DCMホールディングス の歴史

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創業 2006年
母体 カーマ+ダイキ+ホーマック
創業地 東京都品川区
創業
会社は2006年9月に生まれたが、店の起点は3つあり、いずれも1970年代にホームセンターへ移った業種店である。1919年に石黒信市郎氏が釧路市で開いた石黒金物店は、1973年の石油危機で低成長を見込み、1976年4月に釧路市へ1号店を出した。1947年に鏡味順一郎氏が名古屋市で開いたかがみ薬局は、薬局6社を合併して176店のドラッグストアチェーンをめざしたが、出店規制に阻まれて構想を撤回しホームセンターへ転じた。1958年に大亀孝裕氏が松山市で開いた大亀商事は、建築資材と住宅設備の販売と施工を本業とし、創業20周年の1978年に園芸とペットを併設する店を国内で初めて開いている。
決断
一つにする前に、まず商品を流して運営が回ることを確かめてきた。2005年7月にカーマ・ダイキ・ホーマックの3社が株式移転で合意し、翌2006年9月に3社を並べる持株会社を発足させた。合併はせず仕入だけを共通化し、グループ政策商品の売上構成比は第1期の63%から2008年2月期には85.1%へ上がった。2019年9月には店舗業務システムを統一したうえで、事業会社の間で店舗運営部長1名・エリアマネージャー2名・店長4名を入れ替え、運営が回ることを確かめている。人事制度も仮に貼り替えたのち、2021年3月に5社を吸収合併してDCM株式会社を発足させた。ケーヨーにも先に商品を流し、2019年には同社の仕入の92%を供給してから資本を動かした。
現況
918店の屋号は、2022年からの2年でひとつに揃った。2026年2月期の連結売上高は5,331億円、営業利益310億円、親会社株主に帰属する当期純利益173億円である。前期のセグメントはホームセンター事業が売上4,807億円・利益341億円、家電のネット通販を担うエクスプライス事業が636億円・5億円で、利益はほぼホームセンターから出ている。2024年9月に持分法適用だったケーヨーを吸収合併し、ケーヨーデイツーの店名も『DCM』へ改めた。2025年9月にエンチョー、12月にホームテックを子会社化し、店舗は918店へ増えている。屋号を一つに揃えたことで、地域ごとに分かれていた仕入と広告も1本にまとまった。
競合
商圏が重ならない相手だけを選んで、店舗網を継ぎ足してきた。北海道のホーマック、中部のカーマ、四国のダイキは互いの商圏を侵さずに地域一番店となり、統合しても閉じる重複店がなかった。北海道では本州から海を渡る運賃が仕入価格に乗るため、1983年に情報システムと物流センターへ先に投資し、原価の不利を在庫回転で埋めている。統合後もサンワドー・くろがねや・ケーヨー・エンチョー・ホームテックと地方チェーンを継ぎ足して918店へ広げた。一方、首都圏の中堅チェーン島忠は2021年1月にニトリが子会社化し、DCMの店舗網には入っていない。買って足す速さは、そのたびに屋号と仕入をそろえ直す工程を生み、5社の統合が終わるまでに15年を要した。
DCMホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2007年2月期2025年2月期

設立ストーリー 業種店から出発した三社が、別々の事情でホームセンターへ移る (1919年〜)

釧路の金物店、名古屋の薬局、松山のタイル商

DCMホールディングスを構成した3社のうち最も古い店は北海道にあり、1919年に石黒信市郎氏が釧路市で金物の卸と小売を営む石黒金物店を開いた[1]ことに始まる。戦後の1951年12月、この店は釧路市北大通に株式会社石黒商店として法人格を得た[2]。金物を問屋から仕入れて地域の商店や工事業者へ流し、あわせて店頭でも売り、取り付け工事を伴う商品も多く扱っている[3]。当時の日本には住まいに関わる商品を一つの店で揃える売り場がなく、家具は家具店とデパートの家具売場、家電は家電店とスーパーの家電売場、建材は建材店、工具と金物は金物店、塗料はペンキ店へと業種ごとに分かれていた[4]

  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
    • [1]1919年 石黒信市郎氏が釧路市で金物の卸・小売を営む石黒金物店を創業
    • [2]1951年12月 釧路市北大通に株式会社石黒商店を設立
    • [3]工事付きの商品を多く扱ってきた金物商としての蓄積
    • [4]住関連商品は家具店・デパート家具売場・家電店・スーパー家電売場・建材店・金物店・ペンキ店に分かれた業種店で売られていた

中部の1社は薬局から始まり、1947年10月に鏡味順一郎氏が名古屋市でかがみ薬局を個人で開いて[5]医薬品の小売に乗り出した。事業の拡大に合わせて1960年4月に合資会社クスリのかがみ、1969年6月に株式会社かがみを設立し、1970年2月にはカーマの前身となる大高商事株式会社を設立[6]、翌1971年8月に株式会社カーマへ商号を変更している。1972年6月には牧清氏の株式会社花園、原博和氏の原商事株式会社、サンケイ薬品株式会社と、鏡味氏が経営する他の2社を合併した[7]。社名は3氏の姓の頭文字を組み合わせたもので、合併の狙いは愛知県を中心にドラッグストア176店舗のチェーンを作ること[8]にあった。

  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [5]1947年10月 鏡味順一郎氏が名古屋市でかがみ薬局を創業し医薬品の小売を開始
    • [6]1960年4月 合資会社クスリのかがみ・1969年6月 株式会社かがみ・1970年2月 大高商事・1971年8月 カーマへ商号変更
    • [7]1972年6月 株式会社花園・原商事・サンケイ薬品と鏡味順一郎氏の経営する他2社を合併
  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
    • [8]社名カーマはオーナー3氏の姓の頭文字に由来・当初は愛知県中心にドラッグストア176店舗を目標

四国の1社はタイルを売る店から始まり、1958年4月に大亀孝裕氏が松山市でタイルと衛生陶器を扱う大亀商事を開いた[9]。1959年9月に有限会社、1962年4月に株式会社へ改組[10]し、建築資材と住宅設備機器の販売と施工を柱に据えている。水回りの改修には貼る職人が要り、ダイキは1企業として最大数のタイル職人を抱えて職業訓練校まで設けた[11]。1990年代前半には、四国で扱う東陶機器製品の売上が同社四国支社の販売額の34パーセントに達している[12]。創業当時から分社経営をとり[13]、建築資材の卸と浄化槽の設計施工を別々の会社が担う形は、1989年10月に主要3社を合併するまで続いた[14]

  • DCMダイキ公式サイト「沿革」
    • [9]1958年4月 大亀孝裕氏が松山市でタイルと衛生陶器の店として大亀商事を開店
    • [10]1959年9月 有限会社へ改組・1962年4月 株式会社へ改組
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月号(大亀孝裕社長講演要旨)
    • [11]1企業として最大数のタイル職人を擁し職業訓練校を設置
    • [12]四国でダイキが扱う東陶機器製品の売上が東陶機器四国支社の販売額の34%に相当
    • [13]創業当時からの分社経営
    • [14]1989年10月 主たる3社が合併
  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
    • [1]1919年 石黒信市郎氏が釧路市で金物の卸・小売を営む石黒金物店を創業
    • [2]1951年12月 釧路市北大通に株式会社石黒商店を設立
    • [3]工事付きの商品を多く扱ってきた金物商としての蓄積
    • [4]住関連商品は家具店・デパート家具売場・家電店・スーパー家電売場・建材店・金物店・ペンキ店に分かれた業種店で売られていた
  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [5]1947年10月 鏡味順一郎氏が名古屋市でかがみ薬局を創業し医薬品の小売を開始
    • [6]1960年4月 合資会社クスリのかがみ・1969年6月 株式会社かがみ・1970年2月 大高商事・1971年8月 カーマへ商号変更
    • [7]1972年6月 株式会社花園・原商事・サンケイ薬品と鏡味順一郎氏の経営する他2社を合併
  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
    • [8]社名カーマはオーナー3氏の姓の頭文字に由来・当初は愛知県中心にドラッグストア176店舗を目標
  • DCMダイキ公式サイト「沿革」
    • [9]1958年4月 大亀孝裕氏が松山市でタイルと衛生陶器の店として大亀商事を開店
    • [10]1959年9月 有限会社へ改組・1962年4月 株式会社へ改組
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月号(大亀孝裕社長講演要旨)
    • [11]1企業として最大数のタイル職人を擁し職業訓練校を設置
    • [12]四国でダイキが扱う東陶機器製品の売上が東陶機器四国支社の販売額の34%に相当
    • [13]創業当時からの分社経営
    • [14]1989年10月 主たる3社が合併

渡米とオイルショックと創業20周年が呼んだ転換

176店舗のドラッグストアチェーンという構想[15]は、着手して1年で行き詰まった。もろもろの法規制により出店は年に1店ほどしか進まないと判明し[16]、1973年10月にホームセンター事業へ移っている。転換を決めたのは視察旅行で、流通業を研究するために渡米した鏡味順一郎氏が米国でのホームセンターの隆盛を目撃し、日本でも必要とされると確信した[17]ためである。同年10月、カーマは名古屋市にホームセンターの1号店を開いた[18]。以後、1976年7月に岐阜県、1978年10月に静岡県、1980年11月に三重県へ[19]と出店先を広げている。出店を加速できた理由は一つではなく、住宅関連商品を総合的に売る店舗形態の新しさ、オイルショックを契機とした節約意識の高まり、余暇の増大、自動車の普及[20]が同じ時期に重なった。

  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
    • [15]愛知県中心にドラッグストア176店舗を展開する当初構想
    • [16]法規制により年1店ほどしか出店できず1973年10月にホームセンター事業へ進出
    • [17]鏡味順一郎氏が渡米して米国のホームセンターの隆盛を目撃し将来性に着目
  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [18]1973年10月 名古屋市にホームセンター1号店を出店
    • [19]1976年7月 岐阜県・1978年10月 静岡県・1980年11月 三重県へ出店
    • [20]出店拡大の背景は店舗形態の新しさ・オイルショックによる節約意識・余暇の増大・自動車の普及の4点

釧路の金物商を小売の側へ押し出したのは原油価格で、1973年のオイルショックを機に低成長の時代に入ったと見た石黒商店[21]は、もっと川下へ行かなければならないと考えた。2年ほどの試行錯誤を経て1976年4月に釧路市へ1号店の中園店を開いている[22]。滑り出しは順調で、それまでの小売業の経験がそのまま使え、工事付きの商品を長く扱ってきた蓄積は顧客にDIYの手ほどきをするのに役立ち、粗利も卸や工事より高かった[23]。1978年1月には営業本部を釧路市から札幌市へ移し[24]、道内最大の市場に近い場所で仕入と出店を決める体制に変えた。

  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
    • [21]1973年のオイルショックを契機に低成長時代に入ったと判断し川下への進出を決断
    • [22]2年ほどの試行錯誤の末 1976年4月に釧路市へ第1号店の中園店を出店
    • [23]小売業の経験の活用・工事付き商品の蓄積・卸や工事より高いマージン
    • [24]1978年1月 営業本部を釧路市から札幌市へ移管

ダイキがホームセンターを始めたのは創業20周年にあたる1978年で、メーカーである環境機器部門と卸である住宅機器部門に次ぐ第三の事業を立てる[25]という動機による。大亀孝裕氏は、銀座四丁目のソニービルの外にあった1坪あまりのソニースクェアが正月は雪割草、2月は菜の花と道行く人に四季を教えていたことに感動[26]し、田舎のホームセンターでも玄関に花や木を置きたいと考えて、園芸とペットを扱うナーサリー併用型の店を国内で初めて開いた[27]。出発点が住宅関連機器の販売と施工であったため関連商品を厚く揃え、取付・増改センターを設けて取付工事と増改築工事の注文も受けている[28]

  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月号(大亀孝裕社長講演要旨)
    • [25]1978年 創業20周年にホームセンター事業を開始・メーカーと卸に次ぐ新事業
    • [26]大亀孝裕社長が銀座のソニースクェアの四季の展示に感動し花と木を柱に据えた
    • [27]園芸とペットを扱うナーサリー併用型店舗を国内で初めて開設
    • [28]住宅関連機器の販売・施工を出発点とし取付・増改センターで取付工事と増改築工事を受注
  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
    • [15]愛知県中心にドラッグストア176店舗を展開する当初構想
    • [16]法規制により年1店ほどしか出店できず1973年10月にホームセンター事業へ進出
    • [17]鏡味順一郎氏が渡米して米国のホームセンターの隆盛を目撃し将来性に着目
  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
    • [18]1973年10月 名古屋市にホームセンター1号店を出店
    • [19]1976年7月 岐阜県・1978年10月 静岡県・1980年11月 三重県へ出店
    • [20]出店拡大の背景は店舗形態の新しさ・オイルショックによる節約意識・余暇の増大・自動車の普及の4点
  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
    • [21]1973年のオイルショックを契機に低成長時代に入ったと判断し川下への進出を決断
    • [22]2年ほどの試行錯誤の末 1976年4月に釧路市へ第1号店の中園店を出店
    • [23]小売業の経験の活用・工事付き商品の蓄積・卸や工事より高いマージン
    • [24]1978年1月 営業本部を釧路市から札幌市へ移管
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月号(大亀孝裕社長講演要旨)
    • [25]1978年 創業20周年にホームセンター事業を開始・メーカーと卸に次ぐ新事業
    • [26]大亀孝裕社長が銀座のソニースクェアの四季の展示に感動し花と木を柱に据えた
    • [27]園芸とペットを扱うナーサリー併用型店舗を国内で初めて開設
    • [28]住宅関連機器の販売・施工を出発点とし取付・増改センターで取付工事と増改築工事を受注

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DCMホールディングスの沿革1919〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1919〜1978年業種店から出発した三社が、別々の事情でホームセンターへ移る石黒金物店を開業
鏡味順一郎氏が名古屋市でかがみ薬局を創業
医薬品の小売を開始
石黒金物店を法人化
石黒商店を設立
大亀孝裕が松山市にタイルと衛生陶器を扱う大亀商事を開店
大亀商事を株式会社に改組
カーマの前身となる大高商事を設立
カーマによる176店舗のドラッグストアチェーン構想の撤回と、ホームセンターへの業態転換

1972年6月に薬局6社が合併して発足したカーマが、愛知県を中心に176店舗のドラッグストアチェーンを築く構想を1年で下ろし、1973年10月、名古屋市にホームセンターの1号店を開いた業態転換。合併で集めた店と人と資本はそのままに、売る商品を住まいまわりへ入れ替えた。

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★★★
ホームセンター1号店を出店★★
金物の卸・小売からホームセンター事業へ転換★★
園芸とペットを扱うナーサリー併用型店舗を国内初開設
1979〜2004年地域の制約に合わせて三つのドミナントが別々に完成する10店舗・年商100億円を達成しながら減益に転落★★
石黒商店によるIBMシステム38の導入と物流センターの設立

1983年、10店舗・年商100億円に達しながら増収減益となった石黒商店(のちの石黒ホーマ、現DCMホールディングス)が、IBMのシステム38を導入すると同時に物流センターを設立し、全店の発注をジャスト・イン・タイムで一括処理する体制へ改めた経営判断。

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★★★
愛媛・香川・広島・岡山の4県を対象とする瀬戸内ドミナント構想を策定
住まいと暮らしを提案するホームアメニティセンターへ転換★★
石黒ホーマが株式を店頭公開
カーマが名古屋証券取引所市場第二部に上場
石黒ホーマがホーマックに商号変更
店舗名も順次ホーマックへ切り替え
カーマが名古屋証券取引所市場第一部に指定替え
前期売上高1,120億円で業界2位の規模
2005〜2017年株式移転で三社を並べた持株会社と、地方チェーンの買い足し前田勝敏カーマ・ダイキ・ホーマック3社の共同株式移転によるDCM Japanホールディングスの設立

2006年9月1日、ホームセンターのカーマ(愛知県刈谷市)、ダイキ(愛媛県松山市)、ホーマック(札幌市厚別区)の3社が共同株式移転により純粋持株会社DCM Japanホールディングスを設立し、東京・大阪・名古屋の各市場第一部と札幌証券取引所に上場した。3社は合併せず、いずれも完全子会社として残った。

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★★★
前田勝敏東京・大阪・名古屋の各市場第一部と札幌証券取引所に上場
久田宗弘久田宗弘氏が代表取締役社長に就任
久田宗弘オージョイフルを完全子会社化(2009年3月にダイキが吸収合併)
久田宗弘ダイキがホームセンターサンコーを子会社化
久田宗弘商号をDCMHDに変更
久田宗弘ホーマックがダイレックスの株式を日立物流へ譲渡
久田宗弘サンワドーを株式交換により完全子会社化
久田宗弘くろがねやを株式交換により完全子会社化
久田宗弘ケーヨーと資本業務提携
2018〜2026年島忠買収の失敗と、五社を一社に畳んでケーヨーを取り込むまで石黒靖規石黒靖規氏が代表取締役社長兼COOに就任
石黒靖規島忠に1株4,200円の株式公開買付けを発表★★
石黒靖規ニトリHDが島忠を子会社化★★
石黒靖規ホームセンター事業会社5社の吸収合併によるDCM株式会社の発足と、店名の「DCM」への統一

2021年3月1日、DCMホールディングスはホームセンター事業を承継させた分割準備会社を存続会社とし、DCMカーマ・DCMダイキ・DCMホーマック・DCMサンワ・DCMくろがねやの5社を吸収合併し、DCM株式会社が発足した。

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★★★
石黒靖規持分法適用関連会社ケーヨーの完全子会社化と、DCM株式会社への吸収合併

2024年1月、DCMホールディングスが公開買付けと株式等売渡請求により、持分法適用関連会社であった株式会社ケーヨーの全株式を取得して完全子会社とし、同年9月にDCM株式会社を存続会社として吸収合併した経営判断。取得原価は687億5,300万円であった。

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★★★
出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 1989年11月号(石黒靖尋社長講演要旨)
  • 証券アナリストジャーナル 1993年10月号(大亀孝裕社長講演要旨)
  • 証券アナリストジャーナル 1994年1月号(第32巻第1号)(鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日)
  • 証券 1996年1月号(第48巻第1号)
  • DCMダイキ公式サイト「沿革」

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