電通総研:電通のTSS局から始まったGEとの合弁による遠隔情報処理
1970年〜GEがTSSの提携相手に広告会社の電通を指名した理由
電通取締役の大竹猛雄氏は1968年9月下旬、総勢28名の訪米情報産業特別調査団に加わった。訪問先のGEで、大竹猛雄氏は1台の計算機を通信回線越しに多数で共用するTSSの実演を初めて見た。米国ではこの方式が1965年に事業として成立しており、GEはその先行企業の1社にあたる。GEは日本での普及を望み、当初は電通に提携先の紹介を求めていた。ところが1970年1月に来日したGE本社の役員は、仲介ではなく電通自身を提携相手に指名した。指名の理由は、企業集団に属さない中立性、各業界の首位企業との取引、同じサービス業であること、GE製大型機の利用実績の4点である。広告業からコミュニケーション産業への転身を持論とする大竹猛雄氏は、嶋田喜五郎常務と合意してGEとの交渉を続けた。
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(5)」(2015年7月11日)
- [1]1968年9月下旬、電通取締役の大竹猛雄氏が日本生産性本部などの訪米情報産業特別調査団(総勢28名)に参加した
- [2]調査団のGE訪問で大竹猛雄氏が初めてTSSのデモを見て、GE側から日本での提携先の紹介を打診された
- [4]調査団のGE訪問で大竹猛雄氏が初めてTSSのデモを見て、GE側から日本での提携先の紹介を打診された
- [5]1970年1月、GEジャパンと本社の役員が来訪し、企業グループに属さない中立性・トップ企業との取引・サービス業・GE製大型機のユーザーであることを理由に電通とのパートナー提携を求めた
- [6]1970年1月、GEジャパンと本社の役員が来訪し、企業グループに属さない中立性・トップ企業との取引・サービス業・GE製大型機のユーザーであることを理由に電通とのパートナー提携を求めた
- [7]大竹猛雄氏は電通が広告業からコミュニケーション産業に転身すべきとの持論を持ち、嶋田喜五郎常務と合意してGEとの協議を続けた
- Business communication 1978年4月号 柳井朗人「タイムシェアリング・サービスの動向」
- [3]タイムシェアリング・サービスは1965年に事業として成立し、BBN・CEIR・GE・IBMなどがサービスを始めた
GEは1970年5月、コンピューターの製造販売をハネウェルへ売却して撤退し、TSSは強化して続けると発表した。製造から計算能力の供給への事業転換であり、大竹猛雄氏はこの発表で事業化の判断を固めた。米国ではBBN・CEIR・GE・IBMの参入から数年で、TSSの事業者が300社を超えていた。1971年の日本での開業は、米国から6年遅れの市場参入である。GEは後継のMARK-IIで、米国の計算センターを米欧15カ国約200都市の拠点と結んでいた。時差の大きい日本と欧州の顧客が加われば、米国センターの稼働率は大幅に上がる見込みだった。GEが日本の提携先を急いだ背景には、製造撤退後の収益を計算センターの国際利用で積み増す計算があったとみられる。
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(5)」(2015年7月11日)
- [8]1970年5月、GEはコンピューター製造販売事業をハネウェルに売却して撤退し、TSSによるサービスは強化して継続すると発表し、大竹猛雄氏はTSS事業への確信を深めた
- [9]1970年5月、GEはコンピューター製造販売事業をハネウェルに売却して撤退し、TSSによるサービスは強化して継続すると発表し、大竹猛雄氏はTSS事業への確信を深めた
- Business communication 1978年4月号 柳井朗人「タイムシェアリング・サービスの動向」
- [10]米国ではBBN・CEIR・GE・IBMなどの開始後、TSS市場への進出企業が数年間で300社以上に増えた
- [11]日本でタイムシェアリング・サービスが始まった時点で、米国とは6年間の開きがあった
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(6)」(2015年7月12日)
- [12]GEはMARK-IIで米国のセンターを米欧15カ国約200都市の拠点とつないでおり、時差のある日本・欧州の顧客の利用でセンターの稼働率向上を見込んでいた
- [13]GEはMARK-IIで米国のセンターを米欧15カ国約200都市の拠点とつないでおり、時差のある日本・欧州の顧客の利用でセンターの稼働率向上を見込んでいた
参考文献[1]-[13]
- [1]1968年9月下旬、電通取締役の大竹猛雄氏が日本生産性本部などの訪米情報産業特別調査団(総勢28名)に参加した
- [2]調査団のGE訪問で大竹猛雄氏が初めてTSSのデモを見て、GE側から日本での提携先の紹介を打診された
- [4]調査団のGE訪問で大竹猛雄氏が初めてTSSのデモを見て、GE側から日本での提携先の紹介を打診された
- [5]1970年1月、GEジャパンと本社の役員が来訪し、企業グループに属さない中立性・トップ企業との取引・サービス業・GE製大型機のユーザーであることを理由に電通とのパートナー提携を求めた
- [6]1970年1月、GEジャパンと本社の役員が来訪し、企業グループに属さない中立性・トップ企業との取引・サービス業・GE製大型機のユーザーであることを理由に電通とのパートナー提携を求めた
- [7]大竹猛雄氏は電通が広告業からコミュニケーション産業に転身すべきとの持論を持ち、嶋田喜五郎常務と合意してGEとの協議を続けた
- [8]1970年5月、GEはコンピューター製造販売事業をハネウェルに売却して撤退し、TSSによるサービスは強化して継続すると発表し、大竹猛雄氏はTSS事業への確信を深めた
- [9]1970年5月、GEはコンピューター製造販売事業をハネウェルに売却して撤退し、TSSによるサービスは強化して継続すると発表し、大竹猛雄氏はTSS事業への確信を深めた
- Business communication 1978年4月号 柳井朗人「タイムシェアリング・サービスの動向」
- [3]タイムシェアリング・サービスは1965年に事業として成立し、BBN・CEIR・GE・IBMなどがサービスを始めた
- [10]米国ではBBN・CEIR・GE・IBMなどの開始後、TSS市場への進出企業が数年間で300社以上に増えた
- [11]日本でタイムシェアリング・サービスが始まった時点で、米国とは6年間の開きがあった
- [12]GEはMARK-IIで米国のセンターを米欧15カ国約200都市の拠点とつないでおり、時差のある日本・欧州の顧客の利用でセンターの稼働率向上を見込んでいた
- [13]GEはMARK-IIで米国のセンターを米欧15カ国約200都市の拠点とつないでおり、時差のある日本・欧州の顧客の利用でセンターの稼働率向上を見込んでいた
1971年〜公衆電気通信法下の専用回線による出発と出資比率66%の合弁
当時の公衆電気通信法は他人の通信の媒介を電電公社とKDDに限っており、民間のTSSは電話網を使えなかった。そこで電通とGEは1970年12月の同意書で、専用回線で提供できるMARK-Iの技術提携から始めた。回線と外資の規制が緩めば合弁でMARK-IIへ移る段取りも、紳士協定として取り決めた。交渉の途中で東芝が提携への参加を申し出てGEも歓迎したが、大竹猛雄氏は電通単独での出発を主張し、GEはこれを了承した。電通は1971年10月、東京本社にTSS局を新設し、民間初の商用TSSとしてMARK-Iの営業を始めた。局長は電算室次長だった柳井朗人氏で、陣容は12名。輸入したGE265は築地の本社地下1階に据え付けた。
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(6)」(2015年7月12日)
- [14]当時の公衆電気通信法の下では他人の通信の媒介はNTT(電電公社)とKDDに限られ、TSSに電話網を使えなかった
- [15]1970年12月の同意書で、専用回線で提供可能なMARK-Iを技術提携で始め、回線自由化と外資規制緩和を待って合弁会社でMARK-IIを提供する紳士協定に大筋合意した
- [16]1970年12月の同意書で、専用回線で提供可能なMARK-Iを技術提携で始め、回線自由化と外資規制緩和を待って合弁会社でMARK-IIを提供する紳士協定に大筋合意した
- [17]東芝がGEとの提携への参加を申し出てGEも希望したが、大竹猛雄氏が電通単独でのスタートを主張し、GEが了承した
- 電通国際情報サービス公式サイト「沿革」(2002年1月時点)
- [18]1971年10月、電通東京本社内にタイムシェアリングサービス局を創設し、民間初の商用TSSとしてGEとの技術提携によるMARKIの営業を開始した
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(7)」(2015年7月18日)
- [19]1971年10月1日のTSS局新設時、局長は電算室次長の柳井朗人氏で12名、GE265を築地本社地下1階に設置した
- [20]1971年10月1日のTSS局新設時、局長は電算室次長の柳井朗人氏で12名、GE265を築地本社地下1階に設置した
1971年11月の発表会は600名を集めたものの、旧式のローカルTSSを専用回線で売るMARK-Iは顧客の獲得が進まなかった。状況を変えたのは1973年3月の規制緩和で、郵政省が電話網によるデータ通信を自由化した。翌4月、電通はクリーブランドのGEスーパーセンターと東京を国際特定通信回線で結び、MARK-IIの提供を始めた。TSS局が見込み顧客に定めたのは、各業界の首位企業と銀行である。やがてMARK-IIを基盤に、顧客の業務システムを提案から開発・運用まで一括で受託する元請の営業が生まれた。海外に拠点を持つ銀行や輸出企業は、自前の回線を敷かずに国際業務を電算化できた。計算能力の時間貸しに加え、国際網を前提にした受託開発が、電通のTSS事業の差別化要因になったと推察される。
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(7)」(2015年7月18日)
- [21]1971年11月の電通TSS発表説明会は600名が来場したが、通信規制で旧式のローカルTSSを専用回線で始めたため、その後の営業は苦戦した
- [22]1973年3月に郵政省が電話網によるデータ通信を自由化し、同年4月からのMARK-II営業では見込み顧客を各業界トップ企業と銀行に定めた
- [24]1973年3月に郵政省が電話網によるデータ通信を自由化し、同年4月からのMARK-II営業では見込み顧客を各業界トップ企業と銀行に定めた
- [25]MARK-IIをインフラに顧客の業務システムを提案・開発・運用まで受託する営業が生まれ、インフラ整備の要らない国際間業務のシステム化として銀行や自動車などの輸出企業に採用された
- [26]MARK-IIをインフラに顧客の業務システムを提案・開発・運用まで受託する営業が生まれ、インフラ整備の要らない国際間業務のシステム化として銀行や自動車などの輸出企業に採用された
- 日本データ通信 68号(1992年11月)中川洋「株式会社電通国際情報サービス『G*NET』の概要」
- [23]1973年、米国オハイオ州クリーブランドのGEスーパーセンターと電通TSS局を結ぶ国際特定通信回線を開通し、MARKIIを始めた
TSS局は1974年11月、大規模な業務システム向けのMARK-IIIへ移行した。1975年1月には一力健氏が局次長に着き、局員は66名に増えた。大竹猛雄氏は同年2月にGEを訪れ、6月の箱根での最終会談で出資比率を電通66%・GE34%と決めた。社名は電通国際情報サービス、英文はInformation Services International-Dentsu。6月には出向に反対する電通労働組合が、TSS局で96時間のストライキに入った。大竹猛雄氏は出向期間を3年とし、満了後に延長・復帰・移籍を本人が選べる条件で局員と個別に面談した。12月に出向協定が結ばれ、同月11日の設立時の社員79名のうち72名が電通からの出向者である。新会社の目的は、TSS局の事業を継ぎGEの網で国際遠隔情報処理を販売することにあった。
- 電通国際情報サービス公式サイト「沿革」(2002年1月時点)
- [27]1974年11月、MARKIIサービスを拡張し、大規模アプリケーションシステムの構築を可能とするMARKIIIサービスの提供を始めた
- コンピュートピア 1994年4月号 一力健「ハードウェアとは何か?」
- [28]一力健氏は1975年にタイムシェアリングサービス局次長となり、同年の電通国際情報サービス設立と同時に出向して取締役に就任した
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(8)」(2015年7月19日)
- [29]1975年2月に大竹猛雄氏がGEを訪問し、6月の箱根での最終会談で出資比率を電通66%・GE34%、社名を「電通国際情報サービス」「Information Services International – Dentsu」と決めた
- [30]1975年2月に大竹猛雄氏がGEを訪問し、6月の箱根での最終会談で出資比率を電通66%・GE34%、社名を「電通国際情報サービス」「Information Services International – Dentsu」と決めた
- [31]1975年6月に労組がTSS局で96時間のストライキを行い、大竹猛雄氏らは出向期間3年とその後の延長・復帰・移籍の選択肢を示して局員と個別面談した
- [32]1975年6月に労組がTSS局で96時間のストライキを行い、大竹猛雄氏らは出向期間3年とその後の延長・復帰・移籍の選択肢を示して局員と個別面談した
- [33]1975年12月に労使間で出向協定が結ばれ、12月11日設立の電通国際情報サービスは資本金4億5000万円、社員79名のうち電通からの出向が72名だった
- 電通国際情報サービス 有価証券報告書(2006年3月期)【沿革】
- [34]1975年12月、電通のタイムシェアリング・サービス局の事業を引き継ぎ、GEの情報通信ネットワーク設備による国際遠隔情報処理サービスの販売を目的として発足した
参考文献[14]-[34]
- [14]当時の公衆電気通信法の下では他人の通信の媒介はNTT(電電公社)とKDDに限られ、TSSに電話網を使えなかった
- [15]1970年12月の同意書で、専用回線で提供可能なMARK-Iを技術提携で始め、回線自由化と外資規制緩和を待って合弁会社でMARK-IIを提供する紳士協定に大筋合意した
- [16]1970年12月の同意書で、専用回線で提供可能なMARK-Iを技術提携で始め、回線自由化と外資規制緩和を待って合弁会社でMARK-IIを提供する紳士協定に大筋合意した
- [17]東芝がGEとの提携への参加を申し出てGEも希望したが、大竹猛雄氏が電通単独でのスタートを主張し、GEが了承した
- [18]1971年10月、電通東京本社内にタイムシェアリングサービス局を創設し、民間初の商用TSSとしてGEとの技術提携によるMARKIの営業を開始した
- [27]1974年11月、MARKIIサービスを拡張し、大規模アプリケーションシステムの構築を可能とするMARKIIIサービスの提供を始めた
- [19]1971年10月1日のTSS局新設時、局長は電算室次長の柳井朗人氏で12名、GE265を築地本社地下1階に設置した
- [20]1971年10月1日のTSS局新設時、局長は電算室次長の柳井朗人氏で12名、GE265を築地本社地下1階に設置した
- [21]1971年11月の電通TSS発表説明会は600名が来場したが、通信規制で旧式のローカルTSSを専用回線で始めたため、その後の営業は苦戦した
- [22]1973年3月に郵政省が電話網によるデータ通信を自由化し、同年4月からのMARK-II営業では見込み顧客を各業界トップ企業と銀行に定めた
- [24]1973年3月に郵政省が電話網によるデータ通信を自由化し、同年4月からのMARK-II営業では見込み顧客を各業界トップ企業と銀行に定めた
- [25]MARK-IIをインフラに顧客の業務システムを提案・開発・運用まで受託する営業が生まれ、インフラ整備の要らない国際間業務のシステム化として銀行や自動車などの輸出企業に採用された
- [26]MARK-IIをインフラに顧客の業務システムを提案・開発・運用まで受託する営業が生まれ、インフラ整備の要らない国際間業務のシステム化として銀行や自動車などの輸出企業に採用された
- 日本データ通信 68号(1992年11月)中川洋「株式会社電通国際情報サービス『G*NET』の概要」
- [23]1973年、米国オハイオ州クリーブランドのGEスーパーセンターと電通TSS局を結ぶ国際特定通信回線を開通し、MARKIIを始めた
- コンピュートピア 1994年4月号 一力健「ハードウェアとは何か?」
- [28]一力健氏は1975年にタイムシェアリングサービス局次長となり、同年の電通国際情報サービス設立と同時に出向して取締役に就任した
- [29]1975年2月に大竹猛雄氏がGEを訪問し、6月の箱根での最終会談で出資比率を電通66%・GE34%、社名を「電通国際情報サービス」「Information Services International – Dentsu」と決めた
- [30]1975年2月に大竹猛雄氏がGEを訪問し、6月の箱根での最終会談で出資比率を電通66%・GE34%、社名を「電通国際情報サービス」「Information Services International – Dentsu」と決めた
- [31]1975年6月に労組がTSS局で96時間のストライキを行い、大竹猛雄氏らは出向期間3年とその後の延長・復帰・移籍の選択肢を示して局員と個別面談した
- [32]1975年6月に労組がTSS局で96時間のストライキを行い、大竹猛雄氏らは出向期間3年とその後の延長・復帰・移籍の選択肢を示して局員と個別面談した
- [33]1975年12月に労使間で出向協定が結ばれ、12月11日設立の電通国際情報サービスは資本金4億5000万円、社員79名のうち電通からの出向が72名だった
- 電通国際情報サービス 有価証券報告書(2006年3月期)【沿革】
- [34]1975年12月、電通のタイムシェアリング・サービス局の事業を引き継ぎ、GEの情報通信ネットワーク設備による国際遠隔情報処理サービスの販売を目的として発足した
1976年〜外貨資金管理とSDRCのCAEによる2本の収益源とMARK-IIIの鈍化
大株主のGEの勧めで、5年先までを毎年1年ずつ延ばすローリング方式の経営計画を日英両語で作り、冒頭に『我が社はコンピューター・コミュニケーションを基調とした情報サービスを提供することによって高成長、高収益の主導的企業を目指すとともに、日本のみならず国際ビジネス社会の高度情報化に大きく寄与する』という使命を掲げた。最初の収益源は銀行の国際業務で、出発点は1974年に日本興業銀行ロンドン支店へ提供したユーロダラー管理システムにあたる。電通国際情報サービスはこれを外貨資金管理のパッケージに仕立て、MARK-III上で邦銀の海外業務に供した。採用先は都市銀行13行と長期信用銀行3行。1983年には邦銀の海外支店向けにIBMのSYSTEM/38で動くGBSを発表し、5行と契約した。顧客がMARK-IIIを使う時間の量に収益を委ねる構造から、銀行業務の知見を売る構造への移行がここで始まったのだろう。
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(9)」(2015年7月25日)
- [35]GEの勧告で5年先までの経営計画を毎年1年延ばすローリング方式で策定し、日英両語で書いた。冒頭に会社の使命を掲げた
- [37]銀行と共同開発した外貨資金管理システムをパッケージ化してMARK-III上で販売し、都銀全行・興長銀へのサービス提供に結びつき収益の主柱となった
- 銀行時評 1985年11月号「電通国際情報サービス」
- [36]1974年に日本興業銀行ロンドン支店のユーロダラー管理システムをパッケージとして提供して以来、そのノウハウが都銀13行、長信銀3行、地銀等に採用された
- [38]1974年に日本興業銀行ロンドン支店のユーロダラー管理システムをパッケージとして提供して以来、そのノウハウが都銀13行、長信銀3行、地銀等に採用された
- [39]1983年、IBM SYSTEM/38をハードウェアとする邦銀の海外支店・現地法人向けシステムGBS(Global Banking System)を発表し、既に5行と契約した
第二の収益源は製造業の設計部門向けの解析ソフトである。電通国際情報サービスは1976年8月、海外の技術ソフトをMARK-IIIへ移植し、米SDRCの構造解析ソフトも共同利用に供した。米国では高度な技術ソフトがテープで販売されなくなり、日本の技術者が使う経路はTSSにほぼ限られていた。1977年にはFORTRAN77のコンパイラーをMARKサービスで公開した。商用で使えるANSI新規格のFORTRANとしては日本で最初の例である。GEは売上の伸びの遅さを理由にSDRCとの合弁から撤退したが、大竹猛雄氏はCAE事業を続け、SDRCからライセンス販売権を得た。1982年9月にはCAEテクノロジーセンターを開設し、SDRCとの業務提携で販売に入った。
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(9)」(2015年7月25日)
- [40]製造業向けにSDRC社のCAEを売り出し、GEがSDRC社との合弁から撤退した後も大竹猛雄氏は事業を継続してライセンス販売権を取得し、金融に次ぐ第2の収益源に育てた
- [45]製造業向けにSDRC社のCAEを売り出し、GEがSDRC社との合弁から撤退した後も大竹猛雄氏は事業を継続してライセンス販売権を取得し、金融に次ぐ第2の収益源に育てた
- 電通国際情報サービス公式サイト「沿革」(2002年1月時点)
- [41]1976年8月、海外企業・機関のハイテクノロジー・ソフトウェアをMARKIIIサービス上に移植し、米国SDRC社の構造解析ソフトウェアが後のCAE事業部の中核サービスとなった
- Business communication 1978年4月号 柳井朗人「タイムシェアリング・サービスの動向」
- [42]米国では高度なソフトウェアをオンラインで利用させる方式が広がり、磁気テープでの販売をしなくなったため、日本の技術者の求める高度なソフトはTSSを通じてのみ利用可能になりつつあった
- 情報科学 1977年7月号「MARKサービスに新ソフト」
- [43]電通国際情報サービスはMARKサービス上でFORTRAN77をリリースし、商用ベースで利用できるANSI新規格FORTRANとして日本で最初のものとなった
- [44]電通国際情報サービスはMARKサービス上でFORTRAN77をリリースし、商用ベースで利用できるANSI新規格FORTRANとして日本で最初のものとなった
- 電通国際情報サービス 有価証券報告書(2006年3月期)【沿革】
- [46]1982年9月、米国Structural Dynamics Research Corporationとの業務提携により同社のCAEソフトウェアの販売を開始した
1985年3月期の売上高は70億円弱、社員は222名に達したが、MARK-IIIの売上は前年から伸びが鈍っていた。1978年の時点で、簡単な汎用パッケージの需要はすでにビジネス用ミニコンへ移りつつあった。同業の富士通ファコムがTSSから撤退したのも、この時期の出来事である。電通国際情報サービスは1979年10月、GEスーパーセンターのIBM3033で動くMARK3000を加えた。1982年4月には国内初の国際電子メールQUIK-COMMを始め、1984年にはMARK-III上で連結会計システムを投入した。計算能力の時間貸しが価格で比べられるようになり、収益源を業務ソフトと国際通信へ移す必要に迫られていたと思われる。
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(9)」(2015年7月25日)
- [47]第10期の1985年3月期の売上高は70億円弱、社員数222名で、前年から始まったMARK-III売上の鈍化がこの年も続いた
- Business communication 1978年4月号 柳井朗人「タイムシェアリング・サービスの動向」
- [48]簡単な汎用パッケージではビジネス・ミニコンに市場を奪われつつあり、富士通ファコムのタイムシェアリングサービスからの撤退などがあり、サービスは別の経営体に引き継がれた
- [49]簡単な汎用パッケージではビジネス・ミニコンに市場を奪われつつあり、富士通ファコムのタイムシェアリングサービスからの撤退などがあり、サービスは別の経営体に引き継がれた
- 電通国際情報サービス公式サイト「沿革」(2002年1月時点)
- [50]1979年10月にGEスーパーセンター内のIBM3033/MVSを基盤とする遠隔情報処理サービスMARK3000を、1982年4月に我が国最初の国際電子メールサービスQUIK-COMMを始めた
- [51]1979年10月にGEスーパーセンター内のIBM3033/MVSを基盤とする遠隔情報処理サービスMARK3000を、1982年4月に我が国最初の国際電子メールサービスQUIK-COMMを始めた
- 電通総研公式サイト「ヒストリー」(2026年10月時点)
- [52]1984年、MARKIII上で連結会計システムの提供を始めた
参考文献[35]-[52]
- [35]GEの勧告で5年先までの経営計画を毎年1年延ばすローリング方式で策定し、日英両語で書いた。冒頭に会社の使命を掲げた
- [37]銀行と共同開発した外貨資金管理システムをパッケージ化してMARK-III上で販売し、都銀全行・興長銀へのサービス提供に結びつき収益の主柱となった
- [40]製造業向けにSDRC社のCAEを売り出し、GEがSDRC社との合弁から撤退した後も大竹猛雄氏は事業を継続してライセンス販売権を取得し、金融に次ぐ第2の収益源に育てた
- [45]製造業向けにSDRC社のCAEを売り出し、GEがSDRC社との合弁から撤退した後も大竹猛雄氏は事業を継続してライセンス販売権を取得し、金融に次ぐ第2の収益源に育てた
- [47]第10期の1985年3月期の売上高は70億円弱、社員数222名で、前年から始まったMARK-III売上の鈍化がこの年も続いた
- 銀行時評 1985年11月号「電通国際情報サービス」
- [36]1974年に日本興業銀行ロンドン支店のユーロダラー管理システムをパッケージとして提供して以来、そのノウハウが都銀13行、長信銀3行、地銀等に採用された
- [38]1974年に日本興業銀行ロンドン支店のユーロダラー管理システムをパッケージとして提供して以来、そのノウハウが都銀13行、長信銀3行、地銀等に採用された
- [39]1983年、IBM SYSTEM/38をハードウェアとする邦銀の海外支店・現地法人向けシステムGBS(Global Banking System)を発表し、既に5行と契約した
- [41]1976年8月、海外企業・機関のハイテクノロジー・ソフトウェアをMARKIIIサービス上に移植し、米国SDRC社の構造解析ソフトウェアが後のCAE事業部の中核サービスとなった
- [50]1979年10月にGEスーパーセンター内のIBM3033/MVSを基盤とする遠隔情報処理サービスMARK3000を、1982年4月に我が国最初の国際電子メールサービスQUIK-COMMを始めた
- [51]1979年10月にGEスーパーセンター内のIBM3033/MVSを基盤とする遠隔情報処理サービスMARK3000を、1982年4月に我が国最初の国際電子メールサービスQUIK-COMMを始めた
- Business communication 1978年4月号 柳井朗人「タイムシェアリング・サービスの動向」
- [42]米国では高度なソフトウェアをオンラインで利用させる方式が広がり、磁気テープでの販売をしなくなったため、日本の技術者の求める高度なソフトはTSSを通じてのみ利用可能になりつつあった
- [48]簡単な汎用パッケージではビジネス・ミニコンに市場を奪われつつあり、富士通ファコムのタイムシェアリングサービスからの撤退などがあり、サービスは別の経営体に引き継がれた
- [49]簡単な汎用パッケージではビジネス・ミニコンに市場を奪われつつあり、富士通ファコムのタイムシェアリングサービスからの撤退などがあり、サービスは別の経営体に引き継がれた
- 情報科学 1977年7月号「MARKサービスに新ソフト」
- [43]電通国際情報サービスはMARKサービス上でFORTRAN77をリリースし、商用ベースで利用できるANSI新規格FORTRANとして日本で最初のものとなった
- [44]電通国際情報サービスはMARKサービス上でFORTRAN77をリリースし、商用ベースで利用できるANSI新規格FORTRANとして日本で最初のものとなった
- 電通国際情報サービス 有価証券報告書(2006年3月期)【沿革】
- [46]1982年9月、米国Structural Dynamics Research Corporationとの業務提携により同社のCAEソフトウェアの販売を開始した
- [52]1984年、MARKIII上で連結会計システムの提供を始めた
出典・参考
13件
- 電通国際情報サービス 有価証券報告書(2006年3月期)【沿革】
- 情報科学 1977年7月号「MARKサービスに新ソフト」
- Business communication 1978年4月号 柳井朗人「タイムシェアリング・サービスの動向」
- 銀行時評 1985年11月号「電通国際情報サービス」
- 日本データ通信 68号(1992年11月)中川洋「株式会社電通国際情報サービス『G*NET』の概要」
- コンピュートピア 1994年4月号 一力健「ハードウェアとは何か?」
- 電通国際情報サービス公式サイト「沿革」(2002年1月時点)
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(5)」(2015年7月11日)
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(6)」(2015年7月12日)
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(7)」(2015年7月18日)
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(8)」(2015年7月19日)
- 電通報「未知への挑戦・電通国際情報サービス(ISID)を立ち上げた男 大竹猛雄(9)」(2015年7月25日)
- 電通総研公式サイト「ヒストリー」(2026年10月時点)