海外撤退
撤退が経営の議題に上がるには、事業継続の費用が数字に現れなければならない。東京海上HDは1894年、ロンドンの引受損失を払込資本金の半額切り捨てで処理した。損失が資本の毀損として一度に表面化したため、方針はその場で改められ、引受量より危険の選別が優先された。しかし、損失がこれほど明瞭に現れる場面はむしろ例外であった。
海外子会社の成績は親会社の単体決算に反映されなかった。子会社を含む企業集団の損益をまとめる連結決算が評価の基準になったのは、1970年代後半である。資産は取得価額のまま帳簿に載せ、値上がり分を「含み」として計算に入れる慣行が続いた。出資した事業や買収した会社の価値が下がっても、売却しないかぎり損失は計上されない。したがって、撤退を先送りする費用はどの帳簿にも現れなかった。投資には稟議と予算の手続きがあったが、撤退に対応する手続きはなかった。そのため戦後の撤退は、経営者個人の判断として個別に現れた。大丸は奥田務氏のもとで海外百貨店から撤退し、三菱地所は米ロックフェラーグループへの出資から5年で退いた。
撤退の費用が帳簿に現れない状態を改めたのは、2000年代の減損会計である。回収の見込めない投資は、売却を待たずに損失として計上される。買収価格のうち取得した純資産を上回る部分であるのれんは毎期の検証の対象となり、撤退した事業はセグメント区分の消滅として開示に現れる。つまり、判断の当否が金額で表示されるようになった。日本郵政は豪トール買収で巨額の減損を計上し、トクヤマはマレーシアの多結晶シリコン事業を全株譲渡した。三菱UFJFGはユニオンバンクを売却し、電通グループは英イージス買収の減損を機にM&A路線を転換した。
1894年の払込資本金の切り捨てと、電通グループののれんの減損は、投下資本を回収できないと認める点で同じ作業である。違いは、1894年の切り捨てが損失確定後の処理であるのに対し、のれんの減損は売却前に、事業を継続したまま計上を迫られる点にある。撤退は、経営の決断として議題に上がるより先に、会計上の事実として現れるようになった。
財務諸表のどこを見るか
損益計算書の特別損失を起点にする。事業整理損・関係会社株式売却損・減損損失のどれで処理したかによって、撤退が売却か清算か減損かに分かれる。減損なら注記で資産グループの単位と回収可能価額の算定方法を読み、割引率と将来キャッシュ・フローの前提が前期からどう動いたかを確かめる。セグメント情報は前期と並べ、区分そのものが消えていないかを見る。連結範囲の変更に関する注記では除外された子会社名と事由を追い、為替換算調整勘定の損益への振り替えも押さえる。