第4章 年〜年

明治鉱業:国内初の水力採炭と1969年の会社解散

1958年〜利益率3.6%から0.2%へ、出光興産と組んだ石油販売

明治鉱業では1957年に板橋喜介社長が就任したが、1950年代の末から収益は細った。半期ごとの税込利益率は1958年3月期に3.6%、配当は1割2分。それが1959年3月期には利益率1.6%・配当1割へ下がり、1960年3月期には利益率0.2%、配当も無配へ落ちた。同じ1960年3月期の半期売上高54億1,706万7,000円から残った税込利益は1,025万9,000円にとどまり、1961年3月期にようやく利益率2.1%と1割の配当が戻った。所有する鉱の数に比してよい炭鉱が少ないという鉱区の構成のもとで、明治鉱業は石炭部門の合理化と、石炭以外への多角化とを並行させた。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [1]社長の板橋喜介は1957年(昭和32年)に社長就任
    • [2]1958年3月期(昭和33年3月期)の税込利益率3.6%、配当年1割2分
    • [3]1959年3月期(昭和34年3月期)の税込利益率1.6%、配当年1割
    • [4]1960年3月期(昭和35年3月期)の税込利益率0.2%、配当は無配
    • [5]1960年3月期(昭和35年3月期)の売上高5,417,067千円、税込利益10,259千円
    • [6]1961年3月期(昭和36年3月期)の税込利益率2.1%、配当年1割
    • [7]所有鉱が多い割によい炭鉱が少なく、石炭部門の合理化と多角化を進めた

石炭以外への手は建設と石油の二つから入り、まず1960年3月に設立した明豊建設株式会社が、のちに明治建設興業株式会社となって明治鉱業の持株比率は93%を占めた。翌1961年2月には石油販売を開始して出光興産株式会社と提携し、石炭を掘って売ってきた会社が、石炭の需要を奪う側の商品を店頭に置いた。多角化の中身は、デユナイト・大理石・石灰石の採掘販売と建設事業で、いずれも子会社が担った。明治鉱業はほかに豊里鉱業株式会社、明治興産株式会社、唐津荷役株式会社、赤池耐火材料株式会社などを関係会社に持ち、決算期を3月と9月の年2回に置いたまま資本金19億8,000万円で1963年を迎えた。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [8]1960年3月(昭和35年3月)、明豊建設株式会社を設立
    • [9]明豊建設は現・明治建設興業株式会社、明治鉱業の持株比率93%
    • [10]1961年2月(昭和36年2月)に石油販売を開始、石油販売につき出光興産株式会社と提携
    • [11]多角化はデユナイト・大理石・石灰石の採掘販売と建設事業で、鉱石の採掘と建設業は子会社を通じて行なう
    • [12]主要関係会社に豊里鉱業・明治興産・唐津荷役・赤池耐火材料などがある。決算期は3月・9月、資本金19億8,000万円

鉱石では三つの鉱山が動き、デユナイトは愛媛県土居町の赤石鉱山で採掘して高級鋳物砂や耐火煉瓦の原料として販売した。大理石は岐阜県洞戸村の新美山鉱山で採って建設会社などへ納め、石灰石は高知県の天ケ崎鉱山で、1963年時点では本格採掘の直前にあった。採掘から販売までを引き受けたのは子会社で、持株比率は赤石オリビンサンド株式会社が82%、明治大理石株式会社が100%、南国石灰石株式会社が75%となる。売り先は鋳物工場、耐火煉瓦の製造元、建設会社と、いずれも石炭の需要家とは別の系統にあったものの、1963年3月期の鉱石の売上は1,621万6,000円で、販売実績全体の0.3%にとどまった。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [13]デユナイトは四国の赤石鉱山(愛媛県土居町)で採掘し、高級鋳物砂や耐火煉瓦の原料向けに販売
    • [14]大理石は岐阜県の新美山鉱山(洞戸村)で採掘し、建設会社などに向ける
    • [15]石灰石は高知県天ケ崎鉱山で、近く本格採掘に入る
    • [16]関係会社の持株比率は赤石オリビンサンド82%、明治大理石100%、南国石灰石75%
    • [17]1963年3月期(56期)の販売実績で鉱石は16,216千円、構成比0.3%
参考文献[1]-[17]
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [1]社長の板橋喜介は1957年(昭和32年)に社長就任
    • [2]1958年3月期(昭和33年3月期)の税込利益率3.6%、配当年1割2分
    • [3]1959年3月期(昭和34年3月期)の税込利益率1.6%、配当年1割
    • [4]1960年3月期(昭和35年3月期)の税込利益率0.2%、配当は無配
    • [5]1960年3月期(昭和35年3月期)の売上高5,417,067千円、税込利益10,259千円
    • [6]1961年3月期(昭和36年3月期)の税込利益率2.1%、配当年1割
    • [7]所有鉱が多い割によい炭鉱が少なく、石炭部門の合理化と多角化を進めた
    • [8]1960年3月(昭和35年3月)、明豊建設株式会社を設立
    • [9]明豊建設は現・明治建設興業株式会社、明治鉱業の持株比率93%
    • [10]1961年2月(昭和36年2月)に石油販売を開始、石油販売につき出光興産株式会社と提携
    • [11]多角化はデユナイト・大理石・石灰石の採掘販売と建設事業で、鉱石の採掘と建設業は子会社を通じて行なう
    • [12]主要関係会社に豊里鉱業・明治興産・唐津荷役・赤池耐火材料などがある。決算期は3月・9月、資本金19億8,000万円
    • [13]デユナイトは四国の赤石鉱山(愛媛県土居町)で採掘し、高級鋳物砂や耐火煉瓦の原料向けに販売
    • [14]大理石は岐阜県の新美山鉱山(洞戸村)で採掘し、建設会社などに向ける
    • [15]石灰石は高知県天ケ崎鉱山で、近く本格採掘に入る
    • [16]関係会社の持株比率は赤石オリビンサンド82%、明治大理石100%、南国石灰石75%
    • [17]1963年3月期(56期)の販売実績で鉱石は16,216千円、構成比0.3%

1962年〜月産90トンの本岐鉱と、4鉱の閉山を含む合理化計画

高圧水を炭壁に吹きつけて炭を崩し、水と一緒に運び出すのが水力採炭である。明治鉱業は1962年秋、北海道の本岐鉱で日本初となるこの方式による開発と採掘に踏み出した。坑内に配置する人員を減らせたことから、鉱員1人当りの月産は90トンに届いた。大手平均の3倍から4倍に当たる数字で、石炭部門の合理化が進むなかで注目された。九州では佐賀鉱の高い能率も知られていた。もっとも、本岐開発事業所の従業員は283人で、赤池鉱業所1,722人、平山鉱業所1,030人、明治佐賀鉱業所762人、西杵鉱業所752人と比べれば小規模だった。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [18]北海道の本岐鉱をわが国で初めて水力採炭で開発・採掘、採掘は昭和37年(1962年)秋から開始
    • [19]所要人員が少なくてすむため能率は鉱員1人当り月産90トンに達している
    • [20]本岐鉱の能率は大手平均の3〜4倍の高さ
    • [21]合理化では北海道の本岐鉱の水力採炭が注目されると記される
    • [22]九州にある佐賀鉱の高能率は有名である
    • [23]1963年時点の事業所別従業員数は本岐開発事業所283人、赤池鉱業所1,722人、平山鉱業所1,030人、明治佐賀鉱業所762人、西杵鉱業所752人

同じ時期、明治鉱業は立山、上芦別、昭和、庶路の各鉱の閉山を含む大規模な合理化を計画し、大手平均の3倍から4倍の能率を出す鉱を開きながら、四つの鉱を閉じる計画を並べて立てた。決算は3月と9月の年2回で、2期を合わせた1年で見ると、この二年で収支は反転している。1962年3月期までの1年は、売上高103億2,501万6,000円に当期利益2億4,930万5,000円。1962年9月期と1963年3月期を合わせた1年では、売上高97億6,759万4,000円、当期純利益は4,659万8,000円の赤字へ転じた。赤字は後半の半期に集まり、1963年3月期の半期だけで売上高52億8,143万1,000円に対して当期利益金1億1,740万4,000円の赤字を計上している。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [24]立山・上芦別・昭和・庶路の閉山など、大規模な合理化を計画している
    • [25]53期(1961年9月期)売上高4,897,812千円・当期利益金123,032千円と54期(1962年3月期)売上高5,427,204千円・当期利益金126,273千円の合算
    • [26]55期(1962年9月期)売上高4,486,163千円・当期利益金70,806千円と56期の合算で、売上高9,767,594千円・当期純損失46,598千円
    • [27]56期(1963年3月期)売上高5,281,431千円、当期利益金は117,404千円の赤字

1963年3月末の従業員は5,979人で、内訳は職員男952人、鉱員男4,924人、鉱員女103人、平均年令37.9才、平均勤続13.5年、平均給与は月額28,609円を数えた。組合員数は5,740名で、職員組合は全国炭砿職員労働組合協議会に、鉱員組合は日本炭砿労働組合などに属した。資本金は1962年に13億2,000万円から19億8,000万円へ増えており、同じ1963年3月末の筆頭株主は安川電機製作所で、286万3,200株、比率にして7.2%を持った。次いで三井銀行5.3%、第一銀行3.4%、北海道拓殖銀行2.7%が並び、株式は東京・大阪の各第一部と福岡・札幌に上場していた。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [28]1963年3月末(昭和38年3月末)の従業員5,979人、職員男952人・鉱員男4,924人・鉱員女103人
    • [29]平均年令37.9才、平均勤続13.5年、平均給与28,609円(基準外給与を含み賞与を含まない)
    • [30]組合員数5,740名。職員組合は全国炭砿職員労働組合協議会(中立系)、鉱員組合は日本炭砿労働組合所属と中立系がある
    • [31]資本異動で昭和32年に1,320,000千円、昭和37年(1962年)に1,980,000千円へ
    • [32]1963年3月末の大株主筆頭は安川電機製作所2,863,200株・比率7.2%
    • [33]大株主は三井銀行5.3%、第一銀行3.4%、北海道拓殖銀行2.7%と続く。上場市場は東京1部・大阪1部・福岡・札幌
参考文献[18]-[33]
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [18]北海道の本岐鉱をわが国で初めて水力採炭で開発・採掘、採掘は昭和37年(1962年)秋から開始
    • [19]所要人員が少なくてすむため能率は鉱員1人当り月産90トンに達している
    • [20]本岐鉱の能率は大手平均の3〜4倍の高さ
    • [21]合理化では北海道の本岐鉱の水力採炭が注目されると記される
    • [22]九州にある佐賀鉱の高能率は有名である
    • [23]1963年時点の事業所別従業員数は本岐開発事業所283人、赤池鉱業所1,722人、平山鉱業所1,030人、明治佐賀鉱業所762人、西杵鉱業所752人
    • [24]立山・上芦別・昭和・庶路の閉山など、大規模な合理化を計画している
    • [25]53期(1961年9月期)売上高4,897,812千円・当期利益金123,032千円と54期(1962年3月期)売上高5,427,204千円・当期利益金126,273千円の合算
    • [26]55期(1962年9月期)売上高4,486,163千円・当期利益金70,806千円と56期の合算で、売上高9,767,594千円・当期純損失46,598千円
    • [27]56期(1963年3月期)売上高5,281,431千円、当期利益金は117,404千円の赤字
    • [28]1963年3月末(昭和38年3月末)の従業員5,979人、職員男952人・鉱員男4,924人・鉱員女103人
    • [29]平均年令37.9才、平均勤続13.5年、平均給与28,609円(基準外給与を含み賞与を含まない)
    • [30]組合員数5,740名。職員組合は全国炭砿職員労働組合協議会(中立系)、鉱員組合は日本炭砿労働組合所属と中立系がある
    • [31]資本異動で昭和32年に1,320,000千円、昭和37年(1962年)に1,980,000千円へ
    • [32]1963年3月末の大株主筆頭は安川電機製作所2,863,200株・比率7.2%
    • [33]大株主は三井銀行5.3%、第一銀行3.4%、北海道拓殖銀行2.7%と続く。上場市場は東京1部・大阪1部・福岡・札幌

1963年〜原料炭32.2%への傾斜と、東証第一部での上場廃止

製鉄向けの原料炭へ寄せ、家庭や工場が燃やす一般炭を削る動きが、半年で石炭の中身を入れ替えた。1962年9月期の販売実績は一般炭が構成比70.7%、原料炭が18.8%だった。それが1963年3月期には原料炭32.2%、一般炭54.8%へ転じ、金額でも原料炭は8億4,098万円から16億9,913万1,000円へ倍増した。石油も4億6,341万4,000円から6億6,797万5,000円へ増えて、構成比は10.3%から12.7%へ動いた。石炭全体の売上は40億845万6,000円から45億9,299万円へ伸び、販売実績の合計は44億8,188万1,000円から52億7,718万1,000円へ増えた。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [34]1962年9月期(55期)販売実績は一般炭3,167,476千円・構成比70.7%、原料炭840,980千円・18.8%
    • [35]1963年3月期(56期)販売実績は原料炭1,699,131千円・構成比32.2%、一般炭2,893,859千円・54.8%
    • [36]原料炭の販売額は840,980千円から1,699,131千円へ
    • [37]石油の販売額は463,414千円・構成比10.3%から667,975千円・12.7%へ
    • [38]石炭合計は4,008,456千円から4,592,990千円へ、販売実績合計は4,481,881千円から5,277,181千円へ

北海道雨竜郡沼田町字昭和の昭和鉱業所は1930年1月に開設され、1964年からは1井層で水力採炭に入った。ユルメ発破であらかじめ炭壁を軟化させ、そのうえで圧水を噴射するサブレベル方式をとり、坑口は海抜211mに設け、延長2,110mの通洞坑道で三つの区域へ展開して、坑道の総延長は約27,000mに及んだ。1962年の出炭は201,500トン、人員562人、1人当り月能率30.0トン。1964年12月には人員459人、月能率43.6トンへ上がったが、数次にわたる合理化を重ねてなお所期の目標の達成は遅れ、昭和鉱業所は当面の目標を1人当り月能率50トンに置いた。

  • 炭鉱技術 1965年「炭鉱紹介 明治鉱業株式会社 昭和鉱業所」
    • [39]昭和鉱業所の所在地は北海道雨竜郡沼田町字昭和。昭和5年(1930年)1月に恵比島出張所を廃止し昭和鉱業所を開設
    • [40]1井層に水力による採炭を昨年(1964年)より実施
    • [41]採炭法はサブレベル方式とし、あらかじめユルメ発破により炭壁を軟化させたのち圧水噴射を行なう
    • [42]坑口は海抜211mの地点に設け、断面積10平方m・延長2,110mの通洞坑道によって佐々木沢・白木沢・白木沢北部の三区域へ展開。坑道延長は約27,000m
    • [43]昭和37年(1962年)の出炭201,500トン、人員562人、能率30.0トン
    • [44]昭和39年(1964年)12月の人員459人、能率43.6トン
    • [45]数次にわたる合理化を実施してきたが所期の目標の達成がおくれ、当面1人当り月能率50トンを目標に原価の軽減を図る

1965年、明治鉱業は日本炭砿・杵島炭砿・麻生産業とともに再建会社の適用を受け、同じ年に赤池を分離し、1967年には天道を閉じた。第4次石炭政策の諸法案が国会審議の最終段階を迎えた1969年4月の翌月、明治鉱業は会社を解散し、企業ぐるみ閉山に踏み切って新明治鉱業を設立した。解散直前の資本金は19億8,000万円。同月27日に株式は東京証券取引所第一部で上場廃止となり、1949年10月17日の上場から19年7か月が過ぎていた。倒産に至る背景として挙げられたのは、エネルギー源転換による需要減だった。

  • 三菱鉱業社史(三菱鉱業セメント、1976年)第2章「エネルギー革命と三菱鉱業の経営戦略」
    • [46]1965年(昭和40年)に日本炭砿、明治鉱業、杵島炭砿、麻生産業等の名門各社が再建会社としての特別救済の適用を受けた
    • [47]1965年(昭和40年)の企業整備として「分離: 明治赤池」
    • [48]1967年(昭和42年)の企業整備として「閉山: 麻生山田、大日本磯原、明治天道」
    • [49]第4次対策実施のための諸法案の国会審議が最終段階を迎えた1969年(昭和44年)4月に、日本石炭協会が通産大臣および衆参両院石炭対策特別委員会に決意を表明した
    • [50]答申の実施に伴い、1969年(昭和44年)5月から6月にかけて大手石炭会社の明治鉱業、杵島炭砿、麻生産業が相次いで会社を解散し、企業ぐるみ閉山に踏切った。1969年の企業整備は「解散: 明治(新明治鉱業設立)、杵島、麻生」
  • 日経ビジネス 1970年2月号
    • [51]明治鉱業の倒産直前の資本金は1,980百万円
    • [52]明治鉱業は東京証券取引所第一部で1969年5月27日に上場廃止、事由は解散
    • [54]明治鉱業(石炭)の倒産に至る背景はエネルギー源転換による需要減
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [53]上場開始は1949年(昭和24年)10月17日、東京
参考文献[34]-[54]
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
    • [34]1962年9月期(55期)販売実績は一般炭3,167,476千円・構成比70.7%、原料炭840,980千円・18.8%
    • [35]1963年3月期(56期)販売実績は原料炭1,699,131千円・構成比32.2%、一般炭2,893,859千円・54.8%
    • [36]原料炭の販売額は840,980千円から1,699,131千円へ
    • [37]石油の販売額は463,414千円・構成比10.3%から667,975千円・12.7%へ
    • [38]石炭合計は4,008,456千円から4,592,990千円へ、販売実績合計は4,481,881千円から5,277,181千円へ
    • [53]上場開始は1949年(昭和24年)10月17日、東京
  • 炭鉱技術 1965年「炭鉱紹介 明治鉱業株式会社 昭和鉱業所」
    • [39]昭和鉱業所の所在地は北海道雨竜郡沼田町字昭和。昭和5年(1930年)1月に恵比島出張所を廃止し昭和鉱業所を開設
    • [40]1井層に水力による採炭を昨年(1964年)より実施
    • [41]採炭法はサブレベル方式とし、あらかじめユルメ発破により炭壁を軟化させたのち圧水噴射を行なう
    • [42]坑口は海抜211mの地点に設け、断面積10平方m・延長2,110mの通洞坑道によって佐々木沢・白木沢・白木沢北部の三区域へ展開。坑道延長は約27,000m
    • [43]昭和37年(1962年)の出炭201,500トン、人員562人、能率30.0トン
    • [44]昭和39年(1964年)12月の人員459人、能率43.6トン
    • [45]数次にわたる合理化を実施してきたが所期の目標の達成がおくれ、当面1人当り月能率50トンを目標に原価の軽減を図る
  • 三菱鉱業社史(三菱鉱業セメント、1976年)第2章「エネルギー革命と三菱鉱業の経営戦略」
    • [46]1965年(昭和40年)に日本炭砿、明治鉱業、杵島炭砿、麻生産業等の名門各社が再建会社としての特別救済の適用を受けた
    • [47]1965年(昭和40年)の企業整備として「分離: 明治赤池」
    • [48]1967年(昭和42年)の企業整備として「閉山: 麻生山田、大日本磯原、明治天道」
    • [49]第4次対策実施のための諸法案の国会審議が最終段階を迎えた1969年(昭和44年)4月に、日本石炭協会が通産大臣および衆参両院石炭対策特別委員会に決意を表明した
    • [50]答申の実施に伴い、1969年(昭和44年)5月から6月にかけて大手石炭会社の明治鉱業、杵島炭砿、麻生産業が相次いで会社を解散し、企業ぐるみ閉山に踏切った。1969年の企業整備は「解散: 明治(新明治鉱業設立)、杵島、麻生」
  • 日経ビジネス 1970年2月号
    • [51]明治鉱業の倒産直前の資本金は1,980百万円
    • [52]明治鉱業は東京証券取引所第一部で1969年5月27日に上場廃止、事由は解散
    • [54]明治鉱業(石炭)の倒産に至る背景はエネルギー源転換による需要減

1958年〜1969年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1958年03月期 単体 110 n/a n/a 4 4.4% n/a
1959年03月期 単体 94 ▲14.5% n/a 2 2.2% n/a
1960年03月期 単体 93 ▲1.3% n/a 1 1.1% n/a
1961年03月期 単体 103 +11.1% n/a 1 1.8% n/a
1962年03月期 単体 103 ▲0.7% 5 2 2.4% n/a
1963年03月期 単体 97 ▲5.4% 1 0 ▲0.5% n/a
1964年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1965年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1966年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1967年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a

出所:ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【過去の業績】半期合算、ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【損益計算】半期合算、ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版【損益計算】半期合算(55期+56期)/従業員は昭38年3月末

出典・参考

4件
出典・参考
  • 三菱鉱業社史(三菱鉱業セメント、1976年)第2章「エネルギー革命と三菱鉱業の経営戦略」
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「明治鉱業」
  • 日経ビジネス 1970年2月号
  • 炭鉱技術 1965年「炭鉱紹介 明治鉱業株式会社 昭和鉱業所」

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