第1章 年〜年

LIXIL:日本建具工業の創設とトーヨーサッシのアルミサッシ一貫工場

1949年〜240万円の葛飾工場で問屋から建具メーカーに転じた日本建具工業と、東洋ドアーへの改称

潮田健次郎氏は1947年、父の潮田竹次郎氏が営む木製建具の小売店「妙見屋」とは別に、建具の卸売業を始めた。妙見屋は1923年9月の創業で、結核の療養を終えた潮田健次郎氏は1946年から店を手伝っていた。古本屋で手にしたワナメーカーの伝記が、商売を通じて社会の役に立つという志を家業の建具に向けるきっかけである。小売では扱える量に限りがあるとみて、父の反対を押して問屋に転じた。問屋の主な業務は雨戸や障子を建具小売店へ卸すことで、1949年9月には会社を設立。戦後の住宅需要の急増を受け、1952年頃には都内に4店舗を持つ業界最大手の問屋になった。

  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
    • [1]1946年に家業の木製建具小売店を手伝い、ワナメーカー伝を機に1947年に問屋業を始め、1952年頃に都内4店舗の最大手問屋となった
    • [3]1946年に家業の木製建具小売店を手伝い、ワナメーカー伝を機に1947年に問屋業を始め、1952年頃に都内4店舗の最大手問屋となった
    • [4]1946年に家業の木製建具小売店を手伝い、ワナメーカー伝を機に1947年に問屋業を始め、1952年頃に都内4店舗の最大手問屋となった
    • [7]1946年に家業の木製建具小売店を手伝い、ワナメーカー伝を機に1947年に問屋業を始め、1952年頃に都内4店舗の最大手問屋となった
  • 証券 37(9) 1985年
    • [2]1923年9月に潮田竹次郎氏が妙見屋を創業。設立当初は雨戸・障子等の木製建具を建具小売店へ卸売
    • [5]1923年9月に潮田竹次郎氏が妙見屋を創業。設立当初は雨戸・障子等の木製建具を建具小売店へ卸売
  • 日経ビジネス 1974年8月19日号
    • [6]会社データ:設立 昭和24年9月

1953年8月、潮田健次郎氏の会社は東京・葛飾の工場で木製ドアーの製造を始め、問屋から建具メーカーに転じた。潮田健次郎氏は1952年頃に東京・大森に家を建てたものの、金の勘定に明け暮れる暮らしに半年で嫌気が差した。そのころ川上嘉一氏の著書「事業と経営」を読み、製造業の魅力に強く惹かれた。流通業の社会的な地位が今より格段に低い時代である。潮田健次郎氏は葛飾の工場を240万円で買収し、大森の家を売却して実家の四畳半に移った。製造販売を担う会社としては、1952年8月に設立した妙見屋建具もある。自宅まで売却した決断には、卸売の利ざやより製造の付加価値に事業の将来を見た判断があったと思われる。

  • 証券 37(9) 1985年
    • [8]1952年8月に妙見屋建具を木製建具を製造して販売する目的で設立、1953年8月に葛飾工場(木製ドアー)が操業開始
    • [13]1952年8月に妙見屋建具を木製建具を製造して販売する目的で設立、1953年8月に葛飾工場(木製ドアー)が操業開始
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
    • [9]大森の家を建てて半年で卸売の生活に嫌気し、川上嘉一「事業と経営」でメーカーを志し、葛飾の工場を240万円で買収、家を売って実家へ移った
    • [10]大森の家を建てて半年で卸売の生活に嫌気し、川上嘉一「事業と経営」でメーカーを志し、葛飾の工場を240万円で買収、家を売って実家へ移った
    • [11]大森の家を建てて半年で卸売の生活に嫌気し、川上嘉一「事業と経営」でメーカーを志し、葛飾の工場を240万円で買収、家を売って実家へ移った
    • [12]大森の家を建てて半年で卸売の生活に嫌気し、川上嘉一「事業と経営」でメーカーを志し、葛飾の工場を240万円で買収、家を売って実家へ移った

木製建具の製造は、工場で量産する仕組みに乗らなかった。木材は節を持ち、一本ごとに木目と寸法が異なるため、木取りを変えなければ歩留まりが悪化した。機械化による生産性の向上に限界があり、金策に追われる日々は10年近くに及ぶ。1960年に商号を東洋ドアーへ改めたころには、自社製ドアーが売上の半分超を占めていた。1963年には施工を簡略化したスピード雨戸が売れ、1965年に累積赤字3,600万円を解消した。当時のアルミサッシは木製の5倍から10倍の価格だったものの、潮田健次郎氏は数年で価格が逆転すると予想する。ビル用で普及し始めたアルミを、歩留まりと価格の安定に優れる素材とみて参入を決めた。

  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
    • [14]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [15]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [16]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [18]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [19]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [20]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
  • 証券 37(9) 1985年
    • [17]1960年に商号を東洋ドアーに変更、当時は自社製ドアーが売上の半分以上。ビル用でアルミサッシが普及し始めた時期
    • [21]1960年に商号を東洋ドアーに変更、当時は自社製ドアーが売上の半分以上。ビル用でアルミサッシが普及し始めた時期
参考文献[1]-[21]
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
    • [1]1946年に家業の木製建具小売店を手伝い、ワナメーカー伝を機に1947年に問屋業を始め、1952年頃に都内4店舗の最大手問屋となった
    • [3]1946年に家業の木製建具小売店を手伝い、ワナメーカー伝を機に1947年に問屋業を始め、1952年頃に都内4店舗の最大手問屋となった
    • [4]1946年に家業の木製建具小売店を手伝い、ワナメーカー伝を機に1947年に問屋業を始め、1952年頃に都内4店舗の最大手問屋となった
    • [7]1946年に家業の木製建具小売店を手伝い、ワナメーカー伝を機に1947年に問屋業を始め、1952年頃に都内4店舗の最大手問屋となった
    • [9]大森の家を建てて半年で卸売の生活に嫌気し、川上嘉一「事業と経営」でメーカーを志し、葛飾の工場を240万円で買収、家を売って実家へ移った
    • [10]大森の家を建てて半年で卸売の生活に嫌気し、川上嘉一「事業と経営」でメーカーを志し、葛飾の工場を240万円で買収、家を売って実家へ移った
    • [11]大森の家を建てて半年で卸売の生活に嫌気し、川上嘉一「事業と経営」でメーカーを志し、葛飾の工場を240万円で買収、家を売って実家へ移った
    • [12]大森の家を建てて半年で卸売の生活に嫌気し、川上嘉一「事業と経営」でメーカーを志し、葛飾の工場を240万円で買収、家を売って実家へ移った
    • [14]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [15]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [16]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [18]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [19]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
    • [20]木材は節・木目・寸法の差で工場生産に向かず10年近く金策が続いた。1963年のスピード雨戸で1965年に累積赤字3,600万円を解消し、アルミサッシ参入を決めた
  • 証券 37(9) 1985年
    • [2]1923年9月に潮田竹次郎氏が妙見屋を創業。設立当初は雨戸・障子等の木製建具を建具小売店へ卸売
    • [5]1923年9月に潮田竹次郎氏が妙見屋を創業。設立当初は雨戸・障子等の木製建具を建具小売店へ卸売
    • [8]1952年8月に妙見屋建具を木製建具を製造して販売する目的で設立、1953年8月に葛飾工場(木製ドアー)が操業開始
    • [13]1952年8月に妙見屋建具を木製建具を製造して販売する目的で設立、1953年8月に葛飾工場(木製ドアー)が操業開始
    • [17]1960年に商号を東洋ドアーに変更、当時は自社製ドアーが売上の半分以上。ビル用でアルミサッシが普及し始めた時期
    • [21]1960年に商号を東洋ドアーに変更、当時は自社製ドアーが売上の半分以上。ビル用でアルミサッシが普及し始めた時期
  • 日経ビジネス 1974年8月19日号
    • [6]会社データ:設立 昭和24年9月

1967年〜野田のアルミサッシ一貫工場と、76年までに全国5カ所へ展開した一貫生産

1967年9月、三菱商事と三菱金属工業の資本参加を得て、製造子会社の東洋サッシが発足。当時の会社は資本金300万円・従業員200人で、量産工場に回せる手元の資金は数千万円にとどまる。月産20万セットの新工場には60億円を要し、銀行は融資を断った。潮田健次郎氏は、アルミ精錬に進出して日の浅い三菱グループに、住宅用サッシの将来性と事業計画を記した50ページの資料を持ち込んだ。三菱商事もアルミ地金の安定した販売先を探しており、完成する工場を担保とする商社金融に応じた。1969年8月、東洋サッシは千葉県野田市に鋳造から組立までを一貫して担う工場を開設した。

  • 証券 37(9) 1985年
    • [22]1967年9月に三菱商事・三菱金属工業の資本参加で製造子会社東洋サッシを設立、1969年8月に野田工場を開設
    • [28]1967年9月に三菱商事・三菱金属工業の資本参加で製造子会社東洋サッシを設立、1969年8月に野田工場を開設
  • 日経ビジネス 1974年8月19日号
    • [23]資本金300万円・従業員200人で自己資金は数千万円。月産20万セット工場に60億円が必要で銀行に断られ、三菱商事の商社金融を工場担保で得た
    • [24]資本金300万円・従業員200人で自己資金は数千万円。月産20万セット工場に60億円が必要で銀行に断られ、三菱商事の商社金融を工場担保で得た
    • [26]資本金300万円・従業員200人で自己資金は数千万円。月産20万セット工場に60億円が必要で銀行に断られ、三菱商事の商社金融を工場担保で得た
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
    • [25]アルミの安定供給のため三菱商事に50ページの資料を持参し取引を結び、野田の一貫生産工場で子会社への資本参加を得た
    • [27]アルミの安定供給のため三菱商事に50ページの資料を持参し取引を結び、野田の一貫生産工場で子会社への資本参加を得た

トーヨーサッシの売上高は1973年度に551億5400万円となり、1967年度の約12倍にあたる。トーヨーサッシは経営資源を住宅用アルミサッシに集中し、霞が関ビルのビル用サッシの受注競争には加わらない。販売では建具問屋の時代に築いた地盤のある関東を固め、野田工場から100キロ以内に全国人口の45%が住む市場で流通費を抑えた。関東での占有率は1974年時点で40%に達し、業界最大手の吉田工業に迫った。1971年10月には販売力の強化と管理の合理化を目的に、東洋ドアーと販売会社4社を形式上の存続会社トーヨーサッシに吸収合併した。販売会社4社は東洋ハウジング・太陽シャッター・東洋サッシ販売・東洋住宅機器で、販売面で互いに競合していた。

  • 日経ビジネス 1974年8月19日号
    • [29]1967〜1973年度で売上約12倍の551億5400万円。住宅用に全力を注ぎ霞が関ビルの受注は見送り、関東で40%のシェア、吉田工業に肉薄
    • [30]1967〜1973年度で売上約12倍の551億5400万円。住宅用に全力を注ぎ霞が関ビルの受注は見送り、関東で40%のシェア、吉田工業に肉薄
    • [31]1967〜1973年度で売上約12倍の551億5400万円。住宅用に全力を注ぎ霞が関ビルの受注は見送り、関東で40%のシェア、吉田工業に肉薄
    • [32]1967〜1973年度で売上約12倍の551億5400万円。住宅用に全力を注ぎ霞が関ビルの受注は見送り、関東で40%のシェア、吉田工業に肉薄
  • 証券 37(9) 1985年
    • [33]1971年10月、販売力強化・管理合理化・額面変更を目的に、競合していた販売会社4社とともに形式上の存続会社トーヨーサッシに吸収合併
    • [34]1971年10月、販売力強化・管理合理化・額面変更を目的に、競合していた販売会社4社とともに形式上の存続会社トーヨーサッシに吸収合併

1973年6月、東洋サッシは茨城県下妻市に主力となる下妻工場を開設した。1970年4月の名張工場とあわせ、東洋サッシは野田・名張・下妻へ供給拠点を広げた。下妻工場の建設資金100億円は三菱商事の融資で賄い、運転資金も三菱商事の信用保証で調達した。一貫生産工場は1976年までに全国5カ所となり、三菱商事からの与信額は多い時で500億円近くに及ぶ。1974年10月には東洋エクステリアを設立し、住まいの外回りを扱うエクステリア分野に参入した。1976年12月には関東物流センターを設け、物流拠点の集約にも着手。サッシと同じ建材販売店の店頭で扱える品目を増やし、工場の供給力を生かす狙いがあったとみられる。

  • 証券 37(9) 1985年
    • [35]1970年4月名張工場、1973年6月下妻工場を開設。1974年10月に東洋エクステリアを設立しエクステリア分野へ進出、1976年12月関東物流センター設置
    • [36]1970年4月名張工場、1973年6月下妻工場を開設。1974年10月に東洋エクステリアを設立しエクステリア分野へ進出、1976年12月関東物流センター設置
    • [39]1970年4月名張工場、1973年6月下妻工場を開設。1974年10月に東洋エクステリアを設立しエクステリア分野へ進出、1976年12月関東物流センター設置
    • [40]1970年4月名張工場、1973年6月下妻工場を開設。1974年10月に東洋エクステリアを設立しエクステリア分野へ進出、1976年12月関東物流センター設置
  • 日経ビジネス 1974年8月19日号
    • [37]名張工場80億円・下妻工場100億円の建設資金は三菱商事の融資、運転資金は商事の信用保証による借入
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
    • [38]1976年までに全国5カ所に一貫生産工場をつくり、三菱商事の融資保証で与信額は500億円近くに達した
参考文献[22]-[40]
  • 証券 37(9) 1985年
    • [22]1967年9月に三菱商事・三菱金属工業の資本参加で製造子会社東洋サッシを設立、1969年8月に野田工場を開設
    • [28]1967年9月に三菱商事・三菱金属工業の資本参加で製造子会社東洋サッシを設立、1969年8月に野田工場を開設
    • [33]1971年10月、販売力強化・管理合理化・額面変更を目的に、競合していた販売会社4社とともに形式上の存続会社トーヨーサッシに吸収合併
    • [34]1971年10月、販売力強化・管理合理化・額面変更を目的に、競合していた販売会社4社とともに形式上の存続会社トーヨーサッシに吸収合併
    • [35]1970年4月名張工場、1973年6月下妻工場を開設。1974年10月に東洋エクステリアを設立しエクステリア分野へ進出、1976年12月関東物流センター設置
    • [36]1970年4月名張工場、1973年6月下妻工場を開設。1974年10月に東洋エクステリアを設立しエクステリア分野へ進出、1976年12月関東物流センター設置
    • [39]1970年4月名張工場、1973年6月下妻工場を開設。1974年10月に東洋エクステリアを設立しエクステリア分野へ進出、1976年12月関東物流センター設置
    • [40]1970年4月名張工場、1973年6月下妻工場を開設。1974年10月に東洋エクステリアを設立しエクステリア分野へ進出、1976年12月関東物流センター設置
  • 日経ビジネス 1974年8月19日号
    • [23]資本金300万円・従業員200人で自己資金は数千万円。月産20万セット工場に60億円が必要で銀行に断られ、三菱商事の商社金融を工場担保で得た
    • [24]資本金300万円・従業員200人で自己資金は数千万円。月産20万セット工場に60億円が必要で銀行に断られ、三菱商事の商社金融を工場担保で得た
    • [26]資本金300万円・従業員200人で自己資金は数千万円。月産20万セット工場に60億円が必要で銀行に断られ、三菱商事の商社金融を工場担保で得た
    • [29]1967〜1973年度で売上約12倍の551億5400万円。住宅用に全力を注ぎ霞が関ビルの受注は見送り、関東で40%のシェア、吉田工業に肉薄
    • [30]1967〜1973年度で売上約12倍の551億5400万円。住宅用に全力を注ぎ霞が関ビルの受注は見送り、関東で40%のシェア、吉田工業に肉薄
    • [31]1967〜1973年度で売上約12倍の551億5400万円。住宅用に全力を注ぎ霞が関ビルの受注は見送り、関東で40%のシェア、吉田工業に肉薄
    • [32]1967〜1973年度で売上約12倍の551億5400万円。住宅用に全力を注ぎ霞が関ビルの受注は見送り、関東で40%のシェア、吉田工業に肉薄
    • [37]名張工場80億円・下妻工場100億円の建設資金は三菱商事の融資、運転資金は商事の信用保証による借入
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
    • [25]アルミの安定供給のため三菱商事に50ページの資料を持参し取引を結び、野田の一貫生産工場で子会社への資本参加を得た
    • [27]アルミの安定供給のため三菱商事に50ページの資料を持参し取引を結び、野田の一貫生産工場で子会社への資本参加を得た
    • [38]1976年までに全国5カ所に一貫生産工場をつくり、三菱商事の融資保証で与信額は500億円近くに達した

1977年〜ビバホームのDIY店とビル用サッシ、FC住宅のアイフルホームと、41社の地域別販売会社

1977年4月、トーヨーサッシはビバホームを設立し、DIY分野に参入した。同じ年の2月に九州物流センター、7月に近畿物流センターを設け、住宅用建材の配送網も整えた。トーヨーサッシの住宅用建材は建材販売店を通じて売る経路が中心で、1984年時点でも地域別販売会社経由が売上の6割強を占める。ビバホームはのちにトステムビバとなり、1993年時点で年商500億円を超すホームセンターに育った。潮田健次郎氏は1995年のインタビューで、トステムビバを東洋エクステリアと並ぶ自ら設けた関連会社に挙げた。建材販売店を通さずに消費者へ直接届く販路を持ち、住宅着工に左右されにくい需要を取り込む狙いがあったと推察される。

  • 証券 37(9) 1985年
    • [41]1977年4月にビバホームを設立しDIY分野へ進出。同年2月九州・7月近畿物流センター設置。地域別販売会社経由の経路が売上の6割強
    • [42]1977年4月にビバホームを設立しDIY分野へ進出。同年2月九州・7月近畿物流センター設置。地域別販売会社経由の経路が売上の6割強
    • [43]1977年4月にビバホームを設立しDIY分野へ進出。同年2月九州・7月近畿物流センター設置。地域別販売会社経由の経路が売上の6割強
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
    • [44]年商500億円を超すホームセンターのトステムビバも経営(1993年時点)
  • ドラマを創った企業家たち 1995年 潮田健次郎インタビュー
    • [45]潮田健次郎氏がジーエルホーム・トステムビバ・東洋エクステリア・アイフルホームテクノロジーを作ってきた関連会社に挙げた

トーヨーサッシは1977年後半から、住宅用に加えてビル用サッシの分野へ本格的に参入した。潮田健次郎氏によると、ビル用サッシには1984年までの5年間でおよそ100億円を先行投資し、決算上の赤字が続いた。ビル用サッシの部門は1985年9月期から黒字に転じる見通しである。1980年10月には、地域別マーケティングの確立と営業管理体制の強化を目的に、地域別販売会社制度を導入した。全国の営業店を地域別に45社の販売会社へ集約して分離独立させ、1985年時点では41社である。1982年10月には体質強化を目的に、基幹生産部門の東洋サッシ工業とジーエルホームを吸収合併した。住宅用だけでは成長余地に限りがあるとみて、製品と販売の両面で事業を再編したのだろう。

  • 証券 37(9) 1985年
    • [46]1977年後半からビル用サッシへ本格進出。1980年10月に地域別マーケティング確立・営業管理強化を目的に地域別販売会社制度(45社、現41社)。1982年10月に東洋サッシ工業・ジーエルホームを吸収合併
    • [49]1977年後半からビル用サッシへ本格進出。1980年10月に地域別マーケティング確立・営業管理強化を目的に地域別販売会社制度(45社、現41社)。1982年10月に東洋サッシ工業・ジーエルホームを吸収合併
    • [50]1977年後半からビル用サッシへ本格進出。1980年10月に地域別マーケティング確立・営業管理強化を目的に地域別販売会社制度(45社、現41社)。1982年10月に東洋サッシ工業・ジーエルホームを吸収合併
    • [51]1977年後半からビル用サッシへ本格進出。1980年10月に地域別マーケティング確立・営業管理強化を目的に地域別販売会社制度(45社、現41社)。1982年10月に東洋サッシ工業・ジーエルホームを吸収合併
  • 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年(潮田健次郎)
    • [47]ビルサッシは7年前に参入し前年までの5年間に約100億円を先行投資、赤字だったが1985年9月期から黒字の見通し
    • [48]ビルサッシは7年前に参入し前年までの5年間に約100億円を先行投資、赤字だったが1985年9月期から黒字の見通し

1984年、トーヨーサッシは木造住宅を手がけるアイフルホームを設立した。アイフルホームは地場の工務店をフランチャイズで組織し、低価格の住宅を売る事業として出発する。社長を9年間務めた加藤充氏は社員から出た実質的な創業者で、1991年10月に株式の店頭公開を果たした。トーヨーサッシは得意先の建材販売店の一部を、TFC(トーヨーサッシ・フランチャイズ・チェーン)として組織していた。潮田健次郎氏は1995年のインタビューで、工務店のために住宅を商品化してマーケティングを支援するトータルハウジングの構想を示した。トーヨーサッシの株式上場は1985年8月1日である。建材店を組織したTFCの手法を工務店に広げ、建材から住まい全体へ事業の範囲を広げたものと考えられる。

  • 日経ビジネス 1995年4月24日号
    • [52]アイフルホームは1984年設立の木造住宅メーカー。工務店のフランチャイズ化と低価格で成長し1991年10月店頭公開。9年間社長の加藤充氏が実質的な創業者
    • [53]アイフルホームは1984年設立の木造住宅メーカー。工務店のフランチャイズ化と低価格で成長し1991年10月店頭公開。9年間社長の加藤充氏が実質的な創業者
    • [54]アイフルホームは1984年設立の木造住宅メーカー。工務店のフランチャイズ化と低価格で成長し1991年10月店頭公開。9年間社長の加藤充氏が実質的な創業者
  • 証券 37(9) 1985年
    • [55]得意先の建材販売店の一部をTFC(トーヨーサッシ・フランチャイズ・チェーン)として組織。上場年月日1985年8月1日
    • [57]得意先の建材販売店の一部をTFC(トーヨーサッシ・フランチャイズ・チェーン)として組織。上場年月日1985年8月1日
  • ドラマを創った企業家たち 1995年 潮田健次郎インタビュー
    • [56]工務店のために住宅を商品化しマーケティングを支援するトータルハウジングの構想
参考文献[41]-[57]
  • 証券 37(9) 1985年
    • [41]1977年4月にビバホームを設立しDIY分野へ進出。同年2月九州・7月近畿物流センター設置。地域別販売会社経由の経路が売上の6割強
    • [42]1977年4月にビバホームを設立しDIY分野へ進出。同年2月九州・7月近畿物流センター設置。地域別販売会社経由の経路が売上の6割強
    • [43]1977年4月にビバホームを設立しDIY分野へ進出。同年2月九州・7月近畿物流センター設置。地域別販売会社経由の経路が売上の6割強
    • [46]1977年後半からビル用サッシへ本格進出。1980年10月に地域別マーケティング確立・営業管理強化を目的に地域別販売会社制度(45社、現41社)。1982年10月に東洋サッシ工業・ジーエルホームを吸収合併
    • [49]1977年後半からビル用サッシへ本格進出。1980年10月に地域別マーケティング確立・営業管理強化を目的に地域別販売会社制度(45社、現41社)。1982年10月に東洋サッシ工業・ジーエルホームを吸収合併
    • [50]1977年後半からビル用サッシへ本格進出。1980年10月に地域別マーケティング確立・営業管理強化を目的に地域別販売会社制度(45社、現41社)。1982年10月に東洋サッシ工業・ジーエルホームを吸収合併
    • [51]1977年後半からビル用サッシへ本格進出。1980年10月に地域別マーケティング確立・営業管理強化を目的に地域別販売会社制度(45社、現41社)。1982年10月に東洋サッシ工業・ジーエルホームを吸収合併
    • [55]得意先の建材販売店の一部をTFC(トーヨーサッシ・フランチャイズ・チェーン)として組織。上場年月日1985年8月1日
    • [57]得意先の建材販売店の一部をTFC(トーヨーサッシ・フランチャイズ・チェーン)として組織。上場年月日1985年8月1日
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
    • [44]年商500億円を超すホームセンターのトステムビバも経営(1993年時点)
  • ドラマを創った企業家たち 1995年 潮田健次郎インタビュー
    • [45]潮田健次郎氏がジーエルホーム・トステムビバ・東洋エクステリア・アイフルホームテクノロジーを作ってきた関連会社に挙げた
    • [56]工務店のために住宅を商品化しマーケティングを支援するトータルハウジングの構想
  • 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年(潮田健次郎)
    • [47]ビルサッシは7年前に参入し前年までの5年間に約100億円を先行投資、赤字だったが1985年9月期から黒字の見通し
    • [48]ビルサッシは7年前に参入し前年までの5年間に約100億円を先行投資、赤字だったが1985年9月期から黒字の見通し
  • 日経ビジネス 1995年4月24日号
    • [52]アイフルホームは1984年設立の木造住宅メーカー。工務店のフランチャイズ化と低価格で成長し1991年10月店頭公開。9年間社長の加藤充氏が実質的な創業者
    • [53]アイフルホームは1984年設立の木造住宅メーカー。工務店のフランチャイズ化と低価格で成長し1991年10月店頭公開。9年間社長の加藤充氏が実質的な創業者
    • [54]アイフルホームは1984年設立の木造住宅メーカー。工務店のフランチャイズ化と低価格で成長し1991年10月店頭公開。9年間社長の加藤充氏が実質的な創業者

出典・参考

6件
出典・参考
  • 日経ビジネス 1974年8月19日号
  • 証券アナリストジャーナル 23(11) 1985年(潮田健次郎)
  • 日経ビジネス 1995年4月24日号
  • 証券 37(9) 1985年
  • 創業者精神(日経ベンチャー別冊)1993年「会社を留守に四十歳からセミナー通い」
  • ドラマを創った企業家たち 1995年 潮田健次郎インタビュー

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