第1章 年〜年

キーエンス:リード電機の創業と切断機撤退によるセンサー専業への転換

自動線材切断機からFAセンサーへ

1972年〜二度の倒産を経た三度目の起業による自動線材切断機事業の立ち上げ

滝崎武光氏は1945年に生まれた。1964年に兵庫県立尼崎工業高校を卒業した後、外資系のプラント制御機器メーカーで電子制御を学んだ。最初に独立して興した電子機器メーカーは解散に追い込まれ、次いで興した、機械を組み立てる下請け会社も立ち行かなくなった。それでも1972年3月、27歳で三度目となる起業に踏み切り、兵庫県伊丹市でリード電機を個人創業して自動制御機器と電子応用機器の開発・製造・販売を始めた。手始めの製品は電線メーカー向けの自動線材切断機で、電子制御によって小型化した点を差別化要因に、古河電工や住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ供給した。

  • 証券 1990年2月号
    • [1]滝崎武光氏 1945年生まれ・1964年 尼崎工業高校卒業
  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [2]1964年 兵庫県立尼崎工業高校卒、外資系プラント制御機器メーカーなどを経て1972年にリード電機を創業
    • [3]独立して創業した電子機器メーカーは解散、続いて設立した機械関係の組み立て下請け会社も倒産
    • [6]祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機
    • [7]電子制御による小型化で古河電工・住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1972年3月 兵庫県伊丹市においてリード電機を創立
    • [5]創業時の事業目的は自動制御機器・電子応用機器の開発、製造販売

祖業の自動線材切断機は電線メーカーの製造現場で使う地味な産業用機械だったが、営業利益率は20%に達した。1973年4月には工場自動化用の各種センサを開発し、製造販売を開始した。1974年5月、滝崎武光氏は『産業界の合理化、省力化に対する非常に大きな需要に応えるため、株式会社組織に改組』(証券アナリストジャーナル 1987年12月号)し、兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立した。個人創業から株式会社化までは2年2カ月を要した。会社を潰さず永続させるにはどうすればよいかという問いから、滝崎武光氏は最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求へ行き着き、売上規模の拡大よりも利益率を優先する判断基準を据えた。

  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [8]切断機は電線メーカー向けの地味な産業機械で売上の約1割
    • [9]自動線材切断機(祖業)の営業利益率 20%
    • [14]会社を永続させる問いから最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求へ
    • [15]売上規模の拡大より利益率を最優先する判断基準(2度の失敗の教訓)
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [10]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
    • [12]1974年5月 株式会社に改組し兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立
    • [13]個人創業1972年3月から株式会社化1974年5月まで2年2カ月
  • 証券アナリストジャーナル(1987年12月)
    • [11]滝崎武光氏の発言(株式会社組織への改組の理由)

株式会社としての初年度にあたる1975年3月期の売上高は1200万円にとどまり、翌年度に黒字へ転じた。創業当時の経営目標は、まず会社を潰さずに続けることであり、与えられた経営資源から最高の結果を引き出すことを滝崎武光氏は自らの務めとした。年商が1億円に達するまでには設立から5年を要したが、続く5年で10億円の水準へ乗り、さらに次の5年で100億円を超えた。5年で10倍という階段を三度上り、設立15年で年商1200万円の企業が100億円規模へ達した。伸び率は設立後13年間を通じて年1.5倍から1.8倍で推移し、増収増益は13期連続に及んだ。倒産を二度経験した創業者が最初に据えたのは成長の速度ではなく、下振れしても潰れない損益の形だった。

  • 日経ビジネス(1991年6月24日)
    • [16]初年度の1975年3月期の売上高 1200万円
    • [17]1976年3月期に黒字転換
  • 日経ビジネス(1995年1月16日)
    • [18]創業当時はまず会社を潰さずに続けることが第一で、与えられた経営資源で最高の結果を引き出すことを自らの務めとした
  • 証券アナリストジャーナル(1988年7月)
    • [19]設立以来 年間売上1億円に5年、次の5年で10億円、さらに次の5年で100億円超
    • [20]5年で10倍のペースで伸び、15年で年間1200万円の企業が100億円に達した
    • [22]設立以来13期連続の増収増益
  • 証券アナリストジャーナル(1987年12月)
    • [21]会社設立後13年間の売上の伸び率はおおむね1.5倍から1.8倍
参考文献[1]-[22]
    • [1]滝崎武光氏 1945年生まれ・1964年 尼崎工業高校卒業
  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [2]1964年 兵庫県立尼崎工業高校卒、外資系プラント制御機器メーカーなどを経て1972年にリード電機を創業
    • [3]独立して創業した電子機器メーカーは解散、続いて設立した機械関係の組み立て下請け会社も倒産
    • [6]祖業は電線メーカー向けの自動線材切断機
    • [7]電子制御による小型化で古河電工・住友電工など尼崎周辺の電線メーカーへ納入
    • [8]切断機は電線メーカー向けの地味な産業機械で売上の約1割
    • [9]自動線材切断機(祖業)の営業利益率 20%
    • [14]会社を永続させる問いから最小の資本と人で最大の付加価値を上げる合理性の追求へ
    • [15]売上規模の拡大より利益率を最優先する判断基準(2度の失敗の教訓)
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [4]1972年3月 兵庫県伊丹市においてリード電機を創立
    • [5]創業時の事業目的は自動制御機器・電子応用機器の開発、製造販売
    • [10]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
    • [12]1974年5月 株式会社に改組し兵庫県尼崎市にリード電機株式会社を設立
    • [13]個人創業1972年3月から株式会社化1974年5月まで2年2カ月
    • [11]滝崎武光氏の発言(株式会社組織への改組の理由)
    • [21]会社設立後13年間の売上の伸び率はおおむね1.5倍から1.8倍
  • 日経ビジネス(1991年6月24日)
    • [16]初年度の1975年3月期の売上高 1200万円
    • [17]1976年3月期に黒字転換
  • 日経ビジネス(1995年1月16日)
    • [18]創業当時はまず会社を潰さずに続けることが第一で、与えられた経営資源で最高の結果を引き出すことを自らの務めとした
    • [19]設立以来 年間売上1億円に5年、次の5年で10億円、さらに次の5年で100億円超
    • [20]5年で10倍のペースで伸び、15年で年間1200万円の企業が100億円に達した
    • [22]設立以来13期連続の増収増益

1973年〜トヨタ自動車向け金属二枚送り検出器の開発とセンサー事業への本格参入

1973年、滝崎武光氏はプレス加工の現場で金型が破損する課題に着目し、磁気を利用して非接触で金属板の二枚送りを検出する金属板二枚送り検出器を開発した。数億円規模の金型を守るセンサーに8万5000円という単価を付け、原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格の方針を据えた。製品はトヨタ自動車への採用を皮切りに、日産自動車、三菱自動車工業、本田技研工業など主要自動車メーカーへ広がった。1977年時点の品揃えは、この検出器のほか微小位検出スイッチ、D.F DETECTOR、金属片通過確認スイッチ、継目検出器で、いずれも金属を非接触で捉える用途に集中していた。滝崎武光氏は『他社にない製品なので、商社、代理店を通じてPRすると、当社製品の価値がうまく顧客に伝わらない』と述べ、創業時から最終ユーザーへ直接販売する体制を敷いた。

  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
  • 証券 1990年2月号
    • [24]金属板二枚送り検出器は磁気を利用し非接触で金属板の二枚送りを検出。プレス加工で金型を壊すことを防ぐ用途
    • [30]創業時から最終ユーザーへ直接販売
  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [25]金属2枚送り検出器の単価 約8万5000円
    • [26]原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格
    • [27]トヨタ採用を皮切りに日産・三菱自工・本田技研など主要自動車メーカーへ拡大
  • 自動化技術 9巻6号(1977年6月)広告
    • [28]1977年時点の主な製品は微小位検出スイッチ・金属板2枚送り検出器・D.F DETECTOR・金属片通過確認スイッチ・継目検出器
  • 証券アナリストジャーナル(1987年12月)
    • [29]滝崎武光氏の発言(代理店を通すと製品価値が顧客に伝わらない)

金属板二枚送り検出器が拠って立ったのは、N極とS極が高速で入れ替わる交流磁界を用いて金属が1枚か2枚かを読み取る原理であり、滝崎武光氏はこの一つの原理から派生する磁気センサーを年に一つか二つの割合で発表し続けた。標準品を全量見込みで量産し、注文を受けてから作る生産はまったく取らないという方針のもと、同社は後発の商品でも業界最多の生産と販売を重ねてシェア首位を得た。最初に採用したのはトヨタ自動車の主力である元町工場だった。約1年後には工場指定を受け、他の主力工場にも広がった。設立以来5年間で積み上げた磁気応用センサーの中から、ミクロン単位の精度をもつ変位センサーを業界で初めて売り出したことが、成長を一段押し上げるきっかけになった。

  • 証券アナリストジャーナル(1987年12月)
    • [31]金属板二枚送り検出器の原理は交流磁界(N極とS極が高速に入れかわる磁界)で金属の厚みを測り2枚送りを検出するもの
    • [32]交流磁界を応用した磁気センサーを年間1つないし2つの割合で開発
    • [33]受注生産を一切行わず、すべて見込み生産
    • [34]後発商品でも原則としてその製品を一番多く量産しシェア1位を目指す姿勢
  • 証券アナリストジャーナル(1988年7月)
    • [35]トヨタ自動車の主力元町工場でまず採用され、1年後に全工場で使われるようになった
    • [36]設立からの5年間の磁気応用センサーのうちミクロン単位の精度を出す変位センサーを業界初で発売し、大きく伸びる契機をつかんだ

1982年、滝崎武光氏は営業利益率20%の祖業だった自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡した。切断機は売上の約1割を占める黒字事業だったが、商品内容が異なるため開発に無駄が生じる点と、営業利益率40%のFAセンサーへ集中した方が収益力が強まる点を理由に事業から撤退した。翌1983年にかけては、1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注も、経営の安定を損なうとして意図的に絞った。二度の業容縮小はセンサーの商品開発の幅を広げ、取引先は3万5000社に達した。1981年3月期以降、同社は売上高経常利益率35%以上を保った。

  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [37]1982年 祖業の切断機事業から撤退しセンサに集中投資
    • [38]自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡
    • [39]切断機は売上の約1割を占める黒字事業
    • [40]売却理由は商品内容の相違による開発の無駄と、営業利益率40%のFAセンサーへの集中
    • [41]1983年にかけて1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注を意図的に絞る
    • [42]2度の業容縮小で商品開発の幅が広がり取引先 3万5000社
    • [43]1981年3月期以降 売上高経常利益率 35%以上
参考文献[23]-[43]
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1973年4月 工場自動化用の各種センサを開発、製造販売開始
    • [24]金属板二枚送り検出器は磁気を利用し非接触で金属板の二枚送りを検出。プレス加工で金型を壊すことを防ぐ用途
    • [30]創業時から最終ユーザーへ直接販売
  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
    • [25]金属2枚送り検出器の単価 約8万5000円
    • [26]原価積み上げではなく顧客が得る導入効果を基準に価格を決める付加価値価格
    • [27]トヨタ採用を皮切りに日産・三菱自工・本田技研など主要自動車メーカーへ拡大
    • [37]1982年 祖業の切断機事業から撤退しセンサに集中投資
    • [38]自動線材切断機の製造・販売権を他社へ譲渡
    • [39]切断機は売上の約1割を占める黒字事業
    • [40]売却理由は商品内容の相違による開発の無駄と、営業利益率40%のFAセンサーへの集中
    • [41]1983年にかけて1社で売上の3割近くを占めた大口の機械メーカー向け受注を意図的に絞る
    • [42]2度の業容縮小で商品開発の幅が広がり取引先 3万5000社
    • [43]1981年3月期以降 売上高経常利益率 35%以上
    • [28]1977年時点の主な製品は微小位検出スイッチ・金属板2枚送り検出器・D.F DETECTOR・金属片通過確認スイッチ・継目検出器
    • [29]滝崎武光氏の発言(代理店を通すと製品価値が顧客に伝わらない)
    • [31]金属板二枚送り検出器の原理は交流磁界(N極とS極が高速に入れかわる磁界)で金属の厚みを測り2枚送りを検出するもの
    • [32]交流磁界を応用した磁気センサーを年間1つないし2つの割合で開発
    • [33]受注生産を一切行わず、すべて見込み生産
    • [34]後発商品でも原則としてその製品を一番多く量産しシェア1位を目指す姿勢
    • [35]トヨタ自動車の主力元町工場でまず採用され、1年後に全工場で使われるようになった
    • [36]設立からの5年間の磁気応用センサーのうちミクロン単位の精度を出す変位センサーを業界初で発売し、大きく伸びる契機をつかんだ

1983年〜直販体制と標準品特化、付加価値価格という三つの経営原則の確立

創業期に定めた三つの原則が以後の経営の根幹となり、第一は代理店を介さず営業担当が顧客の製造現場へ直接足を運ぶ直販、第二は個々の顧客向けの特注品ではなくニーズを集約した標準品に絞る品揃え、第三は原価ではなく顧客が得る導入効果を基準とする付加価値価格である。計測制御機器や自動化用測定機器の市場規模はそれぞれ数十億円程度と小さく、同社は各製品で市場を創造して高いシェアを占め、プライスリーダーの位置を占めた。1983年には『電子機器、計測器の大手企業をしのぐ競争力を持ち、とくにリードスイッチを応用したレベルセンサーでは30%のシェア』(日経産業新聞 1983年12月1日)を得て、国産レベルセンサーで首位に立った。

  • 証券アナリストジャーナル(1987年12月)
    • [44]代理店を介さない直販(滝崎武光氏の発言で確認)
  • 証券 1990年2月号
    • [45]個々のユーザーのニーズに応じた製品ではなくニーズを集約化したものを製品化
    • [47]計測制御機器・自動化用測定機器の市場規模は数十億円程度で各製品が市場を創造しプライスリーダーの位置
  • 日経ビジネス(1995年1月16日)
    • [46]原価ではなく導入効果に見合う価格を付ける付加価値価格
  • 日経産業新聞(1983年12月1日)
    • [48]1983年 リードスイッチ応用レベルセンサーで30%のシェア・国産レベルセンサーの先頭
    • [49]1983年12月時点で国産レベルセンサーの先頭に立つ(記事見出し)

製品群の拡大は段階を追って進み、1980年4月に光電センサの分野へ参入した。1983年4月には電子部品業界や家電業界向けに光ファイバー式のセンサを開発して本格進出を果たし、磁気センサと光電センサという二本の主力を揃えた。1985年3月にはアメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立し、同年9月には大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社を設立した。ただし自社では具体的な生産を行わず、ノウハウが鍵を握る約25%の製品だけを子会社で作り、残る75%は協力会社へ委託した。1984年11月には本社を大阪府高槻市へ移し、1986年には半導体レーザーを応用したセンサ、1987年9月にはプログラマブル・コントローラーを開発した。

  • 証券 1990年2月号
    • [50]1980年(昭和55年)4月 光電センサの分野へ参入
    • [51]1983年(昭和58年)4月 電子部品業界・家電業界向けに初の光ファイバー式センサを開発し光電センサ分野へ本格進出
    • [52]この時期に主要製品群である磁気センサと光電センサが揃う
    • [55]同社は具体的生産を行わず、生産子会社を含めた外注先に生産を委託
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [53]1985年3月 アメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立
    • [54]1985年9月 大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社(現キーエンスエンジニアリング)を設立
    • [57]1984年11月 本社を大阪府高槻市に移転
  • 証券アナリストジャーナル(1987年12月)
    • [56]ノウハウが鍵を握る25%の製品を100%子会社で生産し、残り75%は協力会社に委託
    • [58]1986年 半導体レーザーを応用したセンサーを開発・1987年9月 プログラマブル・コントローラーを開発

営業所網は1979年9月に開いた東京営業所を起点に全国へ伸び、より多くのユーザーに直接売り込める販売体制ができた。本社のあった大阪府吹田市の江坂地区は、地下鉄に乗れば新幹線の新大阪駅へ5分で着く立地で、研究開発型の若い企業が集まっていたことから"ベンチャービジネスのメッカ"(日経産業新聞 1984年10月5日)と呼ばれていた。社名は1986年10月、リード電機から株式会社キーエンスに改めた。ブランド名と商号をそろえるための変更である。1986年3月期の売上高は60億8800万円で前期から44.1%伸び、売上高営業利益率は39.4%だった。

  • 証券 1990年2月号
    • [59]1979年(昭和54年)9月 関東地方の販売拠点として東京営業所(東京都目黒区)を設置
    • [60]営業所を全国的に展開し、より多くのユーザーに直接営業できる販売網を整備
    • [64]1986年3月期(昭61.3期)売上高 6,088百万円・前期比44.1%増
    • [65]昭61.3期の売上高営業利益率 39.4%(翌昭62.3期は34.7%へ4.7ポイント低下)
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [61]1981年6月 本社を大阪府吹田市に移転(1984年11月に高槻市へ移転するまで吹田市が本社所在地)
    • [63]1986年10月 ブランドと商号の統一を図るため社名を株式会社キーエンスに変更
  • 日経産業新聞(1984年10月5日)
    • [62]江坂地区は「地下鉄で新幹線の新大阪駅までわずか5分」の立地に研究開発型の若い企業が集まり「ベンチャービジネスのメッカ」と呼ばれた
参考文献[44]-[65]
    • [44]代理店を介さない直販(滝崎武光氏の発言で確認)
    • [56]ノウハウが鍵を握る25%の製品を100%子会社で生産し、残り75%は協力会社に委託
    • [58]1986年 半導体レーザーを応用したセンサーを開発・1987年9月 プログラマブル・コントローラーを開発
    • [45]個々のユーザーのニーズに応じた製品ではなくニーズを集約化したものを製品化
    • [47]計測制御機器・自動化用測定機器の市場規模は数十億円程度で各製品が市場を創造しプライスリーダーの位置
    • [50]1980年(昭和55年)4月 光電センサの分野へ参入
    • [51]1983年(昭和58年)4月 電子部品業界・家電業界向けに初の光ファイバー式センサを開発し光電センサ分野へ本格進出
    • [52]この時期に主要製品群である磁気センサと光電センサが揃う
    • [55]同社は具体的生産を行わず、生産子会社を含めた外注先に生産を委託
    • [59]1979年(昭和54年)9月 関東地方の販売拠点として東京営業所(東京都目黒区)を設置
    • [60]営業所を全国的に展開し、より多くのユーザーに直接営業できる販売網を整備
    • [64]1986年3月期(昭61.3期)売上高 6,088百万円・前期比44.1%増
    • [65]昭61.3期の売上高営業利益率 39.4%(翌昭62.3期は34.7%へ4.7ポイント低下)
  • 日経ビジネス(1995年1月16日)
    • [46]原価ではなく導入効果に見合う価格を付ける付加価値価格
  • 日経産業新聞(1983年12月1日)
    • [48]1983年 リードスイッチ応用レベルセンサーで30%のシェア・国産レベルセンサーの先頭
    • [49]1983年12月時点で国産レベルセンサーの先頭に立つ(記事見出し)
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
    • [53]1985年3月 アメリカに現地法人KEYENCE CORPORATION OF AMERICAを設立
    • [54]1985年9月 大阪府高槻市に製造子会社クレポ株式会社(現キーエンスエンジニアリング)を設立
    • [57]1984年11月 本社を大阪府高槻市に移転
    • [61]1981年6月 本社を大阪府吹田市に移転(1984年11月に高槻市へ移転するまで吹田市が本社所在地)
    • [63]1986年10月 ブランドと商号の統一を図るため社名を株式会社キーエンスに変更
  • 日経産業新聞(1984年10月5日)
    • [62]江坂地区は「地下鉄で新幹線の新大阪駅までわずか5分」の立地に研究開発型の若い企業が集まり「ベンチャービジネスのメッカ」と呼ばれた

筆者考察

かつて2度会社を潰したキーエンスの創業者が、三度目の起業で選んだビジネスは、売れる市場ではなく、値段を自分で決められる市場だった。リード電機(現キーエンス)の祖業である自動線材切断機は営業利益率20%を出していたが、創業者の滝崎武光氏は1982年に事業を売却。黒字の事業を捨てられたのは、主力事業に育った金属板二枚送り検出器の高収益を優先したためであった。数億円の金型を守るセンサーに「8万5000円」のプライシングは、原価は値段の根拠にならない。買い手が避けられる損失の大きさが販売価格の根拠になり、その差額がそのまま利益率として残る。こうして、高収益体質のキーエンスが、1980年代の創業期に確立された。

値付けを自分で握るには、二つのものをやめる必要があった。一つは代理店である。他社に無い製品の価値を説明できるのは作った側だけだという理屈から、創業の時点で直販を選んだ。もう一つは工場で、ノウハウの要る25%だけを子会社クレポに残し、残る75%は協力会社へ出し、ファブレスを志向した。そして、付加価値の高い開発と営業の2工程だけを手元に置き、残りは外注を主体とした。1986年3月期に売上高営業利益率39.4%という水準に達した理由は、取捨選択がビジネスとして結実した結果であった。

売上高(単体) 1975年3月期・1985年3月期・1986年3月期(億円)

0.12 75.3 42.25 85.3 60.88 86.3
  • 棒はすべて単体。連結の開示は無い。
  • 1975年3月期は日経ビジネス 1991年6月24日号の会社概要欄が掲げた株式会社化後の初年度売上高1200万円。1985年3月期と1986年3月期は証券 1990年2月号「新規上場会社紹介 株式会社キーエンス」の最近5年間の業績(4,225百万円・6,088百万円)。
  • 1976年3月期から1984年3月期の売上は分からない。

1972年〜1986年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1972年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1973年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1974年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1975年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1976年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1977年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1978年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1979年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1980年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1981年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1982年03月期 単体 9 n/a n/a n/a n/a
1983年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1984年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1985年03月期 単体 42 n/a 7 17.9% n/a
1986年03月期 単体 60 +44.1% 10 17.6% n/a

出所:証券42(2)

出典・参考

10件
出典・参考
  • キーエンス 有価証券報告書 第56期(2025年3月期)【沿革】
  • 自動化技術 9巻6号(1977年6月)広告
  • 証券アナリストジャーナル(1987年12月)
  • 証券アナリストジャーナル(1988年7月)
  • 日経ビジネス(1989年5月22日)
  • 証券 1990年2月号
  • 日経ビジネス(1991年6月24日)
  • 日経ビジネス(1995年1月16日)
  • 日経産業新聞(1983年12月1日)
  • 日経産業新聞(1984年10月5日)

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