楽天グループ:エム・ディー・エムの設立と「楽天市場」の開始
月5万円の出店料から店頭公開495億円へ
1997年〜月5万円の固定料金と前受金による出店障壁の引き下げ
三木谷浩史氏は、日本興業銀行の本店企業金融開発部で企業の合併・買収を助言し、ソフトバンクの孫正義氏やカルチュア・コンビニエンス・クラブの増田宗昭氏の案件を担当していた。1991年には同期130人のうち1人だけ留学を認められて米ハーバードビジネススクールへ進み、大企業の幹部になるより起業することに価値があるという評価軸を持ち帰った。当初は5年勤めてから独立する計画だったが、1995年1月の阪神・淡路大震災で神戸の親族を失い、独立の時期を2年後へ繰り上げた。同年11月に興銀を退職してM&A助言のクリムゾングループを設立し、増田宗昭氏の案件で得た助言料を起業資金に充てた。複数の株主の意見調整に翻弄された経験から、外部資本を入れない開業にこだわった。開業前に調べたインターネット上の店舗は頁に商品目録を並べるだけのものが多く、三木谷浩史氏は買い手が求めているのは目録ではなく生きた店舗だと判断した。
- 日経ビジネス(2001年8月20日)
- [1]三木谷浩史氏 日本興業銀行本店企業金融開発部でM&Aアドバイザーを担当し、ソフトバンク孫正義氏・カルチュア・コンビニエンス・クラブ増田宗昭氏の案件を担当
- [2]1991年 同期130人中ただ1人留学を得て米ハーバードビジネススクールでMBAを取得。「大企業の幹部になるよりも起業することに価値がある」と叩き込まれ目標が変わった
- [3]1995年1月17日の阪神・淡路大震災で伯父・伯母を失い、「5年間興銀で働いた後で独立する」計画を「2年後に独立」へ前倒し
- [4]1995年11月 興銀を退職しクリムゾングループを設立。CCCのコンサルティングフィーが起業資金の元手
- [5]ディレクTV事業で株主間の意見調整に翻弄された経験から手持ち資金での開業にこだわった
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号 別冊付録 楽天(2000年4月26日 三木谷浩史社長講演)
- [6]創業前に調べたインターネット・ショップの多くはホームページにカタログを並べるだけで、消費者が求めているのはカタログではなく活きた店舗だと考えた
1997年2月、日本興業銀行を辞した31歳の三木谷浩史氏は、資本金1000万円で株式会社エム・ディー・エムを東京都港区愛宕に設立し、同年5月に楽天市場を開業した。開業時の出店はわずか13店。百貨店系のバーチャルモールが月100万円単位の出店料を取っていたのに対し、楽天は月額5万円の固定料金という一桁低い水準を提示した。プログラミングを要しない編集ツール"RMS"で店主自身にショップを開設させ、商店街の個人商店主を主な顧客層に据えて出店の敷居を下げた。出店契約では半年分のシステム利用料を一括で前払いさせ、外部資金に頼らず運転資金をまかなって1998年12月期から2期連続の経常黒字を確保した。初年度の出店獲得は、営業メンバーが商店街を1件ずつ訪ね歩く地道な営業に依存した。
- 日経ビジネス(2003年2月10日)
- [7]創業者 三木谷浩史氏(日本興業銀行出身。1996年5月に興銀を退職)
- 楽天グループ 有価証券報告書 第29期(2025年12月期)【沿革】
- [8]1997年2月 資本金1,000万円で東京都港区愛宕に㈱エム・ディー・エムを設立
- [9]1997年5月 『楽天市場』のサービスを開始
- 日経ビジネス(2000年10月23日)
- [10]楽天市場の開業時の出店 13店
- [11]百貨店系バーチャルモールの出店料 月100万円単位
- [12]楽天市場の出店料 月額5万円の固定料金(価格破壊と評された料金設定)
- [13]プログラミング不要の編集ツールRMSを提供し店主自身がショップを開設
- [14]契約時に半年分のシステム利用料を一括前払いさせる前受金型で運営コストを抑制
- [15]1998年12月期から2期連続の経常黒字
この料金設計が出店数の急増を呼び、1998年12月に320店、1999年12月に1800店、2000年12月に4800店まで拡大した。出店料収入は出店数に比例して積み上がり、モール専業の収益はこの時期まで出店数の伸びに支えられていた。1999年6月には株式会社エム・ディー・エムから楽天株式会社へ商号を変更した。2000年4月には日本証券業協会へ店頭登録し、新規株式公開で495億円を調達したが、同年1月から6月までの売上高は11億2700万円にとどまっていた。2001年8月時点で軒を連ねる店は約5000店に達したが、その多くは実店舗の仕事の片手間にネット経由の注文へ応じる小規模な個人商店だった。
- 日経ビジネス(2003年2月10日)
- [16]出店数 1998年12月約320店→1999年12月約1800店→2000年12月約4800店
- [17]出店料収入は出店数に比例して増加
- 楽天グループ 有価証券報告書 第29期(2025年12月期)【沿革】
- [18]1999年6月 ㈱エム・ディー・エムより楽天株式会社へ社名変更
- [19]2000年4月 日本証券業協会に店頭登録
- 日経ビジネス(2000年10月23日)
- [20]新規株式公開の調達額 約495億円
- [21]2000年1〜6月の売上高 11億2,700万円
- 日経ビジネス(2001年8月20日)
- [22]2001年8月時点で楽天市場に軒を連ねるショップ約5000店。その多くは小規模の個人商店で、実店舗での仕事の片手間にネット経由の注文に対応
参考文献[1]-[22]
- 日経ビジネス(2001年8月20日)
- [1]三木谷浩史氏 日本興業銀行本店企業金融開発部でM&Aアドバイザーを担当し、ソフトバンク孫正義氏・カルチュア・コンビニエンス・クラブ増田宗昭氏の案件を担当
- [2]1991年 同期130人中ただ1人留学を得て米ハーバードビジネススクールでMBAを取得。「大企業の幹部になるよりも起業することに価値がある」と叩き込まれ目標が変わった
- [3]1995年1月17日の阪神・淡路大震災で伯父・伯母を失い、「5年間興銀で働いた後で独立する」計画を「2年後に独立」へ前倒し
- [4]1995年11月 興銀を退職しクリムゾングループを設立。CCCのコンサルティングフィーが起業資金の元手
- [5]ディレクTV事業で株主間の意見調整に翻弄された経験から手持ち資金での開業にこだわった
- [22]2001年8月時点で楽天市場に軒を連ねるショップ約5000店。その多くは小規模の個人商店で、実店舗での仕事の片手間にネット経由の注文に対応
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号 別冊付録 楽天(2000年4月26日 三木谷浩史社長講演)
- [6]創業前に調べたインターネット・ショップの多くはホームページにカタログを並べるだけで、消費者が求めているのはカタログではなく活きた店舗だと考えた
- 日経ビジネス(2003年2月10日)
- [7]創業者 三木谷浩史氏(日本興業銀行出身。1996年5月に興銀を退職)
- [16]出店数 1998年12月約320店→1999年12月約1800店→2000年12月約4800店
- [17]出店料収入は出店数に比例して増加
- 楽天グループ 有価証券報告書 第29期(2025年12月期)【沿革】
- [8]1997年2月 資本金1,000万円で東京都港区愛宕に㈱エム・ディー・エムを設立
- [9]1997年5月 『楽天市場』のサービスを開始
- [18]1999年6月 ㈱エム・ディー・エムより楽天株式会社へ社名変更
- [19]2000年4月 日本証券業協会に店頭登録
- 日経ビジネス(2000年10月23日)
- [10]楽天市場の開業時の出店 13店
- [11]百貨店系バーチャルモールの出店料 月100万円単位
- [12]楽天市場の出店料 月額5万円の固定料金(価格破壊と評された料金設定)
- [13]プログラミング不要の編集ツールRMSを提供し店主自身がショップを開設
- [14]契約時に半年分のシステム利用料を一括前払いさせる前受金型で運営コストを抑制
- [15]1998年12月期から2期連続の経常黒字
- [20]新規株式公開の調達額 約495億円
- [21]2000年1〜6月の売上高 11億2,700万円
2000年〜インフォシーク90億円買収とヤフーの追撃
2000年4月19日、楽天は株式を店頭市場へ公開した。同年3月末の課金対象店舗は2400店、取扱商品は約22万4000品で、第1四半期の出店料収入は3億1200万円と売上高の73.2%を占めた。1999年9月に始めた楽天フリーマーケットの収入は3500万円、広告売上は5200万円にとどまり、収益源は依然として出店料の一本だった。営業利益率は1999年通期で37.8%、2000年第1四半期で47.8%に達しており、三木谷浩史氏はこの原価率の低さを、サービスの運営をRMSというサーバーの自動処理に委ね人手をかけない仕組みに帰した。三木谷浩史氏は2001年夏ごろに出店料収入の曲線をフリーマーケットと広告の収入が追い越す姿を描いていたが、公開の時点で伸びは出店数の増加に縛られていた。
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号 別冊付録 楽天(2000年4月26日 三木谷浩史社長講演)
- [23]2000年4月19日 株式を店頭市場に公開
- [24]2000年3月末の課金対象店舗数 2,400店(取扱商品約22万4千品)
- [25]2000年第1四半期の出店料収入 3億12百万円(売上高構成比73.2%)
- [26]2000年第1四半期 フリーマーケット収入35百万円(8.2%)・広告売上52百万円(12.3%)。楽天フリーマーケットは1999年9月開始
- [27]営業利益率 1999年通期37.8%・2000年第1四半期47.8%
- [28]原価率の低さはRMSというサーバーの自動運営に委ね人手があまりかからないECシステムによる
- [29]2001年夏ごろに出店料収入の上昇カーブとフリーマーケット・広告収入の上昇カーブが交差し、以後後者が前者を上回るという見通し
2000年10月に米ニールセン・ネットレイティングスがまとめた調査で、楽天市場はヤフー!ショッピングに利用者数の首位を明け渡した。それまでの楽天は、店頭公開で手にした495億円の使い道を決めかねており、山田善久常務も『買うのは簡単だけれどカネは使えばいいというものではない』と語って投資を急いでいなかった。先行者としての立場が揺らいだことで、楽天は2000年11月末、赤字続きのポータルサイト運営会社インフォシークを90億円で取得し、完全子会社にする方針を公表する。インフォシークは1999年10月から2000年9月までの1年で6億5000万円の経常赤字を出していた。利益を重んじてきた楽天にとって、これは方針の転換を伴う買収だった。狙いについて三木谷浩史氏は『ショッピングを核にした総合メディア企業を目指す』と説明し、公開資金をヤフーとの集客力の開きを縮めることに使う姿勢を示した。
- 日経ビジネス(2000年10月23日)
- [30]2000年10月 米ニールセン調査でヤフー!ショッピングが利用者数で楽天市場を抜き首位
- 日経ビジネス(2000年12月11日)
- [31]2000年11月末 赤字のインフォシークを90億円で完全子会社化すると発表
買収後のインフォシークでは、同社出身ではなく一般社員だった森学氏が再建責任者に抜擢され、2000年9月期に約13億円の営業赤字だった同社を2002年6月から9月期に4700万円の営業黒字へ転換させた。2001年になると出店数の増え方が鈍り、出店数の多さに依存する収益構造そのものを疑う論評が増えた。この弱点は前年の2000年末の段階で早くも言われていた。客を集める力が落ちれば、収入の源である出店者が去っていく、という構図である。楽天は2001年3月に楽天トラベルを開設して、ショッピングに依存する事業構造からの多角化を探り始めていた。
- 日経ビジネス(2003年2月10日)
- [32]2001年に出店数の伸びが鈍化し、出店数依存の収益モデルへ疑問が向けられた
- 日経ビジネス(2000年12月11日)
- [33]2000年末時点で、集客力を失えば収益源である出店者が離れるという出店者数依存が指摘されていた
- 楽天グループ 有価証券報告書 第29期(2025年12月期)【沿革】
- [34]2001年3月 『楽天トラベル』のサービスを開始
参考文献[23]-[34]
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号 別冊付録 楽天(2000年4月26日 三木谷浩史社長講演)
- [23]2000年4月19日 株式を店頭市場に公開
- [24]2000年3月末の課金対象店舗数 2,400店(取扱商品約22万4千品)
- [25]2000年第1四半期の出店料収入 3億12百万円(売上高構成比73.2%)
- [26]2000年第1四半期 フリーマーケット収入35百万円(8.2%)・広告売上52百万円(12.3%)。楽天フリーマーケットは1999年9月開始
- [27]営業利益率 1999年通期37.8%・2000年第1四半期47.8%
- [28]原価率の低さはRMSというサーバーの自動運営に委ね人手があまりかからないECシステムによる
- [29]2001年夏ごろに出店料収入の上昇カーブとフリーマーケット・広告収入の上昇カーブが交差し、以後後者が前者を上回るという見通し
- 日経ビジネス(2000年10月23日)
- [30]2000年10月 米ニールセン調査でヤフー!ショッピングが利用者数で楽天市場を抜き首位
- 日経ビジネス(2000年12月11日)
- [31]2000年11月末 赤字のインフォシークを90億円で完全子会社化すると発表
- [33]2000年末時点で、集客力を失えば収益源である出店者が離れるという出店者数依存が指摘されていた
- 日経ビジネス(2003年2月10日)
- [32]2001年に出店数の伸びが鈍化し、出店数依存の収益モデルへ疑問が向けられた
- 楽天グループ 有価証券報告書 第29期(2025年12月期)【沿革】
- [34]2001年3月 『楽天トラベル』のサービスを開始
2001年〜年間流通1兆円の逆算目標と取引基盤への転位
2000年春、楽天市場で取引される金額はなお月20億円規模だったが、三木谷浩史氏は年間1兆円という目標を掲げ、副社長の本城愼之介氏らを驚かせた。三木谷浩史氏は、毎月17%ずつ伸ばせば1年半で1兆円に達すると計算していた。集客そのものは既にあり、2000年2月のインターネット視聴率調査で楽天は総合2位につけ、1日当たり約300万頁の閲覧を集めていた。三木谷浩史氏は目標を定めて到達する過程を好む性分で、留学を決めたときは早朝の英語教室へ通い、帰宅後も時間を割いて準備した。目標を先に置いて現在の行動を逆算するこの型は、のちに経常利益1000億円を掲げたときにも繰り返された。
- 日経ビジネス(2001年8月20日)
- [35]2000年春(月商20億円規模の時期)三木谷浩史氏が「楽天市場で取引される金額を年間1兆円にする」と目標を掲げ、副社長の本城愼之介氏らを驚かせた
- [36]「毎月17%成長を続ければ、1年半後には目標に手が届く」という説明で無謀とも思えた数値が現実味を帯び、社員がやる気を出した
- [38]MBA留学を目指すと決めると早朝から英語教室に通い、帰宅後も寝る間を惜しんで勉強した
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号 別冊付録 楽天(2000年4月26日 三木谷浩史社長講演)
- [37]2000年2月のJARによるインターネット視聴率調査で総合2位。1日当たり約300万ページビュー
2000年に公開した時点で、三木谷浩史氏は商品分野別に頁を組み替えて専門性を高める垂直戦略を掲げ、パソコン以外の携帯電話を使う取引や企業間取引まで広げる構想を述べていた。2001年に入るとインターネット関連株の相場が崩れ、ネット事業への評価は懐疑に傾いた。それでも三木谷浩史氏は、インターネットが社会の基盤として本格的に組み込まれるのはこれからだとみて、楽天を仮想店舗の並ぶ商店街ではなく取引の場の標準に育てる構想を語った。『単にバーチャル店舗が並ぶショッピングモールではなく、楽天をネットビジネスのマーケットプレースの標準に育てたい。個人間、企業間を問わず、ネット上で何か取引が生ずるたびに、楽天のシステムが利用される』という言い方で、収益の源を出店料から取引そのものへ移す方向を示している。同じ時期、ソフトバンクを率いる孫正義氏は常時接続を格安で提供するYahoo!BBを発表し、高速大容量時代の根幹である通信の側を押さえにかかった。三木谷浩史氏が選んだのは設備ではなく、取引の仕組みを握る道だった。
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号 別冊付録 楽天(2000年4月26日 三木谷浩史社長講演)
- [39]成長戦略の第1は「垂直戦略」。サイト構成を商品分野別に組み替え、携帯電話やセットトップボックスを使うECを三次元的なZ軸に据え、BtoB市場も視野に入れた総合的ECサイトへの飛躍を目指す
- 日経ビジネス(2001年8月20日)
- [40]2001年 ネットバブルがはじけ、インターネットビジネスに対する社会の目が懐疑的になりつつあった
- [41]三木谷浩史氏「インターネットが社会のインフラとして本格的に組み込まれてくるのはこれからだ」
- [42]三木谷浩史氏 楽天をネットビジネスのマーケットプレースの標準に育てる構想
- [43]孫正義氏(ソフトバンク)は格安で常時接続が可能なADSL接続サービス「Yahoo!BB」を発表し、ブロードバンド時代の根幹をなす通信を押さえにかかった
不足する機能を自前で作らず、楽天は買収と提携で補った。2000年11月の検索サイト、インフォシークの90億円での取得に続き、CS番組、投資信託の評価サービス、旅行業、書籍販売、雑誌の創刊が相次いだ。2001年3月には楽天トラベルの提供を始め、宿泊予約を自前の事業として持った。公開で得た資金を手当たり次第に投じているようにも見えたが、三木谷浩史氏には楽天を電子社会の基盤へ組み込む構想があった。ネット上の買い物は商品目録でも自動販売機でもなく対面販売の延長だという考えから、客と店の意思疎通を支える機能を先に備え、交流の概念を商店街へ持ち込んだのは1997年の楽天が最初だった。
- 日経ビジネス(2001年8月20日)
- [44]2000年11月の検索サイト・インフォシーク90億円買収のほか、CS番組・投資信託評価サービス・旅行業・書籍販売・「楽天マガジン」創刊など買収・提携・新規事業を推進
- [46]株式上場で得た手元資金で手当たり次第に事業を拡大しているようにも見えるが、三木谷浩史氏には楽天をデジタル社会のインフラに組み込むという大戦略があった
- [47]三木谷浩史氏「ネットショッピングはカタログでも自動販売機でもない。究極の対面販売だ」
- [48]客と店とのコミュニケーション重視が楽天の基本コンセプト。4年前(1997年)にコミュニティーの概念をモールに持ち込んだのは楽天が最初
- 楽天グループ 有価証券報告書 第29期(2025年12月期)【沿革】
- [45]2001年3月 『楽天トラベル』のサービスを開始
参考文献[35]-[48]
- 日経ビジネス(2001年8月20日)
- [35]2000年春(月商20億円規模の時期)三木谷浩史氏が「楽天市場で取引される金額を年間1兆円にする」と目標を掲げ、副社長の本城愼之介氏らを驚かせた
- [36]「毎月17%成長を続ければ、1年半後には目標に手が届く」という説明で無謀とも思えた数値が現実味を帯び、社員がやる気を出した
- [38]MBA留学を目指すと決めると早朝から英語教室に通い、帰宅後も寝る間を惜しんで勉強した
- [40]2001年 ネットバブルがはじけ、インターネットビジネスに対する社会の目が懐疑的になりつつあった
- [41]三木谷浩史氏「インターネットが社会のインフラとして本格的に組み込まれてくるのはこれからだ」
- [42]三木谷浩史氏 楽天をネットビジネスのマーケットプレースの標準に育てる構想
- [43]孫正義氏(ソフトバンク)は格安で常時接続が可能なADSL接続サービス「Yahoo!BB」を発表し、ブロードバンド時代の根幹をなす通信を押さえにかかった
- [44]2000年11月の検索サイト・インフォシーク90億円買収のほか、CS番組・投資信託評価サービス・旅行業・書籍販売・「楽天マガジン」創刊など買収・提携・新規事業を推進
- [46]株式上場で得た手元資金で手当たり次第に事業を拡大しているようにも見えるが、三木谷浩史氏には楽天をデジタル社会のインフラに組み込むという大戦略があった
- [47]三木谷浩史氏「ネットショッピングはカタログでも自動販売機でもない。究極の対面販売だ」
- [48]客と店とのコミュニケーション重視が楽天の基本コンセプト。4年前(1997年)にコミュニティーの概念をモールに持ち込んだのは楽天が最初
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号 別冊付録 楽天(2000年4月26日 三木谷浩史社長講演)
- [37]2000年2月のJARによるインターネット視聴率調査で総合2位。1日当たり約300万ページビュー
- [39]成長戦略の第1は「垂直戦略」。サイト構成を商品分野別に組み替え、携帯電話やセットトップボックスを使うECを三次元的なZ軸に据え、BtoB市場も視野に入れた総合的ECサイトへの飛躍を目指す
- 楽天グループ 有価証券報告書 第29期(2025年12月期)【沿革】
- [45]2001年3月 『楽天トラベル』のサービスを開始
筆者考察
1997年〜2001年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1997年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1998年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1999年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2000年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2001年12月期 | 連結 | 67 | n/a | n/a | n/a | 14 | n/a |
出所:有価証券報告書
出典・参考
6件
- 楽天グループ 有価証券報告書 第29期(2025年12月期)【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号 別冊付録 楽天(2000年4月26日 三木谷浩史社長講演)
- 日経ビジネス(2000年10月23日)
- 日経ビジネス(2000年12月11日)
- 日経ビジネス(2001年8月20日)
- 日経ビジネス(2003年2月10日)