信託部門の東洋信託銀行への分離(1959年・三和銀行の決断)

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論点信託の兼営を続けるか分離するか
三和銀行:業績の推移
売上高(億円)当期純利益率(%)
戦時に得た信託の兼営をやめ、短期の商業金融に専業化した銀行1959年9月、三和銀行・神戸銀行・野村證券の3者のトップが、信託銀行の設立について覚書に調印した。三和銀行は信託部門を切り離し、神戸銀行・野村證券とともに東洋信託銀行を設立した。1960年4月1日、三和銀行は信託業の営業を東洋信託銀行へ譲渡し、信託部を廃止した。

何をなぜ決めたか:戦時に得た信託の兼営をやめ、短期の商業金融に専業化した銀行

概要

1959年9月、三和銀行・神戸銀行・野村證券の3者のトップが、信託銀行の設立について覚書に調印した。三和銀行は信託部門を切り離し、神戸銀行・野村證券とともに東洋信託銀行を設立した。1960年4月1日、三和銀行は信託業の営業を東洋信託銀行へ譲渡し、信託部を廃止した。

分離の狙いは、長期の金融と短期の商業金融を分け、それぞれを専業にすることだった。信託業務を譲渡した翌月の1960年5月、渡辺忠雄頭取は会長に退き、上枝一雄氏が頭取に就任した。

背景

三和銀行の信託業務は戦時の合併から始まった。1945年5月に三和信託と大同銀行を合併し、資本金を1億4,645万円に増やして信託業務の兼営を始めた。三和信託は1941年に共同・関西・鴻池の3つの信託会社が合併してできた会社で、三行合同の前の3行の姉妹会社にあたる。

戦後、大蔵省は兼営を認めない方向へ進んだ。1953年12月には普通銀行の信託兼営を原則として認可しない方針を通達で示し、1959年4月には佐藤大蔵大臣が都市銀行の兼営する信託を分離させる方針を強調した。一方で野村證券は1954年1月に証券信託銀行の構想を大蔵省へ出したが、6月に大蔵大臣が銀行の新設を許可しない方針を公にし、単独設立の構想を修正していた。

内容

組み合わせは大蔵省の意見から出た。大蔵省は非公式に、野村證券がつくる信託銀行は2つの銀行の信託部門と組むようにと伝えた。信託の兼営で最も利点を得ていた大和銀行は寺尾頭取が反対して応じず、三和銀行と神戸銀行が加わった。東洋信託銀行の資本金は25億円である。

三和銀行は信託部門を出したのと同じ時期に、個人向けの商品を相次いで出した。1960年4月に個人当座預金の取扱いを始め、12月にはドリームローンで消費者金融に入った。1960年11月には資本金を100億円に増やしている。

含意

信託部門を出した後も、三和銀行は東洋信託銀行との資本の関係を保った。1997年3月末の三和銀行の大株主のなかで、東洋信託銀行は5,057万株あまりを持つ第6位の株主だった。2000年3月期の時点では、三和銀行が東洋信託銀行の普通株式の11.06%を保有する筆頭株主だった。

分離した信託部門は、2001年4月に再び三和銀行と同じグループに戻った。この月、三和銀行・東海銀行・東洋信託銀行の3行は株式移転でUFJホールディングスを設立した。1959年に大蔵省の方針の下で切り離した信託の機能を、持株会社の傘下で取り戻したことになる。

いつ何が起きたか12件
考察:求められる前に分離した信託
考察

考察:求められる前に分離した信託

なぜ三和銀行は信託の兼営をやめたのか。大蔵省は1953年に兼営を原則として認めない方針を示し、1959年には大臣が分離を強調した。兼営を続けても、いずれ切り離しを求められる公算が大きかった。それなら、行政が認める枠組みで信託銀行の設立に加わり、譲渡先の株主として関係を残すほうが得である。三和銀行は、分離を命じられて譲渡するより、自ら組み合わせを選んで出すほうを取ったのだろう。

もっとも、同じ方針の下でも大和銀行は兼営を守った。大和は信託の兼営で最も利点を得ていた銀行で、寺尾頭取は野村證券の誘いに応じなかった。分離が行政の強制なら、大和も同じ道をたどったはずである。三和銀行にとって信託は、大和ほど分離しにくい事業ではなかったとみられる。分離は、三和が信託部門を自行の中心とは見ていなかったことの表れでもある。戦時の合併で得た兼営は、三和にとって自ら育てた事業ではなかった。

結果は部分的な成功である。分離の前後で三和銀行の収入は1959年3月期の389億円から1963年3月期の785億円へ倍増し、商業金融への専業化は業績を崩さなかった。三和銀行は東洋信託銀行の筆頭株主として関係を保ち、2001年には同行と同じ持株会社の傘下に入った。ただし、信託の機能は1960年から2001年まで自行の外にあり、取り戻すには3行の統合という大きな再編を要した。分離は短期の業績を守ったが、総合金融の品ぞろえでは長い空白を残した。

Yutaka Sugiura, 2026年10月
数字で見る1表

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図と表

三和銀行:三和銀行単体の収入と当期純利益

収入(億円)当期純利益率(%)

信託を分離した前後で収入は1959年3月期の389億円から1963年3月期の785億円へ倍増

三和銀行:三和銀行単体の収入と当期純利益
(億円)収入当期純利益備考
1955年3月期193−9月期と3月期の半期を合算(以下同じ)。収入は通常収入
1957年3月期26112
1958年3月期34913
1959年3月期38913
1960年3月期44619東洋信託銀行の設立に参加。4月1日に信託業務を譲渡
1962年3月期65627収入は営業収入(以下同じ)
1963年3月期78530
出所:上場会社総覧 1956年版・1959年版・1961年版(三和銀行 半期業績) / ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版(三和銀行 半期業績)
出所:上場会社総覧 1956年版・1959年版・1961年版(三和銀行 半期業績) / ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版(三和銀行 半期業績)
参考文献

参考文献

参考
  • 私の証券昭和史(1986年)「東洋信託銀行の設立」
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「三和銀行」の項
  • 三和銀行『三和銀行の歴史』(1974年)年表
  • 企業の現代史「あなたの銀行(三和銀行)」(1963年)
  • 三和銀行 有価証券報告書 第110期(1997年3月期)【大株主の状況】
  • 三和銀行・東海銀行・東洋信託銀行 合同説明会資料「3行による経営統合について」(2000年7月11日)
  • 三菱UFJフィナンシャル・グループ 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】
  • 三和銀行 有価証券報告書 第110期(1997年3月期)【沿革】
  • 上場会社総覧 1956年版・1959年版・1961年版(三和銀行 半期業績)
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版(三和銀行 半期業績)
  • 三和銀行 社史「三和銀行の歴史(年表)」
  • 三和銀行 有価証券報告書「第110期(1997年3月期)【沿革】【大株主の状況】」

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