大王製紙:14企業の合同による大王製紙の設立と川之江工場の開設
和紙14事業所の合同から三島工場のパルプ一貫へ
1940年〜商工省の企業整備が生んだ和紙メーカー
戦前の日本の製紙業は、洋紙のおよそ9割を王子製紙1社が抄き、残る1割を他の洋紙メーカー数社が分け合う構造にあった。静岡や四国に密集していた製紙工場は、ごく少数の板紙工場を除けばすべて和紙の機械抄きで、洋紙とは別の市場にいた。1942年9月4日付の商工省通牒が示した製紙工業整備要綱は、全国に460社あった製紙業者を66社へ合同させ、1944年春には、古い工場のスクラップ化・軍需工場への転用・製紙工場としての存続の3つへ仕分ける措置が続いた。原料と電力の割当は細り、従業員は軍需産業へ徴用されていった。四国の和紙業者が1社へ統合されたのは、この仕分けの只中である。
- 大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー(証券アナリストジャーナル 1983年21巻1号、井川伊勢吉社長講演要旨)
- [1]戦前の洋紙は約9割を王子製紙1社が生産し、残る1割を他の洋紙メーカー数社が生産していた
- [2]静岡や四国などに密集していた製紙工場は、ごく少数の板紙工場を除きすべて和紙の機械抄き製紙工場であった
- [4]1942年9月に商工省が出した製紙工業整備要綱によって全国に460社あった製紙業者が66社に企業合同された
- [5]1944年春に政府は製紙企業に対し、古い工場のスクラップ化・軍関係工場への転用・製紙工場としての存続の三つに分けた措置を実施した
- [6]原料や電力の割当は少なく、従業員は次々に軍需産業へ徴用された
- 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
- [3]1942年9月4日付商工省通牒による「製紙工業企業整備要綱」に基づく企業整備によって設立された
大王製紙の設立は戦時下の産業統制によるものである。1940年4月、井川伊勢吉氏が丸菱製紙所の経営権を譲り受け、機械による製紙を始めた。3年後の1943年5月5日、商工省の示した製紙工業企業整備要綱に基づいて井川伊勢吉氏の経営する企業を主体に四国の14事業所が合同し、資本金217万5,000円で大王製紙が発足した。井川伊勢吉氏は設立と同時に社長へ就任し、以後40年にわたってその職にあった。当初の事業は丸網抄紙機による和紙の製造販売で、設立と同時に東京と大阪へ出張所を開設した。統制は乱立した中小の製紙業者を1社にまとめる政策であり、四国の紙産地にはこの1社が残った。
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
- [7]商工省が発表した「製紙工業整備要項」に基づく企業整備によって設立された
- [8]1940年4月に井川伊勢吉氏が丸菱製紙所の経営権を譲り受け、機械製紙工場の経営を開始した
- [9]1943年5月5日に大王製紙を設立
- [16]製紙工業経営の合理化を図る「製紙工業整備要項」に基づき14企業が合同した
- 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
- [10]1942年9月4日付商工省通牒による「製紙工業企業整備要綱」に基づく企業整備によって設立された
- [15]設立と同時に東京出張所・大阪出張所を設置
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [11]四国紙業ほか13事業所、計14の事業所が合同して設立された
- [12]設立時の資本金は217万5,000円
- 大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー(証券アナリストジャーナル 1983年21巻1号、井川伊勢吉社長講演要旨)
- [13]井川伊勢吉は1943年5月の設立と同時に社長へ就任し、1983年の講演時点まで社長を務めていた
- 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
- [14]丸網抄紙機で和紙を抄造する四国の14工場が合同したもので、当初の事業は和紙の製造販売
戦後の需要は和紙ではなく洋紙にあった。同社は1945年12月に生産設備を伊予三島の三島工場へ集め、1946年10月に洋紙とグラウンドパルプの製造設備を新設して翌年末から生産に入り、1947年には新聞用紙の製造販売を開始した。当時の紙市場は、統制の枠外にあった仙花紙が飛ぶように売れる異常な活況にあり、その波に乗って大昭和製紙・中越パルプ・高崎製紙といった新興の中小メーカーが相次いで規模を伸ばした。大王製紙もその一社であり、王子製紙が3社に分割された後の空白へ入り込んだ新興勢力にあたる。
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [17]設立時は和紙の製造販売を目的としたが、戦後は洋紙に転換した
- [19]1946年10月に洋紙及びグラウンドパルプの製造設備を新設し、翌年末から生産を開始した
- 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
- [18]1945年12月に生産設備を三島工場に集約
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
- [20]1947年に新聞用紙の製造販売を開始
- 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「紙・パルプ-急追する新進企業」
- [21]統制の枠外にあった仙花紙が新興中小メーカーの手で大量に作られ、プレミアム付きで売れた
- [22]1949・1950年に大昭和製紙・中越パルプ・大王製紙・高崎製紙など新興中小メーカーが進出した
- [23]王子製紙は1949年の集中排除法により苫小牧製紙・十条製紙・本州製紙の3社に分割された
参考文献[1]-[23]
- 大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー(証券アナリストジャーナル 1983年21巻1号、井川伊勢吉社長講演要旨)
- [1]戦前の洋紙は約9割を王子製紙1社が生産し、残る1割を他の洋紙メーカー数社が生産していた
- [2]静岡や四国などに密集していた製紙工場は、ごく少数の板紙工場を除きすべて和紙の機械抄き製紙工場であった
- [4]1942年9月に商工省が出した製紙工業整備要綱によって全国に460社あった製紙業者が66社に企業合同された
- [5]1944年春に政府は製紙企業に対し、古い工場のスクラップ化・軍関係工場への転用・製紙工場としての存続の三つに分けた措置を実施した
- [6]原料や電力の割当は少なく、従業員は次々に軍需産業へ徴用された
- [13]井川伊勢吉は1943年5月の設立と同時に社長へ就任し、1983年の講演時点まで社長を務めていた
- 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
- [3]1942年9月4日付商工省通牒による「製紙工業企業整備要綱」に基づく企業整備によって設立された
- [10]1942年9月4日付商工省通牒による「製紙工業企業整備要綱」に基づく企業整備によって設立された
- [15]設立と同時に東京出張所・大阪出張所を設置
- [18]1945年12月に生産設備を三島工場に集約
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
- [7]商工省が発表した「製紙工業整備要項」に基づく企業整備によって設立された
- [8]1940年4月に井川伊勢吉氏が丸菱製紙所の経営権を譲り受け、機械製紙工場の経営を開始した
- [9]1943年5月5日に大王製紙を設立
- [16]製紙工業経営の合理化を図る「製紙工業整備要項」に基づき14企業が合同した
- [20]1947年に新聞用紙の製造販売を開始
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [11]四国紙業ほか13事業所、計14の事業所が合同して設立された
- [12]設立時の資本金は217万5,000円
- [17]設立時は和紙の製造販売を目的としたが、戦後は洋紙に転換した
- [19]1946年10月に洋紙及びグラウンドパルプの製造設備を新設し、翌年末から生産を開始した
- 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
- [14]丸網抄紙機で和紙を抄造する四国の14工場が合同したもので、当初の事業は和紙の製造販売
- 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「紙・パルプ-急追する新進企業」
- [21]統制の枠外にあった仙花紙が新興中小メーカーの手で大量に作られ、プレミアム付きで売れた
- [22]1949・1950年に大昭和製紙・中越パルプ・大王製紙・高崎製紙など新興中小メーカーが進出した
- [23]王子製紙は1949年の集中排除法により苫小牧製紙・十条製紙・本州製紙の3社に分割された
1948年〜センカ紙の淘汰を生き延びた洋紙化と、原料パルプの自給
旧和紙会社のうち、洋紙に向かいながら経営者も会社もそのまま生き残ったのは大王製紙1社だけだったと、井川伊勢吉氏はのちの講演で振り返っている。終戦後に残っていた66社は、ほとんどがそろって洋紙かそれに近い紙を目指した。集中排除法で王子製紙が3社に分けられた前後は、新聞用紙も印刷用紙も足りなかった。センカ紙と呼ばれる粗い紙はカストリ雑誌などの用途でよく売れ、設備の増強につながった。しかし1951年に王子製紙が愛知県春日井市に春日井工場を建てたころには、質の劣るセンカ紙の売れ行きは止まり、こうした会社は相次いで倒れるか、分割されて経営者が入れ替わった。大王製紙は1947年、三島工場に本物の洋紙を抄ける新聞用紙抄紙機を1台据え、1952年に2台を増やして、四国・中国・九州の新聞社に納入した。
- 大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー(証券アナリストジャーナル 1983年21巻1号、井川伊勢吉社長講演要旨)
- [24]洋紙を指向しながら経営者もそのままで企業も解体されずに残った旧和紙会社は大王製紙ただ1社だけだった
- [25]戦後は残った66の製紙会社のほとんどが洋紙あるいは洋紙に似た紙を抄くことを指向した
- [27]カストリ雑誌などに使われたセンカ紙と称する雑な紙がよく売れ、センカ紙工場が設備を増強するなどでセンカ紙ブームが起きた
- [28]王子製紙が1951年に愛知県春日井市に春日井工場をつくったころから粗末なセンカ紙は売れなくなり、それらの企業は次々に潰れたり分割されて経営者が変わった
- [29]1947年に三島工場へ新聞用紙抄紙機を1台設置し、1952年に同じ新聞用紙抄紙機2台を三島工場に設置して四国・中国・九州あたりの新聞社に納入した
- 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「紙・パルプ-急追する新進企業」
- [26]王子製紙は1949年の集中排除法により苫小牧製紙・十条製紙・本州製紙の3社に分割された
洋紙へ移った同社が次に抱えた課題は、原料パルプを外部から買っていたことにある。1950年11月に子会社の西日本パルプを設立してサルファイトパルプを確保し、1954年4月に未晒クラフトパルプ、1955年11月に晒クラフトパルプの製造設備を三島工場へ新設した。ここで原木からパルプ、紙までの一貫生産体制ができた。四国では唯一の晒クラフトパルプ設備であり、従来のサルファイトパルプをこれに切り替えて原価を下げた。1955年時点の本社は大阪市北区にあり、生産の中心は愛媛県の三島工場にあった。
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [30]従来主要原料パルプを他社から購入していたため製紙界の不況期に打撃をこうむり赤字計上に至った
- [31]1950年11月に子会社の西日本パルプを設立し、サルファイトパルプの確保を図った
- [32]1954年4月に未晒クラフトパルプ製造設備、1955年11月に晒クラフトパルプ製造設備を三島工場に新設した
- [33]原木からパルプ、紙までの一貫生産態勢を確立した
- 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
- [34]晒クラフトパルプ設備は四国で唯一であり、従来のサルファイトパルプをこれに転換して原価を低減した
- [35]1955年時点の本社所在地は大阪市北区新川崎町6
パルプの自給は、損益をはっきり動かした。パルプを外部に頼っていた1952年10月期から1954年4月期までの4期で、同社は7,936万円の赤字を計上した。未晒クラフトパルプ設備が動いた1954年10月期に業績は好転し、1955年4月期には純利益5,700万円をあげて繰越欠損を一掃した。1957年4月期の売上高は12億82万円、純利益は1億6,036万円で、売上高に対する純利益率は1955年10月期の10.9%から13.8%まで上がった。原料を自ら作れるかどうかが製紙会社の採算を決めるという、この業種の基本がそのまま数字になった。
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [36]パルプ自給後は生産増加とともに原価に占める原材料費の割合が逓減し収益面が改善した
- [37]1952年10月期から1954年4月期までに7,936万円の赤字を計上した
- [38]1954年10月期は未晒クラフトパルプ製造設備の稼働によりパルプ購入が不要となり業績が好転した
- [40]1957年4月期の売上高は1,200,821千円、当期純利益は160,358千円
- [41]売上高純利益率は1955年10月期10.9%から1957年4月期13.8%へ上昇した
- [42]製紙会社は原料パルプの完全自給ができて初めて製紙会社として存立できるといわれていた
- 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
- [39]1955年4月期に純利益5,700万円をあげて繰越赤字を解消した
参考文献[24]-[42]
- 大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー(証券アナリストジャーナル 1983年21巻1号、井川伊勢吉社長講演要旨)
- [24]洋紙を指向しながら経営者もそのままで企業も解体されずに残った旧和紙会社は大王製紙ただ1社だけだった
- [25]戦後は残った66の製紙会社のほとんどが洋紙あるいは洋紙に似た紙を抄くことを指向した
- [27]カストリ雑誌などに使われたセンカ紙と称する雑な紙がよく売れ、センカ紙工場が設備を増強するなどでセンカ紙ブームが起きた
- [28]王子製紙が1951年に愛知県春日井市に春日井工場をつくったころから粗末なセンカ紙は売れなくなり、それらの企業は次々に潰れたり分割されて経営者が変わった
- [29]1947年に三島工場へ新聞用紙抄紙機を1台設置し、1952年に同じ新聞用紙抄紙機2台を三島工場に設置して四国・中国・九州あたりの新聞社に納入した
- 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「紙・パルプ-急追する新進企業」
- [26]王子製紙は1949年の集中排除法により苫小牧製紙・十条製紙・本州製紙の3社に分割された
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [30]従来主要原料パルプを他社から購入していたため製紙界の不況期に打撃をこうむり赤字計上に至った
- [31]1950年11月に子会社の西日本パルプを設立し、サルファイトパルプの確保を図った
- [32]1954年4月に未晒クラフトパルプ製造設備、1955年11月に晒クラフトパルプ製造設備を三島工場に新設した
- [33]原木からパルプ、紙までの一貫生産態勢を確立した
- [36]パルプ自給後は生産増加とともに原価に占める原材料費の割合が逓減し収益面が改善した
- [37]1952年10月期から1954年4月期までに7,936万円の赤字を計上した
- [38]1954年10月期は未晒クラフトパルプ製造設備の稼働によりパルプ購入が不要となり業績が好転した
- [40]1957年4月期の売上高は1,200,821千円、当期純利益は160,358千円
- [41]売上高純利益率は1955年10月期10.9%から1957年4月期13.8%へ上昇した
- [42]製紙会社は原料パルプの完全自給ができて初めて製紙会社として存立できるといわれていた
- 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
- [34]晒クラフトパルプ設備は四国で唯一であり、従来のサルファイトパルプをこれに転換して原価を低減した
- [35]1955年時点の本社所在地は大阪市北区新川崎町6
- [39]1955年4月期に純利益5,700万円をあげて繰越赤字を解消した
1956年〜上場と高速抄紙機、設備投資が張りつめた財務
生産能力と市場での地位も同じ時期に固まった。1956年4月に銅山川製紙から工場設備を買い取って川之江工場とし、三島工場と近接した2工場に生産を集めた。株式は1956年8月に大阪証券取引所へ、1957年7月に東京証券取引所へ上場した。主力は洋紙で、なかでも新聞用紙は総生産量のおよそ半分を占め、その8割を朝日新聞社・毎日新聞社・読売新聞社の3社へ納めた。上質紙と筋入クラフト紙は東南アジアやエジプトへ輸出し、1956年4月期には売上高の25.4%を輸出が占めた。主力の三島工場は88吋長網抄紙機ほか7台の抄紙機とパルプ設備を備えて総生産量の約8割を作り、川之江工場は74吋と60吋の長網抄紙機でクラフトライナーと温床用紙を作った。
- 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
- [43]1956年4月の川之江工場取得と1956年8月・1957年7月の上場が同じ時期に重なった
- [44]1956年4月に銅山川製紙から工場設備を買収して川之江工場とした
- [45]1956年8月に大阪証券取引所、1957年7月に東京証券取引所へ株式を上場した
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [46]新聞用紙は洋紙総生産量の平均40〜50%を占め、朝日・毎日・読売の3社へ80%を納入していた
- [47]上質紙・筋入クラフト紙を東南アジア、エジプト等へ輸出していた
- [48]総売上高に対する輸出の割合は1956年4月期25.4%
- [49]三島工場は88吋長網抄紙機外7台の抄紙機及びパルプ製造設備を有し総生産量の約8割を生産、川之江工場は74吋及び60吋長網抄紙機でクラフトライナー・温床用紙を生産していた
上場で集めた資金は、そのまま次の設備へ向かった。1957年、神武景気と呼ばれた時期に、同社は本格的な新聞用紙抄紙機を三島工場へ据えた。最高速度は分速1,700尺、およそ500メートルに達する。木箱の時代から段ボール箱の時代に移ると読んで、同じ時期に段ボール原紙ライナーの抄紙機も新たに設けた。期末に完成する予定の高速抄紙機が稼働すれば、新聞用紙の月産能力は250万封度から900万封度に伸びる見通しだった。当時国内のライナーは古紙を再生したものだったが、この機械は原料を木材パルプだけとするクラフト・ライナーを国内で初めて抄いた。段ボール原紙の製造と販売は1957年10月に始まった。
- 大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー(証券アナリストジャーナル 1983年21巻1号、井川伊勢吉社長講演要旨)
- [50]1957年の神武景気といわれたころ、本格的な新聞用紙抄紙機を三島工場に設置した
- [51]三島工場に設置した抄紙機の最高スピードは分速1,700尺(約500メートル)であった
- [52]世の中が木箱から段ボール箱へ移行するとみて、段ボール原紙ライナーの抄紙機を新設した
- [54]当時の国内で作られていた古紙再生のライナーではなく、すべて木材パルプから作るクラフト・ライナーを同社が初めて生産開始した
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [53]期末完成予定の大幅高速抄紙機の稼働で新聞用紙の月産能力は250万封度から900万封度へ増大する見込みだった
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
- [55]1957年10月に段ボール原紙の製造販売を開始した
同社にはまだ腕の立つ技術者が育っておらず、据え付けを担った機械メーカーも扱いに慣れていなかったため、この抄紙機は動かし始めから不調で、トラブルが絶えなかった。資金面でも1957年4月期の固定比率は199.6%に上り、建設途中で設備投資に追われていたため、増設資産の償却を通じた内部蓄積は十分でなかった。原料の自給で採算を立て直すと、その利益をすぐ次の設備に投じた格好である。神武景気のうちに設備は据え終わったが、それを回収し続ける需要が保証されていたわけではない。
- 大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー(証券アナリストジャーナル 1983年21巻1号、井川伊勢吉社長講演要旨)
- [56]三島工場に設置した抄紙機は、設置した機械メーカーが不慣れであったことと優秀な技術者が育っていなかったことから最初から調子が悪くゴタゴタが続いた
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [57]1957年4月期の固定比率は199.6%と高率で、建設期途上にあり設備投資に追われて増設資産の償却による内部蓄積が充分に行われなかった
参考文献[43]-[57]
- 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
- [43]1956年4月の川之江工場取得と1956年8月・1957年7月の上場が同じ時期に重なった
- [44]1956年4月に銅山川製紙から工場設備を買収して川之江工場とした
- [45]1956年8月に大阪証券取引所、1957年7月に東京証券取引所へ株式を上場した
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- [46]新聞用紙は洋紙総生産量の平均40〜50%を占め、朝日・毎日・読売の3社へ80%を納入していた
- [47]上質紙・筋入クラフト紙を東南アジア、エジプト等へ輸出していた
- [48]総売上高に対する輸出の割合は1956年4月期25.4%
- [49]三島工場は88吋長網抄紙機外7台の抄紙機及びパルプ製造設備を有し総生産量の約8割を生産、川之江工場は74吋及び60吋長網抄紙機でクラフトライナー・温床用紙を生産していた
- [53]期末完成予定の大幅高速抄紙機の稼働で新聞用紙の月産能力は250万封度から900万封度へ増大する見込みだった
- [57]1957年4月期の固定比率は199.6%と高率で、建設期途上にあり設備投資に追われて増設資産の償却による内部蓄積が充分に行われなかった
- 大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー(証券アナリストジャーナル 1983年21巻1号、井川伊勢吉社長講演要旨)
- [50]1957年の神武景気といわれたころ、本格的な新聞用紙抄紙機を三島工場に設置した
- [51]三島工場に設置した抄紙機の最高スピードは分速1,700尺(約500メートル)であった
- [52]世の中が木箱から段ボール箱へ移行するとみて、段ボール原紙ライナーの抄紙機を新設した
- [54]当時の国内で作られていた古紙再生のライナーではなく、すべて木材パルプから作るクラフト・ライナーを同社が初めて生産開始した
- [56]三島工場に設置した抄紙機は、設置した機械メーカーが不慣れであったことと優秀な技術者が育っていなかったことから最初から調子が悪くゴタゴタが続いた
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)
- [55]1957年10月に段ボール原紙の製造販売を開始した
1940年〜1957年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | 三島工場に未晒クラフトパルプ製造設備を新設(1954/04) |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年10月期 | 単体 | 27 | n/a | 4 | n/a | n/a | n/a |
出所:上場会社総覧 1959年版 半期合算
出典・参考
6件
- 大王製紙 有価証券報告書【沿革】
- 大王製紙(会社銀行八十年史、1955年、2篇 日本会社史)
- 日本産業史 第2巻(日本経済新聞社、1994年)「紙・パルプ-急追する新進企業」
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1957年8号・第99号)
- 大王製紙 直販体制で伸びる紙・パルプ総合メーカー(証券アナリストジャーナル 1983年21巻1号、井川伊勢吉社長講演要旨)
- 新規上場会社紹介 大王製紙株式会社(証券 1988年40巻4号・第469号)