規制緩和への対応
戦後の日本では、多くの産業で参入・価格・業務範囲を所管官庁が定めていた。外国企業の出資は外貨の制約の下で制限され、国内の通信は日本電信電話公社が独占し、電力会社は発電から送配電・小売までを一社で担った。損害保険の料率と株式の売買手数料も各社が自由には決められず、同じ業種の会社は同じ価格で同じ商品を販売していた。この体制では価格で競う余地が無い代わりに、新しい競争相手が現れる心配も小さかった。
規制の撤廃は、業種ごとに時期をずらして進んだ。1960年代の資本自由化で外国企業が国内へ進出できるようになり、1980年代の通信自由化と1991年の牛肉輸入自由化で、閉じていた国内市場に新しい参入者が現れた。1990年代後半の金融の自由化では生損保の相互参入が解禁され、1998年7月には損害保険の料率が完全に自由化された。電力では2016年の小売全面自由化に続いて、送配電部門の法的分離が求められた。
各社の対応は、迎え撃つか、自ら参入するかに分かれた。資本自由化を前に、コマツは品質の向上へ全社で集中してキャタピラーの上陸に備え、カゴメはデルモンテとの合弁を退けて契約栽培の国産原料で単独を通した。日本ハムは牛肉の輸入自由化を前に豪州で牧場と処理会社を買収し、肉牛の飼育から輸入までを自社で抱えた。通信では、京セラが第二電電の設立に中心的な出資者として加わり、NTTの独占に挑んだ。
損害保険では、料率の自由化を挟んで合併が相次いだ。三井海上は三社統合の枠から離れて住友海上と合併し、残る日本火災海上と興亜火災海上は日本興亜損害保険を発足させた。一方、首位の東京海上火災保険は直販へ進出せず、約8万の代理店網を残す方針を選んだ。証券では松井証券が定額制のボックス・レートを導入し、手数料を自由化前の固定手数料のほぼ10分の1に設定した。
規制の下では、各社は所管官庁が定めた業種の枠の中で同業他社と競っていた。現在は業種の枠を越えた参入が起きており、東京ガスはガスと電気のセット販売で家庭向けの電力販売に加わり、東北電力は送配電部門を別会社へ切り出した。経営者が決めなければならないのは、規制に守られていた事業のうちどの部門を自社に残し、どの市場で他業種の会社と競うかである。
財務諸表のどこを見るか
規制緩和への対応は、有価証券報告書の【沿革】と【事業の内容】に、新たに参入した事業や設立した子会社・合弁会社として現れる。合併や分社は【企業結合等関係】の注記で、承継した資産と負債の額を確かめる。料率や手数料の自由化の影響は、セグメント情報の売上高と営業収益の内訳の推移に出る。