたる1991年8月期の売上高は71.7億円だったが、1992年8月期には143億円、1993年8月期には250億円まで伸びた。1994年8月期には売上高333億円、当期純利益13.3億円まで積み上がっている。出店は1992年から毎年30店舗以上という速さで続き、1995年4月末には175店舗に達した。看板を一つに揃えたことで、商品も売価も店舗運営も同じ設計で回せるようになった。

  • ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
    • [1]1992年4月、紳士服販売店OS本店をユニクロ恩田店に業態変更し、全店をカジュアルウエア販売店ユニクロに統一した
    • [2]1992年4月、紳士服販売店OS本店をユニクロ恩田店に業態変更し、全店をカジュアルウエア販売店ユニクロに統一した
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [3]単体売上高は1991年8月期71.7億円、1992年8月期143億円、1993年8月期250億円、1994年8月期333億円で、1994年8月期の当期純利益は13.3億円であった
    • [4]単体売上高は1991年8月期71.7億円、1992年8月期143億円、1993年8月期250億円、1994年8月期333億円で、1994年8月期の当期純利益は13.3億円であった
  • 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
    • [5]出店は1992年から毎年30店舗以上のペースで続き、1995年4月末に175店舗へ達した
毎週価格を引き下げて売り切る

ユニクロの売上高の約8割を占めたのは、自社で企画したプライベートブランドの衣料だった。セーター、シャツ、パンツ、ジャケットといった主力商品は店名と同じユニクロのブランドを冠し、企画と設計は日本のスタッフが担った。自社企画の商品は返品ができず、売れ残りはそのまま自社の損になる。そこで毎週月曜の朝から、柳井正氏と商品本部長の畠中慶一取締役を中心に売価変更会議を開催した。POSデータを資料に、10人のバイヤー、店舗運営の担当者、商品の販売量と在庫量を見る商品コントローラーが順に呼ばれ、買い取った商品を販売期間中に売り切るための値下げ幅を決めた。会議は丸2日続き、火曜の夕方にようやく全品の価格が決まる。定価での粗利益率は50%を超え、処分品を含めても40%を確保している。

  • 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
    • [6]売上高の約8割を自社企画のプライベートブランド衣料が占め、セーター・シャツ・パンツ・ジャケットなど主力商品は店名と同じユニクロブランドで、企画や設計は日本のスタッフが担当した。完全買い取りのため返品はできず、売れ残りリスクは自社が負った
    • [7]売上高の約8割を自社企画のプライベートブランド衣料が占め、セーター・シャツ・パンツ・ジャケットなど主力商品は店名と同じユニクロブランドで、企画や設計は日本のスタッフが担当した。完全買い取りのため返品はできず、売れ残りリスクは自社が負った
    • [8]売上高の約8割を自社企画のプライベートブランド衣料が占め、セーター・シャツ・パンツ・ジャケットなど主力商品は店名と同じユニクロブランドで、企画や設計は日本のスタッフが担当した。完全買い取りのため返品はできず、売れ残りリスクは自社が負った
    • [9]毎週月曜朝から火曜夕まで柳井正社長と畠中慶一取締役を中心に売価変更会議を開き、POSデータをもとに10人のバイヤー・店舗運営担当者・商品コントローラーが順次参加して値下げ幅を決めた
    • [10]毎週月曜朝から火曜夕まで柳井正社長と畠中慶一取締役を中心に売価変更会議を開き、POSデータをもとに10人のバイヤー・店舗運営担当者・商品コントローラーが順次参加して値下げ幅を決めた
    • [11]毎週月曜朝から火曜夕まで柳井正社長と畠中慶一取締役を中心に売価変更会議を開き、POSデータをもとに10人のバイヤー・店舗運営担当者・商品コントローラーが順次参加して値下げ幅を決めた
    • [12]定価での粗利益率は50%以上で、処分品を含めてもトータルで40%の粗利益率を確保し、シーズンを越える在庫はほとんど持たなかった
土地と建物を持たずに出店する

出店の速さを支えたのは、資産を持たない構えだった。新規に出店する土地と建物はすべてリース契約でまかない、償却負担を自ら負わない方針を貫いた。新規店は平均床面積が150坪、1店舗あたりの年商は約3億円で、敷金や建設協力金を含む初期投資は6,000万円に上った。売上高に対する販売管理費の比率は30%、衣料品販売の粗利益率は40%あり、その差にあたる10%が営業利益として残る計算だった。この水準はいずれも衣料品業界の平均的な数字だが、初期投資の回収は通常2年、長くても3年で済ませていた。全国5カ所ある配送センターもすべて倉庫業者とのリース契約で調達しており、柳井正氏は小売業が物流施設を自前で持つ必要はないという考え方を採っていた。店を増やすほど固定資産が積み上がる構造を避けたことが、年50店という速度を可能にしたと思われる。

  • 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
    • [13]新規出店の土地や建物はすべてリース契約とし、償却負担を抱えない方針を貫いた
    • [14]新規出店の土地や建物はすべてリース契約とし、償却負担を抱えない方針を貫いた
    • [15]新規店の平均床面積は150坪、1店舗の年商は約3億円、敷金や建設協力金を含む初期投資額は6,000万円で、販売管理費は売上高の30%、粗利益率は40%、その差の10%が営業利益となり、初期投資は通常2年・長くても3年で回収した
    • [16]新規店の平均床面積は150坪、1店舗の年商は約3億円、敷金や建設協力金を含む初期投資額は6,000万円で、販売管理費は売上高の30%、粗利益率は40%、その差の10%が営業利益となり、初期投資は通常2年・長くても3年で回収した
    • [17]新規店の平均床面積は150坪、1店舗の年商は約3億円、敷金や建設協力金を含む初期投資額は6,000万円で、販売管理費は売上高の30%、粗利益率は40%、その差の10%が営業利益となり、初期投資は通常2年・長くても3年で回収した
    • [18]配送センターは全国5カ所に分散し、すべて倉庫業者とリース契約で借りていた
参考文献[1]-[18]
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
    • [1]1992年4月、紳士服販売店OS本店をユニクロ恩田店に業態変更し、全店をカジュアルウエア販売店ユニクロに統一した
    • [2]1992年4月、紳士服販売店OS本店をユニクロ恩田店に業態変更し、全店をカジュアルウエア販売店ユニクロに統一した
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【主要な経営指標等の推移】
    • [3]単体売上高は1991年8月期71.7億円、1992年8月期143億円、1993年8月期250億円、1994年8月期333億円で、1994年8月期の当期純利益は13.3億円であった
    • [4]単体売上高は1991年8月期71.7億円、1992年8月期143億円、1993年8月期250億円、1994年8月期333億円で、1994年8月期の当期純利益は13.3億円であった
  • 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
    • [5]出店は1992年から毎年30店舗以上のペースで続き、1995年4月末に175店舗へ達した
    • [6]売上高の約8割を自社企画のプライベートブランド衣料が占め、セーター・シャツ・パンツ・ジャケットなど主力商品は店名と同じユニクロブランドで、企画や設計は日本のスタッフが担当した。完全買い取りのため返品はできず、売れ残りリスクは自社が負った
    • [7]売上高の約8割を自社企画のプライベートブランド衣料が占め、セーター・シャツ・パンツ・ジャケットなど主力商品は店名と同じユニクロブランドで、企画や設計は日本のスタッフが担当した。完全買い取りのため返品はできず、売れ残りリスクは自社が負った
    • [8]売上高の約8割を自社企画のプライベートブランド衣料が占め、セーター・シャツ・パンツ・ジャケットなど主力商品は店名と同じユニクロブランドで、企画や設計は日本のスタッフが担当した。完全買い取りのため返品はできず、売れ残りリスクは自社が負った
    • [9]毎週月曜朝から火曜夕まで柳井正社長と畠中慶一取締役を中心に売価変更会議を開き、POSデータをもとに10人のバイヤー・店舗運営担当者・商品コントローラーが順次参加して値下げ幅を決めた
    • [10]毎週月曜朝から火曜夕まで柳井正社長と畠中慶一取締役を中心に売価変更会議を開き、POSデータをもとに10人のバイヤー・店舗運営担当者・商品コントローラーが順次参加して値下げ幅を決めた
    • [11]毎週月曜朝から火曜夕まで柳井正社長と畠中慶一取締役を中心に売価変更会議を開き、POSデータをもとに10人のバイヤー・店舗運営担当者・商品コントローラーが順次参加して値下げ幅を決めた
    • [12]定価での粗利益率は50%以上で、処分品を含めてもトータルで40%の粗利益率を確保し、シーズンを越える在庫はほとんど持たなかった
    • [13]新規出店の土地や建物はすべてリース契約とし、償却負担を抱えない方針を貫いた
    • [14]新規出店の土地や建物はすべてリース契約とし、償却負担を抱えない方針を貫いた
    • [15]新規店の平均床面積は150坪、1店舗の年商は約3億円、敷金や建設協力金を含む初期投資額は6,000万円で、販売管理費は売上高の30%、粗利益率は40%、その差の10%が営業利益となり、初期投資は通常2年・長くても3年で回収した
    • [16]新規店の平均床面積は150坪、1店舗の年商は約3億円、敷金や建設協力金を含む初期投資額は6,000万円で、販売管理費は売上高の30%、粗利益率は40%、その差の10%が営業利益となり、初期投資は通常2年・長くても3年で回収した
    • [17]新規店の平均床面積は150坪、1店舗の年商は約3億円、敷金や建設協力金を含む初期投資額は6,000万円で、販売管理費は売上高の30%、粗利益率は40%、その差の10%が営業利益となり、初期投資は通常2年・長くても3年で回収した
    • [18]配送センターは全国5カ所に分散し、すべて倉庫業者とリース契約で借りていた

1994年〜広島上場の130億円と、地域集中で積む年50店

広島に上場して3年分の出店費用を得る

1994年4月、国内の直営店舗数が100店を超えた。直営109店、フランチャイズ7店である。同年7月、ファーストリテイリングは広島証券取引所に株式を上場した。地域産業育成部の銘柄制度を通じて上場を働きかけたのは、広島証券取引所の吉田八郎上場部長だった。調達額は130億円で、柳井正氏は『これで3年分の出店費用が確保できた』と述べ、出店ペースを年50店へ引き上げた。上場の時点の体制は100店舗・売上300億円で、そこから3年で300店舗・1,000億円へ広げる計画を立てた。以後3年間は年50店舗ずつ出店するという約束が、上場に際して市場へ示された。地方の取引所に籍を置いたまま、調達した資金をそのまま全国展開の速度へ換えた。

  • ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
    • [19]1994年4月、国内直営店舗数が100店を超え、直営109店舗・フランチャイズ7店舗となった
    • [20]1994年4月、国内直営店舗数が100店を超え、直営109店舗・フランチャイズ7店舗となった
    • [21]1994年7月、広島証券取引所に株式を上場した
  • 長銀総研L 1995年5月号
    • [22]広島証券取引所の吉田八郎上場部長が地域産業育成部銘柄制度で上場を働きかけた
  • 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
    • [23]1994年7月の広島証券取引所上場で130億円を調達し、出店ペースを年間50店舗へ加速させた
  • 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
    • [24]1994年7月の株式上場時に100店舗・売上300億円の体制となり、その後の3年計画で300店舗・1,000億円体制の構築に取り組んだ
  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号
    • [25]1994年7月の株式上場に際し、以後3年間に年50店舗ずつ出店すると言明した
地域を限定して店を積み上げる

出店は全国へ散らさず、一定の地域に集中させた。1994年までの3年間は北部九州と中京の2地域に、それぞれ約30店を置いている。1995年からは対象を関東と近畿へ移し、関東は1994年末の22店舗を1997年末までに100店舗へ、近畿は22店舗を50店舗へ増やす計画を立てた。1995年8月期には直営56店とフランチャイズ2店を新たに出店し、店舗数は合計176店となった。同期の売上高は486億9,200万円で前期比46.1%増、経常利益は45億3,000万円で同65.2%増、当期利益は21億800万円だった。一つの地域に店を並べるほど広告も配送も1店あたりの負担が軽くなり、出店の速度そのものが原価を下げた。

  • 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
    • [26]一定地域に集中して出店するドミナント戦略をとり、1994年までの3年間は北部九州と中京の2地域にそれぞれ約30店を出店し、1995年からは関東と近畿へ対象を移して関東は1994年末の22店舗を1997年末までに100店舗へ、近畿は22店舗を50店舗へ増やす計画を立てた
    • [27]一定地域に集中して出店するドミナント戦略をとり、1994年までの3年間は北部九州と中京の2地域にそれぞれ約30店を出店し、1995年からは関東と近畿へ対象を移して関東は1994年末の22店舗を1997年末までに100店舗へ、近畿は22店舗を50店舗へ増やす計画を立てた
    • [28]一定地域に集中して出店するドミナント戦略をとり、1994年までの3年間は北部九州と中京の2地域にそれぞれ約30店を出店し、1995年からは関東と近畿へ対象を移して関東は1994年末の22店舗を1997年末までに100店舗へ、近畿は22店舗を50店舗へ増やす計画を立てた
  • 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
    • [29]1995年8月期は直営56店舗・FC2店舗を新規出店して合計176店舗となり、売上高486億9,200万円(前期比46.1%増)、経常利益45億3,000万円(同65.2%増)、当期利益21億800万円であった
    • [30]1995年8月期は直営56店舗・FC2店舗を新規出店して合計176店舗となり、売上高486億9,200万円(前期比46.1%増)、経常利益45億3,000万円(同65.2%増)、当期利益21億800万円であった
条件に合わなくなった店から畳む

柳井正氏の出店基準ははっきりしており、開店した年から黒字を出せない立地なら出店しないというものだった。加えて、土地や建物を自前で持つとそこへの愛着が残り、条件のよい場所への移転が遅れるとも考えていた。1995年4月までに閉じた店は15店舗で全体の1割近くに上り、その中には紳士服店の時代から続く創業の地、宇部市中央町の大和店も含まれていた。1996年8月期も、郊外型の直営店1店とビルイン型の直営店1店を、効率が低いとして撤退させた。一方で開店後5年を超えた店は順番に改装へ回し、この期には7店舗に手を入れた。店を残すべきものではなく入れ替えていくものとみなす考え方が、年50店の出店ペースを裏側で支えていた。

  • 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
    • [31]柳井正社長は初年度から黒字にならなければ出店する意味はないと述べ、土地や建物を持つと執着してより良い立地に移るのが遅れるとして資産を持たない方針をとった
    • [32]柳井正社長は初年度から黒字にならなければ出店する意味はないと述べ、土地や建物を持つと執着してより良い立地に移るのが遅れるとして資産を持たない方針をとった
    • [33]1995年4月までに、紳士服店以来の創業の地であった宇部市中央町の大和店をはじめ全体の10%近い15店舗を閉店していた
  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号
    • [34]1996年8月期は効率の悪いビルイン型直営店1店舗・郊外型直営店1店舗の計2店舗を撤退し、開店から5年を経過した既存店7店舗をリニューアルした
    • [35]1996年8月期は効率の悪いビルイン型直営店1店舗・郊外型直営店1店舗の計2店舗を撤退し、開店から5年を経過した既存店7店舗をリニューアルした
参考文献[19]-[35]
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
    • [19]1994年4月、国内直営店舗数が100店を超え、直営109店舗・フランチャイズ7店舗となった
    • [20]1994年4月、国内直営店舗数が100店を超え、直営109店舗・フランチャイズ7店舗となった
    • [21]1994年7月、広島証券取引所に株式を上場した
  • 長銀総研L 1995年5月号
    • [22]広島証券取引所の吉田八郎上場部長が地域産業育成部銘柄制度で上場を働きかけた
  • 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
    • [23]1994年7月の広島証券取引所上場で130億円を調達し、出店ペースを年間50店舗へ加速させた
    • [26]一定地域に集中して出店するドミナント戦略をとり、1994年までの3年間は北部九州と中京の2地域にそれぞれ約30店を出店し、1995年からは関東と近畿へ対象を移して関東は1994年末の22店舗を1997年末までに100店舗へ、近畿は22店舗を50店舗へ増やす計画を立てた
    • [27]一定地域に集中して出店するドミナント戦略をとり、1994年までの3年間は北部九州と中京の2地域にそれぞれ約30店を出店し、1995年からは関東と近畿へ対象を移して関東は1994年末の22店舗を1997年末までに100店舗へ、近畿は22店舗を50店舗へ増やす計画を立てた
    • [28]一定地域に集中して出店するドミナント戦略をとり、1994年までの3年間は北部九州と中京の2地域にそれぞれ約30店を出店し、1995年からは関東と近畿へ対象を移して関東は1994年末の22店舗を1997年末までに100店舗へ、近畿は22店舗を50店舗へ増やす計画を立てた
    • [31]柳井正社長は初年度から黒字にならなければ出店する意味はないと述べ、土地や建物を持つと執着してより良い立地に移るのが遅れるとして資産を持たない方針をとった
    • [32]柳井正社長は初年度から黒字にならなければ出店する意味はないと述べ、土地や建物を持つと執着してより良い立地に移るのが遅れるとして資産を持たない方針をとった
    • [33]1995年4月までに、紳士服店以来の創業の地であった宇部市中央町の大和店をはじめ全体の10%近い15店舗を閉店していた
  • 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
    • [24]1994年7月の株式上場時に100店舗・売上300億円の体制となり、その後の3年計画で300店舗・1,000億円体制の構築に取り組んだ
    • [29]1995年8月期は直営56店舗・FC2店舗を新規出店して合計176店舗となり、売上高486億9,200万円(前期比46.1%増)、経常利益45億3,000万円(同65.2%増)、当期利益21億800万円であった
    • [30]1995年8月期は直営56店舗・FC2店舗を新規出店して合計176店舗となり、売上高486億9,200万円(前期比46.1%増)、経常利益45億3,000万円(同65.2%増)、当期利益21億800万円であった
  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号
    • [25]1994年7月の株式上場に際し、以後3年間に年50店舗ずつ出店すると言明した
    • [34]1996年8月期は効率の悪いビルイン型直営店1店舗・郊外型直営店1店舗の計2店舗を撤退し、開店から5年を経過した既存店7店舗をリニューアルした
    • [35]1996年8月期は効率の悪いビルイン型直営店1店舗・郊外型直営店1店舗の計2店舗を撤退し、開店から5年を経過した既存店7店舗をリニューアルした

1996年〜商品構成の失敗と、売れ行きへ生産を合わせる体制の再構築

年配層へ寄せた商品構成で失速する

1996年8月期の売上高は599億5,900万円で、前期比23.1%増だった。ところが経常利益は45億7,000万円にとどまり、前期比0.9%増とほぼ横ばいに終わっている。当期利益も23億2,600万円で、伸びは10.4%へ低下した。柳井正氏にとってこれは非常に不本意な決算で、原因の9割は商品構成の失敗にあった。中心年代を若い層から年配側へ寄せたこと、プライベートブランドを充実させてナショナルブランドの比率を落としたことが響いた。コーディネートを意識しすぎて色調が単調になり、1995年秋冬に本格化させたレディースの影響で、売り場はメンズショップやレディースショップに近い構成へ傾いた。先行発注のため商品企画は約13か月前に始まっており、読み違えは1年以上あとの売り場に表れる。

  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号
    • [36]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [37]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [39]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [40]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [41]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [42]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1996年8月期)
    • [38]1996年8月期の単体当期純利益は23億2,600万円で、前期比10.4%増であった
商品企画を年6回に刻み直す

立て直しの軸は、企画の回数を増やすことだった。年2回程度だった商品企画を年6回へ増やし、半年に1回のサイクルを2か月に1回まで縮めている。海外生産のリードタイムも詰め、全商品を3か月以内で生産できる体制を目指した。従来の大阪とニューヨークに加えて東京にも商品事務所を置き、商品情報の収集体制と人材を厚くした。有力なブランドやメーカーと組み、自社の仕様と品質基準でつくるNPBの比率も引き上げた。1997年4月には東京証券取引所市場第二部へ上場し、月次の売上速報をファクシミリで配信し、ホームページも開設して情報開示を広げた。1997年8月期の中間決算は売上高390億5,400万円、経常利益39億600万円で、前年同期比はそれぞれ26.4%増、34.7%増まで戻った。

  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号
    • [43]商品企画を年2回程度から年6回に増やし、海外生産のリードタイムを短縮して全商品を3か月以内で生産できる体制を目指すとともに、有力ブランド・メーカーと組んだ自社仕様のNPBを充実させる方針を示した
    • [44]商品企画を年2回程度から年6回に増やし、海外生産のリードタイムを短縮して全商品を3か月以内で生産できる体制を目指すとともに、有力ブランド・メーカーと組んだ自社仕様のNPBを充実させる方針を示した
    • [46]商品企画を年2回程度から年6回に増やし、海外生産のリードタイムを短縮して全商品を3か月以内で生産できる体制を目指すとともに、有力ブランド・メーカーと組んだ自社仕様のNPBを充実させる方針を示した
    • [48]商品企画を年2回程度から年6回に増やし、海外生産のリードタイムを短縮して全商品を3か月以内で生産できる体制を目指すとともに、有力ブランド・メーカーと組んだ自社仕様のNPBを充実させる方針を示した
  • 証券アナリストジャーナル 1997年5月号
    • [45]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
    • [47]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
    • [49]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
    • [51]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
    • [52]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
    • [50]1997年4月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場した
工場を40に集約し、生産を売れ行きに合わせる

1997年8月期の売上高は750億2,000万円で前期比25.1%増、経常利益は55億1,000万円で同20.6%増だった。当期利益は27億300万円である。数字だけを見れば好決算だが、8月に下方修正しており、前期に続く2度目の下方修正となった。5月の連休明けから販売が振るわず、6月から8月にかけて過度の売価変更に依存したことで、粗利益が予算に届かなかった。柳井正氏が掲げたのは、『今後は、生産したものをいかに売るかではなく、売れるものをいかに早く生産するかという体制に転換する』という考え方だった。大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社へ集めて本部のバイヤーや商品コントローラーと同じチームに組み、本格稼働中の約80工場、小規模を含めれば約130工場を、1年以内に40工場へ半減させる計画を立てた。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の靴下工場を設け、生産と販売を直につなぐ試みも始めている。

  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号
    • [53]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [55]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [56]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [57]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [58]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [59]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1997年8月期)
    • [54]1997年8月期の単体当期純利益は27億300万円であった
参考文献[36]-[59]
  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号
    • [36]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [37]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [39]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [40]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [41]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [42]1996年8月期は売上高599億5,900万円(前期比23.1%増)・経常利益45億7,000万円(同0.9%増)にとどまり、柳井正社長は非常に不本意な結果だとして原因の約9割を商品構成の失敗に帰し、中心年代を年配側へ寄せたこと、PBを充実させNB比率を落としたこと、コーディネートを意識しすぎて色調が単調になったこと、1995年秋冬からレディースを本格化させてメンズショップ・レディースショップに近い構成になったことを挙げた。商品企画は先行発注のため約13か月前から開始していた
    • [43]商品企画を年2回程度から年6回に増やし、海外生産のリードタイムを短縮して全商品を3か月以内で生産できる体制を目指すとともに、有力ブランド・メーカーと組んだ自社仕様のNPBを充実させる方針を示した
    • [44]商品企画を年2回程度から年6回に増やし、海外生産のリードタイムを短縮して全商品を3か月以内で生産できる体制を目指すとともに、有力ブランド・メーカーと組んだ自社仕様のNPBを充実させる方針を示した
    • [46]商品企画を年2回程度から年6回に増やし、海外生産のリードタイムを短縮して全商品を3か月以内で生産できる体制を目指すとともに、有力ブランド・メーカーと組んだ自社仕様のNPBを充実させる方針を示した
    • [48]商品企画を年2回程度から年6回に増やし、海外生産のリードタイムを短縮して全商品を3か月以内で生産できる体制を目指すとともに、有力ブランド・メーカーと組んだ自社仕様のNPBを充実させる方針を示した
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1996年8月期)
    • [38]1996年8月期の単体当期純利益は23億2,600万円で、前期比10.4%増であった
  • 証券アナリストジャーナル 1997年5月号
    • [45]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
    • [47]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
    • [49]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
    • [51]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
    • [52]従来の大阪・ニューヨークに加え東京にも商品事務所を設置して商品情報の収集体制と人材を充実させ、商品企画のサイクルを半年に1回から2か月に1回へ短縮し、NPBの比率を高めた。1997年8月期中間は売上高390億5,400万円(前年同期比26.4%増)・経常利益39億600万円(同34.7%増)で、月次売上推移速報のファックス配信を始め6月までにホームページを開設する方針を示した
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
    • [50]1997年4月、東京証券取引所市場第二部に株式を上場した
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号
    • [53]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [55]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [56]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [57]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [58]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
    • [59]1997年8月期は売上高750億2,000万円(前期比25.1%増)・経常利益55億1,000万円(同20.6%増)で、8月の下方修正は前期に続く2度目となった。5月の連休明け以降、特に6・7・8月の販売不振で過度の売価変更を行い粗利益予算が未達となったため、売価変更ロスを半減させて販売に応じて生産を調整する仕組みへ転換し、大阪と東京の生産管理担当者を宇部本社に集めて本部のバイヤー・商品コントローラーと同じチームを組ませ、本格稼働中の約80工場(小規模を含め約130工場)を1年以内に40工場へ半減する計画を示した。中国の青島にはニチメンと共同出資で月60万足の生産能力を持つ靴下工場を設けた
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1997年8月期)
    • [54]1997年8月期の単体当期純利益は27億300万円であった

筆者考察

値段を決める権利をどこに置くかで、小売業の利益の出方は変わる。1992年4月に全店をユニクロへ揃えたファーストリテイリングは、売上の8割を自社企画の商品が占める店になった。毎週月曜の朝から丸2日かけて全品の値下げ幅を決める会議が成り立ったのは、値付けを他社と相談せずに済む商品しか置かなかったからである。定価での粗利益率は50%を超え、処分を重ねても40%が残った。安く売るための仕組みではなく、安く売っても利益が残る仕組みだった。1994年7月の広島証券取引所上場で得た130億円は、この運営を全国へ複製するための資金である。土地も建物も持たず、1店舗は2年で初期投資を返した。

同じ設計を速く複製するほど、読み違えも同じ速さで広がる。1996年8月期、売上高は599億5,900万円まで伸びたのに経常利益は45億7,000万円で止まった。中心年代を年配側へ寄せた商品構成と、コーディネートを意識しすぎた単調な色調が、全国の売り場すべてに同時に並んだからである。商品企画は13か月前に始まるので、誤りは1年以上あとに現れ、そこからは値下げでしか処分できない。1997年8月期に2度目の下方修正を出したあと、柳井正氏が手を入れたのは売り場ではなく生産だった。企画を年6回に刻み、約130の取引工場を40へ絞る。売れた数量だけを作るという当たり前を、垂直統合の側から組み直す作業がここから始まった。

ファーストリテイリングの単体売上高 1992年8月期〜1997年8月期(億円)

143 92年8月期 250 93年8月期 333 94年8月期 486 95年8月期 599 96年8月期 750 97年8月期
  • 単体。出所はファーストリテイリング 有価証券報告書。

1992年〜1997年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1992年08月期 単体 143 n/a 4 2.9% n/a
1993年08月期 単体 250 +74.8% 9 3.8% n/a
1994年08月期 単体 333 +33.2% 13 4.0% n/a
1995年08月期 単体 486 +45.9% 21 4.3% n/a
1996年08月期 単体 599 +23.3% 23 3.9% n/a
1997年08月期 単体 750 +25.2% 27 3.6% n/a

出所:有価証券報告書

出典・参考

10件
出典・参考
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1994年8月期)【主要な経営指標等の推移】
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1996年8月期)
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書(1997年8月期)
  • ファーストリテイリング 有価証券報告書 第64期(2025年8月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 1995年4月17日号(日経BP)
  • 長銀総研L 1995年5月号
  • 証券アナリストジャーナル 1995年12月号
  • 証券アナリストジャーナル 1996年11月号
  • 証券アナリストジャーナル 1997年5月号
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号

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