東洋信用金庫の救済合併(1992年・三和銀行の決断)

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論点利点の無い救済合併を引き受けるか
三和銀行:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
拒み続けた救済の、債権放棄と他行の資金支援を条件にした引受け1992年10月1日、三和銀行は東洋信用金庫を合併した。合併比率は東洋信用金庫の出資1.5口に対して三和銀行株式1株で、合併による増資額は2,800万円あまりにとどまった。架空の預金証書の事件で行き詰まった信用金庫を、都市銀行が合併して整理した。

何をなぜ決めたか:拒み続けた救済の、債権放棄と他行の資金支援を条件にした引受け

概要

1992年10月1日、三和銀行は東洋信用金庫を合併した。合併比率は東洋信用金庫の出資1.5口に対して三和銀行株式1株で、合併による増資額は2,800万円あまりにとどまった。架空の預金証書の事件で行き詰まった信用金庫を、都市銀行が合併して整理した。

合併の前に、東洋信用金庫は解体された。25支店の営業権を大阪府下の信用金庫に売り、残りを三和銀行が引き取った。日本興業銀行・全国信用金庫連合会・預金保険機構の3者が計800億円を出し、三和銀行の合併を資金の面で支えた。

背景

東洋信用金庫の架空預金証書は、1992年2月の時点で3,655億円分が残っていた。このうち、証書を担保に料亭経営者の尾上縫被告へ貸したノンバンクの債権が約2,200億円あった。大蔵省は、東洋信用金庫の単独処理はもちろん、地方銀行や信用金庫との合併でも処理できない金額とみて、三和銀行との合併以外に道は無いと判断した。

三和銀行が名指しされたのは、人の縁があったからである。東洋信用金庫には転籍者を含めて約30人の三和銀行出身者がおり、尾上被告と一緒に逮捕された元職員も三和銀行の出身だった。渡辺滉頭取は『東洋信金を合併する意思も意欲もない。何らメリットもないのに合併したら、株主に説明できない』と拒み、三和銀行の役員も大蔵省が最初から合併の枠をはめてきたと不満を示した。

内容

整理の条件は、損失を関係者で分担する方式で組まれた。大蔵省は1991年12月、ノンバンク10社に尾上被告向け債権の42%を放棄する案を示していた。東洋信用金庫の資産を処分しても残るのは約1,280億円で、ノンバンクの請求額の58%にしかならなかったためである。

三和銀行は合併を拒みながら、水面下で自らの実質の負担を最小にする条件を求めて交渉した。尾上被告の主力銀行の立場にあった日本興業銀行は、債権の7割の放棄と三和銀行への500億円の贈与を受け入れた。大蔵省と日本銀行は、清算して預金を払い戻す手段を検討したうえで断念している。

含意

合併した期の1993年3月期、三和銀行単体の経常利益は1,954億円、当期純利益は672億円だった。この期に三和銀行は業務純益・経常利益・当期利益の3部門で都市銀行の首位に立った。救済の負担は、他行の資金支援によってその期の業績を崩さない範囲に収まった。

ただし、利益はその後に減少した。経常利益は1994年3月期に896億円、1995年3月期に492億円となり、1996年3月期には2,599億円の経常損失を計上した。東洋信用金庫の救済は、バブル崩壊後の不良債権処理の前触れにすぎなかった。

いつ何が起きたか12件
考察:断れない救済の値段を下げる交渉
考察

考察:断れない救済の値段を下げる交渉

なぜ三和銀行は最後に合併を受け入れたのか。大蔵省と日本銀行は清算による預金の払い戻しを断念しており、東洋信用金庫を合併できる銀行は三和銀行のほかに無かった。三和には約30人の出身者が東洋信用金庫にいた。断り続ければ、信用秩序を乱した銀行とみなされる。三和銀行は合併を避けられないと見たうえで、拒む姿勢を交渉の材料に使い、ノンバンクの債権放棄と他行の資金支援を引き出したのだろう。

もっとも、条件を取ったことは負担が無くなったことを意味しない。日本興業銀行が500億円を贈与し、3者が計800億円を出しても、架空証書の残高3,655億円との差は大きい。損失を関係者で分け合う方式は、大蔵省が主導する全員参加の救済だった。三和は自らの負担を小さくしたが、当局の要請を最後は断れない都市銀行であることも示した。株主に説明できないという頭取の言葉は、守り切れなかった原則でもある。

結果は、交渉としては成功である。合併した1993年3月期に三和銀行は業務純益・経常利益・当期利益の3部門で都市銀行の首位に立ち、経常利益は1,954億円だった。救済の負担は業績を崩さなかった。ただし、3年後の1996年3月期には2,599億円の経常損失を計上した。東洋信用金庫の救済で済んだのは一つの金庫の整理であり、三和銀行自身の不良債権は別に拡大していたことになる。

Yutaka Sugiura, 2026年10月
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図と表

三和銀行:三和銀行単体の経常利益と当期純利益

経常利益(億円)当期純利益(億円)

合併した1993年3月期の経常利益1,954億円は、3年後に2,599億円の損失へ転落

三和銀行:三和銀行単体の経常利益と当期純利益
(億円)経常利益当期純利益備考
1993年3月期1,95467210月に東洋信用金庫を合併
1994年3月期896523
1995年3月期492368
1996年3月期△2,599△2,795経常損失と当期損失
1997年3月期427413
出所:三和銀行 有価証券報告書 第110期(1997年3月期)【主要な経営指標等の推移】
出所:三和銀行 有価証券報告書 第110期(1997年3月期)【主要な経営指標等の推移】
参考文献

参考文献

参考
  • 三和銀行 有価証券報告書 第110期(1997年3月期)【資本金の推移】
  • 日経ビジネス 1992年6月8日号 p11-14
  • 日経ビジネス 1992年5月18日号 p32-33
  • 日経ビジネス 1992年2月17日号 p32-33
  • 三和銀行 有価証券報告書 第110期(1997年3月期)【主要な経営指標等の推移】
  • 日経公社債情報 1993年11月22日号(906)「三和銀行の研究――世界の優良銀行を視野」
  • 三和銀行 有価証券報告書 第110期(1997年3月期)【沿革】【資本金の推移】
  • 三和銀行 有価証券報告書 第110期(1997年3月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 2000年3月20日号 p4-6
  • 三和銀行 有価証券報告書「第110期(1997年3月期)【主要な経営指標等の推移】【沿革】【資本金の推移】」
  • 三和銀行 ディスクロージャー誌「資本の状況「東洋信用金庫との合併」」

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