なぜ4社は合併を選んだのか。西端行雄氏のセルフハトヤはセルフサービスで売上を拡大していたが、1店の規模には限りがある。単独で出店を重ねるには資金も人も足りない。勉強会で手の内を知り合った同業者と組めば、店も仕入れも一度に増やせる。問屋のエルピスを加えたのは、仕入れの側まで取り込むためだったとみられる。型の違う3つの店を抱えたまま出発したのも、どの経営者にも自分の店を捨てさせずに合併をまとめる条件だったのだろう。
もっとも、型をそろえないという選択は、そのまま管理の緩さにつながった。合併先の経営者は役員の席と地域の責任を得て、1977年には役員32人のうち27人が元経営者になっていた。誰が決めるのかが外から見えにくい体質は、1983年になっても販売管理費の増加として残っている。合併で規模を集める速さと、1つの会社として費用を管理する力は、同じ速さでは育たなかった。協業の理念が、責任を問わない慣行の理由にもなったと思われる。
この創業は、規模の面では成功、組織の面では課題を残した結果である。12店・28億円で始めた会社は、10年で年商1,000億円を超え、1976年には3市場の1部に上場した。合併を重ねる方式がなければ、この速さは出なかった。一方で、元経営者を抱えた役員の多さと緩い管理は、1983年になっても会社の性格として残っていた。拡大の速さと引き換えに組織の統制を後回しにしたことが、長い目で見た弱さになった。