なぜCM制作だったのか。国産ドラマの打ち切りで、東北新社には仕事のない制作スタッフが残った。選択肢は、ドラマの部門から撤退して人員を削減するか、別の映像の仕事に人を振り向けるかの2つだった。CMはテレビ向けの短い映像で、ドラマのために集めた撮影や演出の技能をそのまま使える。赤字のCM制作会社を引き受ければ、取引先と制作の体制も同時に得られる。植村伴次郎社長は、人員を維持する手段として、すでに需要のあったCMを選んだのだろう。
もっとも、CMは受け身の仕事でもあった。広告主と広告代理店からの発注があって初めて仕事が生まれ、出来はディレクター個人の腕に左右される。同業は約130社あり、評判の担当者に依頼が集中すれば品質が低下する。東北新社がチーム制で制作を組織の仕事に移したのは、この弱さへの手当てとみられる。ただ、チーム制は量をこなす仕組みであって、テレビ広告そのものが伸び悩めば効かない。CMへの依存は、会社の成長をテレビの成長に重ねることでもあった。
結果は成功である。CM制作は1986年に売上高の35%を占め、東北新社は電通映画社に次ぐ業界2位となった。2002年3月期には、CMを含む制作関連事業が連結営業利益の86.8%を占めている。国産ドラマの失敗で行き場を失った人員は、2002年の店頭登録の時点で会社の利益の大半を生む部門になっていた。一方で、テレビへの依存という弱さは残り、東北新社はビデオソフトや衛星放送へ事業を広げていく。行き場として選んだCMが、その後の多角化の原資を生んだと考えられる。