明治鉱業:明治佐賀炭砿の着炭と資本金8億円への増資
1950年〜1億円の増資と、明治佐賀炭砿の着炭
敗戦で明治鉱業は、朝鮮の安州と沙里院、満洲の大窰溝、華北の磁県に置いた在外の事業場を失った。1908年の設立から敗戦まで経営は安川家と松本家の手にあったが、その両家の持株も物納と解放にかかって同族会社としての性格は一変し、1946年4月には安川松本合名会社を合併した。石炭の販売は、1936年1月に安川松本商店から営業権を譲り受けて営業部を置いたものの、1944年の販売統制で営業部を廃していた。松本幹一郎社長は、戦後に強まった労働攻勢と鉱害賠償の要求に応じながら、荒廃した炭砿の再建を続けた。
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「明治鉱業」の項
- [1]終戦により在外事業場を喪失した。朝鮮の安州炭砿・沙里院炭砿、満洲の大窰溝炭砿、華北の磁県炭砿を保有していた
- [2]1902年に全事業を安川敬一郎氏の個人所有とし、1908年1月の明治鉱業設立では安川敬一郎氏が社長、松本健次郎氏が副社長に就いた
- [3]安川・松本両家の持株は物納・解放され、同族的性格が一変した
- [5]1936年1月に安川松本商店から営業権を譲り受けて営業部を新設し生産販売を一元化したが、1944年に販売が統制され営業部を廃止した
- [6]戦後急騰した労働攻勢と鉱害賠償攻勢に対処しつつ荒廃した炭砿の再建を続けた。当時の社長は松本幹一郎
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- [4]1946年4月、安川松本合名会社を合併
再建の資金は借入金で賄い、新しい坑として1948年2月に明治佐賀炭砿を起工し、2年10か月後の1950年12月に着炭した。既設の坑は、1908年の設立時からの赤池と豊国、1913年開設の高田、1930年開設の昭和、1938年開設の西杵、1939年開設の庶路、1943年開設の立山と、戦前から戦中にかけて開いたものが並ぶ。そこへ1937年6月に合併した平山鉱業の平山炭砿と、1944年に買収した上芦別炭砿が加わり、九州と北海道に分かれたこの坑の列に、戦後の新鉱として明治佐賀炭砿が続いた。のちの増資手取金のうち最大の4億8,000万円は、この明治佐賀炭砿の設備に充てられた。
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「明治鉱業」の項
- [7]1948年2月に明治佐賀炭砿を起工
- [8]明治佐賀炭砿は1950年12月に着炭
- [9]1908年設立時の稼行砿は明治・赤池・豊国、1913年に高田炭砿、1930年1月に昭和炭砿、1938年に西杵炭砿、1939年に庶路炭砿、1943年に立山炭砿を開設
- [11]1944年に上芦別炭砿を買収して稼行した
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- [10]1937年6月、平山鉱業株式会社を合併
- 経済情報 1951年「明治鑛業は増資後も好調」
- [12]1951年の増資手取金のうち明治佐賀鉱の設備に4億8,000万円を充当
本社の所在地と資本金は、1949年から1950年にかけて相次いで改まった。1919年4月に株式会社へ組織を改めてから30年を経た1949年、1月に本社を戸畑から東京へ移し、10月17日には東京証券取引所へ株式を上場し、のちに大阪・福岡・札幌の各市場へも上場先を広げた。1950年1月15日には企業再建整備計画に伴う1億円への増資の払込を終えて、同年3月に特別経理会社の指定を解かれ、資本金は終戦時の3,000万円から3倍余りに増えた。もっとも1億円で足りたわけではなく、資本金の増額は1951年6月、1952年2月、1953年6月と3度続いた。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- [13]1919年4月1日、会社組織を改め明治鉱業株式会社となった
- [15]1949年10月17日に東京で上場開始。上場市場は東京1部・大阪1部・福岡・札幌
- [16]1950年1月15日払込、再建整備計画により資本金1億円
- [18]終戦時の資本金は3,000万円
- [19]資本異動は1951年6月25日に2億円、1952年2月22日に4億円、1953年6月5日に8億円
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「明治鉱業」の項
- [14]1949年1月、本社を東京に移転(本社は1919年1月に戸畑へ移転していた)
- [17]1950年3月に特別経理会社の指定を解除された
参考文献[1]-[19]
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「明治鉱業」の項
- [1]終戦により在外事業場を喪失した。朝鮮の安州炭砿・沙里院炭砿、満洲の大窰溝炭砿、華北の磁県炭砿を保有していた
- [2]1902年に全事業を安川敬一郎氏の個人所有とし、1908年1月の明治鉱業設立では安川敬一郎氏が社長、松本健次郎氏が副社長に就いた
- [3]安川・松本両家の持株は物納・解放され、同族的性格が一変した
- [5]1936年1月に安川松本商店から営業権を譲り受けて営業部を新設し生産販売を一元化したが、1944年に販売が統制され営業部を廃止した
- [6]戦後急騰した労働攻勢と鉱害賠償攻勢に対処しつつ荒廃した炭砿の再建を続けた。当時の社長は松本幹一郎
- [7]1948年2月に明治佐賀炭砿を起工
- [8]明治佐賀炭砿は1950年12月に着炭
- [9]1908年設立時の稼行砿は明治・赤池・豊国、1913年に高田炭砿、1930年1月に昭和炭砿、1938年に西杵炭砿、1939年に庶路炭砿、1943年に立山炭砿を開設
- [11]1944年に上芦別炭砿を買収して稼行した
- [14]1949年1月、本社を東京に移転(本社は1919年1月に戸畑へ移転していた)
- [17]1950年3月に特別経理会社の指定を解除された
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- [4]1946年4月、安川松本合名会社を合併
- [10]1937年6月、平山鉱業株式会社を合併
- [13]1919年4月1日、会社組織を改め明治鉱業株式会社となった
- [15]1949年10月17日に東京で上場開始。上場市場は東京1部・大阪1部・福岡・札幌
- [16]1950年1月15日払込、再建整備計画により資本金1億円
- [18]終戦時の資本金は3,000万円
- [19]資本異動は1951年6月25日に2億円、1952年2月22日に4億円、1953年6月5日に8億円
- 経済情報 1951年「明治鑛業は増資後も好調」
- [12]1951年の増資手取金のうち明治佐賀鉱の設備に4億8,000万円を充当
1951年〜トン当り5,132円の炭価と、過少資本の是正
大手5社に次ぐ生産高と販売高を持ちながら資本金1億円は過少で、2割配当としても半期の配当金は1,000万円にとどまり、3月期の利益率は20割を超えた。一方、長期負債は3月末で20億円を超え、傾斜生産で復興金融金庫などの資金を注ぎ込んだ分が負債として残り、その金利が経理を圧迫した。1951年6月16日、明治鉱業は1億円から2億円への増資の払込を完了したが、これでも資本構成の是正としては十分といえないとみられ、6月末の長期負債はなお19億円台にあった。過大な負債と金利の圧迫は石炭各社に共通していた。
- 経済情報 1951年「明治鑛業は増資後も好調」
- [20]大手5社に次ぐ生産・販売高を持つ同社にとって資本金1億円は過少だった
- [21]2割配当としても半期1,000万円の配当金にすぎず、3月期の利益率は20割を超えていた
- [22]長期負債は1951年3月末で20億円を超えていた
- [24]1億円から2億円への増資は1951年6月16日に払込を完了
- [25]今回の増資でも資本構成の是正としてはまだ充分とはいえないとされた
- 経済情報 1951年10月1日号「明治鑛業は愈々好調」
- [23]傾斜生産で復金その他の資金を注ぎ込んだのが大きな負債となり、その金利が経理を圧迫していた
- [26]1951年6月末現在で19億円からの長期負債を持っていた
- [27]石炭企業の過大な負債と金利の圧迫は各社共通の問題だった
増資の手取金は、明治佐賀鉱の設備に4億8,000万円、赤池炭砿の未着手区域の開発資金に4億7,000万円を充てた。折から石炭は不足して炭価は契約改訂のたびに上がり、トン当り1950年下期の4,017円が1951年4月に4,695円、5月に4,824円、6月に4,856円、7月に5,132円と、前年下期に比べて2割5分から3割の騰貴となった。1951年度の出炭計画171万8,000トンに対し、生産実績は4月91%、5月94.7%、6月96%と月を追って上がり、7月から9月は前四半期比6%増、前年度比では20%以上の増加が見込まれた。新たに開発した明治佐賀炭砿の出炭も増えていた。
- 経済情報 1951年「明治鑛業は増資後も好調」
- [28]増資手取金は明治佐賀鉱設備に4億8,000万円、赤池炭砿未着手区域開発資金に4億7,000万円を充当
- [31]1951年度の出炭計画は171万8,000トン
- 経済情報 1951年10月1日号「明治鑛業は愈々好調」
- [29]石炭不足が深刻で炭価は契約改訂ごとに上昇していた
- [30]炭価はトン当り1950年下期4,017円、1951年4月4,695円、5月4,824円、6月4,856円、7月5,132円と、前年下期比2割5分〜3割の騰貴
- [32]生産実績は1951年4月91%、5月94.7%、6月96%と逐月増加
- [33]7・8・9月の第2四半期は第1四半期比6%増、前年度比20%以上の増加となる見込みだった
- [34]新たに開発した明治佐賀炭砿の出炭が増加しつつあった
1951年3月期の決算では、2月のストで出炭が5万8,640トンまで落ちながら炭価の上昇で収益が前期を上回り、利益金1億124万4,000円を計上して配当を5分増の2割とした。供給先は国鉄・電力・鉄鋼・窯業・化学工業で半分以上を占め、朝鮮動乱が終結しても急に減るものとは見られておらず、動乱が終われば中共炭の輸入が予想されたものの、割高な米国炭が振り替えられるにとどまり、国内産への打撃はないとみられていた。増資後の下期の利益は、トン当り200円としても3億4,360万円、半期で1億7,180万円と見込まれた。1952年2月22日、明治鉱業は資本金を4億円へ倍額増資した。
- 経済情報 1951年「明治鑛業は増資後も好調」
- [35]1951年2月はストで出炭5万8,640トンに減産したが、炭価騰貴により収益は前期より向上した
- [36]1951年3月期は利益金1億124万4,000円を計上し、配当は5分増の2割
- [37]供給先は国鉄・電力・鉄鋼・窯業・化学工業で半分以上を占め、朝鮮動乱が終結しても急減しないとみられていた
- [38]朝鮮動乱が終結すれば中共炭の輸入が予想されたが、割高な米国炭が振り替えられるにとどまり国内産に大打撃はないとみられた
- [39]1951年度出炭計画171万8,000トンにトン当り200円の利益を見て3億4,360万円、半期1億7,180万円という見込み
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- [40]1952年2月22日払込、資本金400,000千円(1対1の割当)
参考文献[20]-[40]
- 経済情報 1951年「明治鑛業は増資後も好調」
- [20]大手5社に次ぐ生産・販売高を持つ同社にとって資本金1億円は過少だった
- [21]2割配当としても半期1,000万円の配当金にすぎず、3月期の利益率は20割を超えていた
- [22]長期負債は1951年3月末で20億円を超えていた
- [24]1億円から2億円への増資は1951年6月16日に払込を完了
- [25]今回の増資でも資本構成の是正としてはまだ充分とはいえないとされた
- [28]増資手取金は明治佐賀鉱設備に4億8,000万円、赤池炭砿未着手区域開発資金に4億7,000万円を充当
- [31]1951年度の出炭計画は171万8,000トン
- [35]1951年2月はストで出炭5万8,640トンに減産したが、炭価騰貴により収益は前期より向上した
- [36]1951年3月期は利益金1億124万4,000円を計上し、配当は5分増の2割
- [37]供給先は国鉄・電力・鉄鋼・窯業・化学工業で半分以上を占め、朝鮮動乱が終結しても急減しないとみられていた
- [38]朝鮮動乱が終結すれば中共炭の輸入が予想されたが、割高な米国炭が振り替えられるにとどまり国内産に大打撃はないとみられた
- [39]1951年度出炭計画171万8,000トンにトン当り200円の利益を見て3億4,360万円、半期1億7,180万円という見込み
- 経済情報 1951年10月1日号「明治鑛業は愈々好調」
- [23]傾斜生産で復金その他の資金を注ぎ込んだのが大きな負債となり、その金利が経理を圧迫していた
- [26]1951年6月末現在で19億円からの長期負債を持っていた
- [27]石炭企業の過大な負債と金利の圧迫は各社共通の問題だった
- [29]石炭不足が深刻で炭価は契約改訂ごとに上昇していた
- [30]炭価はトン当り1950年下期4,017円、1951年4月4,695円、5月4,824円、6月4,856円、7月5,132円と、前年下期比2割5分〜3割の騰貴
- [32]生産実績は1951年4月91%、5月94.7%、6月96%と逐月増加
- [33]7・8・9月の第2四半期は第1四半期比6%増、前年度比20%以上の増加となる見込みだった
- [34]新たに開発した明治佐賀炭砿の出炭が増加しつつあった
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- [40]1952年2月22日払込、資本金400,000千円(1対1の割当)
1953年〜12億3,850万円の設備計画と、2,673人の減員
1953年6月5日、明治鉱業は資本金を4億円から8億円へ倍額増資し、手取金を借入金の返済に1億8,000万円、運転資金に2億円と振り分けた。設備資金を償却金と社債と借入金で賄っても、借入金の返済と運転資金が約4億円以上不足すると見込まれたためである。1953年度の新規設備改良工事は、開発工事、選炭設備の改良、坑内外の運搬能力の増強とその他の機械化に分かれ、うち開発工事は坑内の拡張掘進と竪坑開鑿により深部の通気系統を整え、あわせて運搬設備を改良する内容とした。総額12億3,850万円は、開発銀行借入金6億3,350万円、長期信用銀行借入金2億円、第二回ろ号社債手取金9,350万円、営業収益からの充当3億645万円で賄った。
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- [41]1953年6月5日払込、資本金800,000千円(1対1の割当)。4億円からの倍額増資
- 経済展望 1953年
- [42]増資資金は借入金返済1億8,000万円、運転資金2億円に充当
- [43]1953年度は設備資金を償却金・社債・借入金で賄っても借入金の返済と運転資金が約4億円以上不足する見込みだった
- [44]1953年度新規設備改良工事は①開発工事②選炭設備の改良工事③坑内外運搬能力増強④その他の機械化工事に大別される
- [45]開発工事は主として坑内の拡張掘進および竪坑開鑿により深部の通気系統の合理化とそれに伴う運搬設備の強化改良を図るもの
- [46]1953年度の設備費総計は12億3,850万円
- [47]資金計画は開発銀行借入金6億3,350万円、長期信用銀行借入金2億円、第二回ろ号社債手取金9,350万円、営業収益で充当3億645万円
工事は事業場ごとに割り振られ、赤池の三坑左深部と明治新六坑の開発継続には4億7,347万円、明治佐賀の採炭切羽の機械化と大型炭車の補充には1億4,900万円、西杵の左深部開発と通気竪坑の開鑿には1億3,417万1,000円を組んだ。平山・高田・立山・昭和・上芦別・庶路の各炭砿にも、坑道掘進と運搬設備の工事を配した。明治佐賀炭砿は1953年3月から本格生産に移り、出炭の約90%が上級炭、品位は平均6,450カロリーだった。需要先は特約店17.5%、窯業16.1%、製鋼13.0%、電力11.9%、国鉄10.1%の順に並んだ。
- 経済展望 1953年
- [48]1953年度設備計画は赤池(三坑左深部・明治新六坑開発継続ほか)4億7,347万円、明治佐賀(採炭切羽の機械化・大型炭車補充ほか)1億4,900万円、西杵(左深部開発通気竪坑開鑿ほか)1億3,417万1,000円
- [49]1953年度設備計画は平山1億2,354万円、高田150万円、立山8,451万9,000円、昭和7,501万9,000円、上芦別500万円、庶路1億2,315万1,000円を坑道掘進・運搬設備等に配分
- [50]明治佐賀炭砿は1953年3月から本格生産に移った
- [51]出炭の約90%が上級炭で、品位は平均6,450カロリー
- [52]需要先の比率は特約店17.5%、窯業16.1%、製鋼13.0%、電力11.9%、国鉄10.1%ほか
しかし1953年9月期は、炭鉱界の不振のなかで出炭が86万4,144トンにとどまり、利益金6,465万50円は平均払込資本金の2割にあたって、配当は3割から5分減らして1割5分へ引き下げた。石炭不振で大手各社が一斉に人員整理に入るなか、明治鉱業は1953年3月期から9月末までに職員を含め2,673人を減らしたが、それでも出炭量は落ちず、炭砿の機械化による能率化が効いた。資本金は1957年1月25日に12億円まで増え、同年3月期の半期売上高は51億8,222万5,000円、税込利益は2億5,313万3,000円となった。同年3月、創立50年の社史を刊行した。
- 経済展望 1953年
- [53]1953年9月期の出炭高は86万4,144トン(うち販売75万6,437トン)
- [54]1953年9月期の当期利益金6,465万50円は平均払込資本金に対し2割にあたり、前期までの3割配当(普通2割・特配1割)から5分減配して1割5分とした
- [55]石炭不振で大手各社が一斉に人員整理を行い、同社は1953年3月期から9月末までに職員を含め2,673人を減員した
- [56]2,673人を減員しても出炭量は減らず、炭砿機械化による能率化・合理化が効いた
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- [57]1957年1月25日払込、資本金1,200,000千円
- [58]1957年3月期(半期)の売上高5,182,225千円、税込利益253,133千円
- 社史 明治鉱業株式会社(明治鉱業、1957年)「社史の刊行に寄せて」
- [59]明治鉱業は1957年に創立50年の社史を刊行した
参考文献[41]-[59]
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- [41]1953年6月5日払込、資本金800,000千円(1対1の割当)。4億円からの倍額増資
- [57]1957年1月25日払込、資本金1,200,000千円
- [58]1957年3月期(半期)の売上高5,182,225千円、税込利益253,133千円
- 経済展望 1953年
- [42]増資資金は借入金返済1億8,000万円、運転資金2億円に充当
- [43]1953年度は設備資金を償却金・社債・借入金で賄っても借入金の返済と運転資金が約4億円以上不足する見込みだった
- [44]1953年度新規設備改良工事は①開発工事②選炭設備の改良工事③坑内外運搬能力増強④その他の機械化工事に大別される
- [45]開発工事は主として坑内の拡張掘進および竪坑開鑿により深部の通気系統の合理化とそれに伴う運搬設備の強化改良を図るもの
- [46]1953年度の設備費総計は12億3,850万円
- [47]資金計画は開発銀行借入金6億3,350万円、長期信用銀行借入金2億円、第二回ろ号社債手取金9,350万円、営業収益で充当3億645万円
- [48]1953年度設備計画は赤池(三坑左深部・明治新六坑開発継続ほか)4億7,347万円、明治佐賀(採炭切羽の機械化・大型炭車補充ほか)1億4,900万円、西杵(左深部開発通気竪坑開鑿ほか)1億3,417万1,000円
- [49]1953年度設備計画は平山1億2,354万円、高田150万円、立山8,451万9,000円、昭和7,501万9,000円、上芦別500万円、庶路1億2,315万1,000円を坑道掘進・運搬設備等に配分
- [50]明治佐賀炭砿は1953年3月から本格生産に移った
- [51]出炭の約90%が上級炭で、品位は平均6,450カロリー
- [52]需要先の比率は特約店17.5%、窯業16.1%、製鋼13.0%、電力11.9%、国鉄10.1%ほか
- [53]1953年9月期の出炭高は86万4,144トン(うち販売75万6,437トン)
- [54]1953年9月期の当期利益金6,465万50円は平均払込資本金に対し2割にあたり、前期までの3割配当(普通2割・特配1割)から5分減配して1割5分とした
- [55]石炭不振で大手各社が一斉に人員整理を行い、同社は1953年3月期から9月末までに職員を含め2,673人を減員した
- [56]2,673人を減員しても出炭量は減らず、炭砿機械化による能率化・合理化が効いた
- 社史 明治鉱業株式会社(明治鉱業、1957年)「社史の刊行に寄せて」
- [59]明治鉱業は1957年に創立50年の社史を刊行した
1946年〜1957年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | 94 | n/a | 3 | 3.9% | n/a |
出所:ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【過去の業績】半期合算
出典・参考
6件
- 社史 明治鉱業株式会社(明治鉱業、1957年)「社史の刊行に寄せて」
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「明治鉱業」の項
- ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
- 経済情報 1951年「明治鑛業は増資後も好調」
- 経済情報 1951年10月1日号「明治鑛業は愈々好調」
- 経済展望 1953年