ゼンショーホールディングス:すき家の生麦駅前店開店と郊外型牛丼の垂直統合
吉野家の駅前型から水戸店のロードサイドへの転換
1982年〜弁当店と牛丼店を同じ年に並べた出発
1982年6月、小川賢太郎氏が株式会社ゼンショーを設立し、神奈川県横浜市鶴見区に横浜工場を併設した本社を置いた。初年度の布陣は、工場のほかに弁当と牛丼という二つの業態の店を並べる形になった。弁当店ランチボックスの1号店となる生麦店が同じ鶴見区に開いたのは設立の翌月で、同年11月には生麦駅前店がすき家のビルイン1号店として続いた。15年後に小川氏が自社を形容した言葉は、いずれの企業グループにも入らない独立の会社というものだった。グループの後ろ盾を持たない以上、食材の仕入れ先も出店の資金も自力で賄うほかなく、本社に工場を併せて置いた創業時の判断もこの前提を踏まえていた。
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1982年6月 会社を設立し、神奈川県横浜市鶴見区に横浜工場併設の本社を設置
- [2]1982年7月 ランチボックス(弁当店)1号店として生麦店(神奈川県横浜市鶴見区)を開店
- [3]1982年11月 すき家(牛丼店)ビルイン1号店として生麦駅前店(神奈川県横浜市鶴見区)を開店
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [4]1997年時点で、どこの系列にも属さない独立系企業と自己規定
二つの業態のうち、資源を寄せたのは牛丼のほうだった。小川氏は牛丼を、米国におけるハンバーガーと同じ位置を日本で占めうる商品と見ていた。創業以来の基本コンセプトとして掲げられたのは、美味しい料理を気軽に味わってもらうという考え方だった。創業を動かしたのは、牛肉と、2000年にわたり主食であり続けた米と、大豆から造る醤油の三素材を合わせただけの単純な商品が外食産業の頂点を取りうるという判断である『牛肉、日本人が2000年にわたって主食とし、小麦よりはるかに優れたデンプンである米、大豆を主原料とした世界一の調味料である醤油という素晴らしい素材を組み合わせたシンプルな商品である牛丼は、アメリカにおいてハンバーガーが外食産業のトップの座を得たのと同様のポジションを日本で取り得るし、また取らねばならないと判断して創業した』。この見立てから、品目を広げて客層を増やす道は取らず、一品に集中して回転と規模を稼ぐ方針が選ばれた。もっとも、最初のすき家は駅前のビルインで、業態の組み立ては先を行く牛丼チェーンとさして変わらず、違いが表に出るのは店の置き場所を決め直した五年後のことである。
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [5]牛丼は米国におけるハンバーガーと同じ位置を日本で取りうる商品という創業者の商品観
- [6]創業以来の基本コンセプトは「おいしいものをカジュアルに召し上がっていただこう」
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- [7]1982年11月 すき家1号店はビルイン型の生麦駅前店
参考文献[1]-[7]
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1982年6月 会社を設立し、神奈川県横浜市鶴見区に横浜工場併設の本社を設置
- [2]1982年7月 ランチボックス(弁当店)1号店として生麦店(神奈川県横浜市鶴見区)を開店
- [3]1982年11月 すき家(牛丼店)ビルイン1号店として生麦駅前店(神奈川県横浜市鶴見区)を開店
- [7]1982年11月 すき家1号店はビルイン型の生麦駅前店
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [4]1997年時点で、どこの系列にも属さない独立系企業と自己規定
- [5]牛丼は米国におけるハンバーガーと同じ位置を日本で取りうる商品という創業者の商品観
- [6]創業以来の基本コンセプトは「おいしいものをカジュアルに召し上がっていただこう」
1987年〜駅前を避けてロードサイドへ転換した立地の選び直し
牛丼市場で先を走っていた吉野家は、繁華街の駅前に店を構える型で伸びてガリバー型の独占的な地位を築いており、立地も商品も同じなら勝負は店舗網の厚さで決まってしまう。そこでゼンショーは郊外を基本の立地に据え、その立地に合う商品構成と店の広さの釣り合いを詰めることに力を注いだ。最初の形は1987年7月、茨城県水戸市に開いた水戸店で、ロードサイドに単独で建つフリースタンディング型の1号店だった。この郊外型ファミリー牛丼チェーンという業態こそ、設立から15年で当時の規模に達した最大の要因だったと、小川氏は後に振り返っている。
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [8]先行した吉野家がガリバー型に独占し、ダウンタウンへの出店を基本とする駅前型で成長
- [9]郊外型の立地を基本に選び、商品構成とスペースの釣り合いの確立に注力
- [11]設立15年での成長の最大要因を郊外型ファミリー牛丼チェーンという新業態に帰す自己評価
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- [10]1987年7月 ロードサイドのフリースタンディング1号店として水戸店(茨城県水戸市)を開店
郊外の店を成り立たせたのは、品ぞろえの深さだった。牛丼セットの一本槍ではなく、とん汁を組み合わせたとん汁セット、キムチを加えたキムチとん汁セット、肉の量を100グラムから500グラムまで選べる牛皿セットを並べ、専門店のなかで複数の購買動機に応じられる構成を組んだ。店内のレイアウトもテーブル席を増やし、男性客だけでなく家族連れ・女性客・グループ客を対象に置いた。選んで買う楽しみを単品の専門店へ持ち込む設計であり、立ち食いの回転を前提とする駅前型とは、客単価も滞在時間も別の商売になる。1991年3月には神奈川県横浜市保土ヶ谷区に研修センターを開設し、店舗運営の教育を社内に抱えた。
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [12]とん汁セット・キムチとん汁セット・100gから500gまで選べる牛皿セットによる選択購買のメニュー構成
- [13]テーブル席を増やし、男性客のほか家族連れ・女性客・グループ客を対象に店舗展開
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- [14]1991年3月 神奈川県横浜市保土ヶ谷区に研修センターを開設
参考文献[8]-[14]
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [8]先行した吉野家がガリバー型に独占し、ダウンタウンへの出店を基本とする駅前型で成長
- [9]郊外型の立地を基本に選び、商品構成とスペースの釣り合いの確立に注力
- [11]設立15年での成長の最大要因を郊外型ファミリー牛丼チェーンという新業態に帰す自己評価
- [12]とん汁セット・キムチとん汁セット・100gから500gまで選べる牛皿セットによる選択購買のメニュー構成
- [13]テーブル席を増やし、男性客のほか家族連れ・女性客・グループ客を対象に店舗展開
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- [10]1987年7月 ロードサイドのフリースタンディング1号店として水戸店(茨城県水戸市)を開店
- [14]1991年3月 神奈川県横浜市保土ヶ谷区に研修センターを開設
1986年〜セントラルキッチンに配送センターを併設した供給網
ゼンショーは創業以来、自らを製造販売業と位置づけてきた。肉、カレー、漬物、その他の食材の四工場を直営し、店舗も全店直営として、高い内製化率を保ったまま、食材の買い付けから加工、物流、販売までを自社で管理する一貫体制を敷いた。牛肉や米が牛丼になるまでの全工程を握るという意味であり、原価の変動も品質の責任も社外へ出さない。製造の拠点は店舗網の広がりに合わせて増えた。1990年10月に栃木県佐野市へ佐野工場を新設して佐野配送センターを併設し、1993年12月には同じ佐野市に、セントラルキッチン機能の拡充を目的として佐野第2工場を建てている。自社で作るということは、店が増えるより先に工場を建てるということであり、投資は常に売上に先行した。
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [15]創業以来、自社を製造販売業と位置づけ
- [16]肉・カレー・漬物・その他食材の4工場を直営し、店舗も全店直営で運営
- [17]食材の買い付けから加工・物流・販売までの一貫体制を確立し、高い内製化率を維持
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- [18]1990年10月 栃木県佐野市に佐野工場を新設し、佐野配送センターを併設
- [19]1993年12月 セントラルキッチン機能拡充のため栃木県佐野市に佐野第2工場を新設
製造の拡張と並んで組み替えられたのが配送である。1986年8月、本社を神奈川県横浜市神奈川区へ、横浜工場を同市緑区へ移した際、配送センターは工場に併設された。店舗へ食材と備品を確実に届けて24時間の営業を途切れさせないため、配送は決まったルートを定期に回る形をとり、在庫は各店から決まった時刻に届く発注の数字で制御した。この機能が工場から切り離されたのは1988年10月である。1992年3月に横浜配送センターを閉じて神奈川県川崎市宮前区に川崎配送センターを設けた。1993年10月には物流部門の拡充として埼玉県三郷市と愛知県春日井市に二つの配送センターを加えて、供給の足場を関東の外へ伸ばした。製造と輸送の拠点を切り分けたことで、郊外に散らばる店を増やす下地ができた。
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- [20]1986年8月 本社を横浜市神奈川区へ、横浜工場を同市緑区へ移転し、横浜配送センターを横浜工場に併設
- [22]1988年10月 横浜配送センターを横浜工場より分離して移転
- [23]1992年3月 横浜配送センターを廃止し、神奈川県川崎市宮前区に川崎配送センターを新設
- [24]1993年10月 物流部門機能拡充のため埼玉県三郷市に三郷配送センター、愛知県春日井市に春日井配送センターを新設
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [21]24時間のサービスに向けた定期ルート配送と、店舗からの定時発注データによる在庫管理
参考文献[15]-[24]
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号
- [15]創業以来、自社を製造販売業と位置づけ
- [16]肉・カレー・漬物・その他食材の4工場を直営し、店舗も全店直営で運営
- [17]食材の買い付けから加工・物流・販売までの一貫体制を確立し、高い内製化率を維持
- [21]24時間のサービスに向けた定期ルート配送と、店舗からの定時発注データによる在庫管理
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- [18]1990年10月 栃木県佐野市に佐野工場を新設し、佐野配送センターを併設
- [19]1993年12月 セントラルキッチン機能拡充のため栃木県佐野市に佐野第2工場を新設
- [20]1986年8月 本社を横浜市神奈川区へ、横浜工場を同市緑区へ移転し、横浜配送センターを横浜工場に併設
- [22]1988年10月 横浜配送センターを横浜工場より分離して移転
- [23]1992年3月 横浜配送センターを廃止し、神奈川県川崎市宮前区に川崎配送センターを新設
- [24]1993年10月 物流部門機能拡充のため埼玉県三郷市に三郷配送センター、愛知県春日井市に春日井配送センターを新設
筆者考察
ゼンショーが選んだのは、新しい商品ではなく新しい売り場だった。牛丼という商品そのものは、先行する吉野家が駅前で売り込んできたものである。小川賢太郎氏が1982年に横浜市鶴見区で始めた会社は、その同じ丼を、駅から離れた幹線道路沿いへ持ち出した。立地が変われば客も変わる。駅前の立ち食いに来るのは単身の男性客だが、車で乗りつける郊外の店には家族が来る。とん汁を付け、キムチを足し、肉の量を100グラムから500グラムまで選ばせたメニューは、その客層の違いに合わせて組み直された品ぞろえだった。商品を変えずに売る場所を変える。創業から五年で打ったこの一手が、後の全国展開の型を決めた。
もう一つ、創業期に決めていたことがある。自らを外食業ではなく製造販売業と呼び、肉・カレー・漬物・その他食材の四工場を直営し、店も一店残らず直営で持った。加盟店を募って店数を稼ぐ方式は採らなかった。出店の速度は自社の資本の厚みに縛られるが、代わりに牛肉や米の買い付けから加工、配送、調理までが一つの帳簿の内側に入った。1986年に横浜工場へ併設した配送センターを1988年に切り離し、1990年に佐野、1992年に川崎、1993年に三郷と春日井へ広げた配送網は、この一貫体制を多店舗に耐える構造へ組み替える作業である。工場を増やすのではなく、工場と配送を分けて置く。郊外へ散る店を支えたのは、この分業だった。
- 1993年末の内訳は工場3(横浜・佐野・佐野第2)と配送センター4(佐野・川崎・三郷・春日井)。
- 出所は有価証券報告書【沿革】。
出典・参考
2件
- ゼンショーホールディングス 有価証券報告書 第24期(2006年3月期)【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 1997年9月号