三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の合同(1933年・三和銀行の決断)

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論点単独で残るか3行で合同するか
三和銀行:業績の推移
売上高(億円)当期純利益率(%)
同じ大阪の地盤で競う3行が優良資産だけを持ち寄った新銀行の設立1932年12月31日、三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の3行は合併の基本要項の申合書に調印した。1933年8月に合併の仮契約に調印して三和銀行の創立を発表し、12月9日に資本金1億720万円で三和銀行が発足した。頭取には合併を斡旋した日本銀行理事の中根貞彦氏が就任し、本支店175・出張所100で営業を開始した。

何をなぜ決めたか:同じ大阪の地盤で競う3行が優良資産だけを持ち寄った新銀行の設立

概要

1932年12月31日、三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の3行は合併の基本要項の申合書に調印した。1933年8月に合併の仮契約に調印して三和銀行の創立を発表し、12月9日に資本金1億720万円で三和銀行が発足した。頭取には合併を斡旋した日本銀行理事の中根貞彦氏が就任し、本支店175・出張所100で営業を開始した。

合同は、大阪の同じ地盤で競う3行の争いを止めるためのものだった。財界も、条件の近い3行が資金を合わせれば産業を強く後押しできるとして合同を歓迎した。

背景

昭和の金融恐慌と銀行法が、銀行の数を減らしていた。1928年の銀行法は資本金の下限を100万円、大都市に本店を置く銀行は200万円と定めた。全国の普通銀行は1926年末の1,420行から1932年末の538行へ減少した。

3行は整理される側ではなかったが、単独では住友・第一・三井・三菱・安田の五大銀行に届かなかった。1927年から1932年まで日本銀行大阪支店長を務めた中根貞彦氏は、3行の合同で五大銀行を上回る金融力をつくる必要を感じていた。1932年4月、三十四銀行の菊池恭三頭取が日本銀行大阪支店に、山口・鴻池両行との合併の斡旋を依頼した。

内容

交渉で最も難しかったのは、山口家と鴻池家の扱いだった。両家の経営と新銀行での地位の調整に9か月の準備期間を充て、新銀行の頭取の人選は日本銀行総裁の土方久徴氏が引き受けた。準備の会合は日本銀行の中根貞彦理事と下山調査役の斡旋で数十回にわたり、秘密のうちに重ねられた。

新銀行に何を持ち込むかも条件になった。引き継ぐ資産は安全で採算の取れるものに限り、3行の資産のなかから優良な資産を選んで拠出する方針を採った。大蔵省は1933年8月に合併を内認可し、9月の3行の臨時株主総会での承認を経て、11月に正式に認可した。

含意

発足した月の1933年12月末に、三和銀行の預金残高は10億円を超えた。1934年末の第1期決算では預金総額10億2,500万円で首位に立ち、店舗数275の国内で初めての10億円銀行となった。中根貞彦頭取は創立の披露宴で、取引先・株主・銀行の融和をうたう「三和主義」を明らかにした。

ただし、合同は重複の整理も伴った。1934年2月から近接する店舗の統合を始め、この年だけで23支店・34出張所を廃止した。初代の中根貞彦頭取に続き、2代目の岡野清豪氏、3代目の渡辺忠雄氏も日本銀行の出身で、三代の頭取が日本銀行出身者で占められた。

いつ何が起きたか12件
考察:競争の費用が合同の費用を超えた
考察

考察:競争の費用が合同の費用を超えた

なぜ3行は単独での存続を選ばなかったのか。3行とも恐慌を生き延び、銀行法の資本金の下限にも掛からない銀行だった。整理される側ではない。それでも同じ大阪の地盤で同じ客を取り合えば、預金も貸出も金利の条件で競り合い、利ざやは縮小する。3行がそれぞれ単独で五大銀行に届かないことも明らかだった。三十四銀行の菊池恭三頭取が日本銀行に斡旋を頼んだのは、競争を続ける費用が合同の手間を上回ったからだろう。

もっとも、合同を形にしたのは3行ではなく日本銀行だった。斡旋は日本銀行の理事と調査役が担い、頭取の人選は日本銀行総裁が引き受け、初代頭取には斡旋役の中根貞彦氏が就任した。山口家と鴻池家の地位の調整に9か月を要したのは、両家が自ら譲り合える関係になかったことを示している。外から来た頭取だから、両家の上に立てたとも言える。その代わり、経営の中枢は日本銀行出身者が占めることになった。

結果は成功である。三和銀行は発足した月に預金残高10億円を超え、1934年末には預金総額10億2,500万円で首位に立った。優良資産だけを持ち寄る方針と、1934年の23支店・34出張所の廃止で、合同の重複は早い時期に整理された。頭取は3代続けて日本銀行の出身者だったが、新銀行は発足から1年で国内首位の預金を集めた。合同は、大阪の老舗3行を一つの大銀行として残すことに成功した判断だった。

Yutaka Sugiura, 2026年10月
参考文献

参考文献

参考
  • 三和銀行『三和銀行の歴史』(1974年)年表
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「三和銀行」の項
  • 日本会社史総覧 三和銀行(東洋経済新報社、1995年)
  • 企業の現代史「あなたの銀行(三和銀行)」(1963年)
  • 大和銀行四十年史(大和銀行、1958年)
  • 金融界 2(6)(1950年)「人物評論 三和銀行頭取 渡邊忠雄論」矢須元
  • 三和銀行 社史「三和銀行の歴史(年表)」
  • 三和銀行 有価証券報告書「第110期(1997年3月期)【沿革】」

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