サイゼリヤ:誰も出たがらない立地への多店舗展開と吉川工場の新設
1977年〜投資額に対する利益率で出店地を決める
1977年12月、千葉県市川市に第3号店となる市川北口店を開店し、多店舗化に着手した。同じ時期に仕入の強化にも手をつけている。正垣氏が出店先として挙げたのは、売上の見通しが立てられ、しかも他社が避けがちな条件の悪い立地だった。開業から10年が過ぎて店を増やそうという時期、どこに出すべきかを尋ねられての答えで、まず投資額の20%以上の経常利益を見込めることを条件に置いていた。場所の良し悪しを基準にしなかったのは、悪い立地ならそれだけ投じる資金が少なくて済むという単純な理由による。
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [1]1977年12月、千葉県市川市に第3号店となる「市川北口店」を開店し多店舗化に着手
- [2]多店舗展開と同時に仕入を強化した
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [3]出店先は売上予測ができる所であり、どちらかと言えば誰も手をつけたがらない立地条件の悪い所だとする正垣氏の説明
- [4]出店先は投資額に対して20%以上の経常利益が出る所だとする正垣氏の説明
- [5]立地条件の悪い所を選ぶ理由は投資コストが安いからだとする正垣氏の説明
正垣氏が商売の条件に据えたのは総資本利益率20%以上で、これを回転率2以上と売上高経常利益率10%以上の掛け合わせで達成するという組み立てだった。回転率とは総資本に対する売上の比率を指し、1億円を投じて2億円を売り上げられない場所には出店しない。好立地を避ける理由も同じ分解で説明がつき、立地が良ければ固定費が膨らんで損益分岐点もその分上に押し上げられる。投下資本に見合う利益を出店の目安とする考えは、1993年の取材でも同じ表現で語られた。条件の悪い場所でも客が集まるのは値段を相場の半分に抑えているからであり、出店の方針は価格の方針と組になって機能していた。
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [6]総資本利益率を20%以上出すことを商売の条件とし、そのために回転率を2以上、売上高経常利益率を10%以上にする
- [7]回転率が2以上になる所、すなわち1億円投資したら2億円の売上を上げられる所以外には店を出さない
- [8]立地条件のよい所は固定費がかさみ、損益分岐点をその分押し上げる
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [9]出店の目安は投下資本に対する利益が確保できるかどうかだとする正垣氏の説明(1993年)
1981年4月、千葉県船橋市にショッピングセンター第1号店となる船橋ららぽーとららぐるめ店を開店した。もっとも正垣氏は、生鮮三品を買いに来る客が主のショッピングセンターでは本来レストランは成り立たないと見ていた。買い物客以外を独自に呼ぶには、7割引きにするなど思い切って値打ちを出す必要がある。そこまでやればサイゼリヤはショッピングセンター同士の争奪の対象になる、という読みだった。経営不振で撤退した店を引き継ぐ出店も多く、頼まれるから引き継ぐのだと正垣氏は述べている。客がすでに付いている分だけ物理的に楽な面もあるという説明で、他社が投じた店舗投資を安く拾う形になった。
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [10]1981年4月、千葉県船橋市にショッピングセンター第1号店となる「船橋ららぽーとららぐるめ店」を開店
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [11]ショッピングセンター内は生鮮三品を買いに来る客が主で、本来レストランは成り立たないとする正垣氏の見方
- [12]買い物客以外を呼ぶには7割引きにするなど思い切って値打ちを出す必要があり、そうすればショッピングセンター同士の争奪の対象になるとする正垣氏の説明
- [13]船橋ららぽーと店をはじめ経営不振で撤退した店を引き継いだ所が多く、頼まれるから引き継ぐと正垣氏が述べた
- [14]撤退店の引き継ぎは客がすでに付いている分だけ物理的に楽な面もあるとする正垣氏の説明
参考文献[1]-[14]
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [1]1977年12月、千葉県市川市に第3号店となる「市川北口店」を開店し多店舗化に着手
- [2]多店舗展開と同時に仕入を強化した
- [10]1981年4月、千葉県船橋市にショッピングセンター第1号店となる「船橋ららぽーとららぐるめ店」を開店
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [3]出店先は売上予測ができる所であり、どちらかと言えば誰も手をつけたがらない立地条件の悪い所だとする正垣氏の説明
- [4]出店先は投資額に対して20%以上の経常利益が出る所だとする正垣氏の説明
- [5]立地条件の悪い所を選ぶ理由は投資コストが安いからだとする正垣氏の説明
- [6]総資本利益率を20%以上出すことを商売の条件とし、そのために回転率を2以上、売上高経常利益率を10%以上にする
- [7]回転率が2以上になる所、すなわち1億円投資したら2億円の売上を上げられる所以外には店を出さない
- [8]立地条件のよい所は固定費がかさみ、損益分岐点をその分押し上げる
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [9]出店の目安は投下資本に対する利益が確保できるかどうかだとする正垣氏の説明(1993年)
- [11]ショッピングセンター内は生鮮三品を買いに来る客が主で、本来レストランは成り立たないとする正垣氏の見方
- [12]買い物客以外を呼ぶには7割引きにするなど思い切って値打ちを出す必要があり、そうすればショッピングセンター同士の争奪の対象になるとする正垣氏の説明
- [13]船橋ららぽーと店をはじめ経営不振で撤退した店を引き継いだ所が多く、頼まれるから引き継ぐと正垣氏が述べた
- [14]撤退店の引き継ぎは客がすでに付いている分だけ物理的に楽な面もあるとする正垣氏の説明
1987年〜立地を替えて商圏を拡大し、人時生産性で店を測る
1987年3月、創業の地である千葉県市川市本八幡に駅ビル第1号店となるシャポー本八幡店を開店した。同年4月には商号を株式会社マリアーノに変更し、10月には市川北口店で手書きのオーダーをオーダーエントリーシステムへ切り替えた。1989年9月には千葉県柏市にロードサイド店の第1号となる柏水戸街道店を開店している。ショッピングセンター、駅ビル、ロードサイドと店の業態を替えるたび、サイゼリヤが相手にする商圏の形も変わった。1992年6月に札幌市厚別区の新札幌駅ビル店で50店舗、1994年7月に神奈川県藤沢市の江ノ島店で100店舗に達した。
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [15]1987年3月、創業の地である千葉県市川市本八幡に駅ビル第1号店となる「シャポー本八幡店」を開店
- [16]1987年4月、商号を株式会社マリアーノに変更
- [17]1987年10月、市川北口店で手書きオーダーからオーダーエントリーシステムに変更
- [18]1989年9月、千葉県柏市にロードサイド店第1号店となる「柏水戸街道店」を開店
- [19]1992年6月、札幌市厚別区に50店舗目となる「新札幌駅ビル店」を開店
- [20]1994年7月、神奈川県藤沢市に100店舗目となる「江ノ島店」を開店
正垣氏が管理の物差しにしたのは、1人1時間当たりの粗利益高を示す人時生産性だった。働く時間が何百時間にも及ぶ者がいるため、1人当たりの数字では管理が利かない。1時間当たりにすれば、労働時間の長短にかかわらず正確に測れる。粗利益率では他社を上回らないのに経常利益率で大きく差をつけている点について問われると、正垣氏は、従業員が無駄を省いて効率よく動いていることを挙げた。仕事の原点を動作、その集まりを作業と定義し、初歩・基礎・熟練の別に分けて200ほどの項目に落とし、時間を計りながら習得させた。人時生産性が5000円あれば、年間労働時間2000時間として1人当たり年1000万円になるという計算である。
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [21]人時生産性とは1人1時間当たりの粗利益高である
- [22]何百時間も働く者がいるため1人当たりではマネジメントコントロールができず、1時間当たりなら何時間働こうと正確に出るとする正垣氏の説明
- [23]粗利益は他社と比べて高くないのに経常利益が比較にならぬほど高い理由は、人が効率的に無駄なく働いているからだとする正垣氏の説明
- [24]仕事の原点を動作、その集まりを作業と定義し、初歩的・基礎的・熟練を要するものに分けて200ほどの作業項目を作り、時間を計りながら習得させた
- [25]人時生産性が5000円あれば年間労働時間2000時間として年間1人当たり1000万円になる
昇給は年1〜2回の定期ではなく随時行い、給与は各人が何を実行し、指示どおりの成果を上げたかに応じて払った。必ず守るべきことと決してしてはならないことを細部まで書き出した文書を、サイゼリヤはマニュアルでなく昇給教科書と名づけた。社員の給与は誰が見ても分かるようにしてあり、本人に何が欠けているかがはっきりするので教育もしやすいと正垣氏は語り、店長には稼働計画コントロールという職務を与えて、売上高経常利益率と売上高人件費率の目標を達成できたかどうかを給与に反映させた。同じ勤続年数で同業他社の1.8倍の給与を払いながら利益率は業界で最も高いという状態が、この成果給で成り立っていた。1992年9月に商号を株式会社サイゼリヤへ変更し、1993年8月期の売上高は98億円に達した。
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [26]給料は何をやったか、言われた通りの結果を出したかどうかで支払い、昇給は年1〜2回ではなく随時とした
- [27]絶対にやるべきこと、やってはいけないことを細部にわたって文書にしたものをマニュアルと呼ばず「昇給教科書」と呼んだ
- [28]社員の給料は誰にでも分かるようにしてあり、自分に何が足りないかが明確なので教育もしやすいとする正垣氏の説明
- [30]同じ勤続年数で同業他社の1.8倍の給与を払いながら利益率は業界で一番だとする正垣氏の説明
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [29]店長の主な職務5項目の1つが「稼働計画コントロール」で、売上高経常利益率を10%以上にする、売上高人件費率を何%にするといった目標を達成すると給与に反映される仕組み
- [32]1993年8月期の売上高は98億円
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [31]1992年9月、商号を株式会社サイゼリヤに変更
参考文献[15]-[32]
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [15]1987年3月、創業の地である千葉県市川市本八幡に駅ビル第1号店となる「シャポー本八幡店」を開店
- [16]1987年4月、商号を株式会社マリアーノに変更
- [17]1987年10月、市川北口店で手書きオーダーからオーダーエントリーシステムに変更
- [18]1989年9月、千葉県柏市にロードサイド店第1号店となる「柏水戸街道店」を開店
- [19]1992年6月、札幌市厚別区に50店舗目となる「新札幌駅ビル店」を開店
- [20]1994年7月、神奈川県藤沢市に100店舗目となる「江ノ島店」を開店
- [31]1992年9月、商号を株式会社サイゼリヤに変更
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [21]人時生産性とは1人1時間当たりの粗利益高である
- [22]何百時間も働く者がいるため1人当たりではマネジメントコントロールができず、1時間当たりなら何時間働こうと正確に出るとする正垣氏の説明
- [23]粗利益は他社と比べて高くないのに経常利益が比較にならぬほど高い理由は、人が効率的に無駄なく働いているからだとする正垣氏の説明
- [24]仕事の原点を動作、その集まりを作業と定義し、初歩的・基礎的・熟練を要するものに分けて200ほどの作業項目を作り、時間を計りながら習得させた
- [25]人時生産性が5000円あれば年間労働時間2000時間として年間1人当たり1000万円になる
- [26]給料は何をやったか、言われた通りの結果を出したかどうかで支払い、昇給は年1〜2回ではなく随時とした
- [27]絶対にやるべきこと、やってはいけないことを細部にわたって文書にしたものをマニュアルと呼ばず「昇給教科書」と呼んだ
- [28]社員の給料は誰にでも分かるようにしてあり、自分に何が足りないかが明確なので教育もしやすいとする正垣氏の説明
- [30]同じ勤続年数で同業他社の1.8倍の給与を払いながら利益率は業界で一番だとする正垣氏の説明
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [29]店長の主な職務5項目の1つが「稼働計画コントロール」で、売上高経常利益率を10%以上にする、売上高人件費率を何%にするといった目標を達成すると給与に反映される仕組み
- [32]1993年8月期の売上高は98億円
1997年〜吉川工場へ店の仕事の半分を移管する
正垣氏は、店の生産性を高めるにはチェーンを広げ、カミッサリーと呼ぶ工場と配送を兼ねた拠点を設けて、店でしていた作業の半分をそちらへ移すほかにないと、業界の構造から判断していた。その前提には、外食の生産性は1人当たりで見て極端に低いという認識があった。米国を除けば業者はどこも零細企業にとどまり、社員が40歳を迎えるころには人件費を払いきれなくなる。工場で作れば味が落ちるという考えは、正垣氏の採るところではなかった。素材が良ければ検品と加工をまとめて行うほうがかえって品質を保ちやすく、味とコスト削減の両立もかなうとの判断である。味の9割は素材で決まるという見方が、ここで工場の設計の考え方に置き換わった。
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- [33]店の生産性を上げるにはチェーンを展開し、さらにカミッサリーを作って店の仕事の半分をそこに集中することだとする正垣氏の説明
- [34]フードサービスの1人当たり生産性は極めて低く、米国以外はすべて零細企業で社員が40歳になると人件費が出せないとする正垣氏の説明
- 日経ビジネス 1999年12月13日号(通巻1020号)
- [35]よい素材さえあれば工場で集中検品と集中加工をしたほうが品質を保て、おいしさとコスト削減を両立できると正垣氏が考えた
1997年10月、埼玉県吉川市旭2番地5に吉川工場を建設し、同時に本社を同地へ移した。工場では生野菜を調理して賞味期限の短いソースなどを作り、委託倉庫から運び込む輸入パスタやオリーブ油とあわせて店舗へ一括配送した。生野菜の8〜9割は生産者から直接仕入れた。本部から収穫量を指示された契約農家が気温の低い早朝に収穫し、2時間後には冷蔵車へ積み込む。午前9時ごろ工場に着いた野菜は、その日の夜に各店へ配送された。収穫の翌日に食卓へ上るまで、温度は常に5℃前後に保たれた。生産管理の技術を持つ堀田康紀氏を食品メーカーから招き、製造業の工程管理を店舗作業へ持ち込んだ。
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [36]1997年10月、埼玉県吉川市旭2番地5に吉川工場を建設し、同時に本社を同地に移転
- 日経ビジネス 1999年12月13日号(通巻1020号)
- [37]カミッサリーでは生野菜を調理し賞味期限の短いソースなどを作るほか、委託倉庫から運び込まれる輸入パスタやオリーブ油とあわせて店舗へ一括配送する
- [38]食材は生産者から直接仕入れ、その比率は生野菜で80〜90%に上る
- [39]本部から収穫量を指示された契約農家が気温の低い早朝に収穫し、2時間後に集荷場から冷蔵車へ積み込み、午前9時ごろ加工工場に到着、その日の夜には冷蔵車で各店舗へ配送する
- [40]収穫された翌日にはサラダとなって食卓に上る。この間、温度は常に5℃前後に保たれている
- [41]生産管理技術を持つ堀田康紀氏を食品メーカーからスカウトし、製造業並みの工程管理を店舗に持ち込んだ
工場用地として4万坪はすでに手当てしてあり、最後の資金繰りは株式の上場で賄うというのが1993年時点の正垣氏の構想だった。1998年4月、サイゼリヤは日本証券業協会に株式を店頭登録した。食生活の改善を、正垣氏は60年計画と位置づけていた。投資リターン20%、自己資本比率30%以上の維持を経営の考え方に据え、総資本経常利益率を20.7%で管理しているとも同社は説明した。創業から30年目のこの時期には、大卒者を毎年採るようになり株式も公開し、工場と配送拠点を兼ねた施設づくりを進めていた。その工場が動き出すと、宣伝らしい宣伝もないままサラダの売上高は40%増え、値段で集めた客を素材の質で離さない仕組みがひとまず整った。
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [42]1000店舗に向けて日本最大級の総合食品工場を建設するため4万坪の土地をすでに手当てしており、最後の資金繰りは株式の上場で賄うと正垣氏が述べた
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [43]1998年4月、日本証券業協会に株式を店頭登録
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- [44]経営コンセプトは投資リターン20%・自己資本30%以上の維持であり、総資本経常利益率は20.7%にコントロールされている
- [45]食生活の改善を60年計画で始め、現在30年で大卒の定期採用と株式公開を果たし、工場兼配送拠点のカミッサリーを作りつつあると正垣氏が述べた
- 日経ビジネス 1999年12月13日号(通巻1020号)
- [46]1997年10月にこのシステムを導入した結果、特に宣伝もしなかったサラダの売り上げが40%伸びた
参考文献[33]-[46]
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- [33]店の生産性を上げるにはチェーンを展開し、さらにカミッサリーを作って店の仕事の半分をそこに集中することだとする正垣氏の説明
- [34]フードサービスの1人当たり生産性は極めて低く、米国以外はすべて零細企業で社員が40歳になると人件費が出せないとする正垣氏の説明
- [44]経営コンセプトは投資リターン20%・自己資本30%以上の維持であり、総資本経常利益率は20.7%にコントロールされている
- [45]食生活の改善を60年計画で始め、現在30年で大卒の定期採用と株式公開を果たし、工場兼配送拠点のカミッサリーを作りつつあると正垣氏が述べた
- 日経ビジネス 1999年12月13日号(通巻1020号)
- [35]よい素材さえあれば工場で集中検品と集中加工をしたほうが品質を保て、おいしさとコスト削減を両立できると正垣氏が考えた
- [37]カミッサリーでは生野菜を調理し賞味期限の短いソースなどを作るほか、委託倉庫から運び込まれる輸入パスタやオリーブ油とあわせて店舗へ一括配送する
- [38]食材は生産者から直接仕入れ、その比率は生野菜で80〜90%に上る
- [39]本部から収穫量を指示された契約農家が気温の低い早朝に収穫し、2時間後に集荷場から冷蔵車へ積み込み、午前9時ごろ加工工場に到着、その日の夜には冷蔵車で各店舗へ配送する
- [40]収穫された翌日にはサラダとなって食卓に上る。この間、温度は常に5℃前後に保たれている
- [41]生産管理技術を持つ堀田康紀氏を食品メーカーからスカウトし、製造業並みの工程管理を店舗に持ち込んだ
- [46]1997年10月にこのシステムを導入した結果、特に宣伝もしなかったサラダの売り上げが40%伸びた
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [36]1997年10月、埼玉県吉川市旭2番地5に吉川工場を建設し、同時に本社を同地に移転
- [43]1998年4月、日本証券業協会に株式を店頭登録
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [42]1000店舗に向けて日本最大級の総合食品工場を建設するため4万坪の土地をすでに手当てしており、最後の資金繰りは株式の上場で賄うと正垣氏が述べた
1977年〜1997年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1977年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1978年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1979年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1980年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1981年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1982年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1983年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1984年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1985年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1986年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年08月期 | 単体 | 27 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年08月期 | 単体 | 38 | +40.7% | n/a | n/a | n/a |
| 1991年08月期 | 単体 | 51 | +34.2% | n/a | n/a | n/a |
| 1992年08月期 | 単体 | 68 | +33.3% | n/a | n/a | n/a |
| 1993年08月期 | 単体 | 98 | +44.1% | n/a | n/a | n/a |
| 1994年08月期 | 単体 | 136 | +38.8% | 8 | 6.0% | n/a |
| 1995年08月期 | 単体 | 145 | +6.6% | 8 | 5.6% | n/a |
| 1996年08月期 | 単体 | 161 | +11.0% | 6 | 3.9% | n/a |
| 1997年08月期 | 単体 | 194 | +20.5% | 9 | 4.8% | n/a |
出所:戦略経営者 9(3)、証券 51(9)
出典・参考
5件
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- 日経ビジネス 1999年12月13日号(通巻1020号)