伊藤忠兵衛
伊藤忠商事・元近江麻布の持ち下り業を開始(創業・店主)
社長就任1858年
生年月日—
学歴—
出自—
経歴1858〜1903年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1858年主要役職の状況(推定含む目安)1903年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 伊藤忠商事(前身・紅忠/伊藤本店) | 1858 | 創業 | ||
| 1872 | 開店 | ||||
| 1884 | 紅忠を伊藤本店に改称 | ||||
| 1903 | 死去 | ||||
| 近江銀行 | 1894 | 設立に参加・専務取締役 | |||
| 1901 | 頭取 |
社長就任までの出自
出自
1842年8月7日、近江国犬上郡八目(現・滋賀県犬上郡豊郷町)で、繊維品の小売りを営む五代伊藤長兵衛氏の次男に生まれた。家督は兄が継ぐため、父からは早く独り立ちして分家するよう求められていた。1858年、15歳で元服して忠兵衛を名乗り、近江麻布の持ち下りを始めた。伊藤忠商事と丸紅は、この年を創業の年としている。
社長に選ばれた経緯
抜擢
持ち下りの利益が本家の家産を上回ると、兄の六代伊藤長兵衛氏と事業を合わせたが、1870年2月に兄弟はそれぞれ独立し、得意先の地域を分け合った。分家側の商圏は狭く、1871年11月に持ち下りをやめて大阪に店を構えると決めた。広島を本拠とする案もあったが、船便の発達で広島はすでに大阪の商圏に入っていたため大阪を選び、1872年1月に本町2丁目で呉服太物商「紅忠」を開業した。
在任中の主な施策
施策
開店と同時に店法を定めて店員の権限と義務を明らかにし、20歳に満たない店員にも産地での大口の仕入れを任せた。1881年には店頭に「取引現金主義」を掲げて掛け売りを抑え、1884年の不況で同業の倒産が続くなかでも利益を確保した。1884年に紅忠を伊藤本店と改め、京店・伊藤外海組・伊藤西店・伊藤糸店を順に設けた。1893年の店法改正で、純利益を本家5・本店積立3・店員配当2に分ける方式が定まった。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献5件
参考文献
- 伊藤忠商事『伊藤忠商事100年』(1969)「1伊藤家ノ家系ト初代忠兵衛ノオイタチ」
- 伊藤忠商事『伊藤忠商事100年』(1969)「2始祖ノ創業」
- 伊藤忠商事『伊藤忠商事100年』(1969)「3大阪エ進出」
- 伊藤忠商事『伊藤忠商事100年』(1969)「6初代忠兵衛ノ足跡」
- ITOCHU Corporation Annual Report 2008「Pioneering DNA」
事実根拠:出所(伊藤忠商事)