西端行雄
マイカル・元代表取締役社長
社長就任 1963年11月
生年月日 —
学歴 —
出自 —
社長就任までの出自
出自
1916年10月に神戸で生まれ、生家は長田神社の一の鳥居前で餅菓子屋を営んだ。旧制中学は家業の手伝いで休学を重ね、卒業していない。1938年に中国で被弾して全身27か所を負傷し、和歌山師範の傷痍軍人向け教員養成所を経て1942年に大阪市西成区の国民学校の教員となった。敗戦を機に教職を離れて行商に移り、1950年3月に3坪の衣料品店を開店した。1955年7月には衣料品では日本で初めてとなるセルフサービスの洋品店を開店し、売上げは3倍から5倍に伸びた。
社長に選ばれた経緯
抜擢
合併の旗を振ったのは西端氏である。4社が手を組めばより多くの客に良い品を安価で提供できると判断し、そのまま初代社長に就いた。1963年11月に生まれたニチイは、セルフサービスの衣料品販売で先んじていたセルフハトヤを軸に、同業の岡本商店、ヤマト小林商店(小林敏峯氏)、仕入先のエルピスの4社が一つになった会社である。4社のどれもが、1960年にハトヤ中心で立ち上がった日本衣料共同研究会(翌年、日本衣料研究所に改組)の主要メンバーで、合併の成立までには1年以上を要した。
在任中の主な施策
施策
1966年に日用品、1969年までに食料品と家電へ取扱いを広げ、総合小売業へ転じた。1969年11月のニューニチイなど5社の吸収を皮切りに1975年までに22社と合併し、関東から九州まで117店を並べた。合併先の経営者は本社役員に迎え、1977年時点の役員32人のうち27人が合併先の元経営者だった。1971年からは中小小売店が加盟するニチイ・アライド・チェーン(NAC)の組織づくりに動いた。1975年8月に東証二部へ上場し、翌年8月に一部へ移った。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1950〜1982年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 4件
- 政経人 1978年「関西経営者評伝(5) 西端行雄ニチイ社長」
- 証券アナリストジャーナル 1975年9月号(13巻9号)「ニチイ 新しい流通業界への挑戦」西端行雄(ニチイ社長)
- 証券 1975年9月号「新規上場会社紹介 株式会社ニチイ」
- 日経ビジネス 1977年3月28日号「ニチイ。「協業理念」で作った小売版“梁山泊”」