第4章 年〜年

HOYA:未承認コンタクトの回収とHDD用ガラスディスクへの転換

1990年〜未承認コンタクトレンズの回収と、光学ガラスの研磨で出したガラス磁気メモリーディスク

1990年10月、厚生省はHOYAのハードコンタクトレンズ3製品が承認と異なる成分で作られていたとして、製造中止と自主回収を決めた。12月にはソフトレンズでも14年にわたる未承認の製造が見つかり、回収対象は累計約250万枚に達した。1991年1月には、製造拠点の児玉工場が全製品で10日間の製造出荷停止の処分を受けた。事件前に約15%あった販売額のシェアは1990年度に1.3%へ下がり、回収による損失は39億5,300万円に上った。会社は開発部門の人員が薬事を兼ねていた点を原因に挙げ、1990年12月に専任4人の薬事部を設けた。1997年の時点でも、コンタクトレンズは眼鏡レンズや眼内レンズと並ぶヘルスケア分野の製品に数えられていた。

  • 日経ビジネス 1992年6月8日号
    • [1]1990年10月、厚生省が未承認成分で製造していたハードレンズ3製品(EX・HARD/58・OPピンキー)の製造中止と自主回収を決定
    • [2]1990年12月にソフトレンズ「HOYA SOFT」の違反も発覚(1976年から14年間未承認成分で製造)。二つの事件で回収を指示されたのは累計約250万枚
    • [3]1991年1月、厚生省が児玉工場の全製品に10日間の製造出荷業務停止の行政処分
    • [4]事件前のシェア約15%が1990年度に販売額で1.3%へ低下(矢野経済研究所調べ)。回収による損失は計39億5,300万円
    • [5]開発部門の人間が薬事担当を兼任していたことが原因と担当取締役が説明。1990年12月にメディカル事業部に薬事部を設置し専任者4人を配置
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [6]1997年時点でヘルスケア分野は眼鏡レンズ・コンタクトレンズ・眼内レンズ・補聴器を扱う

1991年3月、HOYAはハードディスク駆動装置に使うガラス磁気メモリーディスクを発売した。土台には、半導体用マスク基板のガラスを超精密に磨き、薄膜を付けてきた技術があった。開発は十数年前に始まったが、読み取り側のMRヘッドの実用化が遅れ、採用が広がるまでに時間を要した。結晶を持たないガラスは平滑に仕上げやすく、ヘッドとディスクの間隔を詰めて記録密度を上げられた。1997年には、ノート型パソコン向け2.5インチのガラスディスクで85%を上回るシェアを会社は推計した。1992年度に売上の0.7%だったこの製品は、1999年度に37%まで伸びるとの証券会社の予測も出ていた。コンタクトレンズで失った足場を、光学ガラスの研磨という本来の技術から立て直す道筋がここで開けたと読める。

  • HOYA 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
    • [7]1991年3月 HDD用ガラスディスク(ガラス磁気メモリーディスク)発売
  • じゅん刊世界と日本 973号(2002年)「連続インタビュー(5) 経営者は自己責任の徹底を――HOYA株式会社名誉会長 鈴木哲夫」
    • [8]ICのマスク基板は特別なガラスを超精密に磨いて薄膜を付けて作る。マスク基板から次にパソコンのハードディスクの需要が出てきた(鈴木哲夫の回顧)
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [9]ガラスメモリーディスクは十数年前から開発。MRヘッドの開発が遅れたことが採用普及の遅れの理由
    • [10]ガラスはアモルファスで結晶がなく平滑性を出せるため、ヘッドとディスクの距離(フライングハイト)を小さくでき記録密度が上がる
    • [11]全世界のノートブック向け2インチ半ガラスディスクで同社推測85%を上回るシェア(1997年)
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [12]ソロモン・ブラザーズ・アジア証券の予測で、ガラス磁気メモリーディスクの売上構成は1992年度0.7%から1999年度37%へ
参考文献[1]-[12]
  • 日経ビジネス 1992年6月8日号
    • [1]1990年10月、厚生省が未承認成分で製造していたハードレンズ3製品(EX・HARD/58・OPピンキー)の製造中止と自主回収を決定
    • [2]1990年12月にソフトレンズ「HOYA SOFT」の違反も発覚(1976年から14年間未承認成分で製造)。二つの事件で回収を指示されたのは累計約250万枚
    • [3]1991年1月、厚生省が児玉工場の全製品に10日間の製造出荷業務停止の行政処分
    • [4]事件前のシェア約15%が1990年度に販売額で1.3%へ低下(矢野経済研究所調べ)。回収による損失は計39億5,300万円
    • [5]開発部門の人間が薬事担当を兼任していたことが原因と担当取締役が説明。1990年12月にメディカル事業部に薬事部を設置し専任者4人を配置
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [6]1997年時点でヘルスケア分野は眼鏡レンズ・コンタクトレンズ・眼内レンズ・補聴器を扱う
    • [9]ガラスメモリーディスクは十数年前から開発。MRヘッドの開発が遅れたことが採用普及の遅れの理由
    • [10]ガラスはアモルファスで結晶がなく平滑性を出せるため、ヘッドとディスクの距離(フライングハイト)を小さくでき記録密度が上がる
    • [11]全世界のノートブック向け2インチ半ガラスディスクで同社推測85%を上回るシェア(1997年)
  • HOYA 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
    • [7]1991年3月 HDD用ガラスディスク(ガラス磁気メモリーディスク)発売
  • じゅん刊世界と日本 973号(2002年)「連続インタビュー(5) 経営者は自己責任の徹底を――HOYA株式会社名誉会長 鈴木哲夫」
    • [8]ICのマスク基板は特別なガラスを超精密に磨いて薄膜を付けて作る。マスク基板から次にパソコンのハードディスクの需要が出てきた(鈴木哲夫の回顧)
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [12]ソロモン・ブラザーズ・アジア証券の予測で、ガラス磁気メモリーディスクの売上構成は1992年度0.7%から1999年度37%へ

1993年〜創業家の山中衛社長のROE経営と、「日本的経営」との決別

1993年、社長の山中衛氏と会長の鈴木哲夫氏は、ごく少数のスタッフだけを交えて3カ月をかけ、事業再構築の案を組み上げた。ほかの取締役は同年11月の合宿で人事や資源配分の詰めに加わったが、案の存在は直前まで知らされなかったという。鈴木哲夫氏は後に、1993年度から96年度までを第1期の経営改革の期間と位置づけた。取締役は1991年度の17人から8人に減り、そのうち1人は社外から迎えた。鈴木哲夫会長は、有力コンピューターメーカーのトップを非常勤取締役に招き、社内の論理だけで決まらない経営を目指したとの考えを示した。根回しを省いた2人の合議は、長く続いた体制の下で積み上がった合意の慣行を、改革の入口で断つ役目を負ったのだろう。

  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [13]リストラ案の骨子は少数のスタッフ以外に明かさず、会長と社長の2人だけで3カ月かけて作り上げた(山中衛社長・鈴木哲夫会長)
    • [14]他の取締役は1993年11月の合宿で人事・資源配分の詰めの議論に参加したが、リストラ案の存在は直前まで知らされていなかった
    • [16]1991年度に17人いた取締役は8人に減り、そのうち1人は社外取締役
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [15]経営改革の第1期のプランとして1993年度から96年度にかけてROEを最も重要な経営指標とした
  • 日経ビジネス 1998年1月19日号
    • [17]1991年から95年までに役員を半数の8人に減らし、有力コンピューターメーカーのトップを非常勤取締役に迎え、社内の論理だけに支配されない経営を目指した(鈴木哲夫会長の談)

第1期の経営改革で、HOYAはROE10%の達成を経営目標に掲げた。それまでの物差しは経常利益の増減で、株主の利益を見る視点が欠けていたと鈴木哲夫氏は総括した。きっかけは米国子会社の取締役会の後、米国人の社外取締役から米国企業よりROEが低いと指摘されたことだった。点検すると、売上を拡大し続けたバブル期に無駄な投資や収益を生まない製品が残っていたという。施策は赤字・低収益部門の整理、エレクトロニクスへの集中投資、海外生産の拡大の3本に絞られた。集中投資の中身は、設備投資の70%をガラス磁気メモリーディスクの関連に充てるものだった。ROEは1993年度の5.4%から毎年改善を続け、1996年度には11.2%の水準を達成した。

  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [18]第1期の経営改革(1993〜96年度)でROE10%を経営目標とした
    • [19]従来の経常利益をベースにする経営の一番大きい問題は株主の利益を余り考えていない点で、その修正のためにROE経営に取り組んだ
    • [20]米国子会社のボードミーティング後、米国人の社外重役からHOYAのROEは低い、米国企業は14〜15%が平均と指摘された
    • [22]リストラクチャリング計画はダウンサイジング(赤字・低収益部門の整理)、高付加価値のエレクトロニクス部門への集中投資、海外生産の促進の3点
    • [24]ROEは1993年度5.4%から毎年改善し、1996年度に11.2%に到達
  • じゅん刊世界と日本 973号(2002年)「連続インタビュー(5) 経営者は自己責任の徹底を――HOYA株式会社名誉会長 鈴木哲夫」
    • [21]バブルの間に売上を伸ばそうとして経営体質が膨張し、むだな投資や収益をあげない製品が残っていた(鈴木哲夫の回顧)
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [23]成長分野への資源集中として設備投資の70%をガラス磁気メモリーディスク関連に集中

1994年度の1年間で、HOYAの従業員は出向を中心に939人、比率で32%減った。新卒の定期採用をやめ、転職支援制度と選択定年制を入れ、課長以上の管理職は全員を年俸制に切り替えた。役職は3階層に縮められ、200人を超えていた部課長は90人以下になった。経営企画担当の江間賢二取締役は、眼鏡レンズなどの主力事業が成熟する一方でエレクトロニクスが急伸し、旧来の体質では速さに追いつけないと説明した。鈴木哲夫氏も、年功序列型の賃金を含む日本型の経営は行き詰まったとの認識を講演で示した。自社の拠点を比べると、給与に対する付加価値の倍率は米国が日本の2倍、欧州が2.5倍、アジアが10倍だった。山中衛氏は、『問題を先送りするだけでは、かえって傷を広げてしまう』と改革を急ぐ理由を語った。人事の慣行にまで改革を及ぼした根には、資本と労働の効率を海外と並べた比較があったと考えられる。

  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [25]出向を主体に従業員数は1994年度1年間で32%減少。分社化が効いて94年度で939人の人員削減
    • [26]新卒の定期採用を廃止し、転職支援制度と選択定年制を導入、課長以上の管理職は全員年俸制に切り替え
    • [27]役職者の階層を3段階に圧縮し、200人を超えていた部課長数は90人以下に
    • [28]眼鏡レンズなど柱の事業は成熟産業で、エレクトロニクス関連は急成長しており、50年以上培われた企業体質ではこの変化の速さについていけない(江間賢二取締役)
    • [30]VAW(給与の何倍の付加価値を生むか)を国内と自社の海外拠点で比べると、米国は日本の2倍、欧州は2.5倍、アジアは10倍
    • [31]山中衛社長の発言「問題を先送りするだけでは、かえって傷を広げてしまう」
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [29]日本型経営は完全に行き詰まっており、終身雇用制・年功序列型賃金にも問題がある(鈴木哲夫の講演)
参考文献[13]-[31]
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
    • [13]リストラ案の骨子は少数のスタッフ以外に明かさず、会長と社長の2人だけで3カ月かけて作り上げた(山中衛社長・鈴木哲夫会長)
    • [14]他の取締役は1993年11月の合宿で人事・資源配分の詰めの議論に参加したが、リストラ案の存在は直前まで知らされていなかった
    • [16]1991年度に17人いた取締役は8人に減り、そのうち1人は社外取締役
    • [23]成長分野への資源集中として設備投資の70%をガラス磁気メモリーディスク関連に集中
    • [25]出向を主体に従業員数は1994年度1年間で32%減少。分社化が効いて94年度で939人の人員削減
    • [26]新卒の定期採用を廃止し、転職支援制度と選択定年制を導入、課長以上の管理職は全員年俸制に切り替え
    • [27]役職者の階層を3段階に圧縮し、200人を超えていた部課長数は90人以下に
    • [28]眼鏡レンズなど柱の事業は成熟産業で、エレクトロニクス関連は急成長しており、50年以上培われた企業体質ではこの変化の速さについていけない(江間賢二取締役)
    • [30]VAW(給与の何倍の付加価値を生むか)を国内と自社の海外拠点で比べると、米国は日本の2倍、欧州は2.5倍、アジアは10倍
    • [31]山中衛社長の発言「問題を先送りするだけでは、かえって傷を広げてしまう」
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [15]経営改革の第1期のプランとして1993年度から96年度にかけてROEを最も重要な経営指標とした
    • [18]第1期の経営改革(1993〜96年度)でROE10%を経営目標とした
    • [19]従来の経常利益をベースにする経営の一番大きい問題は株主の利益を余り考えていない点で、その修正のためにROE経営に取り組んだ
    • [20]米国子会社のボードミーティング後、米国人の社外重役からHOYAのROEは低い、米国企業は14〜15%が平均と指摘された
    • [22]リストラクチャリング計画はダウンサイジング(赤字・低収益部門の整理)、高付加価値のエレクトロニクス部門への集中投資、海外生産の促進の3点
    • [24]ROEは1993年度5.4%から毎年改善し、1996年度に11.2%に到達
    • [29]日本型経営は完全に行き詰まっており、終身雇用制・年功序列型賃金にも問題がある(鈴木哲夫の講演)
  • 日経ビジネス 1998年1月19日号
    • [17]1991年から95年までに役員を半数の8人に減らし、有力コンピューターメーカーのトップを非常勤取締役に迎え、社内の論理だけに支配されない経営を目指した(鈴木哲夫会長の談)
  • じゅん刊世界と日本 973号(2002年)「連続インタビュー(5) 経営者は自己責任の徹底を――HOYA株式会社名誉会長 鈴木哲夫」
    • [21]バブルの間に売上を伸ばそうとして経営体質が膨張し、むだな投資や収益をあげない製品が残っていた(鈴木哲夫の回顧)

1997年〜本社50人のカンパニー制・3極の地域本社と、沖電気から譲り受けたフォトマスク

1997年4月、HOYAはカンパニー制を入れ、エレクトロオプティクスとビジョンケアの2カンパニーと3つの事業子会社に組織を改めた。5月にはシンガポールに地域本社を置き、4月に設けたオランダと米国の2社と合わせて3極の体制が整った。鈴木哲夫氏は、事業部は独立した子会社ではないため、利益責任を与えても経営責任を全うさせるには限界があるとみていた。カンパニーを事業子会社へ移せば経営責任と貸借対照表が分かれ、1999年ごろに持株会社制へ移る段取りだった。本社の役目は、『今度は持株本社は投資家になるわけであります。ですから、事業活動を直接やらないわけです』と定義し直された。世界で約1万人を抱える会社で、グローバル本社の人員は50人程度に抑えた。海外売上比率は1990年度の25%から1996年度に35%へ上がり、2001年度に50%とする目標が置かれた。

  • HOYA 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
    • [32]1997年4月 カンパニー制を導入し、二つのカンパニー(エレクトロオプティクス、ビジョンケア)と三つの事業子会社(HOYA PHOTONICS INC.、HOYAヘルスケア㈱、HOYAクリスタル㈱)へ機構改革
    • [33]1997年5月 シンガポールに地域本社HOYA HOLDINGS ASIA PACIFIC PTE LTDを設置、4月にオランダ・米国に設置したHOYA HOLDINGS N.V.とHOYA HOLDINGS,INC.と合わせ欧州・北米・アジアの地域本社体制が整う
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [34]事業部に利益責任と権限を与えても完全な独立子会社ではないので、経営責任を全うすることには問題がある
    • [35]事業子会社にすれば経営責任とバランスシートが完全に分離する。99年ごろをめどに持株会社制を実行する考え
    • [36]持株本社は投資家になり事業活動を直接やらない。最大の仕事はグループ全体の戦略的な意思決定と事業ポートフォリオの組成
    • [37]グローバル本社の人員を50人程度に抑える。従業員は世界で大体1万人
    • [38]海外売上比率は1990年度25%、1996年度35%。2001年度に50%にする目標

2000年6月、エレクトロオプティクスカンパニーのプレジデントを務めた鈴木洋氏が代表取締役社長に就任した。翌7月、HOYAは沖電気工業から半導体用フォトマスクの製造部門を譲り受けた。1997年に始めた第2期の経営改革は、2001年度までの5年間、キャッシュフローを上回る投資に資本を充てる方針をとっていた。2002年3月期にはITバブルの崩壊で情報・通信分野が低迷し、連結設備投資は195億85百万円に抑えて次世代製品の開発に限った。鈴木洋氏は、『現在の収益の基盤や形は3年先には同じではなくなっているのだという認識に立たなければなりません。』と事業の形を変え続ける姿勢を株主に示した。マスクの原材料であるブランクスに加えて回路原版の製造まで手元に置き、微細化の先行開発を一続きにする狙いがあったと推察される。

  • HOYA 有価証券報告書 2006年3月期「役員の状況」
    • [39]鈴木洋 平成11年4月 常務取締役エレクトロオプティクスカンパニープレジデント、平成12年6月 代表取締役社長
  • HOYA 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
    • [40]2000年7月 沖電気工業㈱の半導体用フォトマスク製造部門を譲り受ける
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [41]1997年度から2001年度までの第2期経営改革で、自己株消却・大幅配当ではなくキャッシュフローを上回る積極的な投資を5年間行う道を選んだ
  • HOYA アニュアルレポート 2002(トップメッセージ)
    • [42]2002年3月期はITバブル崩壊で情報・通信分野が打撃を受けた。連結設備投資額195億85百万円は、エレクトロオプティクス部門の次世代製品の開発に向けた投資に限定
    • [43]現在の収益の基盤や形は3年先には同じではなくなっているという認識に立ち、常に企業・事業の形を変え続ける(取締役社長のトップメッセージ)

2002年3月期を報告したトップメッセージの時点で、HOYAの取締役6人のうち3人は社外取締役だった。顔ぶれは日本IBM最高顧問の椎名武雄氏、UFJ銀行特別顧問の佐伯尚孝氏、キッコーマン社長の茂木友三郎氏だった。社外取締役の制度は1995年6月に始めたもので、客観的な見地から企業運営を点検させる狙いが示された。名誉会長の鈴木哲夫氏は2002年の対談で、株主価値を上げるのは経営者の責任だという米国の社外取締役の指摘を転機に挙げた。同じ対談では、『経営というのは自己責任だ。これを徹底する必要があるんです。』と語り、成績が悪ければ経営者が退き、株価を上げればストックオプションで報いる仕組みを説いた。経営者の結果を社外の目で問う考えは、この時点で創業期を知る世代から若い社長の体制へ受け渡されていたとみられる。

  • HOYA アニュアルレポート 2002(トップメッセージ)
    • [44]現在、6名の取締役のうち3名が社外取締役(2002年3月期のトップメッセージ)
    • [45]社外取締役は日本アイ・ビー・エム最高顧問 椎名武雄、UFJ銀行特別顧問 佐伯尚孝、キッコーマン代表取締役社長 茂木友三郎
    • [46]独自の考え方による社外取締役制度を1995年6月より導入。客観的な見地から企業運営を精査する体制
  • じゅん刊世界と日本 973号(2002年)「連続インタビュー(5) 経営者は自己責任の徹底を――HOYA株式会社名誉会長 鈴木哲夫」
    • [47]米国の社外重役から、株主価値を上げるのは経営者の責任だと言われて気がついた(鈴木哲夫名誉会長)
    • [48]経営は自己責任で、成績が悪ければ経営者はクビ、株価を倍にすればストックオプションで報いるのが本来の姿(鈴木哲夫名誉会長)
参考文献[32]-[48]
  • HOYA 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
    • [32]1997年4月 カンパニー制を導入し、二つのカンパニー(エレクトロオプティクス、ビジョンケア)と三つの事業子会社(HOYA PHOTONICS INC.、HOYAヘルスケア㈱、HOYAクリスタル㈱)へ機構改革
    • [33]1997年5月 シンガポールに地域本社HOYA HOLDINGS ASIA PACIFIC PTE LTDを設置、4月にオランダ・米国に設置したHOYA HOLDINGS N.V.とHOYA HOLDINGS,INC.と合わせ欧州・北米・アジアの地域本社体制が整う
    • [40]2000年7月 沖電気工業㈱の半導体用フォトマスク製造部門を譲り受ける
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
    • [34]事業部に利益責任と権限を与えても完全な独立子会社ではないので、経営責任を全うすることには問題がある
    • [35]事業子会社にすれば経営責任とバランスシートが完全に分離する。99年ごろをめどに持株会社制を実行する考え
    • [36]持株本社は投資家になり事業活動を直接やらない。最大の仕事はグループ全体の戦略的な意思決定と事業ポートフォリオの組成
    • [37]グローバル本社の人員を50人程度に抑える。従業員は世界で大体1万人
    • [38]海外売上比率は1990年度25%、1996年度35%。2001年度に50%にする目標
    • [41]1997年度から2001年度までの第2期経営改革で、自己株消却・大幅配当ではなくキャッシュフローを上回る積極的な投資を5年間行う道を選んだ
  • HOYA 有価証券報告書 2006年3月期「役員の状況」
    • [39]鈴木洋 平成11年4月 常務取締役エレクトロオプティクスカンパニープレジデント、平成12年6月 代表取締役社長
  • HOYA アニュアルレポート 2002(トップメッセージ)
    • [42]2002年3月期はITバブル崩壊で情報・通信分野が打撃を受けた。連結設備投資額195億85百万円は、エレクトロオプティクス部門の次世代製品の開発に向けた投資に限定
    • [43]現在の収益の基盤や形は3年先には同じではなくなっているという認識に立ち、常に企業・事業の形を変え続ける(取締役社長のトップメッセージ)
    • [44]現在、6名の取締役のうち3名が社外取締役(2002年3月期のトップメッセージ)
    • [45]社外取締役は日本アイ・ビー・エム最高顧問 椎名武雄、UFJ銀行特別顧問 佐伯尚孝、キッコーマン代表取締役社長 茂木友三郎
    • [46]独自の考え方による社外取締役制度を1995年6月より導入。客観的な見地から企業運営を精査する体制
  • じゅん刊世界と日本 973号(2002年)「連続インタビュー(5) 経営者は自己責任の徹底を――HOYA株式会社名誉会長 鈴木哲夫」
    • [47]米国の社外重役から、株主価値を上げるのは経営者の責任だと言われて気がついた(鈴木哲夫名誉会長)
    • [48]経営は自己責任で、成績が悪ければ経営者はクビ、株価を倍にすればストックオプションで報いるのが本来の姿(鈴木哲夫名誉会長)

1990年〜2002年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 連結 1,417 n/a n/a 78 5.5% n/a
1993年03月期 連結 1,397 ▲1.4% n/a 52 3.8% n/a
1994年03月期 連結 1,344 ▲3.8% n/a 61 4.5% n/a
1995年03月期 連結 1,514 +12.6% n/a 88 5.8% n/a
1996年03月期 連結 1,671 +10.4% n/a 110 6.6% n/a
1997年03月期 連結 1,934 +15.7% n/a 153 7.9% n/a
1998年03月期 連結 1,934 0.0% n/a 123 6.4% n/a
1999年03月期 連結 2,012 +4.0% n/a 178 8.8% n/a
2000年03月期 連結 2,011 ▲0.0% n/a 207 10.3% n/a
2001年03月期 連結 2,368 +17.8% n/a 218 9.2% n/a
2002年03月期 連結 2,352 ▲0.7% 458 237 10.1% n/a

出所:会社年鑑、有価証券報告書

出典・参考

8件
出典・参考
  • HOYA アニュアルレポート 2002(トップメッセージ)
  • HOYA 有価証券報告書 2006年3月期「役員の状況」
  • HOYA 有価証券報告書 2025年3月期「沿革」
  • 日経ビジネス 1992年6月8日号
  • 日経ビジネス 1995年10月2日号
  • 証券アナリストジャーナル 1997年11月号(35巻11号)(鈴木哲夫)
  • 日経ビジネス 1998年1月19日号
  • じゅん刊世界と日本 973号(2002年)「連続インタビュー(5) 経営者は自己責任の徹底を――HOYA株式会社名誉会長 鈴木哲夫」

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