明治鉱業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

坑口を増やす決断は60年続き、減らす決断は6年しか続かなかった。1908年1月に大爆発を起こした豊国炭砿ごと3炭砿を統一して発足した明治鉱業は、以後も採掘地を増やしている。1912年に朝鮮の安州、1927年に満州の西安、1930年に北海道の昭和、1938年に佐賀の西杵、1939年に北海道の庶路、1943年に北海道の立山を開坑し、1944年の上芦別、1945年の天道は買収で加えた。石炭の外へ出たのは1938年5月に興した海水化学工業だけで、これも3年で鐘淵実業へ譲渡している。減らす側へ回ったのは1963年で、立山・上芦別・昭和・庶路の4鉱について閉山を含む合理化を計画した。前年の1962年には北海道の本岐鉱で国内初の水力採炭を始めており、能率の高い坑を開くことと効率の低い坑を閉じることを相次いで決めていた。

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