第1章 年〜年

住友不動産:泉不動産の設立と目白台アパートの完成

1949年〜東京・京都・神戸の3ビルを継いだ第二会社と、住友商事から来た瀬山誠五郎氏

泉不動産は1949年12月、財閥解体で解散する住友本社の清算の途中に、不動産部門の第二会社として設立された。本社は当初、不動産部門を住友土地工務へ譲渡すると申請したものの、この案は全面的に不許可となった。続いて4ビルを借入金の現物弁済に充てる案を立てたところ、保有株の値上がりで有価証券の処分だけで債務を完済できる見通しが立った。大阪江戸堀を除く東京・京都・神戸の3ビルは評価額が巨額で、東京のビルは一部を接収され、バイヤーズ・ホテルに充てられていた。本社は3ビルと雑不動産を現物出資して新会社をつくり、その株式を持株会社整理委員会に出して公開すれば解散を早められるという本社の判断。1949年9月の計画変更の申請に対し、日銀総裁は10月に認可を通知した。

  • 日本会社史総覧(1995年)「住友不動産」
    • [1]泉不動産は1949年12月、清算中の住友本社の不動産部門の第二会社として設立
  • 私の住友昭和史(1988年)「不動産部門の処理」
    • [2]当初申請では不動産部門を住友土地工務に譲渡する計画で、申請は全面不許可
    • [3]東京・京都・神戸・大阪江戸堀の4ビルを現物弁済に充てる案の後、有価証券の値上がりで処分のみで債務完済の見込み
    • [4]江戸堀を除く3ビルは評価額が巨額、東京のビルは一部がバイヤーズ・ホテルとして接収され処分困難
    • [5]3ビルと処分困難な雑不動産を現物出資して第二会社を設立し、株式を持株会社整理委員会に提出・公開すれば解散を促進できると考えた
    • [6]1949年9月に企業再建整備計画変更の認可を申請、同年10月に日銀総裁から認可の通知、12月1日に泉不動産設立

泉不動産は設立当初、本社が現物出資した東京・京都・神戸の各住友ビルディングなどを賃貸し、その賃料を事業の基盤とした。東京のビルは設立の時点で、一部を接収され、バイヤーズ・ホテルに使われていた。設立によって本社の不動産部門の処分は完了し、本社に残る仕事は債権債務の清算事務に絞られた。住宅の事業への進出は、1957年5月の社名変更より後のことである。大株主は設立の経緯から住友連系の会社で占められ、1970年の上場時もその構成は変わらなかった。自前の事業を探す前に、まず本社から受けた建物の賃料で立つ会社として出発したとみられる。

  • 証券 1970年10月号(新規上場会社紹介)
    • [7]設立当初は住友本社の現物出資による東京・京都・神戸の各住友ビルディング等の賃貸が主たる事業
    • [11]大株主は設立の経緯から住友連系会社で占める(1970年の上場時点)
  • 私の住友昭和史(1988年)「不動産部門の処理」
    • [8]東京のビルは一部がバイヤーズ・ホテルとして接収されていた
    • [9]泉不動産の設立で本社の不動産部門の処分が完了し、残務は債権債務の清算事務
  • 日本会社史総覧(1995年)「住友不動産」
    • [10]1957年5月の社名変更の後に住宅事業・海外事業へ進出

1956年11月、住友商事専務の瀬山誠五郎氏が泉不動産の代表取締役社長に就任。瀬山誠五郎氏は1900年生まれで、1925年に東京帝国大学法学部を出て住友銀行に入行した。1944年12月に住友本社の東京支社次長へ移り、1947年3月に住友商事の常務、1952年11月に専務となった。瀬山誠五郎氏は1974年5月に会長へ移るまで社長を務め、1970年の上場時も役員のほとんどは住友連系の会社の出身者だった。賃貸だけの第二会社に銀行・本社・商事を歩いた人物を充てたのは、本社の後始末と住友の名の回復を見据えた人選と推察される。

  • 日本企業要覧 1977年版「住友不動産」役員欄
    • [12]瀬山誠五郎:1900年生、1925年東京帝大法学部卒・住友銀行入行、1944年12月住友本社東京支社次長、1947年3月住友商事常務、1952年11月専務、1956年11月代表取締役社長、1974年5月会長
    • [13]瀬山誠五郎:1900年生、1925年東京帝大法学部卒・住友銀行入行、1944年12月住友本社東京支社次長、1947年3月住友商事常務、1952年11月専務、1956年11月代表取締役社長、1974年5月会長
    • [14]瀬山誠五郎:1900年生、1925年東京帝大法学部卒・住友銀行入行、1944年12月住友本社東京支社次長、1947年3月住友商事常務、1952年11月専務、1956年11月代表取締役社長、1974年5月会長
  • 証券 1970年10月号(新規上場会社紹介)
    • [15]1970年上場時の取締役社長は瀬山誠五郎、役員もほとんどが住友連系会社の出身
参考文献[1]-[15]
  • 日本会社史総覧(1995年)「住友不動産」
    • [1]泉不動産は1949年12月、清算中の住友本社の不動産部門の第二会社として設立
    • [10]1957年5月の社名変更の後に住宅事業・海外事業へ進出
  • 私の住友昭和史(1988年)「不動産部門の処理」
    • [2]当初申請では不動産部門を住友土地工務に譲渡する計画で、申請は全面不許可
    • [3]東京・京都・神戸・大阪江戸堀の4ビルを現物弁済に充てる案の後、有価証券の値上がりで処分のみで債務完済の見込み
    • [4]江戸堀を除く3ビルは評価額が巨額、東京のビルは一部がバイヤーズ・ホテルとして接収され処分困難
    • [5]3ビルと処分困難な雑不動産を現物出資して第二会社を設立し、株式を持株会社整理委員会に提出・公開すれば解散を促進できると考えた
    • [6]1949年9月に企業再建整備計画変更の認可を申請、同年10月に日銀総裁から認可の通知、12月1日に泉不動産設立
    • [8]東京のビルは一部がバイヤーズ・ホテルとして接収されていた
    • [9]泉不動産の設立で本社の不動産部門の処分が完了し、残務は債権債務の清算事務
  • 証券 1970年10月号(新規上場会社紹介)
    • [7]設立当初は住友本社の現物出資による東京・京都・神戸の各住友ビルディング等の賃貸が主たる事業
    • [11]大株主は設立の経緯から住友連系会社で占める(1970年の上場時点)
    • [15]1970年上場時の取締役社長は瀬山誠五郎、役員もほとんどが住友連系会社の出身
  • 日本企業要覧 1977年版「住友不動産」役員欄
    • [12]瀬山誠五郎:1900年生、1925年東京帝大法学部卒・住友銀行入行、1944年12月住友本社東京支社次長、1947年3月住友商事常務、1952年11月専務、1956年11月代表取締役社長、1974年5月会長
    • [13]瀬山誠五郎:1900年生、1925年東京帝大法学部卒・住友銀行入行、1944年12月住友本社東京支社次長、1947年3月住友商事常務、1952年11月専務、1956年11月代表取締役社長、1974年5月会長
    • [14]瀬山誠五郎:1900年生、1925年東京帝大法学部卒・住友銀行入行、1944年12月住友本社東京支社次長、1947年3月住友商事常務、1952年11月専務、1956年11月代表取締役社長、1974年5月会長

1957年〜白水会の承認で戻した住友の名と、目白台アパート・調布の宅地分譲

泉不動産は1957年5月、商号を住友不動産に改めた。財閥解体のあと「住友」の商号は、住友系各社の社長が集まる白水会が監視し、みだりに使わせない扱いとした。泉不動産が改称を希望した際も、白水会の審議を経ての承認。白水会は1962年の別子建設から住友建設への改称、1963年の磐城セメントから住友セメントへの改称も、同じ審議を経て承認した。住友不動産はその後、住友セメントとともに白水会への加入も認められた。住友本社の第二会社という出自が、商号の審議を通る根拠になったのだろう。

  • 証券 1970年10月号(新規上場会社紹介)
    • [16]1957年5月に商号を泉不動産から住友不動産に変更
  • 私の住友昭和史(1988年)「住友の商号商標問題」
    • [17]「住友」の商号の新たな使用は白水会が監視し、泉不動産(1957年)・別子建設(1962年)・磐城セメント(1963年)の改称希望は白水会が審議の上承認。住友不動産・住友セメントは白水会に加入
    • [18]「住友」の商号の新たな使用は白水会が監視し、泉不動産(1957年)・別子建設(1962年)・磐城セメント(1963年)の改称希望は白水会が審議の上承認。住友不動産・住友セメントは白水会に加入
    • [19]「住友」の商号の新たな使用は白水会が監視し、泉不動産(1957年)・別子建設(1962年)・磐城セメント(1963年)の改称希望は白水会が審議の上承認。住友不動産・住友セメントは白水会に加入
    • [20]「住友」の商号の新たな使用は白水会が監視し、泉不動産(1957年)・別子建設(1962年)・磐城セメント(1963年)の改称希望は白水会が審議の上承認。住友不動産・住友セメントは白水会に加入

住友不動産は1962年7月、東京都文京区に目白台アパートを完成させた。会社として初めての高級賃貸アパートで、事務所ビルの賃貸だけだった事業に住宅の分野を加えた。1970年時点で住友不動産は、東京住友ビルなど事務所用ビル6棟に加え、目白台アパートと麻布ハイツアパートを所有して賃貸・管理した。目白台事業所は、上場時の主な事業所の一つとして本店や大阪支店と並んで挙げられている。改称から5年で住宅に出たのは、3都市の事務所ビルに限られていた賃料の稼ぎ口を、住宅の借り手にも求めたためと思われる。

  • 日本会社史総覧(1995年)「住友不動産」
    • [21]1962年7月、目白台アパート完成(東京都文京区、同社初の高級賃貸アパート)
  • 証券 1970年10月号(新規上場会社紹介)
    • [22]1962年に東京文京区に目白台アパートを新築し、高級賃貸アパートの分野に進出
    • [23]1970年時点で東京住友ビルなど6棟の事務所用ビルと目白台アパート・麻布ハイツアパートを所有し賃貸・管理。主な事業所に目白台事業所
    • [24]1970年時点で東京住友ビルなど6棟の事務所用ビルと目白台アパート・麻布ハイツアパートを所有し賃貸・管理。主な事業所に目白台事業所

住友不動産は1962年、東京都調布で宅地の分譲を始めた。同じ時期に千葉県中央地区で埋立事業にも着手し、営業の分野を広げた。宅地分譲は調布を皮切りに、東京と大阪の近郊へ拡大した。1964年の神戸での分譲が、初めてのマンション分譲にあたる。1970年には不動産販売が営業収益の84.8%を占め、そのうち分譲マンションが37.4%を占めた。賃料より早く資金を回収できる販売の事業を持ったことが、分譲マンションへ参入する足場になったと考えられる。

  • 日本会社史総覧(1995年)「住友不動産」
    • [25]1962年の東京都調布を皮切りに東京・大阪近郊で宅地分譲、1964年に神戸で同社初のマンション分譲
    • [27]1962年の東京都調布を皮切りに東京・大阪近郊で宅地分譲、1964年に神戸で同社初のマンション分譲
    • [28]1962年の東京都調布を皮切りに東京・大阪近郊で宅地分譲、1964年に神戸で同社初のマンション分譲
  • 証券 1970年10月号(新規上場会社紹介)
    • [26]目白台アパートと同時期に宅地の分譲(調布)、埋立事業(千葉県中央地区)に着手し営業分野を拡大
    • [29]1970年時点で不動産販売高が営業収益高全体の84.8%、うち分譲マンションが37.4%
参考文献[16]-[29]
  • 証券 1970年10月号(新規上場会社紹介)
    • [16]1957年5月に商号を泉不動産から住友不動産に変更
    • [22]1962年に東京文京区に目白台アパートを新築し、高級賃貸アパートの分野に進出
    • [23]1970年時点で東京住友ビルなど6棟の事務所用ビルと目白台アパート・麻布ハイツアパートを所有し賃貸・管理。主な事業所に目白台事業所
    • [24]1970年時点で東京住友ビルなど6棟の事務所用ビルと目白台アパート・麻布ハイツアパートを所有し賃貸・管理。主な事業所に目白台事業所
    • [26]目白台アパートと同時期に宅地の分譲(調布)、埋立事業(千葉県中央地区)に着手し営業分野を拡大
    • [29]1970年時点で不動産販売高が営業収益高全体の84.8%、うち分譲マンションが37.4%
  • 私の住友昭和史(1988年)「住友の商号商標問題」
    • [17]「住友」の商号の新たな使用は白水会が監視し、泉不動産(1957年)・別子建設(1962年)・磐城セメント(1963年)の改称希望は白水会が審議の上承認。住友不動産・住友セメントは白水会に加入
    • [18]「住友」の商号の新たな使用は白水会が監視し、泉不動産(1957年)・別子建設(1962年)・磐城セメント(1963年)の改称希望は白水会が審議の上承認。住友不動産・住友セメントは白水会に加入
    • [19]「住友」の商号の新たな使用は白水会が監視し、泉不動産(1957年)・別子建設(1962年)・磐城セメント(1963年)の改称希望は白水会が審議の上承認。住友不動産・住友セメントは白水会に加入
    • [20]「住友」の商号の新たな使用は白水会が監視し、泉不動産(1957年)・別子建設(1962年)・磐城セメント(1963年)の改称希望は白水会が審議の上承認。住友不動産・住友セメントは白水会に加入
  • 日本会社史総覧(1995年)「住友不動産」
    • [21]1962年7月、目白台アパート完成(東京都文京区、同社初の高級賃貸アパート)
    • [25]1962年の東京都調布を皮切りに東京・大阪近郊で宅地分譲、1964年に神戸で同社初のマンション分譲
    • [27]1962年の東京都調布を皮切りに東京・大阪近郊で宅地分譲、1964年に神戸で同社初のマンション分譲
    • [28]1962年の東京都調布を皮切りに東京・大阪近郊で宅地分譲、1964年に神戸で同社初のマンション分譲

出典・参考

5件
出典・参考
  • 日本会社史総覧(1995年)「住友不動産」
  • 証券 1970年10月号(新規上場会社紹介)
  • 日本企業要覧 1977年版「住友不動産」役員欄
  • 私の住友昭和史(1988年)「不動産部門の処理」
  • 私の住友昭和史(1988年)「住友の商号商標問題」

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