ライブドア:オン・ザ・エッヂの設立とマザーズ上場による55億円の調達
オン・ザ・エッヂのマザーズ上場からデータホテルへ
1996年〜東京大学在学中の設立と受託制作からの出発
有限会社オン・ザ・エッヂは、ホームページの制作・運営・管理を目的として東京都港区に設けられた。設立したのは東京大学に在学していた堀江貴文氏で、時期は1996年4月である。起業の動機として堀江氏が周りに挙げたのは、宇宙へ行ける会社にしたいということだったという。元手の600万円は、堀江氏がアルバイトをしていた塾の生徒の親が出した。最初の仕事は六本木の雑居ビルでの企業ホームページの受託制作だった。1997年7月に株式会社へ移行し、資本金は1000万円になった。富士写真フイルム、バンダイ、NTTの子会社といった取引先を持ち、資本600万円の小所帯ながら、1000万円を上回る仕事を取った例もある。1999年に"iモード"が始まった際には、そのシステムの構築も請け負った。
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- [1]ホームページの制作・運営・管理を目的として東京都港区に有限会社オン・ザ・エッヂを設立した
- [2]1996年4月に有限会社オン・ザ・エッヂとして東京都港区に設立され、ホームページの制作・運営・管理を目的としていた
- [7]1997年7月に株式会社オン・ザ・エッヂへ組織変更し、資本金は1000万円となった
- 日経ビジネス 2004年9月6日号
- [3]堀江貴文は東京大学在学中の1996年にオン・ザ・エッヂを起こした
- [4]堀江が周囲に語った起業の理由は「宇宙に行ける会社を作ること」だった
- [5]アルバイト先の塾で知り合った生徒の親から計600万円の出資を受けた
- [6]東京・六本木の雑居ビルで企業ホームページの受託制作を始めた
- [8]顧客には富士写真フイルム、バンダイ、NTTの子会社などが集まった
- [9]出資金が600万円しかないのに1000万円を超える金額で受注したこともあった
- [10]1999年にiモードが登場した際にはシステム構築も受託した
自社サービスは1997年7月、株式会社への組織変更と同じ月に始めた"セレクトメール"が最初である。他社と組んでの事業化は1999年に入ってからで、同年10月、スペイン在住のMARTA TOMAS JODAR氏およびサイバーエージェントと共同で、欧州でのサイバークリック販売を目的とするCYBERCLICK AGENT S.L.を設立した。翌11月にはサイバーエージェントと共同で、インターネットコミュニティ運営会社の株式会社フープスを設立した。広告配信のサイバークリック、メール広告配信のクリックインカム、無料ホームページサービスのHoops!は、いずれも利用料を手数料の形で受け取る事業として並んだ。ただしフープスの全株式は2001年9月に楽天株式会社へ譲渡した。
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- [11]1997年7月にセレクトメールを開始した
- [12]1999年10月にスペイン在住MARTA TOMAS JODARおよびサイバーエージェントと共同でCYBERCLICK AGENT S.L.を設立した
- [13]1999年11月にサイバーエージェントと共同でインターネットコミュニティ運営会社の株式会社フープスを設立した
- [15]関連会社である株式会社フープスの全株式を2001年9月に楽天株式会社へ譲渡した
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- [14]手数料事業は、広告配信システムのサイバークリック、メール広告配信システムのクリックインカム、無料ホームページサービスのHoops! などインターネット上のサービスの利用料を手数料の形で受け取るものだった
制作の担い手は国内だけではない。2000年10月、ウェブ制作事業の生産能力を確保するため、中国大連に英極軟件開発有限公司を設立した。同じ月には中央宣興タイランドグループとAD4Portal (THAILAND) Co., Ltd.を設立し、同年5月にはECに特化したシステム開発を目的として株式会社エッヂコマースを設立した。制作事業ではプランニングやデザイン、プログラム制作の実績を積み上げてモジュール化を進め、社内のメーリングリストで技術や設計の議論を重ねて結果を全員のミーティングにかけた。
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- [16]2000年10月にウェブ制作事業の生産能力確保を目的として中国大連に英極軟件開発有限公司を設立した
- [17]2000年10月に中央宣興タイランドグループとAD4Portal (THAILAND) Co., Ltd.を設立した
- [18]2000年5月にECに特化したシステム開発を目的として株式会社エッヂコマースを設立した
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- [19]堀江社長は、ウェブ制作事業でプランニング・デザイン・プログラミング・HTMLページ制作の実績を積み、それをモジュール化していると述べた
- [20]社内のメーリングリストでテクニックやデザインについての議論を随時行い、結果をレジュメにして全員でミーティングを開いていた
参考文献[1]-[20]
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- [1]ホームページの制作・運営・管理を目的として東京都港区に有限会社オン・ザ・エッヂを設立した
- [2]1996年4月に有限会社オン・ザ・エッヂとして東京都港区に設立され、ホームページの制作・運営・管理を目的としていた
- [7]1997年7月に株式会社オン・ザ・エッヂへ組織変更し、資本金は1000万円となった
- [11]1997年7月にセレクトメールを開始した
- [12]1999年10月にスペイン在住MARTA TOMAS JODARおよびサイバーエージェントと共同でCYBERCLICK AGENT S.L.を設立した
- [13]1999年11月にサイバーエージェントと共同でインターネットコミュニティ運営会社の株式会社フープスを設立した
- [15]関連会社である株式会社フープスの全株式を2001年9月に楽天株式会社へ譲渡した
- [16]2000年10月にウェブ制作事業の生産能力確保を目的として中国大連に英極軟件開発有限公司を設立した
- [17]2000年10月に中央宣興タイランドグループとAD4Portal (THAILAND) Co., Ltd.を設立した
- [18]2000年5月にECに特化したシステム開発を目的として株式会社エッヂコマースを設立した
- 日経ビジネス 2004年9月6日号
- [3]堀江貴文は東京大学在学中の1996年にオン・ザ・エッヂを起こした
- [4]堀江が周囲に語った起業の理由は「宇宙に行ける会社を作ること」だった
- [5]アルバイト先の塾で知り合った生徒の親から計600万円の出資を受けた
- [6]東京・六本木の雑居ビルで企業ホームページの受託制作を始めた
- [8]顧客には富士写真フイルム、バンダイ、NTTの子会社などが集まった
- [9]出資金が600万円しかないのに1000万円を超える金額で受注したこともあった
- [10]1999年にiモードが登場した際にはシステム構築も受託した
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- [14]手数料事業は、広告配信システムのサイバークリック、メール広告配信システムのクリックインカム、無料ホームページサービスのHoops! などインターネット上のサービスの利用料を手数料の形で受け取るものだった
- [19]堀江社長は、ウェブ制作事業でプランニング・デザイン・プログラミング・HTMLページ制作の実績を積み、それをモジュール化していると述べた
- [20]社内のメーリングリストでテクニックやデザインについての議論を随時行い、結果をレジュメにして全員でミーティングを開いていた
1999年〜制作・管理・手数料の三本柱と内製に置いた競争優位
オン・ザ・エッヂは事業をウェブ制作、ウェブ管理、ウェブ手数料の三つに括っていた。制作はホームページとそれに付随するプログラムの作成を主とし、日経ECグランプリの部門賞を二年続けて受けている。特徴はコンサルティングからプランニング、デザイン、プログラム制作、サーバ構築までを社内で完結させた点にあり、制作の受注会社の多くが外注に頼るなかで、内製が品質と速度の両方を支えた。制作事業は労働集約の度合いが高く、人材の採用と育成そのものが競争の条件になる。単体の売上高は1997年2月期の0.35億円から1998年2月期に1.04億円、1999年2月期には2.59億円へ伸びた。
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- [21]インターネット関連事業に特化し、ウェブ制作事業・ウェブ管理事業・ウェブ手数料事業を3本柱としていた
- [22]同社制作のホームページが第2回日経ECグランプリ、第3回日経ネットビジネスECグランプリの部門賞を2年連続で受賞した
- [23]ウェブのコンサルティングからプランニング、デザイン、プログラム制作、サーバ構築までを社内でトータルに内製し、それが他社にない強みだった
- [24]制作事業は非常に労働集約的で、人材の採用・育成が重要だった
- 証券 52(6)(615)(1999年9月期・単体)
- [25]単体売上高は1997年2月期0.35億円、1998年2月期1.04億円、1999年2月期2.59億円
第二の柱であるウェブ管理事業は、ホームページを載せるサーバとネットワークの管理、掲載内容の更新、サーバの賃貸を一括して請け負うものである。制作で受注したホームページの保守をそのまま管理事業へ移せば、受注は継続し収益は安定する。管理を外部に委ねず内製することで効率化と低コスト化が進み、きめ細かな管理を外注できる先がそもそも少ないという事情もあった。堀江貴文氏は、ハードウェアは資金を調達すれば用意できるがソフトウェアはノウハウがなければ難しいとして、ソフトウェアに軸足を置く自社がデータセンター事業でも有利な立場にあると位置づけた。2000年4月、当時の20倍にあたる4,000台のサーバを収容する"データホテル"を開設する。開設の費用は5億円であった。
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- [26]ウェブ管理事業はホスティングするサーバ・LAN・WANのシステム管理、コンテンツ管理、サーバのレンタルなどを包括的に行うものだった
- [27]自社で制作したホームページのホスティング・ハウジングをウェブ管理事業へ移行することで継続的な受注が容易になった
- [28]ウェブ管理事業の内製化により効率化と低コスト化ができ、きめ細かな管理を外注できるところは非常に少なかった
- [29]堀江社長は、ハードウェアは資金調達できればつくれるがソフトウェアはノウハウがなければ難しく、ソフトウェア・オリエンテッドの自社はデータセンター事業でも有利な立場にあるとした
- [30]2000年4月17日に現在規模の20倍、4,000台のサーバを持つ「データホテル」を開設した
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- [31]2000年4月にデータセンター事業「データホテル」を開始した
三つめの柱は、インターネット上のサービスの利用料を手数料の形で受け取る事業である。1999年9月期には手数料事業が売上高の22%を占めるに至り、ウェブ制作で4割、管理と手数料で6割という構成を目標に掲げた。制作で積んだプランニングやプログラム制作の実績をモジュールに変え、広告配信やメール配信の仕組みへ転用したことが、この比重の移動を支えている。人材の確保は最重要の課題とされ、従業員数は1999年10月の28人から2000年2月末に51人へ増えた。決算期の変更をはさんだ1999年9月期の売上高は7カ月で2億63百万円、経常利益は10百万円であった。
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- [32]ウェブ手数料事業はインターネット上のサービスの利用料・広告料を手数料の形で徴収し、継続的に利益を上げる事業だった
- [33]手数料事業は1999年9月期で売上高の22%を占め、今後はウェブ制作で4割、管理事業と手数料事業で6割程度を確保する方針だった
- [34]ウェブ制作事業で積み上げたプランニング・デザイン・プログラミング・HTMLページ制作の実績をモジュール化し、インターネット広告システムやメール配信システムをつくった
- [35]従業員数は1999年10月に28人、2000年2月末時点で51人であり、今後1〜2年は人材確保を最重要課題としていた
- 証券 52(6)(615)(1999年9月期・単体)
- [36]1999年9月期の単体売上高は2億63百万円、経常利益は10百万円(決算期変更による7カ月決算)
参考文献[21]-[36]
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- [21]インターネット関連事業に特化し、ウェブ制作事業・ウェブ管理事業・ウェブ手数料事業を3本柱としていた
- [22]同社制作のホームページが第2回日経ECグランプリ、第3回日経ネットビジネスECグランプリの部門賞を2年連続で受賞した
- [23]ウェブのコンサルティングからプランニング、デザイン、プログラム制作、サーバ構築までを社内でトータルに内製し、それが他社にない強みだった
- [24]制作事業は非常に労働集約的で、人材の採用・育成が重要だった
- [26]ウェブ管理事業はホスティングするサーバ・LAN・WANのシステム管理、コンテンツ管理、サーバのレンタルなどを包括的に行うものだった
- [27]自社で制作したホームページのホスティング・ハウジングをウェブ管理事業へ移行することで継続的な受注が容易になった
- [28]ウェブ管理事業の内製化により効率化と低コスト化ができ、きめ細かな管理を外注できるところは非常に少なかった
- [29]堀江社長は、ハードウェアは資金調達できればつくれるがソフトウェアはノウハウがなければ難しく、ソフトウェア・オリエンテッドの自社はデータセンター事業でも有利な立場にあるとした
- [30]2000年4月17日に現在規模の20倍、4,000台のサーバを持つ「データホテル」を開設した
- [32]ウェブ手数料事業はインターネット上のサービスの利用料・広告料を手数料の形で徴収し、継続的に利益を上げる事業だった
- [33]手数料事業は1999年9月期で売上高の22%を占め、今後はウェブ制作で4割、管理事業と手数料事業で6割程度を確保する方針だった
- [34]ウェブ制作事業で積み上げたプランニング・デザイン・プログラミング・HTMLページ制作の実績をモジュール化し、インターネット広告システムやメール配信システムをつくった
- [35]従業員数は1999年10月に28人、2000年2月末時点で51人であり、今後1〜2年は人材確保を最重要課題としていた
- 証券 52(6)(615)(1999年9月期・単体)
- [25]単体売上高は1997年2月期0.35億円、1998年2月期1.04億円、1999年2月期2.59億円
- [36]1999年9月期の単体売上高は2億63百万円、経常利益は10百万円(決算期変更による7カ月決算)
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- [31]2000年4月にデータセンター事業「データホテル」を開始した
2000年〜マザーズ上場で得た資金の設備と投融資への配分
のちに最高財務責任者となる宮内亮治氏は、税理士としてオン・ザ・エッヂの顧客であった関係から堀江氏に上場を勧め、準備は社外の助言者に背中を押される形で始まった。当時はインターネット関連企業の上場が相次いで増加していた時期でもあった。2000年1月に本店を東京都渋谷区へ移転し、同年4月に東京証券取引所マザーズへ上場を果たした。上場直前期の売上高は7カ月で2億6000万円にとどまっていたが、上場によって約60億円を調達している。事業で積み上げた額と資本市場から一度に受け取る額との差は、20倍を超えていた。
- 日経ビジネス 2004年9月6日号
- [37]最高財務責任者の宮内亮治は税理士としてエッヂを顧客企業にしており、堀江の背中を押すようにして上場準備を始めた
- [38]ネットブームに乗って上場を目指す企業が増えたのがこの頃だった
- [41]上場直前の売上高は2億6000万円(7カ月決算)だった
- [42]マザーズ上場で手にした資金は約60億円だった
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- [39]2000年1月に本店を東京都渋谷区渋谷三丁目3番5号へ移転した
- [40]2000年4月に東京証券取引所マザーズへ上場した
調達した資金は、設備と投融資の二つに割り振られた。一方は企業のホームページを預かるデータセンターの自前整備に向かい、他方は2000年4月に投資事業を目的として設立した子会社キャピタリスタに向かった。この子会社はベンチャー企業への投融資を担い、運用額は10億円近くに達した。投資業務が始まったのはマザーズ上場の直後であり、制作事業の利益が積み上がるのを待ってからではない。同じ2000年4月には携帯情報端末向けのシステム開発を目的とするスクイズ研究所も設けており、資金は一箇所に集めずに複数の事業と子会社へ分けて置かれた。
- 日経ビジネス 2004年9月6日号
- [43]上場で得た資金で企業のホームページを管理するデータセンターを自前で整えた
- [45]データセンターと同時に設けたベンチャー企業へ投融資する子会社の運用額は10億円近くに上った
- [46]投資業務を始めたのは2000年4月にマザーズに上場した直後からである
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- [44]2000年4月に投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立した
- [47]2000年4月に携帯情報端末向けのシステム開発を目的として株式会社スクイズ研究所を設立した
投資は早い段階で成果を返した。ネット利用の求人転職情報サービスで大阪証券取引所ヘラクレスに上場したエン・ジャパンには2億2000万円を投じ、7億円ほどが戻っている。宮内氏は、堀江氏には良い会社を見分ける資質があり利益が出ると見込んでいた。上場前の時点でも、調達資金の使途はデータホテルの建設に限らず、関連会社や手数料事業の共同事業への投融資にも及びうるとされていた。三つの事業を集約し、資金調達と知名度の向上、資本の迅速な投下による事業化の加速をもって国内首位のインターネット企業を目指すという道筋も、同じ場で示している。受託制作の会社が、資金の置き場を事業の外にも持つ会社へ変わった。
- 日経ビジネス 2004年9月6日号
- [48]大阪証券取引所ヘラクレスに上場したエン・ジャパンには2億2000万円を注ぎ込み、7億円ほどが返ってきた
- [49]宮内亮治は、堀江にはいい会社を見分ける資質があり利益が出ると思ったと話した
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- [50]データホテルの建設資金のほか、関連会社や手数料事業の新ジョイントベンチャーへの投融資も今後はあり得るとしていた
- [51]3つの事業を集約し、高度な技術とスピーディーな開発、上場による資金調達と知名度の向上、資本の迅速かつ適切な投下による事業化の加速で、No.1インターネット企業になるとした
参考文献[37]-[51]
- 日経ビジネス 2004年9月6日号
- [37]最高財務責任者の宮内亮治は税理士としてエッヂを顧客企業にしており、堀江の背中を押すようにして上場準備を始めた
- [38]ネットブームに乗って上場を目指す企業が増えたのがこの頃だった
- [41]上場直前の売上高は2億6000万円(7カ月決算)だった
- [42]マザーズ上場で手にした資金は約60億円だった
- [43]上場で得た資金で企業のホームページを管理するデータセンターを自前で整えた
- [45]データセンターと同時に設けたベンチャー企業へ投融資する子会社の運用額は10億円近くに上った
- [46]投資業務を始めたのは2000年4月にマザーズに上場した直後からである
- [48]大阪証券取引所ヘラクレスに上場したエン・ジャパンには2億2000万円を注ぎ込み、7億円ほどが返ってきた
- [49]宮内亮治は、堀江にはいい会社を見分ける資質があり利益が出ると思ったと話した
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- [39]2000年1月に本店を東京都渋谷区渋谷三丁目3番5号へ移転した
- [40]2000年4月に東京証券取引所マザーズへ上場した
- [44]2000年4月に投資事業を目的として株式会社キャピタリスタを設立した
- [47]2000年4月に携帯情報端末向けのシステム開発を目的として株式会社スクイズ研究所を設立した
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- [50]データホテルの建設資金のほか、関連会社や手数料事業の新ジョイントベンチャーへの投融資も今後はあり得るとしていた
- [51]3つの事業を集約し、高度な技術とスピーディーな開発、上場による資金調達と知名度の向上、資本の迅速かつ適切な投下による事業化の加速で、No.1インターネット企業になるとした
筆者考察
オン・ザ・エッヂが上場で得たのは資金そのものより、資金の置き場を事業の外に持つ自由だった。受託制作は人を増やした分しか売上が増えない商売で、決算期を変えた1999年9月期の売上高は7カ月で2億63百万円にとどまる。その会社が2000年4月のマザーズ上場で約60億円を受け取った。事業で積める額と資本市場から一度に取れる額は桁が違う。この差を創業4年目に体験したことが、以後の判断の基準になった。5億円を投じたデータホテルと、10億円近くを運用した投資子会社キャピタリスタが同じ月に並んだのは偶然ではない。制作の利益が積み上がるのを待つ経営を、この会社は最初から選んでいない。
内製はこの会社の競争優位であり、同時に制約でもあった。コンサルティングからサーバ構築までを社内で完結させたからこそ品質と速度で他社に優ったが、その裏で売上は従業員数に縛られる。1999年10月に28人だった従業員が2000年2月末に51人へ増えたのは、需要に人を合わせ続けるほかなかったためである。ウェブ制作で4割、管理と手数料で6割という目標は、収益の主力を労働の量に比例しない管理と手数料へ移す宣言だった。手数料事業が1999年9月期に売上高の22%を占めた時点で、移動は既に始まっている。上場後に投融資へ踏み出したのはその延長線上の動きであり、突然の飛躍ではない。
- 2000年4月 東証マザーズ上場で約60億円を調達
- 棒はすべて単体。1999年9月期は決算期変更による7カ月決算で、実質は前年比2倍。
- 棒の出所は証券 52(6)(615)(新規上場会社紹介)。
1996年〜2000年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1996年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1997年02月期 | 単体 | 0 | n/a | 0 | 0.0% | 0 | n/a |
| 1998年02月期 | 単体 | 1 | +197.1% | 0 | 11.5% | 0 | n/a |
| 1999年09月期 | 単体 | 2 | +152.9% | 0 | 3.8% | 0 | n/a |
| 2000年09月期 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:証券 52(6)
出典・参考
4件
- ライブドア 有価証券報告書 第11期(2006年9月期)【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 2000年5月号(2000年4月11日・東京)
- 日経ビジネス 2004年9月6日号
- 証券 52(6)(615)(1999年9月期・単体)