セルフハトヤなど4社合併のニチイ設立(1963年・マイカルの決断)

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論点単独の店のまま事業を続けるか
店の型をそろえないままの、衣料品店3社と問屋1社の統合1963年11月25日、セルフハトヤ・岡本商店・ヤマト小林商店・エルピスの4社が合併し、株式会社ニチイが発足した。中心はすでに衣料品をセルフサービスで売っていたセルフハトヤで、同業の2社と仕入先の問屋が加わった。4社を率いた西端行雄氏・岡本常男氏・小林敏峯氏・福田博之氏は、そろってニチイの社長・副社長に就任した。

何をなぜ決めたか:店の型をそろえないままの、衣料品店3社と問屋1社の統合

概要

1963年11月25日、セルフハトヤ・岡本商店・ヤマト小林商店・エルピスの4社が合併し、株式会社ニチイが発足した。中心はすでに衣料品をセルフサービスで売っていたセルフハトヤで、同業の2社と仕入先の問屋が加わった。4社を率いた西端行雄氏・岡本常男氏・小林敏峯氏・福田博之氏は、そろってニチイの社長・副社長に就任した。

出発時の店舗は12、売上高は28億円だった。社名のニチイは、税務で助言を受けていた日本化薬の原安三郎会長が付けた名で、分散した小売業が1つになるという意味を込めている。

背景

合併の土台は、同業者の勉強会だった。1955年7月、西端行雄氏は肌着や靴下を生活必需品とみて衣料品のセルフサービス店を開設し、売上は3倍から5倍に伸びた。この店を中心に1960年に日本衣料共同研究会が発足し、翌年に日本衣料研究所へ改組した。

合併はその有力メンバー4社が、1年以上かけて極秘に協議した結果である。西端行雄氏が合併に求めたのは、衣料品の1業種にとどまらず、異なる業種を組み合わせて新しい業態を生む相乗効果だった。ただし、経営者が自分の自由と個性を通せることは小売業の魅力でもあり、協業はその魅力と一見矛盾する選択だった。

内容

ニチイは、店の型をそろえないまま出発した。都心に店を持つセルフハトヤ、郊外の岡本商店、その中間の規模の店を営むヤマト小林商店と、3社の店の形は異なっていた。チェーンストアの通例は標準店を作って単純化・規格化を進めることだが、ニチイは3つの型を抱えたまま始めた。

品目も衣料品から広げた。日用品を扱い始めたのは1966年で、1969年には食料品・家具・家電までそろう総合小売業になっていた。近畿の外へは合併で出た。1969年11月にニューニチイなど5社を吸収合併し、上場前までに22社と合併している。

含意

合併の型は、規模の伸びに表れた。売上高は1966年度に100億円、1968年度に300億円となり、創立10年目には長期計画の1,000億円を超えた。1974年2月期の売上高は1,659億円で、前期比63%増である。1976年には東京・大阪・名古屋の証券取引所1部に上場した。

ただし、合併で集めた経営者の自主性は、管理の緩さと表裏だった。1977年時点の役員32人のうち27人が合併先の元経営者である。1983年には、協業の名のもとで失敗の責任を問わない体質と、5年続けて増加した販売管理費が指摘されている。

いつ何が起きたか12件
考察:そろえなかった型、問わなかった責任
考察

考察:そろえなかった型、問わなかった責任

なぜ4社は合併を選んだのか。西端行雄氏のセルフハトヤはセルフサービスで売上を拡大していたが、1店の規模には限りがある。単独で出店を重ねるには資金も人も足りない。勉強会で手の内を知り合った同業者と組めば、店も仕入れも一度に増やせる。問屋のエルピスを加えたのは、仕入れの側まで取り込むためだったとみられる。型の違う3つの店を抱えたまま出発したのも、どの経営者にも自分の店を捨てさせずに合併をまとめる条件だったのだろう。

もっとも、型をそろえないという選択は、そのまま管理の緩さにつながった。合併先の経営者は役員の席と地域の責任を得て、1977年には役員32人のうち27人が元経営者になっていた。誰が決めるのかが外から見えにくい体質は、1983年になっても販売管理費の増加として残っている。合併で規模を集める速さと、1つの会社として費用を管理する力は、同じ速さでは育たなかった。協業の理念が、責任を問わない慣行の理由にもなったと思われる。

この創業は、規模の面では成功、組織の面では課題を残した結果である。12店・28億円で始めた会社は、10年で年商1,000億円を超え、1976年には3市場の1部に上場した。合併を重ねる方式がなければ、この速さは出なかった。一方で、元経営者を抱えた役員の多さと緩い管理は、1983年になっても会社の性格として残っていた。拡大の速さと引き換えに組織の統制を後回しにしたことが、長い目で見た弱さになった。

Yutaka Sugiura, 2026年10月
参考文献

参考文献

参考
  • 証券 1975年27巻9号
  • 日経ビジネス 1977年3月28日号
  • 証券アナリストジャーナル 1974年12巻10号(西端行雄)
  • 証券アナリストジャーナル 1975年13巻9号(西端行雄)
  • 政経人 1978年「関西経営者評伝(5) 西端行雄ニチイ社長」
  • マイカル 公式サイト「マイカルのあゆみ」(2006年11月時点)
  • 日経ビジネス 1983年10月17日号 p90-94
  • マイカル 企業公式サイト「マイカルのあゆみ」

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