山下俊彦

パナソニック・元取締役社長

Yamashita Toshihiko(敬称略)

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社長就任 1977年2月
生年月日 —
学歴 大阪市立泉尾工業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

松下電子工業で六年を過ごし、フィリップスの経理手法と管理手法を学んだ。赤字子会社ウエスト電気の再建を経て、クーラー事業部長から取締役へ進んだ現場派であった。1974年11月時点の大株主はモックスレイアンドカンパニー5.58%、住友銀行5.46%、住友生命保険4.39%、松下幸之助氏4.32%と並び、山下氏は上位10位に入らない。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1977年2月、取締役から社長へ就任した。序列で二十五番手からの抜擢で、相談役の松下幸之助氏が松下正治氏と高橋荒太郎会長との三人で決めている。オイルショック後の1975年11月期には売上高が前期の1兆1,612億円から1兆659億円へ減少し、経常利益も751億円から439億円へ減っていた。就任にあたって山下氏は幸之助氏に週に一日か二日の関与を求め、幸之助氏はこれに応じた。

在任中の主な施策
施策

就任の翌1978年、無線・電化機器・産業機器の三総括事業本部を廃し、事業部を社長へ直結させた。1979年1月には松下電池工業を設立して電池製造部門を切り出した。日本ビクターが1976年9月にVHS方式の市販を始めると、松下電器は量産力と全国の販売網でこれを後押しし、ソニーのベータマックスとの競争を制した。1984年にはテレビ・ビデオ・電化・情報機器の四本部からなる事業本部制が復活している。1985年7月には米国に金融子会社を設立した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1977〜1986年
在任中の業績
就任前(FY75)13,106億円
退任時-
変化-
就任前(FY75)4.2%
退任時-
変化-

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