壱番屋:経営承継と栃木工場の竣工
宗次直美氏への社長交代による壱番屋の株式公開準備
1998年〜一日700通のアンケート葉書と、全店へ配る店舗運営ヒント集
壱番屋が客の不満を直接集める仕組みを置いたのは1987年であった。料金受取人払のアンケート葉書を、席に座った客が手を伸ばせば取れるようメニュー立てに差し、味・接客態度・清潔さの満足度を五段階で答えさせたうえ、四、五行の記述欄を設けた。レジ横に投函箱を置く案もあったが、本音を聞き出すには店を通さず本部へ届くほうがよいと宗次徳二氏は判断している。1998年の初めには一日700通から800通が届き、郵便代だけで月に150万円を要した。回収を促すため、葉書には毎月抽選で100人に5,000円の食事券が当たる仕掛けを添えた。回答の8割以上は満足かやや満足で、悪い評価は1割ほどであった。
- 戦略経営者 1998年3月号「CASE1 外食産業 壱番屋──クレームを成長のバネに日本一のカレー王国を築く」岩崎敏夫
- [1]壱番屋は1987年に料金受取人払のアンケート葉書を導入し、顧客の声を直接すくい上げる仕組みとした
- [3]宗次徳二はレジ横に投函箱を置く案も検討したが、客の本音を聞き出すには直接本部に届くようにしたほうがよいと考えて本部直送とした
- [4]1998年時点でアンケート葉書は一日あたり700通から800通が届き、郵便代だけで月間150万円程度を要した
- [5]アンケート葉書には住所・氏名・年齢・性別・店名・来店日時を記入させ、毎月抽選で100人に5,000円の食事券が当たる仕組みを設けた
- [6]アンケート葉書の回答は全体の8割以上が満足またはやや満足で、1割程度が悪い評価だった
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [2]アンケート葉書は客が座った席から手を伸ばせば取れるようメニュー立てに置き、満足・やや不満・不満に丸を付けたうえで四、五行のコメントを書く形式とした
客から寄せられた悪い評価は、ぬるいカレーのように商品の価値に関わる声、注文の聞き誤りや取り漏れ、料理が出てくるまでの遅れ、従業員の私語、の四つにほぼ分かれた。葉書には宗次徳二氏が目を通し、毎日1時間あまりを費やして良い評価と悪い評価と要望の三つに振り分け、店の運営に生かせそうな声を月刊の小冊子である店舗運営ヒント集に収めて全店に配っている。1997年10月号に載ったのは、ビーフカレーを頼んで30分待たされ昼休みがなくなったという33歳男性の声と、新人アルバイトを店長が怒鳴り続けるので味までまずく感じたという25歳男性の声だった。労働集約の商売である以上、何をするにも人に関わる問題が大きいと宗次徳二氏は述べている。
- 戦略経営者 1998年3月号「CASE1 外食産業 壱番屋──クレームを成長のバネに日本一のカレー王国を築く」岩崎敏夫
- [7]アンケート葉書の悪い評価は、カレーがぬるいなど商品価値に関するもの、注文の間違いや取り忘れ、提供の遅さ、私語の四つに大別された
- [8]宗次徳二は毎日1時間あまりかけてアンケート葉書に目を通し、良い評価・悪い評価・要望の三つに分類していた
- [10]1997年10月の店舗運営ヒント集には、ビーフカレー400グラムを注文して30分待っても提供されず昼休みを失ったという33歳男性、店長が新人アルバイトを怒鳴り続けていて味がまずく感じられたという25歳男性のクレームが掲載された
- [11]宗次徳二は、労働集約的な産業であるため何をするにもヒトにまつわることが大きいと述べた
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [9]分類したアンケート葉書のうち店舗運営に役立ちそうな声を月刊の小冊子「店舗運営ヒント集」にまとめ、全店に配布した
壱番屋の社是であるニコニコ、キビキビ、ハキハキは、接客業の基本を三語で並べただけのものである。守られているかどうかを測るために、葉書のほかに二つの点検を置いた。ひとつはスーパーバイザーで、全国54名が数店から数十店を受け持ち、最低でも月に一度は巡回して8段階で店を評価する。最上位のA評価は、開店から閉店まで接客と調理が安定し、駐車場にごみも雑草もないことまで求められ、過去10年で2店にしか付いていない。もうひとつは社員モニター制度で、顔の知られたスーパーバイザーでは店が緊張するため、本部や営業所、製造、物流の社員が一般客として入り、提供までの時間や順序の狂いを紙に記してスーパーバイザーへ戻した。1990年代の後半からは、店内と駐車場に加えて近隣の清掃まで各加盟店に求めている。
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [12]壱番屋の社是は「ニコニコ、キビキビ、ハキハキ」であり、誰にでもできる接客業の基本と位置づけられていた
- [13]壱番屋は接客と清潔さを担保する仕組みとして、アンケート葉書のほかにスーパーバイザー制度と社員モニター制度を併用した
- [14]スーパーバイザーは全国に54名おり、数店から数十店を担当し、最低でも月1回は店舗を巡回して8段階で評価した。評価が中位より下の店舗はより頻繁に巡回して指導した
- [15]スーパーバイザー評価の最上位であるA評価は、開店から閉店まで安定した接客・調理オペレーションとクリンネス、駐車場にごみや雑草がないことなどを満たす必要があり、過去10年で2店しか付いていない
- [16]社員モニター制度では本部・営業所・出張所・製造・物流勤務の社員全員が一般客として店舗に入り、駐車場から接客態度、10分以内に商品が提供されたか、後から来た客に先を越されていないかなどを記入してスーパーバイザーにフィードバックした
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [17]2000年の三年前から、各加盟店では店内や駐車場に加えて近隣の清掃にも力を入れるようになった
参考文献[1]-[17]
- 戦略経営者 1998年3月号「CASE1 外食産業 壱番屋──クレームを成長のバネに日本一のカレー王国を築く」岩崎敏夫
- [1]壱番屋は1987年に料金受取人払のアンケート葉書を導入し、顧客の声を直接すくい上げる仕組みとした
- [3]宗次徳二はレジ横に投函箱を置く案も検討したが、客の本音を聞き出すには直接本部に届くようにしたほうがよいと考えて本部直送とした
- [4]1998年時点でアンケート葉書は一日あたり700通から800通が届き、郵便代だけで月間150万円程度を要した
- [5]アンケート葉書には住所・氏名・年齢・性別・店名・来店日時を記入させ、毎月抽選で100人に5,000円の食事券が当たる仕組みを設けた
- [6]アンケート葉書の回答は全体の8割以上が満足またはやや満足で、1割程度が悪い評価だった
- [7]アンケート葉書の悪い評価は、カレーがぬるいなど商品価値に関するもの、注文の間違いや取り忘れ、提供の遅さ、私語の四つに大別された
- [8]宗次徳二は毎日1時間あまりかけてアンケート葉書に目を通し、良い評価・悪い評価・要望の三つに分類していた
- [10]1997年10月の店舗運営ヒント集には、ビーフカレー400グラムを注文して30分待っても提供されず昼休みを失ったという33歳男性、店長が新人アルバイトを怒鳴り続けていて味がまずく感じられたという25歳男性のクレームが掲載された
- [11]宗次徳二は、労働集約的な産業であるため何をするにもヒトにまつわることが大きいと述べた
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [2]アンケート葉書は客が座った席から手を伸ばせば取れるようメニュー立てに置き、満足・やや不満・不満に丸を付けたうえで四、五行のコメントを書く形式とした
- [9]分類したアンケート葉書のうち店舗運営に役立ちそうな声を月刊の小冊子「店舗運営ヒント集」にまとめ、全店に配布した
- [12]壱番屋の社是は「ニコニコ、キビキビ、ハキハキ」であり、誰にでもできる接客業の基本と位置づけられていた
- [13]壱番屋は接客と清潔さを担保する仕組みとして、アンケート葉書のほかにスーパーバイザー制度と社員モニター制度を併用した
- [14]スーパーバイザーは全国に54名おり、数店から数十店を担当し、最低でも月1回は店舗を巡回して8段階で評価した。評価が中位より下の店舗はより頻繁に巡回して指導した
- [15]スーパーバイザー評価の最上位であるA評価は、開店から閉店まで安定した接客・調理オペレーションとクリンネス、駐車場にごみや雑草がないことなどを満たす必要があり、過去10年で2店しか付いていない
- [16]社員モニター制度では本部・営業所・出張所・製造・物流勤務の社員全員が一般客として店舗に入り、駐車場から接客態度、10分以内に商品が提供されたか、後から来た客に先を越されていないかなどを記入してスーパーバイザーにフィードバックした
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [17]2000年の三年前から、各加盟店では店内や駐車場に加えて近隣の清掃にも力を入れるようになった
1998年〜価格競争に乗らず、量と辛さと具を客に選ばせる
1990年代の後半、外食ではマクドナルドの価格攻勢を受けて価格破壊が吹き荒れ、ファストフード各社は原価率の引き下げやサービスの縮小に追い込まれていた。壱番屋はこの流れに乗らず、値引きやプレミアムセールといった販促を開業以来一度も行っていない。新メニューを次々に入れ替えることもせず、価格は手ごろに保ちながら、安さを前面に出して客を集める行き方は取らなかった。価格訴求ではなく価値訴求に商売の根幹を置くという立て方である。値引きは加盟店の利益を圧迫するため、加盟店オーナーに利益を上げ続けてもらうことが本部の役目だという理念とも噛み合わない。安さで呼んだ客は安さで離れるという判断が背後にあったと思われる。
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [18]1990年代後半の外食産業ではマクドナルドの価格攻勢による価格破壊が進み、ファストフード業界の多くが低収益にあえぎ、原価率の引き下げやサービスの低下という悪循環に陥っていた
- [20]壱番屋は新メニューを次々に入れ替えることをせず、価格はリーズナブルに保ちながら安さを強調して集客する価格競争的な方法を取らなかった
- [21]壱番屋は自らのビジネスの根幹を価格訴求ではなく価値訴求に置いていた
- Franchise age 1992年1月号「売上高45カ月連続2ケタ成長を続ける国内最大のカレー専門店チェーン」廣澤勝
- [19]壱番屋はディスカウントやプレミアムセールといった販促を開業以来一切実施しなかった
- [22]宗次徳二はフランチャイズの本質を加盟店オーナーに利益をあげ続けてもらうことに置き、それを土台にしてこそ加盟店も本部も発展すると述べた
価格の代わりに差をつけたのは、選択の幅であった。カレーソースはポーク、ビーフ、甘口ポーク、ハヤシの4種類から選べ、ライスは200グラムから1,500グラムまで100グラム刻みで、標準は300グラムとした。辛さは甘口から5辛までを段階で刻み、トッピングは生タマゴやチーズから牛しゃぶまでを二種三種と重ねられる。単品のカレーをソース・量・辛さ・具の四つの軸に割ったことで、客ごとに違う一皿が組み上がり、平均客単価は800円を超えた。1,300グラムを20分以内で食べ切れば無料という趣向もあり、1999年12月の挑戦者は全国で7,840名、達成率は35.7%であった。
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [23]CoCo壱番屋の特徴は選べる楽しさにあり、量・辛さ・具を客が自分好みに組み合わせられる点が魅力とされた
- [24]カレーソースはポーク、ビーフ、甘口ポーク、ハヤシの4種類のベースから選べ、ライスの量は200グラムから1,500グラムまで100グラム単位で設定され、標準メニューは300グラムだった
- [25]カレーソースの辛さは甘口から5辛まで段階的に選べ、トッピングは生タマゴ、ツナ、コーン、ホウレンソウ、チーズ、イカ、ロースカツ、エビカツ、牛しゃぶなど多種から二種類でも三種類でも組み合わせられた
- [26]選択の幅を広げた結果、ファストフード店としては高い800円超の客単価となった
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [27]1,300グラムを20分以内で食べ切れば料金を取らないサービスがあり、1999年12月度の挑戦者は全国で7,840名、達成率は35.7%だった
この運営で、1997年5月期の売上高は前年比約5割増の155億円に達した。個人消費が低迷していた時期の伸びであり、1998年3月の時点で店舗数は直営と加盟をあわせて510、従業員は444人であった。1998年1月17日には創業20周年と同時に500店舗を達成している。バブル期にも本業以外の投資を一切行わず、国税局の調査を二度受けて一円の修正もなかったと宗次直美氏は述べた。自社のアンケートでは月に3回以上来店する客が4割に達しており、日常食として反復して買われる位置を取れていた。値引きを封じたまま既存店の売上を拡大するには、客あたりの注文内容を厚くするほかに道がなかったとみられる。
- 戦略経営者 1998年3月号「CASE1 外食産業 壱番屋──クレームを成長のバネに日本一のカレー王国を築く」岩崎敏夫
- [28]壱番屋の1997年5月期の売上高は前年比約50%増の155億円に達した
- [29]1998年3月時点で壱番屋は愛知県一宮市を地盤に直営店とフランチャイズ店あわせて510店舗を展開し、従業員は444人だった
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [30]1998年1月17日、壱番屋は創業20周年を迎えるとともに500店舗を達成した
- [31]宗次直美は、壱番屋はバブル期にも本業以外の投資を全く行わず、国税局の調査を二度受けていずれも一円の修正もなかったと述べた
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [32]壱番屋のアンケートでは月に3回以上来店する客が4割に達していた
参考文献[18]-[32]
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [18]1990年代後半の外食産業ではマクドナルドの価格攻勢による価格破壊が進み、ファストフード業界の多くが低収益にあえぎ、原価率の引き下げやサービスの低下という悪循環に陥っていた
- [20]壱番屋は新メニューを次々に入れ替えることをせず、価格はリーズナブルに保ちながら安さを強調して集客する価格競争的な方法を取らなかった
- [21]壱番屋は自らのビジネスの根幹を価格訴求ではなく価値訴求に置いていた
- [23]CoCo壱番屋の特徴は選べる楽しさにあり、量・辛さ・具を客が自分好みに組み合わせられる点が魅力とされた
- [24]カレーソースはポーク、ビーフ、甘口ポーク、ハヤシの4種類のベースから選べ、ライスの量は200グラムから1,500グラムまで100グラム単位で設定され、標準メニューは300グラムだった
- [25]カレーソースの辛さは甘口から5辛まで段階的に選べ、トッピングは生タマゴ、ツナ、コーン、ホウレンソウ、チーズ、イカ、ロースカツ、エビカツ、牛しゃぶなど多種から二種類でも三種類でも組み合わせられた
- [26]選択の幅を広げた結果、ファストフード店としては高い800円超の客単価となった
- [30]1998年1月17日、壱番屋は創業20周年を迎えるとともに500店舗を達成した
- [31]宗次直美は、壱番屋はバブル期にも本業以外の投資を全く行わず、国税局の調査を二度受けていずれも一円の修正もなかったと述べた
- Franchise age 1992年1月号「売上高45カ月連続2ケタ成長を続ける国内最大のカレー専門店チェーン」廣澤勝
- [19]壱番屋はディスカウントやプレミアムセールといった販促を開業以来一切実施しなかった
- [22]宗次徳二はフランチャイズの本質を加盟店オーナーに利益をあげ続けてもらうことに置き、それを土台にしてこそ加盟店も本部も発展すると述べた
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [27]1,300グラムを20分以内で食べ切れば料金を取らないサービスがあり、1999年12月度の挑戦者は全国で7,840名、達成率は35.7%だった
- [32]壱番屋のアンケートでは月に3回以上来店する客が4割に達していた
- 戦略経営者 1998年3月号「CASE1 外食産業 壱番屋──クレームを成長のバネに日本一のカレー王国を築く」岩崎敏夫
- [28]壱番屋の1997年5月期の売上高は前年比約50%増の155億円に達した
- [29]1998年3月時点で壱番屋は愛知県一宮市を地盤に直営店とフランチャイズ店あわせて510店舗を展開し、従業員は444人だった
1998年〜妻への社長交代と、株式公開までの二年
宗次徳二氏が役員への引き継ぎの準備を始めたのは交代の二年前で、個人の思いに依存する経営を続ければ弊害が大きく、続いて栄えてこそ企業だと考えたためである。1998年6月に社長を妻の直美氏へ渡して会長となったとき、宗次徳二氏は49歳、店舗は510に達していた。一人息子に後を継がせようと考えたことは一度もなく、夫婦が好んで始めた商売に実の子かどうかは関わりがない、と本人は断じている。長男を帝王切開で産んだ際に術後二週間の入院を10日で切り上げて仕事に戻った直美氏にとって、社長就任は現場を離れる理由にならず、交代後も店の掃除が行き届かなければ自分でマジックリンとほうきを手にした。
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [33]宗次徳二は、個人の思いで企業の経営を続けていくのは弊害が多く、継続して栄えなければ企業とはいえないとして、社長交代の二年前から役員への引き継ぎの準備を始めていた
- [34]1998年6月、宗次徳二は社長職を妻の宗次直美に譲り、会長に退いた
- [36]宗次夫妻は一人息子である長男に壱番屋を継がせようと思ったことは一度もなく、自分たち夫婦が好きで始めたことであって子であるかどうかは関係ないと述べた
- [37]宗次直美は長男の出産の際、帝王切開のため産後二週間の入院が必要なところを10日で退院して仕事に戻った
- [38]宗次直美は社長就任後も店舗をめぐり、掃除が行き届いていない店ではマジックリンとほうきを手にして自ら清掃した
- 戦略経営者 1998年3月号「CASE1 外食産業 壱番屋──クレームを成長のバネに日本一のカレー王国を築く」岩崎敏夫
- [35]1998年3月時点で創業社長の宗次徳二は49歳で、壱番屋の店舗数は直営とフランチャイズあわせて510店舗だった
引き際をきちんとつけ、やるならやる、やらないならやらないと区切ってほしいという申し渡しを込めて、直美氏は会長に退く相手へ三つの条件を示した。毎週一度は休むこと、五時より前には出社しないこと、組織のことに口を挟まないことである。習慣が抜けず初めは守れなかったものの、しだいに休みを取り、経営の細部に口を出すことも減っていったが、店頭公開の時点でも、月3万通に増えた葉書を毎朝五時に出社して二、三時間で分類する仕事だけは会長が担い続けていた。導入から13年を経た葉書からは、不満の中身だけでなく新メニューや新規出店の希望まで拾えるようになっていた。組織の権限は譲れても、客の声を読む役目は譲れなかったのだろう。
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [39]宗次直美は三条件に加えて、やるかやらないかの引き際をきちんとつけるよう宗次徳二に申し渡した
- [40]宗次徳二が会長職に退くにあたり、宗次直美は三つの条件を出した
- [41]条件は、週に一度は休みを取ること、五時前出社をやめること、組織上のことに口出しをやめることの三つだった
- [42]宗次徳二は当初は習い性が抜けず約束を果たせなかったが、次第に休みを取るようになり、細かく経営に口を出すことが少なくなった
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [43]2000年2月の株式店頭公開の時点で、アンケート葉書は一日1,000通以上、月間3万通前後が社長室に届いており、会長の宗次徳二が毎朝5時に出社して2時間から3時間かけて分類していた
- [44]アンケート葉書は導入から13年を経て、客の満足・不満足の内容に加えて新メニューの希望や新規出店の希望といった要望を集める手段となっていた
株式公開に向けた形づくりは、社長交代より前から進んでいた。1996年12月にグループ5社を壱番屋へ統合し、1997年10月に佐賀工場、1999年8月に栃木工場を建てて、愛知県一宮市と合わせ三つのセントラルキッチンで製造し、急速冷凍して全国八営業所・五出張所へ毎日配送するようにした。もっとも資金の必要から公開したのではなく、2001年5月期の見込みは売上高285億円、経常利益27億円で、公開しなければ事業が続かない状態ではなかった。創業者がキャピタルゲインで一儲けすることも考えていないと宗次徳二氏は語っている。2000年2月10日、壱番屋は日本証券業協会へ株式を店頭登録し、同月の店舗数は北海道から沖縄まで621であった。
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [45]1996年12月、壱番屋は株式公開に向けてグループ5社を株式会社壱番屋へ統合した
- [47]2001年5月期の売上高見込みは285億円、経常利益見込みは27億円であり、株式を公開して資金を得なければ事業が続けられないという必要性はなかった
- [48]宗次徳二は、株式を公開して創業者がキャピタルゲインによって一儲けするようなことは考えていないと述べた
- 壱番屋 有価証券報告書【沿革】
- [46]1997年10月に佐賀県三養基郡基山町の佐賀工場、1999年8月に栃木県矢板市の栃木工場を竣工した
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [49]2000年2月10日に日本証券業協会へ株式を店頭登録し、同月16日時点の店舗数は北海道から沖縄まで621店舗だった
参考文献[33]-[49]
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子
- [33]宗次徳二は、個人の思いで企業の経営を続けていくのは弊害が多く、継続して栄えなければ企業とはいえないとして、社長交代の二年前から役員への引き継ぎの準備を始めていた
- [34]1998年6月、宗次徳二は社長職を妻の宗次直美に譲り、会長に退いた
- [36]宗次夫妻は一人息子である長男に壱番屋を継がせようと思ったことは一度もなく、自分たち夫婦が好きで始めたことであって子であるかどうかは関係ないと述べた
- [37]宗次直美は長男の出産の際、帝王切開のため産後二週間の入院が必要なところを10日で退院して仕事に戻った
- [38]宗次直美は社長就任後も店舗をめぐり、掃除が行き届いていない店ではマジックリンとほうきを手にして自ら清掃した
- [39]宗次直美は三条件に加えて、やるかやらないかの引き際をきちんとつけるよう宗次徳二に申し渡した
- [40]宗次徳二が会長職に退くにあたり、宗次直美は三つの条件を出した
- [41]条件は、週に一度は休みを取ること、五時前出社をやめること、組織上のことに口出しをやめることの三つだった
- [42]宗次徳二は当初は習い性が抜けず約束を果たせなかったが、次第に休みを取るようになり、細かく経営に口を出すことが少なくなった
- [45]1996年12月、壱番屋は株式公開に向けてグループ5社を株式会社壱番屋へ統合した
- [47]2001年5月期の売上高見込みは285億円、経常利益見込みは27億円であり、株式を公開して資金を得なければ事業が続けられないという必要性はなかった
- [48]宗次徳二は、株式を公開して創業者がキャピタルゲインによって一儲けするようなことは考えていないと述べた
- 戦略経営者 1998年3月号「CASE1 外食産業 壱番屋──クレームを成長のバネに日本一のカレー王国を築く」岩崎敏夫
- [35]1998年3月時点で創業社長の宗次徳二は49歳で、壱番屋の店舗数は直営とフランチャイズあわせて510店舗だった
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- [43]2000年2月の株式店頭公開の時点で、アンケート葉書は一日1,000通以上、月間3万通前後が社長室に届いており、会長の宗次徳二が毎朝5時に出社して2時間から3時間かけて分類していた
- [44]アンケート葉書は導入から13年を経て、客の満足・不満足の内容に加えて新メニューの希望や新規出店の希望といった要望を集める手段となっていた
- [49]2000年2月10日に日本証券業協会へ株式を店頭登録し、同月16日時点の店舗数は北海道から沖縄まで621店舗だった
- 壱番屋 有価証券報告書【沿革】
- [46]1997年10月に佐賀県三養基郡基山町の佐賀工場、1999年8月に栃木県矢板市の栃木工場を竣工した
筆者考察
1998年6月の社長交代で宗次徳二氏が委譲したのは、組織の権限であって品質の判定ではなかった。会長へ退くにあたり妻の直美氏が出した条件は、週に一度は休む、五時前の出社をやめる、組織上のことに口を出さない、の三つである。休みは取るようになり、細かな口出しも減ったが、五時前出社だけは店頭公開の時点でも続いていた。毎朝五時に出社し、月3万通に達した葉書を二、三時間かけて良い評価と悪い評価と要望に分けるためである。スーパーバイザー54名による八段階評価も、身元を伏せた社員モニターも、店を測る装置としては整っていた。それでも客の言葉そのものを読む役目だけは、誰にも渡されなかった。
値引きを一度もしなかったことが、この執着に意味を与えている。1990年代後半の外食はマクドナルドの価格攻勢を受け、原価率の引き下げとサービスの縮小へ流れていた。壱番屋はその逆を行き、ライスを100グラム刻み、辛さを段階で刻み、トッピングを重ねさせて、客単価を800円超に保っている。安さで選ばれない店は、接客と提供時間と清潔さで選ばれるほかない。だからこそ、提供が30分遅れたことや店長が新人を怒鳴っていたことが、そのまま経営の問題として本部へ届く必要があった。1997年5月期に売上高が前年比約5割増の155億円へ伸びたのは、値引きを封じた店が別の変数で伸びた結果だったのだろう。
出典・参考
5件
- 壱番屋 有価証券報告書【沿革】
- Franchise age 1992年1月号「売上高45カ月連続2ケタ成長を続ける国内最大のカレー専門店チェーン」廣澤勝
- 戦略経営者 1998年3月号「CASE1 外食産業 壱番屋──クレームを成長のバネに日本一のカレー王国を築く」岩崎敏夫
- 証券アナリストジャーナル 2000年3月号 宗次直美
- 2020 AIM 2000年(第187号)「カレーハウス『CoCo壱番屋』のユニークなビジネス・デザイン創造」桑原聡子