第1章 年〜年

ファナック:富士通からの分社と利益率35%を掲げた高収益経営

1956年〜十年の赤字を通信機事業の収益が吸収したNC研究

1956年、富士通信機製造の技術担当常務であった尾見半左右氏は、通信機にコンピュータと制御を加える"3C構想"を掲げ、制御分野の責任者に機械技術者の稲葉清右衛門氏を指名した。米国MITがまとめたNC工作機械の技術報告を年初の自動制御研究会で耳にしたことが、稲葉氏が開発の対象をNCへ絞り込む契機となった。茨城県出身の同氏は1925年生まれで、1946年に東京大学工学部を出ている。研究は富士通川崎工場の片隅に設けた小部屋で、電気担当と機械担当を合わせても数名という陣容から動き出し、1959年に電気・油圧パルスモータを完成させて自前のNC技術を確立するに至った。

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [1]1956年 尾見半左右氏が3C構想の制御分野責任者に稲葉清右衛門氏を指名
    • [2]1956年初め 自動制御研究会でMITのNC工作機械の技術報告を聴き開発テーマをNCへ
    • [4]富士通川崎工場の小さな実験室で電気・機械の数名の技術者によりNC研究が発足
    • [5]1959年 電気・油圧パルスモータを開発し独自のNC技術を確立
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [3]稲葉清右衛門氏 大正14年(1925年)3月茨城県生まれ、昭和21年(1946年)9月東京大学工学部卒

事業としてのNCは参入から約10年にわたって赤字が続き、富士通の通信機事業の収益がその損失を吸収した。稲葉氏は当時の社長であった岡田完二郎氏から『利益なくして企業は成り立たない』と叩き込まれ、技術より先に利益から発想する経営観をこの時期に得た。NC部門が初めて黒字を出したのは1965年で、以後は汎用NC装置の需要拡大に乗って富士通社内でも利益率の高い部門へ育ち、1969年にはNC装置の累計出荷が2275台に上った。外部からの借金を当てにせず、自前の資金で回せる企業体質をつくるという方針は、それ以前の赤字続きの時期に固まったものである。稲葉氏はこの十年について、技術者である自分がもっとも厳しく鍛え上げられた歳月だったと書き残している。

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [6]NC参入から約10年の赤字を富士通の通信機事業の収益が吸収
    • [8]1965年 NC部門が初の黒字転換、汎用NC需要の拡大で高収益部門に成長
    • [9]NC装置の出荷 1969年に累計2275台
    • [10]借入に頼らず自己資金でまかなう企業体質づくりの方針
    • [11]稲葉清右衛門氏が1955年から1965年を最も厳しく鍛えられた期間と記述
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [7]岡田完二郎社長の「利益なくして企業は成り立たない」の教え

1972年4月14日、富士通の取締役会がNC部門の分離独立を決め、翌5月に資本金20億円の富士通ファナック株式会社が発足した。発足時の本社は川崎市に置かれ、人員は約630名だった。新会社の専務には富士通計算制御部長の稲葉清右衛門氏が就任し、事実上の責任者となった。稲葉氏は損益分岐点比率を30%以下に抑えるよう社内へ指示し、これを企業体質センサーと呼んだ。1976年5月にはドイツへ現地法人FANUC SERVICE GmbHを設け、同年11月に東京証券取引所市場第二部へ上場した。

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [12]1972年4月14日 富士通取締役会がNC部門の分離独立を決定
    • [15]新会社の専務に富士通計算制御部長の稲葉清右衛門氏が就任
    • [16]損益分岐点比率30%以下の指示と企業体質センサーの呼称
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [13]1972年5月 富士通株式会社よりNC部門が分離し設立、資本金20億円
    • [17]1976年5月 ドイツに現地法人FANUC SERVICE GmbHを設立
    • [18]1976年11月 東京証券取引所市場第二部に上場
  • 日刊工業新聞 1972年4月15日
    • [14]発足時の本社は川崎市、人員は約630名
参考文献[1]-[18]
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [1]1956年 尾見半左右氏が3C構想の制御分野責任者に稲葉清右衛門氏を指名
    • [2]1956年初め 自動制御研究会でMITのNC工作機械の技術報告を聴き開発テーマをNCへ
    • [4]富士通川崎工場の小さな実験室で電気・機械の数名の技術者によりNC研究が発足
    • [5]1959年 電気・油圧パルスモータを開発し独自のNC技術を確立
    • [6]NC参入から約10年の赤字を富士通の通信機事業の収益が吸収
    • [8]1965年 NC部門が初の黒字転換、汎用NC需要の拡大で高収益部門に成長
    • [9]NC装置の出荷 1969年に累計2275台
    • [10]借入に頼らず自己資金でまかなう企業体質づくりの方針
    • [11]稲葉清右衛門氏が1955年から1965年を最も厳しく鍛えられた期間と記述
    • [12]1972年4月14日 富士通取締役会がNC部門の分離独立を決定
    • [15]新会社の専務に富士通計算制御部長の稲葉清右衛門氏が就任
    • [16]損益分岐点比率30%以下の指示と企業体質センサーの呼称
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [3]稲葉清右衛門氏 大正14年(1925年)3月茨城県生まれ、昭和21年(1946年)9月東京大学工学部卒
    • [7]岡田完二郎社長の「利益なくして企業は成り立たない」の教え
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [13]1972年5月 富士通株式会社よりNC部門が分離し設立、資本金20億円
    • [17]1976年5月 ドイツに現地法人FANUC SERVICE GmbHを設立
    • [18]1976年11月 東京証券取引所市場第二部に上場
  • 日刊工業新聞 1972年4月15日
    • [14]発足時の本社は川崎市、人員は約630名

1973年〜顧客と競合しない最終製品としての産業用ロボット参入

1973年秋の第一次オイルショックののち、大出力に大型の油圧源を要する電気・油圧パルスモータへのユーザーの評価が一変した。稲葉氏は米ゲティス社と提携し、主力を油圧式から油を使わないDCサーボモータへ切り替えた。1974年7月、ゲティス社とのライセンス契約によりDCサーボモータの製造販売を開始した。1975年5月には稲葉氏が社長に就任し、主力のNC装置は国内シェア約75%、世界シェア約50%を占めた。同年6月にはドイツのシーメンス社と営業・技術にわたる相互援助契約を結び、欧州での協力の足場とした。

  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [19]1973年秋の第一次オイルショックで電気・油圧パルスモータの評価が一変
    • [20]オイルショックを機にゲティス社と提携しDCサーボモータへ転換
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [21]1974年7月 米国ゲティス社とのライセンス契約によりDCサーボモータの製造販売開始
    • [24]1975年6月 ドイツ・シーメンス社と営業、技術に亘る相互援助契約を締結
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [22]1975年5月 稲葉清右衛門氏が社長に就任
    • [23]主力NC装置の国内シェア約75%・世界シェア約50%

NC装置は工作機械に組み込まれて売られる部品で、その主な買い手は工作機械メーカーだった。同じ工作機械を自ら手がければ顧客と正面から競合するため、稲葉社長は事業をNC・サーボ・機械を統合した商品に限る"憲法"を掲げ、その枠内で顧客と競わない最終製品を探した。製造部門でも作業員の単純作業をロボットへ置き換える構想を持っていた。1974年に産業用ロボットの自社開発へ着手し、NCを制御装置、サーボモータを関節の動力に転用して1977年に最終製品市場へ参入した。1977年10月には日野地区へ商品開発研究所を新設し、同年11月に米国へ現地法人FANUC AMERICA CORPORATIONを設立した。

  • 日経ビジネス 1985年10月28日号
    • [25]NC装置は工作機械に組み込まれる部品で主な買い手は工作機械メーカー
    • [26]事業をNC・サーボ・機械を統合した商品に限る稲葉清右衛門氏の「憲法」
    • [28]1974年 産業用ロボットの自社開発着手、1977年 最終製品市場へ参入
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [27]製造部門で作業員の単純作業をロボットへ置き換える構想
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [29]1977年10月 日野地区に商品開発研究所を新設
    • [30]1977年11月 米国に現地法人FANUC AMERICA CORPORATIONを設立

1978年5月には韓国の貨泉機工社との共同出資で合弁会社KOREA FANUC CORPORATIONを設立した。1980年12月、ファナックは本社地区を山梨県忍野村に定め、ロボットおよびNC工作機械の製造工場を建設して移転した。1981年12月に米ゼネラルモーターズからロボットの開発・製造・販売を担う合弁の申し込みを受け、1982年6月にGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立した。1982年7月には富士通ファナック株式会社をファナック株式会社へ社名変更し、1983年9月に東京証券取引所市場第一部へ上場した。1984年10月には東京都日野市から山梨県忍野村へ本店を移した。

  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [31]1978年5月 韓国貨泉機工社との共同出資により合弁会社KOREA FANUC CORPORATIONを設立
    • [32]1980年12月 本社地区(山梨県忍野村)にロボットおよびNC工作機械製造工場を建設移転
    • [34]1982年6月 米国ゼネラルモーターズ社との共同出資によりGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立
    • [35]1982年7月 富士通ファナック株式会社をファナック株式会社に社名変更
    • [36]1983年9月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [37]1984年10月 東京都日野市より山梨県忍野村へ本店を移転
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [33]1981年12月 GMからロボットの開発・製造・販売を担う合弁の申し込み
参考文献[19]-[37]
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)
    • [19]1973年秋の第一次オイルショックで電気・油圧パルスモータの評価が一変
    • [20]オイルショックを機にゲティス社と提携しDCサーボモータへ転換
    • [27]製造部門で作業員の単純作業をロボットへ置き換える構想
    • [33]1981年12月 GMからロボットの開発・製造・販売を担う合弁の申し込み
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
    • [21]1974年7月 米国ゲティス社とのライセンス契約によりDCサーボモータの製造販売開始
    • [24]1975年6月 ドイツ・シーメンス社と営業、技術に亘る相互援助契約を締結
    • [29]1977年10月 日野地区に商品開発研究所を新設
    • [30]1977年11月 米国に現地法人FANUC AMERICA CORPORATIONを設立
    • [31]1978年5月 韓国貨泉機工社との共同出資により合弁会社KOREA FANUC CORPORATIONを設立
    • [32]1980年12月 本社地区(山梨県忍野村)にロボットおよびNC工作機械製造工場を建設移転
    • [34]1982年6月 米国ゼネラルモーターズ社との共同出資によりGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立
    • [35]1982年7月 富士通ファナック株式会社をファナック株式会社に社名変更
    • [36]1983年9月 東京証券取引所市場第一部に上場
    • [37]1984年10月 東京都日野市より山梨県忍野村へ本店を移転
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
    • [22]1975年5月 稲葉清右衛門氏が社長に就任
    • [23]主力NC装置の国内シェア約75%・世界シェア約50%
  • 日経ビジネス 1985年10月28日号
    • [25]NC装置は工作機械に組み込まれる部品で主な買い手は工作機械メーカー
    • [26]事業をNC・サーボ・機械を統合した商品に限る稲葉清右衛門氏の「憲法」
    • [28]1974年 産業用ロボットの自社開発着手、1977年 最終製品市場へ参入

1956年〜1985年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率 億円
1956年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1957年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1958年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1959年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1960年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1961年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1962年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1963年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1964年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1965年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1966年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1967年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1970年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1971年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1972年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1973年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1974年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1975年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1976年03月期 単体 92 n/a 10 11.0% 5 n/a
1977年03月期 単体 146 +58.1% 27 18.7% 12 n/a
1978年03月期 単体 242 +65.1% 48 20.0% 24 n/a
1979年03月期 単体 346 +42.9% 88 25.5% 42 n/a
1980年03月期 単体 500 +44.7% 158 31.6% 78 n/a
1981年03月期 単体 821 +64.0% 270 33.0% 134 n/a
1982年03月期 単体 923 +12.4% 321 34.8% 156 n/a
1983年03月期 単体 827 ▲10.4% 297 36.0% 156 n/a
1984年03月期 単体 1,154 +39.6% 438 38.0% 195 n/a
1985年03月期 単体 1,417 +22.8% 519 36.6% 249 n/a

出所:会社年鑑

出典・参考

5件
出典・参考
  • ファナック 有価証券報告書 第50期(2024年3月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 1983年10月3日号
  • 日経ビジネス 1985年10月28日号
  • 日刊工業新聞 1972年4月15日
  • 稲葉清右衛門『ロボット時代を拓く——「黄色い城」からの挑戦』(PHP研究所, 1982)

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