ひと味違うピープルズバンクの宣言(1976年・三和銀行の決断)

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論点大企業取引で財閥系と競い続けるか
三和銀行:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
企業グループを持たない銀行の、個人と中小企業の取引への転換1976年4月、赤司俊雄氏が三和銀行の第6代頭取に就任した。1942年の入行で、1933年の発足から43年目にして初めての生え抜きの頭取である。就任の記者会見で赤司俊雄頭取はピープルズバンクを目指すと掲げ、どの銀行も同じことを言うと記者に返されて「ひと味違う」と言い足した。

何をなぜ決めたか:企業グループを持たない銀行の、個人と中小企業の取引への転換

概要

1976年4月、赤司俊雄氏が三和銀行の第6代頭取に就任した。1942年の入行で、1933年の発足から43年目にして初めての生え抜きの頭取である。就任の記者会見で赤司俊雄頭取はピープルズバンクを目指すと掲げ、どの銀行も同じことを言うと記者に返されて「ひと味違う」と言い足した。

看板は言葉だけで終わらなかった。1977年4月にクローバーサークル活動を始め、1978年3月には金融界で最初のカードローンを発売した。1979年6月にはCIの導入を決め、7月に22万人の顧客アンケートを行った。

背景

宣言の前提には、企業の借り方の変化があった。石油危機の後の低成長で企業は借入れに慎重になり、設備投資を自己資金や直接金融でまかなうようになった。銀行は、個人・個人事業主・中小企業へ運用先を広げる必要に迫られた。三和銀行は1972年に都市銀行に先がけて消費者金融部を設け、同じ年の8月には女性行員が住宅融資を担うローンレディー制度を始めていた。

三和銀行は財閥の流れをくむ企業グループを持たない。「ひと味違う」の背景には、1933年の三行合同から財閥系銀行に対抗してきた三和の意地があった。赤司俊雄頭取は『強大な企業グループを持たぬ我々はこの道を進むしか生き残る道はない』と言い切っている。前任の村野辰雄頭取も、企業中心のモルガン流ではなく大衆中心のバンク・オブ・アメリカ流を選んだとしていた。

内容

中心に置いたのは個人向けの新しい商品である。1978年3月発売のサンワ・クローバーカードローンは、カード1枚で50万円まで担保も保証人も要らない融資で、1979年11月までに融資件数は10万件に達した。発売の半年前にはサラリーマン1,000人に消費者金融の利用実態を調べている。

商品の外側では、顧客の声を集める仕組みを構築した。1979年7月の個人顧客22万人の調査には4,000万円をかけ、10月からは国内の全支店で来店客に満足度を投票してもらった。1980年の年頭、赤司俊雄頭取はクローバーサークル活動を「三和らしさ」の原点に置き、顧客志向の徹底を行員に求めた。

含意

総預金は5年足らずで4兆円増加した。総預金は1975年12月に6兆円、1977年5月に7兆円、1978年9月に8兆円、1980年3月に10兆円に達した。個人向け融資の品ぞろえも続き、1982年7月にはサンワクイックローンの取扱いを始めた。

一方で、国際業務は遅れていた。1976年時点の海外拠点は18か国46拠点で、101か国684拠点を持つシティコープと比べると差は大きかった。1982年6月に頭取を継いだ川勝堅二氏はロンドン支店長を2度務めた国際派で、後任の選び方にもその課題が表れている。

いつ何が起きたか12件
考察:財閥を持たない銀行の生存条件
考察

考察:財閥を持たない銀行の生存条件

なぜ三和銀行は個人の取引を主力に据えたのか。石油危機の後、大企業は借入れを減らし、銀行同士で大企業の資金需要を奪い合う構図になった。財閥系の銀行は、グループの企業という固い取引先を持つ。三和銀行にはそれが無い。同じ大企業を相手に競えば、条件の悪い取引しか残らない。だから三和は、財閥系が手薄な個人と中小企業の取引で先に仕組みを構築すると決めたのだろう。赤司俊雄頭取の言葉は、看板ではなく生存の条件を語ったものと読める。

もっとも、ピープルズバンクという言葉は三和だけのものではなかった。就任会見で記者が返したとおり、どの銀行も同じ看板を口にしていた。違いを出す手段として選んだカードローンや顧客調査は、他行がすぐに追える種類のものである。しかも個人取引に力を注ぐほど、海外業務への投資は後回しになる。1976年の海外拠点は18か国46拠点にとどまり、国際化の遅れは次の頭取に持ち越された。

結果は部分的な成功である。総預金は1975年12月の6兆円から1980年3月の10兆円へ増加し、経常収益は1972年3月期の2,672億円から1982年3月期の15,050億円へ伸びた。個人と中小企業から資金を調達する力は、宣言のとおりに強まった。ただし、経常利益は1980年3月期に299億円まで低下しており、預金量の伸びほどには稼ぐ力は伸びていない。量の拡大には成功したが、収益力と国際業務の遅れという課題は、国際派の川勝堅二頭取の代へ持ち越された。

Yutaka Sugiura, 2026年10月
数字で見る1表

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図と表

三和銀行:三和銀行単体の経常収益と経常利益

経常収益(億円)経常利益率(%)

経常収益は1972年3月期の2,672億円から10年で5.6倍の1兆5,050億円

三和銀行:三和銀行単体の経常収益と経常利益
(億円)経常収益経常利益当期純利益備考
1972年3月期2,6724112099月期と3月期の半期を合算(以下同じ)
1973年3月期3,167431229
1974年3月期4,261370241
1975年3月期6,189539201
1979年3月期6,503633280
1980年3月期9,355299188
1981年3月期12,212530270
1982年3月期15,050743351通期の数値
出所:会社年鑑 1976年版(三和銀行 最近の業績) / 会社年鑑 1986年版(三和銀行 最近の業績)
出所:会社年鑑 1976年版(三和銀行 最近の業績) / 会社年鑑 1986年版(三和銀行 最近の業績)
参考文献

参考文献

参考
  • 三和銀行『サンワのあゆみ:三和銀行創立五十周年誌』(1983年)年表
  • 日経ビジネス 1976年6月7日号
  • 日経ビジネス 1979年11月5日号 p92-98
  • 日経ビジネス 1972年9月18日号
  • 日経ビジネス 1975年8月4日号
  • 80年代わが社の戦略(1980年)「三和銀行」赤司俊雄
  • 日経ビジネス 1976年10月25日号
  • 政経人(1983年)「金融国際化を進める新しい旗手(三和銀行頭取川勝堅二)」
  • 日経ビジネス 1979年11月5日号 p92-98(赤司俊雄頭取へのインタビュー)
  • 会社年鑑 1976年版(三和銀行 最近の業績)
  • 会社年鑑 1986年版(三和銀行 最近の業績)
  • 三和銀行 社史「サンワのあゆみ : 三和銀行創立五十周年誌(年表)」

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