第2章 年〜年

DCMホールディングス:石黒ホーマの店頭公開とカーマの名証一部指定

1984年〜計算機と物流センターで抜いた、北海道という流通の隘路

北海道の問屋が担わなかった補充を自社で持つために、石黒商店が組んだのは計算機と物流センターの組み合わせだった。導入したのは日本アイ・ビー・エムのシステム38で、これと同時に物流センターを設け、全店の発注を一括して処理できるようにした。センターには一括検品、一括値付け、一括配送の三つの機能を持たせ、必要なときに必要な量だけ店へ流す形に変えている。使いこなせるようになるまでには2年以上を要した。仕組みが動き出すと、情報ネットワーク型の流通システムを築いた企業として業界の評判を得た。1998年2月の時点では、北海道北広島市と岩手県紫波町を含む7か所の商品センターがこの機能を引き継いでいる。問屋が引き受けない機能を丸ごと自社の側へ移したのが、この投資の中身だった。

  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
    • [1]IBMのシステム38を導入すると同時に物流センターを設立し全店の発注をジャスト・イン・タイムで一括処理
    • [2]物流センターに一括検品・一括値付け・一括配送の機能を持たせた
    • [3]システムを使いこなすまでに2年以上を要した
    • [4]情報ネットワーク型流通システムを構築した企業として業界で評価された
  • 証券 1999年1月号(第51巻第1号)
    • [5]平成10年2月20日現在 商品センターは北海道北広島市・岩手県紫波町ほか5か所の計7か所

1987年4月、石黒商店は商号を石黒ホーマへ改めた。ホーマはホーム・アメニティを縮めた語で、同じ年に導入したCISとあわせ、店の定義をDIY用品の売り場から移している。日本のホームセンターは、家具店や建材店、金物店、ペンキ店といった業種店の品ぞろえを解体した売り場だった。住まいと暮らしに何が要るかという観点で、商品を括り直したものである。1989年2月期の売上構成比は、ホームレジャー・家庭用機器が41.2パーセントで最も大きい。資材を扱うホームインプルーブメントは20.7パーセントにとどまった。北国の暮らしに密着したホームアメニティセンターという言い方は、1998年11月の東京証券取引所第二部への上場時にも繰り返された。

  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
    • [6]昭和62年4月 商号を石黒ホーマ株式会社へ変更
    • [7]昭和62年からCISを導入しDIY商品中心のホームセンターからホームアメニティセンターへ転換
    • [8]日本のホームセンターは家具店・デパート家具売場・家電店・建材店・金物店・ペンキ店という業種店を解体したもの
    • [9]住まいと暮らしを快適にするために必要な道具と空間という観点で商品をくくり直す
    • [10]平成元年2月期の部門別売上構成比はホームレジャー・家庭用機器41.2%
    • [11]平成元年2月期の部門別売上構成比はホームインプルーブメント20.7%
  • 証券 1999年1月号(第51巻第1号)
    • [12]平成10年11月17日の東京証券取引所市場第二部上場にあたり北国の暮らしに密着したホームアメニティセンターづくりを掲げた

石黒ホーマが売り場の外に置いた仕掛けは、週に一度のチラシと売り場の助言者だった。北海道は季節の変化が激しく、読み違えれば季節商品が足りなくなるか売れ残るかのどちらかになる。季節商品と特売品を知らせるチラシを毎週各家庭へ配り、調査では8割以上の家庭が目を通していた。売り場には68人のアドバイザーを置き、住まいと暮らしを自らの手で修理し改善するという考え方を客へ手渡す役に充てた。出店は北海道内でのドミナント化を方針とし、1989年2月期にはダイヤモンド・フリードマン社の調査で業界第7位に位置した。1989年9月、株式を店頭へ登録し、あわせて札幌証券取引所へ上場している。

  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
    • [13]北海道は季節変化が激しく季節商品の過不足が生じやすい
    • [14]毎週季節商品と特売品のチラシを各家庭へ配布し調査では8割以上の家庭が閲覧
    • [15]68人のアドバイザーがDIY(自らの手で修理・改善を行うこと)の考え方を顧客へ伝える
    • [16]出店政策は北海道におけるドミナント化
    • [17]平成元年2月期にダイヤモンド・フリードマン社の調査で業界第7位
  • 証券 1999年1月号(第51巻第1号)
    • [18]平成元年9月 株式を店頭登録し札幌証券取引所へ同時上場
参考文献[1]-[18]
  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
    • [1]IBMのシステム38を導入すると同時に物流センターを設立し全店の発注をジャスト・イン・タイムで一括処理
    • [2]物流センターに一括検品・一括値付け・一括配送の機能を持たせた
    • [3]システムを使いこなすまでに2年以上を要した
    • [4]情報ネットワーク型流通システムを構築した企業として業界で評価された
    • [6]昭和62年4月 商号を石黒ホーマ株式会社へ変更
    • [7]昭和62年からCISを導入しDIY商品中心のホームセンターからホームアメニティセンターへ転換
    • [8]日本のホームセンターは家具店・デパート家具売場・家電店・建材店・金物店・ペンキ店という業種店を解体したもの
    • [9]住まいと暮らしを快適にするために必要な道具と空間という観点で商品をくくり直す
    • [10]平成元年2月期の部門別売上構成比はホームレジャー・家庭用機器41.2%
    • [11]平成元年2月期の部門別売上構成比はホームインプルーブメント20.7%
    • [13]北海道は季節変化が激しく季節商品の過不足が生じやすい
    • [14]毎週季節商品と特売品のチラシを各家庭へ配布し調査では8割以上の家庭が閲覧
    • [15]68人のアドバイザーがDIY(自らの手で修理・改善を行うこと)の考え方を顧客へ伝える
    • [16]出店政策は北海道におけるドミナント化
    • [17]平成元年2月期にダイヤモンド・フリードマン社の調査で業界第7位
  • 証券 1999年1月号(第51巻第1号)
    • [5]平成10年2月20日現在 商品センターは北海道北広島市・岩手県紫波町ほか5か所の計7か所
    • [12]平成10年11月17日の東京証券取引所市場第二部上場にあたり北国の暮らしに密着したホームアメニティセンターづくりを掲げた
    • [18]平成元年9月 株式を店頭登録し札幌証券取引所へ同時上場

1984年〜安く建て続けた600坪の店と、名証から東証までの3年

カーマが中部圏の外へ出るときに使ったのは、自前の出店だけではなかった。1983年8月に資本提携した北陸のオスカーを1990年4月に吸収合併し、富山、石川、福井の3県を自社の商圏に組み入れている。1986年9月には株式会社ローヤルとフランチャイズ契約を結び、ホームセンターの隣接地にカー用品専門店イエローハットを出した。狙いは集客力の向上にあり、自社の売り場を広げる代わりに、隣に別の客を呼ぶ店を置いた形になる。1993年12月の時点では、ホームセンターが64店、ドラッグストアが13店あり、イエローハットは8県に及んでいた。1993年4月には新潟県へ出店し、1995年3月期末の直営店舗は86店に達した。

  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [19]昭和58年8月に株式会社オスカーと資本提携し平成2年4月に吸収合併
    • [20]昭和61年9月 株式会社ローヤルとフランチャイズ契約を締結しホームセンター隣接地にイエローハットを出店
    • [21]イエローハット出店の目的は集客力の向上
    • [23]平成5年4月 新潟県へ出店
    • [24]平成7年3月期末の直営店舗は86店舗(ホームセンター70店・ドラッグストア13店・イエローハット3店)
  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
    • [22]1993年12月時点でホームセンター64店舗・ドラッグストア13店舗・イエローハットを8県に展開

カーマの費用構造を決めていたのは、店をいくらで建て、誰が動かすかの二つだった。地価の安い郊外の土地を借り、建物は賃借か自社保有のいずれかを採る形で出店している。カーマは建築費を抑えつつ機能を欠かさない簡素な店舗を建て、これをローコスト経営の柱に据えた。1店舗の平均売場面積は1993年時点で約600坪、1995年3月期末には650坪となり、駐車場は300台分を取っている。売り場を動かす人の約6割は、1993年9月末時点でパートタイマーが占めた。POSは導入せず、その10分の1の費用で同等の仕組みを組んでいた。

  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [25]地価の安い郊外の土地を賃借し建物は賃借または自社保有とする出店形態
    • [28]平成7年3月期末の1店舗当たり平均売場面積は650坪・駐車台数300台
  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
    • [26]建築費を抑えながら機能をすべて備えた簡素な店舗によるローコスト経営
    • [27]1993年時点の1店舗当たり平均売場面積は600坪
    • [29]1993年9月末時点で全従業員に占めるパートタイマーの比率は約6割
    • [30]POSを導入せずその10分の1のコストで同様のシステムを構築

1990年代前半のカーマを削ったのは、売価の側だった。消費の低迷と大規模小売店舗法の緩和による競争の激化が、売上総利益率を押し下げた。1991年3月期の25.4パーセントが、1995年3月期には24.5パーセントになっている。同じ期間に期末店舗数は65店から86店へ増えた。1995年3月期の売上高は1,120億1,500万円で、業界第2位の規模にあった。カーマは緩和された規制をそのまま使い返し、900坪を超える店舗を中心に出店して、既存店も増床した。原資は手当てしてあり、1993年8月の名古屋証券取引所第二部への上場で260万株を発行し、105億7,300万円を調達していた。1995年9月に名証第一部へ指定替えとなり、同年11月30日に東京証券取引所第一部へ上場した。

  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [31]消費低迷と大規模小売店舗法の緩和による競争激化で売上総利益率が低下
    • [32]売上総利益率は平成3年3月期25.4%から平成7年3月期24.5%へ低下
    • [33]期末店舗数は平成3年3月期の65店舗から平成7年3月期の86店舗へ増加
    • [34]平成7年3月期の売上高は1,120億1,500万円で業界第2位の規模
    • [35]大規模小売店舗法の緩和を受け900坪を超える店舗を中心に出店し既存店も増床
    • [37]平成7年9月 名古屋証券取引所市場第一部へ指定・平成7年11月30日 東京証券取引所市場第一部へ上場
  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
    • [36]平成5年8月の名古屋証券取引所市場第二部上場に際し260万株の新株を発行して105億7,300万円を調達
参考文献[19]-[37]
  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [19]昭和58年8月に株式会社オスカーと資本提携し平成2年4月に吸収合併
    • [20]昭和61年9月 株式会社ローヤルとフランチャイズ契約を締結しホームセンター隣接地にイエローハットを出店
    • [21]イエローハット出店の目的は集客力の向上
    • [23]平成5年4月 新潟県へ出店
    • [24]平成7年3月期末の直営店舗は86店舗(ホームセンター70店・ドラッグストア13店・イエローハット3店)
    • [25]地価の安い郊外の土地を賃借し建物は賃借または自社保有とする出店形態
    • [28]平成7年3月期末の1店舗当たり平均売場面積は650坪・駐車台数300台
    • [31]消費低迷と大規模小売店舗法の緩和による競争激化で売上総利益率が低下
    • [32]売上総利益率は平成3年3月期25.4%から平成7年3月期24.5%へ低下
    • [33]期末店舗数は平成3年3月期の65店舗から平成7年3月期の86店舗へ増加
    • [34]平成7年3月期の売上高は1,120億1,500万円で業界第2位の規模
    • [35]大規模小売店舗法の緩和を受け900坪を超える店舗を中心に出店し既存店も増床
    • [37]平成7年9月 名古屋証券取引所市場第一部へ指定・平成7年11月30日 東京証券取引所市場第一部へ上場
  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
    • [22]1993年12月時点でホームセンター64店舗・ドラッグストア13店舗・イエローハットを8県に展開
    • [26]建築費を抑えながら機能をすべて備えた簡素な店舗によるローコスト経営
    • [27]1993年時点の1店舗当たり平均売場面積は600坪
    • [29]1993年9月末時点で全従業員に占めるパートタイマーの比率は約6割
    • [30]POSを導入せずその10分の1のコストで同様のシステムを構築
    • [36]平成5年8月の名古屋証券取引所市場第二部上場に際し260万株の新株を発行して105億7,300万円を調達

1984年〜本州側へ寄せた46店と、別々の取引所へ並んだ三社

ダイキが1980年代の終わりから出店を重ねた先は、本拠の四国ではなく本州側だった。1988年に広島県、1989年に香川県へ出て、1990年に岡山県、1994年に兵庫県、1995年に山口県へと商勢圏を広げている。1991年からの5年間に開いた店は広島が9店で最も多く、愛媛と岡山が各4店、兵庫2店、香川と山口が各1店だった。出店の条件は商圏人口3万人から7万人の土地で、小型なら400坪、中型で700坪、大型で1,000坪の売り場を置くというものだった。1店舗当たりの投資額は平均5億円である。他社が既に店を出している地域へ競争のために出ることは避けており、1996年3月時点の店舗数は46店に達した。

  • 証券 1997年1月号(第49巻第1号)
    • [38]昭和63年 広島県・平成元年 香川県へ出店
    • [39]平成2年 岡山県・平成6年 兵庫県・平成7年 山口県へ出店
    • [40]平成8年3月までの5年間の出店は広島9店・愛媛4店・岡山4店・兵庫2店・香川1店・山口1店
    • [44]平成8年3月現在のホームセンター店舗数は46店舗
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月号(大亀孝裕社長講演要旨)
    • [41]商圏人口3万〜7万人の地域に小型400坪・中型700坪・大型1,000坪の店舗を出店
    • [42]1店舗当たりの投資額は平均5億円
    • [43]他社が出店している地域への競争的な出店は避ける方針

ダイキの小売部門が他社より高い粗利を取れた理由は、仕入の経路にあった。建築資材と住宅設備機器の卸を営む住宅機器事業部門を自社に持っていたため、店で売る住宅資材が卸値で入ってきた。1993年3月期のホームセンター部門の粗利益率は26.7パーセントで、他社より高い水準にあった。1989年10月に合併した3社は、この小売と卸に、浄化槽を製造する環境機器事業部門を加えた3本立てだった。1996年3月期の売上構成は、ホームセンターが466億3,200万円で64.4パーセントを占める。環境機器が129億3,300万円で17.9パーセント、住宅機器が128億1,300万円で17.7パーセントと続いた。合併後はEOSによる受発注と入荷検品の仕組みを動かした。

  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月号(大亀孝裕社長講演要旨)
    • [45]住宅資材を自社の住宅機器事業部門を通じて卸値で仕入れる
    • [46]前期のホームセンター部門の粗利益率は26.7%で他社より高い水準
  • 証券 1997年1月号(第49巻第1号)
    • [47]平成元年10月の3社合併によりホームセンター事業・環境機器事業・住宅機器事業の3部門体制
    • [48]平成8年3月期の事業部門別売上高はホームセンター事業466億3,200万円(構成比64.4%)
    • [49]平成8年3月期の事業部門別売上高は環境機器事業129億3,300万円(17.9%)・住宅機器事業128億1,300万円(17.7%)
    • [50]合併後にEOS受発注システムと入荷検品システムを稼働

三社が株式を公開した順は、北海道、中部、四国の順だった。石黒ホーマが1989年9月に株式を店頭へ登録し、札幌証券取引所へ同時上場している。カーマは1993年8月に名古屋証券取引所第二部、1995年11月30日に東京証券取引所第一部へ進んだ。ダイキは1993年8月に大阪証券取引所第二部と広島証券取引所、1996年11月15日に東証第一部へ上場した。1998年11月17日には、ホーマック株式会社が東京証券取引所第二部へ上場している。1951年12月設立の法人がそのまま上場した。1998年2月期の売上高は1,261億9,300万円、経常利益は36億8,400万円だった。同じ業態を別々の地域で組み立てた三社が、10年のうちに全国の市場で並んで値を付けられる立場に着いた。

  • 証券 1999年1月号(第51巻第1号)
    • [51]平成元年9月 株式を店頭登録し札幌証券取引所へ同時上場
    • [54]平成10年11月17日 ホーマック株式会社が東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [55]ホーマック株式会社の設立年月日は昭和26年12月17日
    • [56]平成10年2月期の売上高1,261億9,304万円・経常利益36億8,453万円
  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [52]平成5年8月 名古屋証券取引所市場第二部上場・平成7年11月30日 東京証券取引所市場第一部上場
  • 証券 1997年1月号(第49巻第1号)
    • [53]平成5年8月 大阪証券取引所市場第二部・広島証券取引所上場、平成8年11月15日 東京証券取引所市場第一部上場
参考文献[38]-[56]
  • 証券 1997年1月号(第49巻第1号)
    • [38]昭和63年 広島県・平成元年 香川県へ出店
    • [39]平成2年 岡山県・平成6年 兵庫県・平成7年 山口県へ出店
    • [40]平成8年3月までの5年間の出店は広島9店・愛媛4店・岡山4店・兵庫2店・香川1店・山口1店
    • [44]平成8年3月現在のホームセンター店舗数は46店舗
    • [47]平成元年10月の3社合併によりホームセンター事業・環境機器事業・住宅機器事業の3部門体制
    • [48]平成8年3月期の事業部門別売上高はホームセンター事業466億3,200万円(構成比64.4%)
    • [49]平成8年3月期の事業部門別売上高は環境機器事業129億3,300万円(17.9%)・住宅機器事業128億1,300万円(17.7%)
    • [50]合併後にEOS受発注システムと入荷検品システムを稼働
    • [53]平成5年8月 大阪証券取引所市場第二部・広島証券取引所上場、平成8年11月15日 東京証券取引所市場第一部上場
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月号(大亀孝裕社長講演要旨)
    • [41]商圏人口3万〜7万人の地域に小型400坪・中型700坪・大型1,000坪の店舗を出店
    • [42]1店舗当たりの投資額は平均5億円
    • [43]他社が出店している地域への競争的な出店は避ける方針
    • [45]住宅資材を自社の住宅機器事業部門を通じて卸値で仕入れる
    • [46]前期のホームセンター部門の粗利益率は26.7%で他社より高い水準
  • 証券 1999年1月号(第51巻第1号)
    • [51]平成元年9月 株式を店頭登録し札幌証券取引所へ同時上場
    • [54]平成10年11月17日 ホーマック株式会社が東京証券取引所市場第二部へ上場
    • [55]ホーマック株式会社の設立年月日は昭和26年12月17日
    • [56]平成10年2月期の売上高1,261億9,304万円・経常利益36億8,453万円
  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [52]平成5年8月 名古屋証券取引所市場第二部上場・平成7年11月30日 東京証券取引所市場第一部上場

筆者考察

三社が1980年代半ばからの10年でやったのは、同じ業態を別々の制約に合わせて作り直すことだった。石黒ホーマは問屋が担わない補充を自社の物流センターへ引き取り、検品も値付けも配送も自分の手に握った。カーマは土地を借り、建物を安く建て、パートに責任のある仕事を任せて、売価を上げずに利益を残す形を作った。ダイキは卸と製造を手放さず、店で売る資材を自社の卸から卸値で引いた。三つとも粗利を守る方法だが、守る場所が違う。北海道は仕入、中部は費用、四国は仕入の垂直統合である。地域が違えば、削れる場所も違った。

1990年代に三社が別々の取引所へ株式を公開したことは、それぞれの地域で店の数が伸びきったことの裏返しでもある。カーマは愛知一県で売上の半分を稼ぎ、ダイキは愛媛から広島へ渡り、ホーマックは北海道から東北へ出た。ドミナントは商圏を深く掘る方法だが、掘り切れば次は横へ出るしかない。大規模小売店舗法の緩和は、売り場を大きくする自由と、他社が同じ商圏へ入ってくる自由を同時に配った。完成した三つのチェーンは、互いの外側で成長の余地を細らせていった。三社が一つの持株会社の下に並ぶまでに、そこから10年とかからなかった。

三社それぞれの売上高 カーマ 1995年3月期/ダイキ 1996年3月期/ホーマック 1998年2月期(億円)

1,120 カーマ 720 ダイキ 1,262 ホーマック

出典・参考

6件
出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月号(大亀孝裕社長講演要旨)
  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
  • 証券 1997年1月号(第49巻第1号)
  • 証券 1999年1月号(第51巻第1号)

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