新日本映画製作所の譲受とCM制作への参入(1964年・東北新社の決断)

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論点ドラマの制作陣を抱え続けるか
東北新社:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
打ち切られた国産ドラマの制作陣を生かす、赤字のCM制作会社の引受け

何をなぜ決めたか:打ち切られた国産ドラマの制作陣を生かす、赤字のCM制作会社の引受け

概要

1964年10月、東北新社は新日本映画製作所を譲り受けて子会社とし、CM制作事業を開始した。決めたのは、1961年4月に東北新社を設立して社長を務めていた植村伴次郎氏である。引き受けたのは知人が経営する赤字のCM制作会社で、知人の側から持ち込まれた話だった。

目的は、国産ドラマ向けに抱えた制作要員に仕事を確保することにあった。植村伴次郎社長は当時の会社の状況を『番組制作のために雇い入れたスタッフを路頭に迷わせかねない状態だった』と明かしている。1966年2月には新日本映画を存続会社として東北新社と合併し、商号を東北新社に改めた。

背景

東北新社の出発点は翻訳の請負である。1959年10月、オペラ上演の会社として構想された東北社が翻訳工房として発足し、植村伴次郎氏は営業担当の取締役に就任した。民放の開局で番組が不足すると外国テレビ映画の日本語版制作を請け負ったが、翻訳が受注に追いつかず、1961年4月に植村伴次郎氏は7人で東北新社を設立した。

次に着手したのが国産のドラマである。1964年、外国テレビ映画に代わって国産ドラマが主流になるとみて、フジテレビジョンと組んで1時間もののドラマシリーズの制作に着手した。ところが「戦国群盗伝」など3シリーズは視聴率が低く、いずれも打ち切りとなった。十数人いたドラマの制作要員をどう処遇するかが、経営の課題として残った。

内容

CMの制作は、組織で量をこなす体制に改めた。当時のCM制作は企画から実務までをディレクター1人に任せる方式で、同業は加盟社だけで約130社あった。東北新社は8人のチーフ・プロデューサーの下に8つのチームを置き、プロデューサーとプロダクション・マネジャーがチームで共同制作する体制を採った。複数のCMを同時に進め、1人が抜けても制作が止まらない仕組みで、1970年代前半から受注量を拡大した。

表現の面では、米国の撮り方を取り入れた。1966年にCM部(後のCM本部)を開設し、植村伴次郎社長はハリウッドの人脈をたどって、CMは映画と違って生活に即して写実的に撮るべきだという助言を得た。1969年に制作したハウス食品「インドカレー」のCMでは来日した米国の撮影スタッフを起用し、東北新社への制作の依頼が増加した。

含意

CM制作は東北新社の主力事業となった。1986年の売上構成ではCM制作が35%を占め、売上高約190億円の会社の最大の事業となった。制作スタッフは130人に増加し、電通映画社に次ぐ業界2位の地位を得た。1984年7月にはCM制作の二番工房を子会社とし、1993年には制作したカップヌードル「hungry?」がカンヌ広告祭のグランプリを受賞した。

店頭登録を控えた2002年3月期、CMを含む制作関連事業の売上高は39,333百万円で連結売上高の50.4%、営業利益は6,189百万円で連結営業利益の86.8%を占めた。このうちCM部門の売上高はグループ全体のおよそ3割で、CM本部と子会社の二番工房・ニッテンアルティが制作を担った。ただし、制作関連事業は広告代理店・テレビ局・広告主からの受注に依存する。1980年代半ばにはテレビの伸び悩みが経営の課題となり、ビデオソフトや有線テレビ向けの番組供給に次の収益源を求めることになる。

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考察:人の行き場から生まれた主力事業
考察

考察:人の行き場から生まれた主力事業

なぜCM制作だったのか。国産ドラマの打ち切りで、東北新社には仕事のない制作スタッフが残った。選択肢は、ドラマの部門から撤退して人員を削減するか、別の映像の仕事に人を振り向けるかの2つだった。CMはテレビ向けの短い映像で、ドラマのために集めた撮影や演出の技能をそのまま使える。赤字のCM制作会社を引き受ければ、取引先と制作の体制も同時に得られる。植村伴次郎社長は、人員を維持する手段として、すでに需要のあったCMを選んだのだろう。

もっとも、CMは受け身の仕事でもあった。広告主と広告代理店からの発注があって初めて仕事が生まれ、出来はディレクター個人の腕に左右される。同業は約130社あり、評判の担当者に依頼が集中すれば品質が低下する。東北新社がチーム制で制作を組織の仕事に移したのは、この弱さへの手当てとみられる。ただ、チーム制は量をこなす仕組みであって、テレビ広告そのものが伸び悩めば効かない。CMへの依存は、会社の成長をテレビの成長に重ねることでもあった。

結果は成功である。CM制作は1986年に売上高の35%を占め、東北新社は電通映画社に次ぐ業界2位となった。2002年3月期には、CMを含む制作関連事業が連結営業利益の86.8%を占めている。国産ドラマの失敗で行き場を失った人員は、2002年の店頭登録の時点で会社の利益の大半を生む部門になっていた。一方で、テレビへの依存という弱さは残り、東北新社はビデオソフトや衛星放送へ事業を広げていく。行き場として選んだCMが、その後の多角化の原資を生んだと考えられる。

Yutaka Sugiura, 2026年10月
参考文献

参考文献

参考
  • 東北新社 新株式発行並びに株式売出届出目論見書(2002年9月)【役員の状況】
  • 日経ビジネス 1987年3月16日号(日経BP社)
  • 日経ビジネス 2003年6月9日号(日経BP社)
  • 東北新社 新株式発行並びに株式売出届出目論見書(2002年9月)巻頭「沿革」
  • 東北新社 新株式発行並びに株式売出届出目論見書(2002年9月)【事業の概況等に関する特別記載事項】
  • 東北新社 有価証券届出書「新株式発行並びに株式売出届出目論見書」
  • 東北新社 有価証券報告書「第64期(2026年3月期)【沿革】」
  • 東北新社 公式サイト「沿革」

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