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  "company_name": "DCMホールディングス",
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  "updated": "2026-09-04",
  "license": "© 2026 Yutaka Sugiura. All rights reserved.",
  "attribution": "The社史 (the-shashi.com) — https://the-shashi.com/tse/3050/",
  "title": "DCMホールディングスの歴史概略",
  "summary": {
    "title": "サマリー",
    "text": "",
    "description": "DCMホールディングスの歴史。1947年に鏡味順一郎氏が名古屋で開いたかがみ薬局を源流に、カーマ・ダイキ・ホーマックの3社が2006年に共同株式移転で統合。ケーヨーの完全子会社化までの沿革と経緯を執筆。"
  },
  "eras": [
    {
      "title": "業種店から出発した三社が、別々の事情でホームセンターへ移る",
      "start_year": 1919,
      "end_year": 1978
    },
    {
      "title": "地域の制約に合わせて三つのドミナントが別々に完成する",
      "start_year": 1979,
      "end_year": 2004
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    {
      "title": "株式移転で三社を並べた持株会社と、地方チェーンの買い足し",
      "start_year": 2005,
      "end_year": 2017
    },
    {
      "title": "島忠買収の失敗と、五社を一社に畳んでケーヨーを取り込むまで",
      "start_year": 2018,
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  "founding": [
    {
      "start_year": 1919,
      "end_year": 1978,
      "main_title": "業種店から出発した三社が、別々の事情でホームセンターへ移る",
      "subsections": [
        {
          "title": "釧路の金物店、名古屋の薬局、松山のタイル商",
          "text": "ＤＣＭホールディングスを構成した3社のうち最も古い店は北海道にあり、1919年に石黒信市郎氏が釧路市で金物の卸と小売を営む石黒金物店を開いたことに始まる。戦後の1951年12月、この店は釧路市北大通に株式会社石黒商店として法人格を得た。金物を問屋から仕入れて地域の商店や工事業者へ流し、あわせて店頭でも売り、取り付け工事を伴う商品も多く扱っている。当時の日本には住まいに関わる商品を一つの店で揃える売り場がなく、家具は家具店とデパートの家具売場、家電は家電店とスーパーの家電売場、建材は建材店、工具と金物は金物店、塗料はペンキ店へと業種ごとに分かれていた。\n\n中部の1社は薬局から始まり、1947年10月に鏡味順一郎氏が名古屋市でかがみ薬局を個人で開いて医薬品の小売に乗り出した。事業の拡大に合わせて1960年4月に合資会社クスリのかがみ、1969年6月に株式会社かがみを設立し、1970年2月にはカーマの前身となる大高商事株式会社を設立、翌1971年8月に株式会社カーマへ商号を変更している。1972年6月には牧清氏の株式会社花園、原博和氏の原商事株式会社、サンケイ薬品株式会社と、鏡味氏が経営する他の2社を合併した。社名は3氏の姓の頭文字を組み合わせたもので、合併の狙いは愛知県を中心にドラッグストア176店舗のチェーンを作ることにあった。\n\n四国の1社はタイルを売る店から始まり、1958年4月に大亀孝裕氏が松山市でタイルと衛生陶器を扱う大亀商事を開いた。1959年9月に有限会社、1962年4月に株式会社へ改組し、建築資材と住宅設備機器の販売と施工を柱に据えている。水回りの改修には貼る職人が要り、ダイキは1企業として最大数のタイル職人を抱えて職業訓練校まで設けた。1990年代前半には、四国で扱う東陶機器製品の売上が同社四国支社の販売額の34パーセントに達している。創業当時から分社経営をとり、建築資材の卸と浄化槽の設計施工を別々の会社が担う形は、1989年10月に主要3社を合併するまで続いた。",
          "references": [
            {
              "title": "証券アナリストジャーナル 1989年11月号（石黒靖尋社長講演要旨）",
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            {
              "title": "証券アナリストジャーナル 1994年1月号（第32巻第1号）（鏡味順一郎社長 講演要旨・1993年12月14日）",
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              "title": "ＤＣＭダイキ公式サイト「沿革」",
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        {
          "title": "渡米とオイルショックと創業20周年が呼んだ転換",
          "text": "176店舗のドラッグストアチェーンという構想は、着手して1年で行き詰まった。もろもろの法規制により出店は年に1店ほどしか進まないと判明し、1973年10月にホームセンター事業へ移っている。転換を決めたのは視察旅行で、流通業を研究するために渡米した鏡味順一郎氏が米国でのホームセンターの隆盛を目撃し、日本でも必要とされると確信したためである。同年10月、カーマは名古屋市にホームセンターの1号店を開いた。以後、1976年7月に岐阜県、1978年10月に静岡県、1980年11月に三重県へと出店先を広げている。出店を加速できた理由は一つではなく、住宅関連商品を総合的に売る店舗形態の新しさ、オイルショックを契機とした節約意識の高まり、余暇の増大、自動車の普及が同じ時期に重なった。\n\n釧路の金物商を小売の側へ押し出したのは原油価格で、1973年のオイルショックを機に低成長の時代に入ったと見た石黒商店は、もっと川下へ行かなければならないと考えた。2年ほどの試行錯誤を経て1976年4月に釧路市へ1号店の中園店を開いている。滑り出しは順調で、それまでの小売業の経験がそのまま使え、工事付きの商品を長く扱ってきた蓄積は顧客にDIYの手ほどきをするのに役立ち、粗利も卸や工事より高かった。1978年1月には営業本部を釧路市から札幌市へ移し、道内最大の市場に近い場所で仕入と出店を決める体制に変えた。\n\nダイキがホームセンターを始めたのは創業20周年にあたる1978年で、メーカーである環境機器部門と卸である住宅機器部門に次ぐ第三の事業を立てるという動機による。大亀孝裕氏は、銀座四丁目のソニービルの外にあった1坪あまりのソニースクェアが正月は雪割草、2月は菜の花と道行く人に四季を教えていたことに感動し、田舎のホームセンターでも玄関に花や木を置きたいと考えて、園芸とペットを扱うナーサリー併用型の店を国内で初めて開いた。出発点が住宅関連機器の販売と施工であったため関連商品を厚く揃え、取付・増改センターを設けて取付工事と増改築工事の注文も受けている。",
          "references": [
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  "overview": [
    {
      "label": "創業",
      "text": "会社は2006年9月に生まれたが、店の起点は3つあり、いずれも1970年代にホームセンターへ移った業種店である。1919年に石黒信市郎氏が釧路市で開いた石黒金物店は、1973年の石油危機で低成長を見込み、1976年4月に釧路市へ1号店を出した。1947年に鏡味順一郎氏が名古屋市で開いたかがみ薬局は、薬局6社を合併して176店のドラッグストアチェーンをめざしたが、[出店規制に阻まれて構想を撤回しホームセンターへ転じた](/tse/3050/decisions/homecenter-pivot-1973/)。1958年に大亀孝裕氏が松山市で開いた大亀商事は、建築資材と住宅設備の販売と施工を本業とし、創業20周年の1978年に園芸とペットを併設する店を国内で初めて開いている。"
    },
    {
      "label": "決断",
      "text": "一つにする前に、まず商品を流して運営が回ることを確かめてきた。2005年7月にカーマ・ダイキ・ホーマックの3社が株式移転で合意し、翌2006年9月に[3社を並べる持株会社を発足させた](/tse/3050/decisions/three-company-integration-2006/)。合併はせず仕入だけを共通化し、グループ政策商品の売上構成比は第1期の63%から2008年2月期には85.1%へ上がった。2019年9月には店舗業務システムを統一したうえで、事業会社の間で店舗運営部長1名・エリアマネージャー2名・店長4名を入れ替え、運営が回ることを確かめている。人事制度も仮に貼り替えたのち、2021年3月に[5社を吸収合併してＤＣＭ株式会社を発足させた](/tse/3050/decisions/five-company-merger-2021/)。ケーヨーにも先に商品を流し、2019年には同社の仕入の92%を供給してから資本を動かした。"
    },
    {
      "label": "現況",
      "text": "918店の屋号は、2022年からの2年でひとつに揃った。2026年2月期の連結売上高は5,331億円、営業利益310億円、親会社株主に帰属する当期純利益173億円である。前期のセグメントはホームセンター事業が売上4,807億円・利益341億円、家電のネット通販を担うエクスプライス事業が636億円・5億円で、利益はほぼホームセンターから出ている。2024年9月に[持分法適用だったケーヨーを吸収合併し](/tse/3050/decisions/keiyo-acquisition-2024/)、ケーヨーデイツーの店名も『ＤＣＭ』へ改めた。2025年9月にエンチョー、12月にホームテックを子会社化し、店舗は918店へ増えている。屋号を一つに揃えたことで、地域ごとに分かれていた仕入と広告も1本にまとまった。"
    },
    {
      "label": "競合",
      "text": "商圏が重ならない相手だけを選んで、店舗網を継ぎ足してきた。北海道のホーマック、中部のカーマ、四国のダイキは互いの商圏を侵さずに地域一番店となり、統合しても閉じる重複店がなかった。北海道では本州から海を渡る運賃が仕入価格に乗るため、[1983年に情報システムと物流センターへ先に投資し](/tse/3050/decisions/hokkaido-logistics-system-1983/)、原価の不利を在庫回転で埋めている。統合後もサンワドー・くろがねや・ケーヨー・エンチョー・ホームテックと地方チェーンを継ぎ足して918店へ広げた。一方、首都圏の中堅チェーン島忠は[2021年1月にニトリが子会社化し](/tse/9843/decisions/shimachu-acquisition-2021/)、ＤＣＭの店舗網には入っていない。買って足す速さは、そのたびに屋号と仕入をそろえ直す工程を生み、5社の統合が終わるまでに15年を要した。"
    }
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  "profile": [
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      "label": "祖業",
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      "label": "現在の注力課題",
      "value": "買収したチェーンのＤＣＭへの統一",
      "tags": [
        "M&A",
        "組織統合"
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