倉井敏麿氏が社長就任(1950年・新潟鐵工所の決断)

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論点人員整理を重ねずに再建できるか
新潟鐵工所:業績の推移
売上高(億円)営業利益率(%)
取引銀行からの社長招聘と、余剰人員を合弁・傍系会社で吸収する再建1950年8月、新潟鐵工所は日本勧業銀行から倉井敏麿氏を迎え、社長に据えた。前任の長島吉次郎氏は同年5月に社長を退き、相談役に回っていた。

何をなぜ決めたか:取引銀行からの社長招聘と、余剰人員を合弁・傍系会社で吸収する再建

概要

1950年8月、新潟鐵工所は日本勧業銀行から倉井敏麿氏を迎え、社長に据えた。前任の長島吉次郎氏は同年5月に社長を退き、相談役に回っていた。

倉井敏麿社長は就任にあたり『社員の中から一人の落伍者を出さない企業再建』という目標を掲げ、余った人員は合弁会社や傍系会社をつくって引き受ける方針を示した。社内の機構と職制も改め、受注から生産までの計画を本社がまとめて立て、各工場はその指示に従って生産する方式に切り替えた。

背景

戦後の新潟鐵工所は立ち直りが遅れた。人員を多く抱えたまま仕事が足りず、資金の調達も途絶えて、賃金を分割で払うまでになった。1949年にはドッジ・ラインで鉄道車両の需要が急激に減少し、内示を受けていた発注の取り消しも重なった。

1949年、会社は2度の人員整理と独立採算制に踏み切ったが、業績は戻らなかった。整理をめぐる争議は激しく、組合連合を抜けた浦和工場の争議は会社にとって前例のない規模となった。1950年6月に浦和工場を除いて争議が解決し、解雇者は1,376名にのぼった。

内容

再建の中心に置いたのは海外からの技術の導入である。1952年12月に米国のトウイン・ディスク社とトルクコンバーターと流体接手で、ウォシントン社とポンプとコンプレッサーで提携した。1954年7月には米国サンドストランド社と生産フライス盤で技術提携を締結した。

人員の受け入れ先は、提携と組み合わせて設けた。トウイン・ディスク社との提携では加茂工場を、ウォシントン社との提携では柏崎工場を現物出資し、新潟コンバーターと新潟ウォシントンを設けた。出資比率は新潟コンバーターが75%、新潟ウォシントンが51%である。

含意

就任の直後に朝鮮動乱が起き、機械工業は活況に転じて、新潟鐵工所も大きな利益を計上した。1951年度上期には、戦後初めて15%の株主配当を復活させた。1954年3月期の売上高は38億円、当期純利益は2億円である。

1954年2月には台湾造船有限公司に舶用内燃機関と漁船の製造販売権を許諾し、東南アジアへの輸出の足場を得た。倉井敏麿社長は1964年11月に会長へ退き、副社長の中貞男氏が後を継いだ。在任は14年に及んだ(計算)。新潟コンバーターは2001年3月に本体へ吸収合併されるまで存続した。

いつ何が起きたか12件
考察:解雇ではなく合弁で人を残す再建
考察

考察:解雇ではなく合弁で人を残す再建

なぜ銀行から社長を迎えたのか。1949年の2度の人員整理は争議を招き、1950年6月の解決までに1,376名が会社を去った。賃金の分割払いに追い込まれた会社には、資金の手当てを保証できる経営者が要った。取引銀行の日本勧業銀行から人を迎えれば、融資の継続と経営の監督を一度に得られる。社内から次の社長を選ぶより、金融機関の信用を背負った人物を立てるほうが再建の条件をそろえやすかったとみられる。

もっとも、倉井敏麿社長が掲げたのは削減の続きではなかった。余った人員を合弁会社と傍系会社で引き受ける方針は、銀行出身の社長に期待されがちな人減らしとは逆向きである。トウイン・ディスク社とウォシントン社との提携では、加茂工場と柏崎工場を現物出資して新会社を設立した。技術の導入と雇用の受け入れ先の設立を同じ契約で済ませた点に、この再建の工夫がある。ただし朝鮮動乱の特需がなければ、受け入れ先の会社を設立する余裕は生まれなかったかもしれない。

この招聘は成功だったと言ってよい。就任の翌年度上期には配当15%を復活させ、1954年3月期の売上高は38億円で黒字を保った。倉井敏麿社長は14年在任し、1964年に中貞男氏へ社長を引き継いだ。このとき設けた新潟コンバーターは、2001年3月に本体へ吸収合併されるまで約半世紀にわたり存続した。人を残しながら事業を増やす手法は、その後の多角化の原型にもなった。

Yutaka Sugiura, 2026年10月
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図と表

新潟鐵工所:売上高と利益の推移

売上高(億円)営業利益率(%)

就任から4年後の1954年3月期、売上高は38億円で黒字を確保

新潟鐵工所:売上高と利益の推移
(億円)売上高営業利益当期純利益備考
1954年3月期3852半期の合算
1955年3月期4152半期の合算
出所:上場会社総覧 1956年版(半期合算。1954年3月期・1955年3月期)
出所:上場会社総覧 1956年版(半期合算。1954年3月期・1955年3月期)
参考文献

参考文献

参考
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 38_產業機械「新潟鉄工所」
  • 新潟鉄工所80年史(新潟鉄工所、1976年)年表
  • 新潟鉄工所80年史(新潟鉄工所、1976年)「近代化へのスタート」
  • 新潟鉄工所七十年史(新潟鉄工所社史編纂委員会、1968年)第八章「当社発展の史的回顧」
  • 新潟鉄工所100年史(新潟鉄工所、1996年)年表
  • 証券アナリストジャーナル 1963年(羽深知治)
  • 上場会社総覧 1956年版
  • 新潟鐵工所 平成13年3月期 決算短信(連結)(2001年6月15日)【経営方針】
  • 上場会社総覧 1956年版(半期合算。1954年3月期・1955年3月期)
  • 新潟鐵工所 社史「新潟鉄工所80年史(1976年)「近代化へのスタート」・年表」
  • 新潟鐵工所 社史「新潟鉄工所七十年史(1968年)第八章「当社発展の史的回顧」」
  • 新潟鐵工所 社史「新潟鉄工所100年史(1996年)年表」

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