越後正一

伊藤忠商事・元取締役社長

Echigo Masakazu(敬称略)

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社長就任 1960年5月
生年月日 —
学歴 八幡商業学校を経て神戸高等商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

1952年4月に大阪へ戻って綿糸布部長に就任し、7年間務めた。就任と時を同じくして大阪三品取引所が立ち会いを停止するほどの綿糸暴落に遭い、翌1953年も3月のスターリン相場、7月の朝鮮休戦協定調印と暴落が続いて商社の倒産が相次いだ。1959年5月に専務取締役となって東京支社長を1年務め、その間に副社長へ進んだ。専務・副社長を各一期務め、50歳代の大半を綿糸布に費やした繊維の営業畑である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1960年5月、小菅宇一郎氏の後を受けて第五代社長に就任した。59歳だった。就任後まず相談役制を採り、二代目伊藤忠兵衛氏ほか二名の先輩へ委嘱している。次いで組織の和と能力主義を基本理念に置き、非繊維部門の拡充を最重要目標に定めた。非繊維の弱さは、綿糸布を本業としてきた本人が最も強く見ていた点である。

在任中の主な施策
施策

人員の配置換えで重化学部門を広げ、1962年3月期には非繊維部門の取扱いが売上の半分を超えた。1961年7月に資本金を100億円台へ倍額増資し、同年10月の森岡興業合併で109億2500万円、1964年4月の青木商事合併で164億1750万円とした。1963年5月に石油産業への本格進出を決め、1965年秋には山下太郎氏から東亜石油株の肩代わりを引き受けた。1961年からモスクワへ社員を駐在させ、1972年3月には戸崎誠喜副社長を伴って訪中している。 総合商社への転換安宅産業の救済合併

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1925〜1974年
在任中の業績
就任前(FY59)4,104億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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