カシオ計算機:「カシオミニ」による電卓市場の創造と海外展開の起点
1946年〜樫尾4兄弟と世界初の純電気式計算機14-Aの誕生
1946年4月、樫尾忠雄ら樫尾4兄弟は東京都三鷹市に樫尾製作所を設立した。戦後復興期の町工場にすぎなかったが、1957年6月に世界初の小型純電気式計算機"14-A"を商品化し、同時にカシオ計算機株式会社を設立した。当時の計算機市場は機械式かリレー式が主流で、真空管式の部屋一室規模の電子計算機は一部にあったが、事務机の上に置ける純電気式小型機はまだ世界になかった。14-Aはリレー方式を精密に組み上げた製品で、カシオを計算機業界の主要プレーヤーへ押し上げた一台となった。戦後の物資不足のなかで小型純電気式計算機を独力で量産した事実が、町工場から全国メーカーへの飛躍を支えた。
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1946年4月 樫尾忠雄氏ら樫尾4兄弟が東京都三鷹市に樫尾製作所を創業
- [2]1957年6月 世界初の小型純電気式計算機「14-A」商品化、同月カシオ計算機株式会社を設立
- [3]当時の計算機は機械式・リレー式が主流
1960年4月に東京都東大和市の東京工場を完成させて量産体制を整え、1965年9月には電子式卓上計算機を発売した。リレー式から電子式への世代交代を自ら先導する形で、1960年代後半からの電卓戦争の主戦場に立った。ただし転換は自発的なものばかりではない。1964年のビジネスショウで数社が出品した電子式計算機は、その小ささと、リレー式に見劣りしない性能で樫尾忠雄の背筋を冷やした。同年7月に競合が電子式計算機を発売した衝撃が、リレー式で築いた優位を自ら壊す決断を促した。シャープ・キヤノン・ソニー・東芝など大手が電卓の小型化と低価格化で競り合う時代に、カシオは技術と価格の両面で攻防の中心に立った。
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [4]1960年4月 東京都東大和市に東京工場完成
- [5]1965年9月 電子式卓上計算機発売
- 日経新聞「私の履歴書」(1991年8月23日)
- [6]樫尾忠雄は1964年のビジネスショウで他社の電子式計算機を見て衝撃を受けたと回想(同年7月に競合が電子式計算機を発売)
参考文献[1]-[6]
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [1]1946年4月 樫尾忠雄氏ら樫尾4兄弟が東京都三鷹市に樫尾製作所を創業
- [2]1957年6月 世界初の小型純電気式計算機「14-A」商品化、同月カシオ計算機株式会社を設立
- [3]当時の計算機は機械式・リレー式が主流
- [4]1960年4月 東京都東大和市に東京工場完成
- [5]1965年9月 電子式卓上計算機発売
- 日経新聞「私の履歴書」(1991年8月23日)
- [6]樫尾忠雄は1964年のビジネスショウで他社の電子式計算機を見て衝撃を受けたと回想(同年7月に競合が電子式計算機を発売)
1970年〜カシオミニの衝撃と電卓戦争を制した価格破壊の実現
電卓をめぐるメーカー間の争いは、この時期しだいに激しくなっていた。そうしたなか、1970年5月には海外販売の足場としてニューヨーク州に販売会社Casio, Inc.を置き、同年9月に株式を東京証券取引所第二部へ上場させた。当時の事務用電卓は8桁で3万円を超えるのが普通だった。1972年8月に出した"カシオミニ"は、そこへ12,800円という値段で割って入った。同じ月には東証一部への指定替えも果たしている。表示は6桁しかなく、扱える額が10万円までの機械は玩具同然ではないかと社の内外から疑問の声が出たが、反対を退けて企画は進んだ。発売から1年半で販売は200万台を超え、個人が持つパーソナル電卓という市場がここから開けた。10月にはハンブルクに独Casio Computer GmbHを設け、1973年3月には八王子工場が完成した。
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [7]1970年5月 ニューヨーク州に現地販売会社Casio,Inc.を設立
- [8]東京証券取引所第二部への株式上場は1970年9月(1970年5月はCasio,Inc.設立)
- [10]1972年8月 東京証券取引所第一部に指定替え
- [13]1972年8月 「カシオミニ」を発売しパーソナル電卓の市場を確立
- [14]1972年10月 ハンブルグに現地販売会社Casio Computer Co.,GmbH Deutschlandを設立
- [15]1973年3月 八王子工場(現・八王子技術センター)完成
- 日経ビジネス(1975年4月14日)
- [9]カシオミニ発売価格 12,800円
- [12]電卓は8桁以上の事務所用で3万円以上という当時の常識を破り、発売から1年半で200万台を超えるベストセラーになった
- 日経ビジネス(1990年1月1日)
- [11]6桁表示でおもちゃのような電卓は作れないという批判が社内にあった
価格の引き下げは思いつきではなく、需要をどこに作るかという考え方から出ていた。樫尾忠雄は、新しいものを作れば売れるのではなく一般の利用者が何を望みどのような商品なら多くの人に使ってもらえるかを先に置き、必要としている人へ製品を届けることをメーカーの使命として家庭向け商品の開発に取り組んだ。5万円を切る電卓を市販するなど無茶だという同業他社の反発もあった。それでも常に他社より安いものを出すという価格政策を貫き、電卓を手がけて10年目の1975年には従業員2,000人・年間売上430億円と電卓業界の首位に立った。ただし首位の座は減益と背中合わせで、価格競争の代償は収益に跳ね返り続けた。
- 証券アナリストジャーナル(1972年10月)
- [16]樫尾忠雄は利用者が何を望むかを起点に商品を決めてきたと説明し、必要とする人へ製品を届けるのがメーカーの使命だとして家庭向け商品の開発に取り組んだと述べた
- 実業往来(1971年9月)
- [17]5万円以下の電卓を市販するのは無茶だという同業他社の反発があった
- 日経ビジネス(1975年4月14日)
- [18]1957年に従業員20人で発足し、1965年に電子式へ切り替え、電卓を手がけて10年目の1975年に従業員2,000人・年間売上430億円(推定)で電卓業界のトップ企業になった
- [19]常に他社より安いものをという価格政策の王道で首位を築いたが、その道程は減益体質を取り込む道でもあった
参考文献[7]-[19]
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [7]1970年5月 ニューヨーク州に現地販売会社Casio,Inc.を設立
- [8]東京証券取引所第二部への株式上場は1970年9月(1970年5月はCasio,Inc.設立)
- [10]1972年8月 東京証券取引所第一部に指定替え
- [13]1972年8月 「カシオミニ」を発売しパーソナル電卓の市場を確立
- [14]1972年10月 ハンブルグに現地販売会社Casio Computer Co.,GmbH Deutschlandを設立
- [15]1973年3月 八王子工場(現・八王子技術センター)完成
- 日経ビジネス(1975年4月14日)
- [9]カシオミニ発売価格 12,800円
- [12]電卓は8桁以上の事務所用で3万円以上という当時の常識を破り、発売から1年半で200万台を超えるベストセラーになった
- [18]1957年に従業員20人で発足し、1965年に電子式へ切り替え、電卓を手がけて10年目の1975年に従業員2,000人・年間売上430億円(推定)で電卓業界のトップ企業になった
- [19]常に他社より安いものをという価格政策の王道で首位を築いたが、その道程は減益体質を取り込む道でもあった
- 日経ビジネス(1990年1月1日)
- [11]6桁表示でおもちゃのような電卓は作れないという批判が社内にあった
- 証券アナリストジャーナル(1972年10月)
- [16]樫尾忠雄は利用者が何を望むかを起点に商品を決めてきたと説明し、必要とする人へ製品を届けるのがメーカーの使命だとして家庭向け商品の開発に取り組んだと述べた
- 実業往来(1971年9月)
- [17]5万円以下の電卓を市販するのは無茶だという同業他社の反発があった
1974年〜時計事業への越境とLSIカスタム化の選択
カシオミニの成功は、会社を需要創造型のオンリーワン商品路線に決定づけた。1974年11月、電子腕時計を発売して時計事業へ参入した。電卓競争の激化でやむなく多角化したと受け取られがちだが、実際には電子の応用技術の開発が事業化に乗り出すきっかけだった——樫尾忠雄が置いた整理である。もっとも外からの見方は厳しく、売り出したばかりの電子時計カシオトロンは販売ルートで難色を示された。デジタル表示式の全電子ウオッチへの進出は一つの賭けであり、時計事業でつなぎの資金は付けられても、失敗すれば銀行や商社の管理下に置かれるという指摘も出た。電卓一本足からの脱出は、既存業界の流通秩序へ踏み込む選択でもあった。
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [20]電子腕時計発売は1974年11月(有報【沿革】。1974年5月は本店の新宿区への移転)
- 証券アナリストジャーナル(1976年3月)
- [21]樫尾忠雄はデジタル電子腕時計への進出は電卓競争による多角化ではなく電子の応用技術の開発がきっかけだったと説明した
- 月刊経済(1975年1月)
- [22]売り出したばかりの電子時計カシオトロンが販売ルートで難色を示された
- [23]デジタル表示式の全電子ウオッチ進出は賭けであり、失敗すれば銀行や商社の管理下に置かれると指摘された
技術基盤の選択でも分岐があった。電卓の主要部分はトランジスタからIC、そしてLSIへ目まぐるしく移り、LSIの時代に入ると各社はLSIメーカーの作る標準品を使うか特注品を発注するかの選択を迫られた。多くのメーカーは標準品の安さに引かれたが、特注を選んだのは世界の電卓メーカーのうちカシオ計算機・シャープ・TIの3社だけだった。標準品ではなく特注LSIを選んだ判断が、後の時計・楽器・電子辞書への技術展開を支えた。1975年9月にはロンドンにCasio Electronics、1979年7月には羽村技術センターを完成させ、同年8月に香港Casio Computer (HK)、同年10月に山形カシオを相次いで設立した。
- 日経ビジネス(1979年10月8日)
- [24]LSI化に際し標準品ではなく特注品を選んだのは世界の電卓メーカーのうちカシオ計算機・シャープ・TIの3社だった
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [25]1975年9月 ロンドンに現地販売会社Casio Electronics Co.Ltd.を設立
- [26]1979年7月 東京都羽村市に羽村技術センター完成
- [27]香港Casio Computer(Hong Kong)Ltd.設立は1979年8月、山形カシオ設立は1979年10月(有報【沿革】)
参考文献[20]-[27]
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- [20]電子腕時計発売は1974年11月(有報【沿革】。1974年5月は本店の新宿区への移転)
- [25]1975年9月 ロンドンに現地販売会社Casio Electronics Co.Ltd.を設立
- [26]1979年7月 東京都羽村市に羽村技術センター完成
- [27]香港Casio Computer(Hong Kong)Ltd.設立は1979年8月、山形カシオ設立は1979年10月(有報【沿革】)
- 証券アナリストジャーナル(1976年3月)
- [21]樫尾忠雄はデジタル電子腕時計への進出は電卓競争による多角化ではなく電子の応用技術の開発がきっかけだったと説明した
- 月刊経済(1975年1月)
- [22]売り出したばかりの電子時計カシオトロンが販売ルートで難色を示された
- [23]デジタル表示式の全電子ウオッチ進出は賭けであり、失敗すれば銀行や商社の管理下に置かれると指摘された
- 日経ビジネス(1979年10月8日)
- [24]LSI化に際し標準品ではなく特注品を選んだのは世界の電卓メーカーのうちカシオ計算機・シャープ・TIの3社だった
1946年〜1979年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | 6 | n/a | 0 | 0.0% | 0 | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | 12 | +100.0% | 0 | 0.0% | 0 | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | 23 | +91.7% | 2 | 8.7% | 1 | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | 42 | +82.6% | 6 | 14.3% | 3 | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | 71 | +69.0% | 10 | 14.1% | 5 | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 105 | +47.9% | 11 | 10.5% | 6 | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 123 | +17.1% | 13 | 10.6% | 6 | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 182 | +48.0% | 23 | 12.6% | 12 | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 342 | +87.9% | 31 | 9.1% | 15 | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 449 | +31.3% | 31 | 6.9% | 16 | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | 533 | +18.7% | 43 | 8.1% | 20 | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | 545 | +2.3% | 24 | 4.4% | 15 | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 630 | +15.6% | 38 | 6.0% | 18 | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 809 | +28.4% | 61 | 7.5% | 28 | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
9件
- カシオ計算機 有価証券報告書 第69期(2025年3月期)【沿革】
- 証券アナリストジャーナル(1972年10月)
- 日経ビジネス(1975年4月14日)
- 証券アナリストジャーナル(1976年3月)
- 日経ビジネス(1979年10月8日)
- 日経ビジネス(1990年1月1日)
- 日経新聞「私の履歴書」(1991年8月23日)
- 実業往来(1971年9月)
- 月刊経済(1975年1月)