戸崎誠喜

伊藤忠商事・元取締役社長

Tozaki Seiki(敬称略)

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社長就任 1974年5月
生年月日 —
学歴 長崎高等商業学校を経て東京商科大学
出自 —
社長就任までの出自
出自

1934年に東京商科大学を出て伊藤忠商事へ入社した。当時の社員は500人ほどだった。ハノイ・小倉・大阪の各支店を経て、1951年1月に東京支店長代理、1952年7月にポートランド出張所長、1954年4月にニューヨーク伊藤忠社長を務め、1960年10月に帰国している。1959年5月に取締役、1961年5月に常務、1964年5月に専務、1968年5月に副社長へ進んだ。海外で商売を組み立ててきた経歴である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1974年5月31日、越後正一氏の後を受けて社長に就任した。1969年3月に上がったイアプコ社の利権取得では、副社長として親会社ナトーマス社との交渉にあたり、サンフランシスコに二週間滞在している。1972年3月には越後氏に随行して訪中した。就任時は商社批判が激しく、伊藤忠と丸紅がとくに矢面に立っていた。戸崎氏は自由主義経済を前提としながら企業の社会性を強く意識する経営を掲げた。

在任中の主な施策
施策

1975年、10大商社の9位にあった安宅産業が、カナダの製油所への資金投入を第一次石油危機で裏目に取り事実上破綻した。負債総額は1兆円、取引金融機関は約230行、取引先は3万5000社に及んだ。住友銀行の仲介で1976年1月12日に全面的な業務提携へ至り、伊藤忠は鉄鋼・化学・非鉄金属の商権を引き受けて不採算の営業部門は切り離した。正式合併は1977年10月で、資本金は372億5147万円となった。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1934〜1983年
在任中の業績
就任前(FY73)42,372億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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