第1章 年〜年

東京ガス:東京府からの瓦斯局払い下げと東京瓦斯会社の創立

1885年〜東京府瓦斯局を24万円で払い受け、東京瓦斯株式会社へ育てた渋沢栄一氏

1885年8月28日、瓦斯局長の渋沢栄一氏は副長の藤本精一氏と連名で、東京府知事に瓦斯局払下願を提出した。代金は24万円で、1888年1月までの6回に分けて1回4万円ずつ納める条件である。民営移管論の主な根拠は、瓦斯局の設備資金を江戸町民が災害に備えて積み立てた町会所共有金から出していたことにあった。府会は1881年に売却を決議したものの、渋沢栄一氏は経営の改善を先に進め、適正な価格で売却すべきだとして約4年間決定を延ばした。1885年7月、渋沢栄一氏は浅野総一郎氏・安田善次郎氏ら54名と払受け同盟を結成し、その代表に立った。瓦斯局の責任者が買い手の代表を兼ねた経緯からみて、売却の時期と引受人を渋沢栄一氏が自ら整えたとみられる。

  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「瓦斯局払下願(明治十八年八月二十八日)」
    • [1]1885年8月28日付で渋沢栄一・藤本精一が東京府知事渡辺洪基あてに払下願を提出。代金24万円を1885年8月から1888年1月まで6回、1回4万円で納める
    • [2]1885年8月28日付で渋沢栄一・藤本精一が東京府知事渡辺洪基あてに払下願を提出。代金24万円を1885年8月から1888年1月まで6回、1回4万円で納める
  • 東京ガス百年史(1986)一章 創立と明治期の経営
    • [3]1881年7月に東京府会が瓦斯局売却を決議、渋沢栄一は経営改善後の適正価格での払下げを主張して反対し、1885年6月に府会が24万円以上での売却を可決。民営移管の主な論拠は設備資金が町会所共有金から出ていたこと
    • [4]1881年7月に東京府会が瓦斯局売却を決議、渋沢栄一は経営改善後の適正価格での払下げを主張して反対し、1885年6月に府会が24万円以上での売却を可決。民営移管の主な論拠は設備資金が町会所共有金から出ていたこと
    • [5]1885年7月、渋沢栄一・藤本精一らが浅野総一郎・安田善次郎・大倉喜八郎ら54名で払受け同盟を結成し、代表として払下願を提出

1885年10月1日、払受け同盟は府瓦斯局で設備の引渡しを受け、東京瓦斯会社として創立した。8月27日に決めた創立要綱で払受期日を10月1日と定め、委員長には渋沢栄一氏が就任。創業時の資本金は27万円、株主は65名、需用家は343戸、日産の最大製造能力は9万立方フィートである。12月16日に府の営業許可が下り、全8条の命令書は瓦斯局の事業の継続を求めるだけで、道路の使用料には触れなかった。1886年1月の第1回株主総会は年1割の配当と、資本金を35万円とする増資を決めた。官営時代の設備と需用家を初日から引き継いだことで、創立直後から配当を出せる収益を確保できたと推察される。

  • 東京ガス百年史(1986)一章 創立と明治期の経営
    • [6]1885年8月27日の創立要綱で払受期日を10月1日と決定、10月1日に引渡しを受け東京瓦斯会社創立。資本金27万円・株主65名・需用家343戸・日産最大9万立方フィート。12月16日営業許可、命令書は全8条
    • [8]1885年8月27日の創立要綱で払受期日を10月1日と決定、10月1日に引渡しを受け東京瓦斯会社創立。資本金27万円・株主65名・需用家343戸・日産最大9万立方フィート。12月16日営業許可、命令書は全8条
    • [9]1885年8月27日の創立要綱で払受期日を10月1日と決定、10月1日に引渡しを受け東京瓦斯会社創立。資本金27万円・株主65名・需用家343戸・日産最大9万立方フィート。12月16日営業許可、命令書は全8条
  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [7]1885年10月東京瓦斯会社創立(資本金27万円、委員長渋沢栄一)。1886年1月第1回株主総会で配当年1割と資本金35万円への変更を決議
    • [10]1885年10月東京瓦斯会社創立(資本金27万円、委員長渋沢栄一)。1886年1月第1回株主総会で配当年1割と資本金35万円への変更を決議

1893年7月1日に商法が施行されると、東京瓦斯は定款を改め、7月23日に社名を東京瓦斯株式会社に改めた。1894年1月には委員制を取締役制に移し、取締役会長には渋沢栄一氏を互選。日清戦争後の好況で本所・深川の工場からガス引込みの申込みが相次ぎ、1896年11月の臨時株主総会は深川区猿江町に第3の工場を建てると決めた。増資は1896年7月の105万円から1904年1月の840万円まで5回を重ねた。1897年9月に本社を芝浜崎町から神田錦町へ移し、1898年11月完成の第3製造所は日産25万立方フィートの能力を備えた。1896年から1903年まで年1割4分から1割7分の配当を続けたことが、相次ぐ増資の引受けを支えたと思われる。

  • 東京ガス百年史(1986)一章 創立と明治期の経営
    • [11]1893年7月23日商号を東京瓦斯株式会社に変更。1896年11月臨時総会で深川区猿江町の第3工場建設と本社神田移転を決議、1897年9月本社移転、1898年11月第3製造所完成(日産25万立方フィート)。1896〜1903年の配当は年1割4分〜1割7分
    • [13]1893年7月23日商号を東京瓦斯株式会社に変更。1896年11月臨時総会で深川区猿江町の第3工場建設と本社神田移転を決議、1897年9月本社移転、1898年11月第3製造所完成(日産25万立方フィート)。1896〜1903年の配当は年1割4分〜1割7分
    • [15]1893年7月23日商号を東京瓦斯株式会社に変更。1896年11月臨時総会で深川区猿江町の第3工場建設と本社神田移転を決議、1897年9月本社移転、1898年11月第3製造所完成(日産25万立方フィート)。1896〜1903年の配当は年1割4分〜1割7分
  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [12]1893年7月社名を東京瓦斯株式会社に改称、1894年1月取締役制導入・取締役会長設置。資本金は1896年7月105万円、1898年1月140万円、1899年3月210万円、1900年7月420万円、1904年1月840万円への変更を決議
    • [14]1893年7月社名を東京瓦斯株式会社に改称、1894年1月取締役制導入・取締役会長設置。資本金は1896年7月105万円、1898年1月140万円、1899年3月210万円、1900年7月420万円、1904年1月840万円への変更を決議
参考文献[1]-[15]
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「瓦斯局払下願(明治十八年八月二十八日)」
    • [1]1885年8月28日付で渋沢栄一・藤本精一が東京府知事渡辺洪基あてに払下願を提出。代金24万円を1885年8月から1888年1月まで6回、1回4万円で納める
    • [2]1885年8月28日付で渋沢栄一・藤本精一が東京府知事渡辺洪基あてに払下願を提出。代金24万円を1885年8月から1888年1月まで6回、1回4万円で納める
  • 東京ガス百年史(1986)一章 創立と明治期の経営
    • [3]1881年7月に東京府会が瓦斯局売却を決議、渋沢栄一は経営改善後の適正価格での払下げを主張して反対し、1885年6月に府会が24万円以上での売却を可決。民営移管の主な論拠は設備資金が町会所共有金から出ていたこと
    • [4]1881年7月に東京府会が瓦斯局売却を決議、渋沢栄一は経営改善後の適正価格での払下げを主張して反対し、1885年6月に府会が24万円以上での売却を可決。民営移管の主な論拠は設備資金が町会所共有金から出ていたこと
    • [5]1885年7月、渋沢栄一・藤本精一らが浅野総一郎・安田善次郎・大倉喜八郎ら54名で払受け同盟を結成し、代表として払下願を提出
    • [6]1885年8月27日の創立要綱で払受期日を10月1日と決定、10月1日に引渡しを受け東京瓦斯会社創立。資本金27万円・株主65名・需用家343戸・日産最大9万立方フィート。12月16日営業許可、命令書は全8条
    • [8]1885年8月27日の創立要綱で払受期日を10月1日と決定、10月1日に引渡しを受け東京瓦斯会社創立。資本金27万円・株主65名・需用家343戸・日産最大9万立方フィート。12月16日営業許可、命令書は全8条
    • [9]1885年8月27日の創立要綱で払受期日を10月1日と決定、10月1日に引渡しを受け東京瓦斯会社創立。資本金27万円・株主65名・需用家343戸・日産最大9万立方フィート。12月16日営業許可、命令書は全8条
    • [11]1893年7月23日商号を東京瓦斯株式会社に変更。1896年11月臨時総会で深川区猿江町の第3工場建設と本社神田移転を決議、1897年9月本社移転、1898年11月第3製造所完成(日産25万立方フィート)。1896〜1903年の配当は年1割4分〜1割7分
    • [13]1893年7月23日商号を東京瓦斯株式会社に変更。1896年11月臨時総会で深川区猿江町の第3工場建設と本社神田移転を決議、1897年9月本社移転、1898年11月第3製造所完成(日産25万立方フィート)。1896〜1903年の配当は年1割4分〜1割7分
    • [15]1893年7月23日商号を東京瓦斯株式会社に変更。1896年11月臨時総会で深川区猿江町の第3工場建設と本社神田移転を決議、1897年9月本社移転、1898年11月第3製造所完成(日産25万立方フィート)。1896〜1903年の配当は年1割4分〜1割7分
  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [7]1885年10月東京瓦斯会社創立(資本金27万円、委員長渋沢栄一)。1886年1月第1回株主総会で配当年1割と資本金35万円への変更を決議
    • [10]1885年10月東京瓦斯会社創立(資本金27万円、委員長渋沢栄一)。1886年1月第1回株主総会で配当年1割と資本金35万円への変更を決議
    • [12]1893年7月社名を東京瓦斯株式会社に改称、1894年1月取締役制導入・取締役会長設置。資本金は1896年7月105万円、1898年1月140万円、1899年3月210万円、1900年7月420万円、1904年1月840万円への変更を決議
    • [14]1893年7月社名を東京瓦斯株式会社に改称、1894年1月取締役制導入・取締役会長設置。資本金は1896年7月105万円、1898年1月140万円、1899年3月210万円、1900年7月420万円、1904年1月840万円への変更を決議

1894年〜電燈との競合で選んだ炊事用ガスと、千代田瓦斯との競合から合併へ

1897年、欧米のガス事業を調べて帰国した技師長の中川五郎吉氏は、燃料用ガスが今後の主流になると報告した。報告を受けた東京瓦斯は、家庭の炊事にガスを広めることを事業の方針に据えた。東京電燈は1887年11月に一般向けの電燈供給を始め、ガス燈の需用家を奪い合う相手にあたる。東京瓦斯は1889年9月、料金を1,000立方フィートあたり2円70銭から2円に下げて対抗した。日露戦争後に需要が膨らむと、1908年12月に大森製造所を稼働させた。1910年6月には古河鉱業の深川骸炭所を53万4,770円で買収し、砂村製造所とした。照明で電燈に競争劣位に置かれる前に用途を炊事へ移したことが、日露戦争後の需要増を受け止める土台になったのだろう。

  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [16]技術長中川五郎吉が欧米のガス事業調査から帰国し新分野として炊事用を提言。1908年大森製造所設置、1910年砂村製造所設置
  • 東京ガス百年史(1986)一章 創立と明治期の経営
    • [17]1887年11月東京電燈が一般供給開始、1889年9月ガス料金を1,000立方フィート2円70銭から2円に値下げ。1897年中川五郎吉技師長の報告を受け一般家庭への炊事用ガス普及を方針に決定
    • [18]1887年11月東京電燈が一般供給開始、1889年9月ガス料金を1,000立方フィート2円70銭から2円に値下げ。1897年中川五郎吉技師長の報告を受け一般家庭への炊事用ガス普及を方針に決定
    • [19]1887年11月東京電燈が一般供給開始、1889年9月ガス料金を1,000立方フィート2円70銭から2円に値下げ。1897年中川五郎吉技師長の報告を受け一般家庭への炊事用ガス普及を方針に決定
    • [20]1908年12月大森製造所稼働、1910年6月古河鉱業深川骸炭所を53万4,770円で買収し砂村製造所設置、同年7月淀橋供給所設置
    • [21]1908年12月大森製造所稼働、1910年6月古河鉱業深川骸炭所を53万4,770円で買収し砂村製造所設置、同年7月淀橋供給所設置

1910年5月14日、東京瓦斯と同じ東京市内を供給区域とする千代田瓦斯の創立。千代田瓦斯の発起人は1907年1月に道路占用の許可を東京市へ願い出ており、市は報償契約の締結を条件に受理した。東京市は1898年にガス管税を設け、1906年11月には税率を一挙に引き上げて、公益事業への関与を強めた。日露戦争後に増えた都市の中産層の需用家と新聞の論調が期待したのは、2社の並立による料金の引下げである。千代田瓦斯は資本金1,000万円、料金1,000立方フィートあたり1円80銭を掲げ、東京瓦斯の2円40銭を下回った。1910年7月1日、千代田瓦斯は市との間で報償契約を締結し、1911年7月7日に芝区から営業を始めた。

  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [22]1910年5月千代田瓦斯㈱創立総会開催
  • 東京ガス百年史(1986)一章 創立と明治期の経営
    • [23]千代田瓦斯発起人が1907年1月22日に道路占用許可願を提出し、報償契約締結を条件に受理。東京市は1898年にガス管税を設け1906年11月に増税。中産層の需用家と新聞は値下げを期待。千代田瓦斯は資本金1,000万円・料金1円80銭(東京瓦斯は2円40銭)、1911年7月7日開業
    • [24]千代田瓦斯発起人が1907年1月22日に道路占用許可願を提出し、報償契約締結を条件に受理。東京市は1898年にガス管税を設け1906年11月に増税。中産層の需用家と新聞は値下げを期待。千代田瓦斯は資本金1,000万円・料金1円80銭(東京瓦斯は2円40銭)、1911年7月7日開業
    • [25]千代田瓦斯発起人が1907年1月22日に道路占用許可願を提出し、報償契約締結を条件に受理。東京市は1898年にガス管税を設け1906年11月に増税。中産層の需用家と新聞は値下げを期待。千代田瓦斯は資本金1,000万円・料金1円80銭(東京瓦斯は2円40銭)、1911年7月7日開業
    • [26]千代田瓦斯発起人が1907年1月22日に道路占用許可願を提出し、報償契約締結を条件に受理。東京市は1898年にガス管税を設け1906年11月に増税。中産層の需用家と新聞は値下げを期待。千代田瓦斯は資本金1,000万円・料金1円80銭(東京瓦斯は2円40銭)、1911年7月7日開業
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「東京市と千代田瓦斯株式会社間締結の報償契約書(明治四十三年七月一日)」
    • [27]1910年7月1日に東京市と千代田瓦斯が報償契約を締結

1911年8月21日、社長の高松豊吉氏と千代田瓦斯社長の安楽兼道氏は、両社の合併について仮契約を結んだ。同じ道路を両社が交互に掘り返す乱戦に批判が強まり、東京電燈社長の佐竹作太郎氏らが対等合併を斡旋した。仮契約が合併の条件に置くのは、千代田瓦斯と東京市の報償契約を破棄し、東京瓦斯が市と新たに契約を結ぶことである。9月18日の臨時株主総会は仮契約を承認し、資本金を3,500万円から4,500万円に増やすと決めた。11月25日に仮調印した報償契約は、料金を1,000立方フィートあたり1円80銭とし、払込資本に対する年9分の配当を料金改定の基準とする内容である。市会は賛成28、反対22で報償契約を承認し、東京瓦斯は市内のガス供給を再び1社で担うことになった。

  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「千代田瓦斯株式会社との合併仮契約書(明治四十四年八月二十一日)」
    • [28]1911年8月21日、東京瓦斯社長高松豊吉と千代田瓦斯社長安楽兼道が合併仮契約書に調印
  • 東京ガス百年史(1986)一章 創立と明治期の経営
    • [29]両社の乱戦への批判を受け東京電燈社長佐竹作太郎らが対等合併を斡旋。仮契約は千代田瓦斯と東京市の報償契約破棄と東京瓦斯との新契約締結を条件とし、1911年11月25日仮調印、市会は賛成28・反対22で承認
    • [30]両社の乱戦への批判を受け東京電燈社長佐竹作太郎らが対等合併を斡旋。仮契約は千代田瓦斯と東京市の報償契約破棄と東京瓦斯との新契約締結を条件とし、1911年11月25日仮調印、市会は賛成28・反対22で承認
    • [33]両社の乱戦への批判を受け東京電燈社長佐竹作太郎らが対等合併を斡旋。仮契約は千代田瓦斯と東京市の報償契約破棄と東京瓦斯との新契約締結を条件とし、1911年11月25日仮調印、市会は賛成28・反対22で承認
  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [31]1911年9月臨時株主総会で千代田瓦斯㈱との合併仮契約承認と資本金変更を決議、1912年2月合併手続き完了
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「東京市と東京瓦斯株式会社間締結の報償契約書(特許契約書)(明治四十四年十一月二十五日)」
    • [32]報償契約第5条で料金1,000立方フィート1円80銭、第6条で払込資本に対する年9分の配当を標準に料金を上下
参考文献[16]-[33]
  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [16]技術長中川五郎吉が欧米のガス事業調査から帰国し新分野として炊事用を提言。1908年大森製造所設置、1910年砂村製造所設置
    • [22]1910年5月千代田瓦斯㈱創立総会開催
    • [31]1911年9月臨時株主総会で千代田瓦斯㈱との合併仮契約承認と資本金変更を決議、1912年2月合併手続き完了
  • 東京ガス百年史(1986)一章 創立と明治期の経営
    • [17]1887年11月東京電燈が一般供給開始、1889年9月ガス料金を1,000立方フィート2円70銭から2円に値下げ。1897年中川五郎吉技師長の報告を受け一般家庭への炊事用ガス普及を方針に決定
    • [18]1887年11月東京電燈が一般供給開始、1889年9月ガス料金を1,000立方フィート2円70銭から2円に値下げ。1897年中川五郎吉技師長の報告を受け一般家庭への炊事用ガス普及を方針に決定
    • [19]1887年11月東京電燈が一般供給開始、1889年9月ガス料金を1,000立方フィート2円70銭から2円に値下げ。1897年中川五郎吉技師長の報告を受け一般家庭への炊事用ガス普及を方針に決定
    • [20]1908年12月大森製造所稼働、1910年6月古河鉱業深川骸炭所を53万4,770円で買収し砂村製造所設置、同年7月淀橋供給所設置
    • [21]1908年12月大森製造所稼働、1910年6月古河鉱業深川骸炭所を53万4,770円で買収し砂村製造所設置、同年7月淀橋供給所設置
    • [23]千代田瓦斯発起人が1907年1月22日に道路占用許可願を提出し、報償契約締結を条件に受理。東京市は1898年にガス管税を設け1906年11月に増税。中産層の需用家と新聞は値下げを期待。千代田瓦斯は資本金1,000万円・料金1円80銭(東京瓦斯は2円40銭)、1911年7月7日開業
    • [24]千代田瓦斯発起人が1907年1月22日に道路占用許可願を提出し、報償契約締結を条件に受理。東京市は1898年にガス管税を設け1906年11月に増税。中産層の需用家と新聞は値下げを期待。千代田瓦斯は資本金1,000万円・料金1円80銭(東京瓦斯は2円40銭)、1911年7月7日開業
    • [25]千代田瓦斯発起人が1907年1月22日に道路占用許可願を提出し、報償契約締結を条件に受理。東京市は1898年にガス管税を設け1906年11月に増税。中産層の需用家と新聞は値下げを期待。千代田瓦斯は資本金1,000万円・料金1円80銭(東京瓦斯は2円40銭)、1911年7月7日開業
    • [26]千代田瓦斯発起人が1907年1月22日に道路占用許可願を提出し、報償契約締結を条件に受理。東京市は1898年にガス管税を設け1906年11月に増税。中産層の需用家と新聞は値下げを期待。千代田瓦斯は資本金1,000万円・料金1円80銭(東京瓦斯は2円40銭)、1911年7月7日開業
    • [29]両社の乱戦への批判を受け東京電燈社長佐竹作太郎らが対等合併を斡旋。仮契約は千代田瓦斯と東京市の報償契約破棄と東京瓦斯との新契約締結を条件とし、1911年11月25日仮調印、市会は賛成28・反対22で承認
    • [30]両社の乱戦への批判を受け東京電燈社長佐竹作太郎らが対等合併を斡旋。仮契約は千代田瓦斯と東京市の報償契約破棄と東京瓦斯との新契約締結を条件とし、1911年11月25日仮調印、市会は賛成28・反対22で承認
    • [33]両社の乱戦への批判を受け東京電燈社長佐竹作太郎らが対等合併を斡旋。仮契約は千代田瓦斯と東京市の報償契約破棄と東京瓦斯との新契約締結を条件とし、1911年11月25日仮調印、市会は賛成28・反対22で承認
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「東京市と千代田瓦斯株式会社間締結の報償契約書(明治四十三年七月一日)」
    • [27]1910年7月1日に東京市と千代田瓦斯が報償契約を締結
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「千代田瓦斯株式会社との合併仮契約書(明治四十四年八月二十一日)」
    • [28]1911年8月21日、東京瓦斯社長高松豊吉と千代田瓦斯社長安楽兼道が合併仮契約書に調印
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「東京市と東京瓦斯株式会社間締結の報償契約書(特許契約書)(明治四十四年十一月二十五日)」
    • [32]報償契約第5条で料金1,000立方フィート1円80銭、第6条で払込資本に対する年9分の配当を標準に料金を上下

1912年〜千代田瓦斯合併の後遺症と、関東大震災からの復旧

1914年6月16日に社長の高松豊吉氏が退任し、翌17日に副社長の久米良作氏が社長に就任した。千代田瓦斯の合併で従業員は1911年末の2,764人から1913年末の3,703人に増え、同じ道路に二重に敷いた導管も残った。配当は、1910年上期の年1割3分に対し、1914年上期は8分である。久米良作氏は社長交代と同時に、全従業員の2割7分余にあたる1,429人を解雇し、本社の3部制を課制に改めた。7月には旧千代田瓦斯出身の取締役3名が辞任し、経営陣は一本化された。タングステン電球の普及でガス燈から電燈へ移る需用家も多く、合併による費用の膨張に収益の減少が重なったとうかがえる。

  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [34]1914年6月取締役副社長久米良作が社長に就任
  • 東京ガス百年史(1986)二章 苦難と試練の大正期の経営
    • [35]従業員は1911年末2,764人から合併後1913年末3,703人に増加、導管の二重敷設が残る。配当は1910年上期1割3分から1914年上期8分へ減少。1914年6月16日に経営陣交代と1,429人(全従業員の2割7分余)の解雇、3部制を課制に改組。7月に旧千代田瓦斯出身取締役3名辞任
    • [36]従業員は1911年末2,764人から合併後1913年末3,703人に増加、導管の二重敷設が残る。配当は1910年上期1割3分から1914年上期8分へ減少。1914年6月16日に経営陣交代と1,429人(全従業員の2割7分余)の解雇、3部制を課制に改組。7月に旧千代田瓦斯出身取締役3名辞任
    • [37]従業員は1911年末2,764人から合併後1913年末3,703人に増加、導管の二重敷設が残る。配当は1910年上期1割3分から1914年上期8分へ減少。1914年6月16日に経営陣交代と1,429人(全従業員の2割7分余)の解雇、3部制を課制に改組。7月に旧千代田瓦斯出身取締役3名辞任
    • [38]従業員は1911年末2,764人から合併後1913年末3,703人に増加、導管の二重敷設が残る。配当は1910年上期1割3分から1914年上期8分へ減少。1914年6月16日に経営陣交代と1,429人(全従業員の2割7分余)の解雇、3部制を課制に改組。7月に旧千代田瓦斯出身取締役3名辞任

1918年10月26日、東京瓦斯は報償契約第6条に基づき、料金を1,000立方フィートあたり1円上げて2円75銭とするよう東京市に申請した。第1次世界大戦で石炭の価格が高騰するなか、市内の料金は1915年3月に決まった1円75銭のままだった。市会は1918年12月に審議未了で結論を見送り、承認の遅れの責任を取って1919年7月12日に社長の久米良作氏ら7人の役員が辞職した。後任の社長は元司法次官で貴族院議員の石渡敏一氏で、社外からの起用は初めてである。50銭の値上げは1919年9月30日に可決され、10月1日から市内料金は2円25銭となった。石渡敏一氏のもとで東京瓦斯は、1920年4月の道路法施行で報償契約は無効になったと主張し、1921年7月9日に東京地方裁判所へ提訴した。

  • 東京ガス百年史(1986)二章 苦難と試練の大正期の経営
    • [39]1918年10月26日、報償契約第6条により料金1円値上げ(2円75銭)を東京市に申請。市内料金は1915年3月以降1円75銭。理由に石炭の暴騰を挙げる
    • [40]1918年10月26日、報償契約第6条により料金1円値上げ(2円75銭)を東京市に申請。市内料金は1915年3月以降1円75銭。理由に石炭の暴騰を挙げる
    • [41]1918年12月市会は審議未了。1919年7月12日久米良作社長以下7役員が辞職し、社外から初めて石渡敏一(元司法次官・貴族院議員)が社長に就任。50銭値上げ案は9月30日可決、10月1日から市内2円25銭
    • [42]1918年12月市会は審議未了。1919年7月12日久米良作社長以下7役員が辞職し、社外から初めて石渡敏一(元司法次官・貴族院議員)が社長に就任。50銭値上げ案は9月30日可決、10月1日から市内2円25銭
    • [43]1918年12月市会は審議未了。1919年7月12日久米良作社長以下7役員が辞職し、社外から初めて石渡敏一(元司法次官・貴族院議員)が社長に就任。50銭値上げ案は9月30日可決、10月1日から市内2円25銭
  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [44]1920年4月道路法施行に伴い報償契約の効力に異動が生じると上申、1921年7月9日報償契約に関する法律関係不存在確認の訴訟を東京地方裁判所に提起

1923年9月1日の関東大震災で、社長の小池国三氏が率いる東京瓦斯は、本社社屋と神田・浅草・本所の3営業所を失った。損害総額は550万889円に達し、失った需用家は震災前の25万989件のうち約45%にあたる11万2,588件にのぼる。製造能力の74%を占める千住・深川の両製造所の被害は軽く、両製造所からの送り出しの再開は9月22日である。復旧には製造設備400万円と供給設備550万円の計950万円を要し、1924年3月と10月に社債を計800万円募集した。国は震災の直前、1923年4月9日に瓦斯事業法を公布し、ガス事業を国の許可のもとに置いた。日産2,300万立方フィートの能力を6,000万立方フィートへ広げる計画には、報償契約の枠を越える資金調達が要ると考えられる。

  • 東京ガス百年史(1986)二章 苦難と試練の大正期の経営
    • [45]関東大震災で本社社屋と神田・浅草・本所の3営業所を焼失、需用家25万989件のうち約45%の11万2,588件を失う。製造能力74%の千住・深川の被害は軽く9月22日に送出再開。復旧費950万円、1924年3月・10月に社債計800万円。日産2,300万立方フィートを6,000万立方フィートへ拡充する計画
    • [47]関東大震災で本社社屋と神田・浅草・本所の3営業所を焼失、需用家25万989件のうち約45%の11万2,588件を失う。製造能力74%の千住・深川の被害は軽く9月22日に送出再開。復旧費950万円、1924年3月・10月に社債計800万円。日産2,300万立方フィートを6,000万立方フィートへ拡充する計画
    • [48]関東大震災で本社社屋と神田・浅草・本所の3営業所を焼失、需用家25万989件のうち約45%の11万2,588件を失う。製造能力74%の千住・深川の被害は軽く9月22日に送出再開。復旧費950万円、1924年3月・10月に社債計800万円。日産2,300万立方フィートを6,000万立方フィートへ拡充する計画
  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [46]1922年7月小池国三が社長に就任。1923年9月1日関東大震災、被害総額550万889円、需用家25万989件中の被害
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「瓦斯事業法(大正十二年四月九日公布)」
    • [49]瓦斯事業法は1923年4月9日公布、事業と供給区域を許可制とする
参考文献[34]-[49]
  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
    • [34]1914年6月取締役副社長久米良作が社長に就任
    • [44]1920年4月道路法施行に伴い報償契約の効力に異動が生じると上申、1921年7月9日報償契約に関する法律関係不存在確認の訴訟を東京地方裁判所に提起
    • [46]1922年7月小池国三が社長に就任。1923年9月1日関東大震災、被害総額550万889円、需用家25万989件中の被害
  • 東京ガス百年史(1986)二章 苦難と試練の大正期の経営
    • [35]従業員は1911年末2,764人から合併後1913年末3,703人に増加、導管の二重敷設が残る。配当は1910年上期1割3分から1914年上期8分へ減少。1914年6月16日に経営陣交代と1,429人(全従業員の2割7分余)の解雇、3部制を課制に改組。7月に旧千代田瓦斯出身取締役3名辞任
    • [36]従業員は1911年末2,764人から合併後1913年末3,703人に増加、導管の二重敷設が残る。配当は1910年上期1割3分から1914年上期8分へ減少。1914年6月16日に経営陣交代と1,429人(全従業員の2割7分余)の解雇、3部制を課制に改組。7月に旧千代田瓦斯出身取締役3名辞任
    • [37]従業員は1911年末2,764人から合併後1913年末3,703人に増加、導管の二重敷設が残る。配当は1910年上期1割3分から1914年上期8分へ減少。1914年6月16日に経営陣交代と1,429人(全従業員の2割7分余)の解雇、3部制を課制に改組。7月に旧千代田瓦斯出身取締役3名辞任
    • [38]従業員は1911年末2,764人から合併後1913年末3,703人に増加、導管の二重敷設が残る。配当は1910年上期1割3分から1914年上期8分へ減少。1914年6月16日に経営陣交代と1,429人(全従業員の2割7分余)の解雇、3部制を課制に改組。7月に旧千代田瓦斯出身取締役3名辞任
    • [39]1918年10月26日、報償契約第6条により料金1円値上げ(2円75銭)を東京市に申請。市内料金は1915年3月以降1円75銭。理由に石炭の暴騰を挙げる
    • [40]1918年10月26日、報償契約第6条により料金1円値上げ(2円75銭)を東京市に申請。市内料金は1915年3月以降1円75銭。理由に石炭の暴騰を挙げる
    • [41]1918年12月市会は審議未了。1919年7月12日久米良作社長以下7役員が辞職し、社外から初めて石渡敏一(元司法次官・貴族院議員)が社長に就任。50銭値上げ案は9月30日可決、10月1日から市内2円25銭
    • [42]1918年12月市会は審議未了。1919年7月12日久米良作社長以下7役員が辞職し、社外から初めて石渡敏一(元司法次官・貴族院議員)が社長に就任。50銭値上げ案は9月30日可決、10月1日から市内2円25銭
    • [43]1918年12月市会は審議未了。1919年7月12日久米良作社長以下7役員が辞職し、社外から初めて石渡敏一(元司法次官・貴族院議員)が社長に就任。50銭値上げ案は9月30日可決、10月1日から市内2円25銭
    • [45]関東大震災で本社社屋と神田・浅草・本所の3営業所を焼失、需用家25万989件のうち約45%の11万2,588件を失う。製造能力74%の千住・深川の被害は軽く9月22日に送出再開。復旧費950万円、1924年3月・10月に社債計800万円。日産2,300万立方フィートを6,000万立方フィートへ拡充する計画
    • [47]関東大震災で本社社屋と神田・浅草・本所の3営業所を焼失、需用家25万989件のうち約45%の11万2,588件を失う。製造能力74%の千住・深川の被害は軽く9月22日に送出再開。復旧費950万円、1924年3月・10月に社債計800万円。日産2,300万立方フィートを6,000万立方フィートへ拡充する計画
    • [48]関東大震災で本社社屋と神田・浅草・本所の3営業所を焼失、需用家25万989件のうち約45%の11万2,588件を失う。製造能力74%の千住・深川の被害は軽く9月22日に送出再開。復旧費950万円、1924年3月・10月に社債計800万円。日産2,300万立方フィートを6,000万立方フィートへ拡充する計画
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「瓦斯事業法(大正十二年四月九日公布)」
    • [49]瓦斯事業法は1923年4月9日公布、事業と供給区域を許可制とする

出典・参考

8件
出典・参考
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「瓦斯局払下願(明治十八年八月二十八日)」
  • 東京ガス百年史(1986)一章 創立と明治期の経営
  • 東京ガス百年史(1986)資料 年表
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「東京市と千代田瓦斯株式会社間締結の報償契約書(明治四十三年七月一日)」
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「千代田瓦斯株式会社との合併仮契約書(明治四十四年八月二十一日)」
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「東京市と東京瓦斯株式会社間締結の報償契約書(特許契約書)(明治四十四年十一月二十五日)」
  • 東京ガス百年史(1986)二章 苦難と試練の大正期の経営
  • 東京ガス百年史(1986)資料 ガス関係及び当社関係文書「瓦斯事業法(大正十二年四月九日公布)」

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