サイゼリヤ:正垣泰彦の飲食店開業と6〜7割引の低価格イタリア料理店への転換
1967年〜本八幡の火災と、ゼロから大きくできる商売という選択
1967年7月、創業者の正垣泰彦氏が個人店舗「レストラン・サイゼリヤ」を開店した。東京理科大学物理学科の4年に在学中で、店を構えたのは市川市の本八幡、開店日は7月7日の仏滅だったと正垣氏はふり返った。初めは大学の研究室に残るつもりでいたが、卒業論文のため国の研究所へ通ううち、これを一生やる仕事ではないと考えを変えた。かといって別の就職先を探すには時期が遅すぎていた。そこで正垣氏が目をつけたのが食べ物屋で、小さくてもやり方しだいで大資本と競える店にできると考えた。ゼロから出発して大きくなれることが、業種を選ぶ際の基準だった。
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [1]創業者は正垣泰彦。1967年7月より個人店舗「レストラン サイゼリヤ」を経営
- [2]個人店舗の屋号は「レストラン サイゼリヤ」
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [3]東京理科大学物理学科4年のとき、市川市の本八幡で7月7日の仏滅の日に開店したと正垣氏が語った
- [4]当初は研究室に残る考えだったが、卒論で通った国の研究所での日々から研究職を選ばなかった
- [7]ゼロから出発して大きくなるには食べ物屋がよいと考え、在学中に開業した
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [5]研究職をやめてどこか別の所に就職しようにも、すでに時期が遅すぎていた
- [6]たとえ小さくてもやり方しだいでは大資本に負けない店にできると考えて食べ物屋に目をつけた
1968年4月8日の夜、開業1年目の店で起きたヤクザ同士のけんかの最中に石油ストーブが投げ合われ、そこから出た火で店は全焼した。その店とは、周囲の反対を押し切って千葉県市川市に開いた10坪ほどの小さなレストランである。本八幡の同じ場所で再建しても客は入らず、駅前に立ってプラカードで客を呼ぶところまで正垣氏は追い込まれた。1973年5月の株式会社マリアーヌ商会の設立で事業は法人となり、イタリアンレストラン「サイゼリヤ」の経営もこの年に始まったが、客足の乏しさという問題は法人化で解けたわけではなかった。
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [8]開業1年目の4月8日の夜、店内でヤクザ同士がけんかを始めた
- [9]投げ合われた石油ストーブが火元となり店は全焼した
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [10]東京理科大学物理学科4年在学中に千葉県市川市で10坪ほどの小さなレストランを始めた。周囲の反対を押し切っての開業だった
- [11]開業当初は客が来ず、プラカードを持って駅前で呼び込みをした
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [12]1973年5月に㈱マリアーヌ商会(現・株式会社サイゼリヤ)を設立し、正垣泰彦が代表取締役社長に就任
- [13]1973年5月、イタリアンレストラン「サイゼリヤ」の経営を開始
東京理科大学物理学科の4年生だった1968年に店を始め、1973年に法人へ改めたのが正垣氏の経歴である。本人は、味の世界に物理の法則を当てはめることを自らの使命に挙げた。仮説を置いて検証するという手順を、商売にそのまま持ち込んだわけである。調査にかける執着も強く、米国やイタリアを含む各地で毎年同じ時期に同じ場所を見て回り、自身をこれほど調べることを好む者は珍しいと評していた。1994年、関東を中心に84店を構えていた段階でも、正垣氏はサイゼリヤを仮説に基づく実験の場だと語っている。店の不振を気構えの問題とせず変数として扱うこの姿勢が、のちに値付けを決めるやり方の土台となった。
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [14]正垣泰彦は1947年1月6日東京都生まれ。1968年に東京理科大学物理学科4年在学中にサイゼリヤを興し、1973年に法人化した
- [15]自分が世の中に対して言えることがあるとすれば物理の法則を味の世界に用いることだと正垣氏が語った
- [17]1994年3月時点で関東地区を中心に84のイタリア料理店を展開。仮説に基づいて実験しているのが今のサイゼリヤだと紹介された
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- [16]イタリアと米国を含め毎年同じ時期に同じ場所を調査してきた、自分でも珍しい調査好きの人間だと正垣氏が述べた
参考文献[1]-[17]
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- [1]創業者は正垣泰彦。1967年7月より個人店舗「レストラン サイゼリヤ」を経営
- [2]個人店舗の屋号は「レストラン サイゼリヤ」
- [12]1973年5月に㈱マリアーヌ商会(現・株式会社サイゼリヤ)を設立し、正垣泰彦が代表取締役社長に就任
- [13]1973年5月、イタリアンレストラン「サイゼリヤ」の経営を開始
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [3]東京理科大学物理学科4年のとき、市川市の本八幡で7月7日の仏滅の日に開店したと正垣氏が語った
- [4]当初は研究室に残る考えだったが、卒論で通った国の研究所での日々から研究職を選ばなかった
- [7]ゼロから出発して大きくなるには食べ物屋がよいと考え、在学中に開業した
- [8]開業1年目の4月8日の夜、店内でヤクザ同士がけんかを始めた
- [9]投げ合われた石油ストーブが火元となり店は全焼した
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [5]研究職をやめてどこか別の所に就職しようにも、すでに時期が遅すぎていた
- [6]たとえ小さくてもやり方しだいでは大資本に負けない店にできると考えて食べ物屋に目をつけた
- [10]東京理科大学物理学科4年在学中に千葉県市川市で10坪ほどの小さなレストランを始めた。周囲の反対を押し切っての開業だった
- [11]開業当初は客が来ず、プラカードを持って駅前で呼び込みをした
- [14]正垣泰彦は1947年1月6日東京都生まれ。1968年に東京理科大学物理学科4年在学中にサイゼリヤを興し、1973年に法人化した
- [15]自分が世の中に対して言えることがあるとすれば物理の法則を味の世界に用いることだと正垣氏が語った
- [17]1994年3月時点で関東地区を中心に84のイタリア料理店を展開。仮説に基づいて実験しているのが今のサイゼリヤだと紹介された
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- [16]イタリアと米国を含め毎年同じ時期に同じ場所を調査してきた、自分でも珍しい調査好きの人間だと正垣氏が述べた
1973年〜食べる順番と組み合わせという仮説
開業から5年を経た1973年、正垣氏は本当にうまい料理とは何かという問いを立て、アメリカ・フランス・ギリシャ・イタリアなどを訪ね歩いた。イタリアの「マリアーノ」という店で出された料理には驚いた。ところが食後に出された酒をひどくまずいと感じ、なぜこんな酒を最後に出すのかと主人に抗議した。主人は、日本人は食べる順序がまったく分かっていないと応じ、毎日来るようにと言った。何日か通ううち、正垣氏はその食後酒をうまいと感じるようになった。食後酒は一種の胃薬であり、食前酒から食後酒まで順に運べば全体として満足できるよう工夫されているという理解に、正垣氏はここで行き着いた。イタリア料理は前菜に始まり、パスタやスープ、魚か肉の料理、デザート、コーヒーと、食べる順番とその組み合わせが決まっている。
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [18]1973年、正垣氏は美味しい物とは何かを探してアメリカ・フランス・ギリシャ・イタリアなどを訪ね歩いた。市川市で店を始めてから5年後にあたる
- [19]イタリアの「マリアーノ」という店で料理に驚いた一方、食後酒をまずいと感じて主人に抗議した
- [20]主人に日本人は食べる順序が分かっていないと言われ、何日か通ううちにその食後酒を美味しいと感じるようになった
- [22]イタリア料理はアンチパスト(前菜)に始まり、プリモピアット(パスタ・スープなど)、セコンドピアット(魚料理か肉料理)、デザート、コーヒーと食べる順番と組み合わせが決まっている
- 2020 AIM 1992年「コンセプトビジネス最前線──正垣泰彦氏(イタリアンレストラン・サイゼリヤ社長)の巻」
- [21]食後酒は一種の胃薬で、食前酒から食後酒まできちんと順に食べていくとトータルで満足できるよう工夫されていると気づいた
1993年に正垣氏が示した味の内訳は、素材が80〜90%、温度と湿度の管理が5〜10%、コックの作業が5〜10%というものだった。1998年の講演ではこれが素材90%、保管管理5%、調理5%へと組み直されている。どちらの配分も、味の良し悪しを左右するのは素材だという正垣氏の見方に立つ。昔からの食べ方を世界で今も保っている料理はイタリア料理のほかにないとし、その訳を、調理に手間をかけずに済むことと、素材をそのまま口にするので飽きられないことに求めた。味が素材で決まる以上、店から調理の腕を抜いても品質は下がらない、という理屈になる。店の作業を削って工場に寄せる後年の設計は、この配分の見立てを根拠にしていた。
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [23]味は素材で決まり、素材80〜90%・温湿度管理5〜10%・コック作業5〜10%(1993年時点の説明)
- [25]食べ方が昔から変わらないのはイタリア料理だけで、理由は調理に手間を掛けなくてよいこと
- [26]飽きずに継続して食べるには原材料をそのまま食べることだとする正垣氏の説明
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- [24]1998年4月24日の講演では、うまいものは素材90%・保管管理5%・調理5%と説明
イタリア料理へ向かうもう一つの手がかりは、市場の伸びの観察だった。130%という伸びを示すトマト・スパゲティと溶けるチーズに目を留めたことが、正垣氏をイタリア料理へ導いた。正垣氏の回想では、それ以前、戦後の食材で最大の伸びを見せたのはにんにく、テレビ広告の量で首位だったのは味噌で、唐辛子を効かせれば売れるとも考えたが、辛さを売り物にする道では札幌ラーメンが先に走っていた。中華料理は素材の弱さを甘辛い味付けで補っているとみていたことも、この選択の裏付けになった。一方で、イタリア料理のチェーンは世界のどこにも見当たらず、米国のオリーブ・ガーデンでさえ一皿で完結する形で、素材ごとに量を分けるポーションにはなっていないと正垣氏は見ていた。
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- [27]130%の伸びを示していたトマト・スパゲティと溶けるチーズからイタリア料理を考えた
- [28]戦後最も伸びていた食材はにんにく、テレビ宣伝が最も多かったのは味噌だった
- [29]唐辛子を入れれば食物は売れると考えたが、当時すでに札幌ラーメンが流行していた
- [31]イタリア料理のチェーンは世界中どこにもなく、米国のオリーブ・ガーデンも素材別ポーションでなく一皿完結だとする正垣氏の見方
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [30]中華料理は古くから続くが素材によいものがないため甘辛く味をつけている、甘辛さは人間の舌を最もごまかせる味だとする正垣氏の説明
参考文献[18]-[31]
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [18]1973年、正垣氏は美味しい物とは何かを探してアメリカ・フランス・ギリシャ・イタリアなどを訪ね歩いた。市川市で店を始めてから5年後にあたる
- [19]イタリアの「マリアーノ」という店で料理に驚いた一方、食後酒をまずいと感じて主人に抗議した
- [20]主人に日本人は食べる順序が分かっていないと言われ、何日か通ううちにその食後酒を美味しいと感じるようになった
- [22]イタリア料理はアンチパスト(前菜)に始まり、プリモピアット(パスタ・スープなど)、セコンドピアット(魚料理か肉料理)、デザート、コーヒーと食べる順番と組み合わせが決まっている
- 2020 AIM 1992年「コンセプトビジネス最前線──正垣泰彦氏(イタリアンレストラン・サイゼリヤ社長)の巻」
- [21]食後酒は一種の胃薬で、食前酒から食後酒まできちんと順に食べていくとトータルで満足できるよう工夫されていると気づいた
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [23]味は素材で決まり、素材80〜90%・温湿度管理5〜10%・コック作業5〜10%(1993年時点の説明)
- [25]食べ方が昔から変わらないのはイタリア料理だけで、理由は調理に手間を掛けなくてよいこと
- [26]飽きずに継続して食べるには原材料をそのまま食べることだとする正垣氏の説明
- [30]中華料理は古くから続くが素材によいものがないため甘辛く味をつけている、甘辛さは人間の舌を最もごまかせる味だとする正垣氏の説明
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- [24]1998年4月24日の講演では、うまいものは素材90%・保管管理5%・調理5%と説明
- [27]130%の伸びを示していたトマト・スパゲティと溶けるチーズからイタリア料理を考えた
- [28]戦後最も伸びていた食材はにんにく、テレビ宣伝が最も多かったのは味噌だった
- [29]唐辛子を入れれば食物は売れると考えたが、当時すでに札幌ラーメンが流行していた
- [31]イタリア料理のチェーンは世界中どこにもなく、米国のオリーブ・ガーデンも素材別ポーションでなく一皿完結だとする正垣氏の見方
1975年〜相場の半値という値付けの根拠
値段を下げると客が来る、という経験則を正垣氏は人類の法則と呼んだ。正垣氏は1992年の時点で、今後も値段は上げず、逆に下げる努力を続けると打ち出していた。値下げをしない限り商圏人口は縮まない、というのがその理由である。客の来店頻度も価格で動くとみており、1年に1回訪れる客は安くすれば1年に2回に増え、高くすれば2年に1回へ減ると述べ、品質が同じでもう一段安くすれば客は必ず足を運ぶとも言った。店の商圏を地理の広がりではなく値段で決まるものとして捉える見方であり、1975年ごろに全品を大幅に値下げして低価格のイタリア料理店へ業態を切り替えた判断も、この前提の上にあった。
- 2020 AIM 1992年「コンセプトビジネス最前線──正垣泰彦氏(イタリアンレストラン・サイゼリヤ社長)の巻」
- [32]サイゼリヤはこれからも値段を上げずむしろ下げる努力をする、下げない限り商圏人口は小さくならないと正垣氏が述べた
- [33]安くすると客が多く来る。1年に1回の客は安くすれば1年に2回来て、高くすれば2年に1回になるとする正垣氏の説明
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [34]同じ品質ならもう1つ値段が安ければ客は必ず来るとする正垣氏の説明
では、いくら下げれば安いと感じられるのか。正垣氏はこれを売り手と買い手の折り合いとして説明した。1000円で売りたい売り手と200円で買いたい買い手が議論しても水掛け論になる。足して2で割れば600円となり、互いに400円ずつ譲ったことになる。片方が601円でも人は感情的にむきになるのであって、ちょうど半分にすることが要点だと正垣氏は述べた。ここから、人が見て安いと感じるのは仕組みとして5割引以下であり、5割以下のメニューを作れることがサイゼリヤの条件になった。1000円のものなら500円以下、前の店より5割安く売ればよいという単純な指針で、メニューは全品5割引に置かれた。
- 2020 AIM 1992年「コンセプトビジネス最前線──正垣泰彦氏(イタリアンレストラン・サイゼリヤ社長)の巻」
- [35]1000円で売りたい売り手と200円で買いたい買い手は足して2で割った600円で折り合い、互いに400円ずつ譲ったことになるとする正垣氏の説明
- [36]一方が601円でも人は感情的にむきになる。ちょうど半分にするのがベニス商法だとする正垣氏の説明
- [37]人が安いと感じるのはシステムとして5割引以下であり、5割以下のメニューを作れることがサイゼリヤのメニューだとする正垣氏の説明
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [38]いくらで売れば安いかといえば1000円のものなら500円以下。前の店より5割安く売ればよいとする正垣氏の説明
- [39]サイゼリヤのメニューは全部5割引で、5割下げると来店の頻度も高くなる
下げ幅の次に決めたのは、1品の絶対額だった。数字には必ず尺度があり、その倍の所で物事の値段が決まっていると正垣氏は考えた。人が考えずに払える食べ物の値段は、どの国へ行ってもほぼ同じ水準にあるタバコと雑誌の値段の倍である。1993年の時点で最も売れている週刊誌が190円、タバコが220円だった。1品単価を380円から440円の間に置けば客は自然に来る、という計算である。値引き幅を相場の半値に、絶対額を雑誌とタバコの倍に置く。二つの尺度で値付けを決める型が、業態転換の時点で固まった。基準となる相場はイタリアの値段ではなく、日本のリーズナブルな値段だった。
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [40]数字には必ず尺度があり、その数字の倍の所で物事の値段が決められているとする正垣氏の説明
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [41]人間が考えずに金を払う食べ物の値段は、どの国へ行っても値段のほぼ同じタバコや雑誌の倍だとする正垣氏の説明
- [42]1993年時点で最も売れている週刊少年ジャンプが190円、セブンスターが220円
- [43]1品単価を380円から440円の間に設定すれば自然に客は来るとする正垣氏の説明
- 2020 AIM 1992年「コンセプトビジネス最前線──正垣泰彦氏(イタリアンレストラン・サイゼリヤ社長)の巻」
- [44]5割引の基準はイタリアの値段ではなく日本のリーズナブルな値段に対してであり、結果的にイタリアで毎日食べている値段より安くなる
参考文献[32]-[44]
- 2020 AIM 1992年「コンセプトビジネス最前線──正垣泰彦氏(イタリアンレストラン・サイゼリヤ社長)の巻」
- [32]サイゼリヤはこれからも値段を上げずむしろ下げる努力をする、下げない限り商圏人口は小さくならないと正垣氏が述べた
- [33]安くすると客が多く来る。1年に1回の客は安くすれば1年に2回来て、高くすれば2年に1回になるとする正垣氏の説明
- [35]1000円で売りたい売り手と200円で買いたい買い手は足して2で割った600円で折り合い、互いに400円ずつ譲ったことになるとする正垣氏の説明
- [36]一方が601円でも人は感情的にむきになる。ちょうど半分にするのがベニス商法だとする正垣氏の説明
- [37]人が安いと感じるのはシステムとして5割引以下であり、5割以下のメニューを作れることがサイゼリヤのメニューだとする正垣氏の説明
- [44]5割引の基準はイタリアの値段ではなく日本のリーズナブルな値段に対してであり、結果的にイタリアで毎日食べている値段より安くなる
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- [34]同じ品質ならもう1つ値段が安ければ客は必ず来るとする正垣氏の説明
- [38]いくらで売れば安いかといえば1000円のものなら500円以下。前の店より5割安く売ればよいとする正垣氏の説明
- [39]サイゼリヤのメニューは全部5割引で、5割下げると来店の頻度も高くなる
- [41]人間が考えずに金を払う食べ物の値段は、どの国へ行っても値段のほぼ同じタバコや雑誌の倍だとする正垣氏の説明
- [42]1993年時点で最も売れている週刊少年ジャンプが190円、セブンスターが220円
- [43]1品単価を380円から440円の間に設定すれば自然に客は来るとする正垣氏の説明
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- [40]数字には必ず尺度があり、その数字の倍の所で物事の値段が決められているとする正垣氏の説明
出典・参考
5件
- 株式会社サイゼリヤ 有価証券報告書 第53期(2025年8月期)【沿革】
- あさひ銀総研レポート 2(7)(通巻76号)(あさひ銀総合研究所, 1993年7月)
- 戦略経営者 1994年3月号(通巻89号)「サイゼリヤ──イタリア料理の真髄を伝える正垣流経営の挑戦」
- 証券アナリストジャーナル 1998年5月号
- 2020 AIM 1992年「コンセプトビジネス最前線──正垣泰彦氏(イタリアンレストラン・サイゼリヤ社長)の巻」