{"title":"DCMホールディングスの歴史概略","sections":[{"start_year":1919,"end_year":1972,"main_title":"北海道の金物店、名古屋の薬局、松山のタイル店として別々に始まる","subsections":[{"title":"大正期の釧路で金物の卸と小売から始めた石黒家","text":"DCMホールディングスを構成した3社のうち、最も古い店は北海道にあった。1919年、石黒信市郎氏が釧路市で金物の卸と小売を営む石黒金物店を開いた。石黒家はこの店で金物の卸と小売を長く続け、取り付け工事を伴う商品も多く扱った。戦後の1951年12月、石黒金物店は釧路市北大通に株式会社石黒商店として法人格を得た。金物を問屋から仕入れて地域の商店や工事業者へ流し、あわせて店頭で小売もするという、当時の地方金物商に共通の形をとっていた。この店を母体とする事業会社が、統合後は3社のうち最大の売上を持つことになる。\n\nこの時期の日本に、住まいに関わる商品を一つの店で揃える売り場は存在しない。家具は家具店とデパートの家具売場、家電は家電店とスーパーの家電売場、建材は建材店、工具と金物は金物店、塗料はペンキ店へと、商品ごとに業種店が分かれていた。石黒商店が扱った金物も、その分業の一区画を占めるにすぎない。のちに石黒靖尋社長は、ホームセンターとはこれらの業種店を解体し、住まいと暮らしを快適にするという観点で商品をくくり直したものだと説明している。解体される側の業種店から出発した点は、3社に共通している。","references":[{"title":"証券アナリストジャーナル 1989年11月号「石黒ホーマ」（石黒靖尋社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1996年1月号「新規上場会社紹介 株式会社カーマ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年1月号「カーマ」（鏡味順一郎社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1993年10月号「ダイキ」（大亀孝裕社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"名古屋の薬局6社が一つになって生まれたカーマ","text":"中部の1社は薬局から始まった。1947年10月、鏡味順一郎氏が名古屋市でかがみ薬局を個人で開き、医薬品の小売を始めた。事業の拡大に合わせて1960年4月に合資会社クスリのかがみ、1969年6月に株式会社かがみを設立し、1970年2月には後のカーマの前身となる大高商事株式会社を設立した。翌1971年8月、大高商事は株式会社カーマへ商号を変更した。個人商店から合資会社、株式会社へと組織を替えながら、23年をかけて法人の形を整えている。この時点での事業はなお医薬品の小売であり、ホームセンターとは関わりがない。\n\n1972年6月、カーマは牧清氏の株式会社花園、原博和氏の原商事株式会社、サンケイ薬品株式会社、および鏡味氏が経営する他の2社を合併した。いずれも以前から親交のあった相手で、合わせて6社が一つになった。社名のカーマは前年の商号変更で定めたもので、3氏の姓の頭文字（鏡味氏のka、原氏のh、牧氏のma）を組み合わせている。合併の目的はドラッグストアによる多店舗展開であり、愛知県を中心に176店舗のチェーンを作る構想を掲げていた。3人のオーナーが持ち株を出し合って一つの会社を作るという形は、34年後に3社が株式移転で持株会社を作る手順と、規模を除けば似ている。","references":[{"title":"証券アナリストジャーナル 1989年11月号「石黒ホーマ」（石黒靖尋社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1996年1月号「新規上場会社紹介 株式会社カーマ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年1月号「カーマ」（鏡味順一郎社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1993年10月号「ダイキ」（大亀孝裕社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"松山でタイルと衛生陶器を売った大亀商事の分社経営","text":"四国の1社はタイルを売る店から始まった。1958年4月、大亀孝裕氏が松山市にタイルと衛生陶器を扱う大亀商事を開いた。1959年9月に有限会社、1962年4月に株式会社へ改組し、建築資材と住宅設備機器の販売と施工を事業の柱に据えた。水回りの改修は商品を売るだけでは終わらず、貼る職人が要る。ダイキは1企業として最大数のタイル職人を抱え、職業訓練校まで設けた。タイル工事では創業当初から群を抜く仕事量と信用を得たと、大亀孝裕社長は後年の講演で語っている。1990年代前半には四国で扱う東陶機器製品の売上が、同社四国支社の販売額の34パーセントに達している。\n\nダイキは創業当時から分社経営をとった。建築資材の卸、浄化槽と水処理施設の設計施工、のちに加わる小売を、それぞれ別の会社が担う形である。この構えは1989年10月に主要3社を合併するまで続いた。大亀孝裕社長は合併の理由を、企業グループのうち1社は社会に通用する会社にしたいと考えたからだと述べている。分社のまま置けば各事業は身軽に動けるが、外から見た規模は小さいままにとどまる。松山のタイル商が上場企業として資本市場に立つには、まず3社を一つに戻す必要があった。この判断は、17年後に3社が持株会社の下へ並ぶ動きとは逆向きである。","references":[{"title":"証券アナリストジャーナル 1989年11月号「石黒ホーマ」（石黒靖尋社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券 1996年1月号「新規上場会社紹介 株式会社カーマ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年1月号「カーマ」（鏡味順一郎社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1993年10月号「ダイキ」（大亀孝裕社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1973,"end_year":1988,"main_title":"渡米とオイルショックと創業20周年、三社が別々の動機でホームセンターへ移る","subsections":[{"title":"法規制の壁が名古屋の1号店を生んだ","text":"176店舗のドラッグストアチェーンという構想は、着手して1年で行き詰まった。もろもろの法規制により、出店は年に1店ほどしか進まないと判明したためである。転換の契機は視察旅行にあった。流通業を研究するために渡米した鏡味順一郎氏が、米国でのホームセンターの隆盛を目撃し、日本でも必要とされると確信した。合併の翌年にあたる1973年10月、カーマは名古屋市にホームセンターの1号店を出した。薬局の店舗網を諦めた代わりに、住関連商品を総合的に売る売り場を選んだ。開いた店は郊外に広い床を取り、車で来る客を前提にしている。\n\n出店は愛知県から順に外へ広がった。1976年7月に岐阜県、1978年10月に静岡県、1980年11月に三重県へ店を置いた。1970年代後半に出店を加速できた理由は一つではない。住宅関連商品を総合的に売る店舗形態が当時の日本では新しく、その利便性が受け入れられたこと、1973年のオイルショックを契機に節約意識が高まったこと、余暇が増えたこと、自動車が普及して郊外の広い店まで客が来られるようになったことが、同じ時期に重なった。どれか一つが欠けても、郊外に広い床を構える店は成立しなかった。\n\nカーマは店の数を増やすと同時に、扱う値段を下げる仕組みにも手を入れた。1980年6月に業界に先駆けて発注業務を電算化し、翌1981年9月には物流センターを開いて業務の効率を上げている。地価の安い郊外の土地を借り、建物は賃借か自社保有とする方式をとった。売り場は1店平均600坪と他のホームセンター各社より広く、出店を中部圏に集めたため物流費と管理費を低く抑えられた。1983年8月には北陸3県で同業を営む株式会社オスカーと資本提携し、1990年4月にこれを吸収合併して富山・石川・福井へ商圏を延ばした。","references":[{"title":"証券 1996年1月号「新規上場会社紹介 株式会社カーマ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年1月号「カーマ」（鏡味順一郎社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1989年11月号「石黒ホーマ」（石黒靖尋社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1993年10月号「ダイキ」（大亀孝裕社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"海を渡る運賃が北海道の物流投資を強いた","text":"釧路の金物商を小売の側へ押し出したのは、原油価格だった。1973年のオイルショックを機に、石黒商店は低成長の時代に入ったと見た。もっと川下に行かなければならないと考え、2年ほど試行錯誤を重ねている。その結果として1976年4月、釧路市に1号店の中園店を開いた。滑り出しは順調だった。それまでの小売業の経験がそのまま使え、工事付きの商品を長く扱ってきた蓄積は顧客にDIYの手ほどきをするのに役立ち、粗利も卸や工事より高かった。1978年1月には営業本部を札幌へ移し、道内最大の市場に近い場所で仕入と出店を決める体制に変えている。\n\n1983年、店舗数が10、年商が100億円に達した年の決算は増収減益となった。原因は自社の運営ではなく、北海道という立地の構造にあった。本州から商品を運ぶには海路を挟むという流通上の隘路があり、問屋はコンテナ単位でしか引き取らせず、運賃も上乗せしてくる。青森までなら問屋が商品をバラで補充してくれるが、海の向こうでは同じ補充が受けられない。売上を伸ばしても、その差が利益を削った。仕入の条件は自力で変えられず、同じ商品を同じ問屋から買う限り、原価では本州の同業に追いつけない。そこで石黒商店は、在庫と物流の側に解を求めた。\n\n選ばれた手段は情報システムと物流拠点だった。IBMのシステム38を入れ、同じ時期に物流センターを設けて、全店ぶんの発注をまとめ、ジャスト・イン・タイムで処理する仕組みに改めた。検品も値付けも配送も、この拠点へまとめている。習熟には2年以上かかったが、その後はロス率が下がり、店に売れ残りの在庫が積まれなくなって、商品回転率は2倍になった。石黒靖尋社長は後に、ネックを解消してみたら一番進んだ小売業になっていたと述べている。1987年4月には商号を石黒ホーマ株式会社へ変え、DIY用品中心の店から住まいと暮らしを提案するホームアメニティセンターへ看板を替えた。1989年2月期の業界順位は7位である。","references":[{"title":"証券 1996年1月号「新規上場会社紹介 株式会社カーマ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年1月号「カーマ」（鏡味順一郎社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1989年11月号「石黒ホーマ」（石黒靖尋社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1993年10月号「ダイキ」（大亀孝裕社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}],"quotes":[{"speaker":"石黒靖尋","role":"石黒ホーマ株式会社社長","date":"1989","text":"その結果、ロス率が低下し、デッドストックがなくなって商品回転率は2倍になり、商品の鮮度もよくなった。ネックを解消してみたら、一番進んだ小売業になっていたということである。","source":"証券アナリストジャーナル 1989年11月号「石黒ホーマ」（日本証券アナリスト協会企業分析部会 平成元年10月24日・東京 講演要旨）","paragraph":3}]},{"title":"園芸とペットを店の玄関に置いた四国の店","text":"ダイキがホームセンターを始めたのは1978年、創業20周年の年である。メーカーである環境機器部門と卸である住宅機器部門に次いで、新たな事業を立てようという動機だった。何を柱にするかは社内で議論された。大亀孝裕氏には花と木を柱にしたいという考えがあった。銀座四丁目のソニービルの外にあった1坪あまりのソニースクェアが、正月は雪割草、2月は菜の花と銀座を歩く人々に四季を教えていたことに感動したためである。田舎のホームセンターであっても玄関にそういうものを置きたいと考え、園芸とペットを扱うナーサリー併用型の店を国内で初めて始めた。\n\n店の作りにも卸と施工の出自が残った。ホームセンターの出発点が住宅関連機器の販売と施工であったため、関連商品を厚く揃えるとともに取付・増改センターを設け、取付工事と増改築工事の注文も受けた。DIYは自分でやる人のための業態だが、顧客が自分でできない分野は会社が手伝うという建て方である。粗利益率は講演時点の前期で26.7パーセントと他社より高い水準にあった。大亀氏はその理由を、住宅資材の仕入れが自社の住宅機器部門を通して卸値で入ってくるためと見ている。卸を残したまま小売を足したことが、そのまま利益率の差になった。\n\n出店の範囲は橋の工事から決まった。瀬戸内ドミナント・エリア構想を打ち出したのは創業25周年にあたる1983年、ホームセンターを始めて5年目で、瀬戸大橋の架橋工事が始まった年である。大亀氏は幹部を連れて岡山の鷲羽山に立ち、架橋完成後に四国の経営者としてどう考えるべきか、中国側の経営者から四国を見ればどう攻めるかを議論した。その結果として広島と岡山への出店が決まり、愛媛・香川・広島・岡山の4県で68店舗を目指す構想になった。突飛な地域には出ず、周囲を固めながら出るという方針であり、フランチャイズによる店舗展開は考えていないと明言している。","references":[{"title":"証券 1996年1月号「新規上場会社紹介 株式会社カーマ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年1月号「カーマ」（鏡味順一郎社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1989年11月号「石黒ホーマ」（石黒靖尋社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1993年10月号「ダイキ」（大亀孝裕社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":1989,"end_year":2005,"main_title":"地域ごとに完成した三つのドミナントが、統合という一つの答えに向かう","subsections":[{"title":"中部圏のローコスト経営が業界2位に届く","text":"カーマは1993年8月に名古屋証券取引所市場第二部へ上場し、1995年9月に同取引所市場第一部へ指定された。上場は資金の調達を伴った。1993年8月に260万株の新株を発行して105億7,300万円を調達した結果、株主資本比率は14.7ポイント上昇して57.6パーセントとなった。1995年3月期の売上高は1,120億1,500万円で、ホームセンター業界第2位の規模にあたる。店舗は直営86店で、愛知43店、富山16店、岐阜11店、石川8店と、東海と北陸の8県に集まっていた。愛知1県が売上の53.4パーセントを占めている。\n\n規模の裏側には、売り場の並べ方と原価の両方に効く細かい工夫があった。1店舗で扱う商品は4万アイテムに及ぶ。管理する側の都合では包丁は刃物の棚、まな板は木材の棚に並べたほうが楽だが、顧客からすれば台所用品としてくくり直したほうが選びやすい。カーマは1980年代後半からこのモジュールマーチャンダイジングに取り組み、季節に必要な商品を1年52週ごとに一つのモジュールとして提案し、地域によって季節をずらして陳列した。1993年の時点でもPOSは入れず、10分の1の費用で同じ働きをする仕組みを自前で組んでいた。パートタイマーは1993年9月末で全従業員の約6割を占め、責任のある仕事を任せていた。","references":[{"title":"証券 1996年1月号「新規上場会社紹介 株式会社カーマ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年1月号「カーマ」（鏡味順一郎社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1993年10月号「ダイキ」（大亀孝裕社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1998年5月号「ケーヨー」（儘田公明専務取締役講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"9期連続増収増益と浄化槽を併せ持つ会社","text":"ダイキは1989年10月の3社合併を経て、ホームセンター、環境機器、住宅機器の3事業部門を持つ会社になった。1993年時点の店舗数は38、ホームセンターの売上高順位は16位で、同年度は623億円の売上と24億円の経常利益を計画し、それまで9期連続の増収増益を続けていた。1店舗当たりの投資額は平均5億円、四国では売り場を小型店400坪、中型店700坪、大型店1,000坪とし、商圏人口3万から7万人の場所に規模を合わせて出した。他社が出店している地域への競争的な出店は避ける方針をとっている。\n\n3社のうちダイキだけが、小売以外に製造と施工の事業を持ち続けた。環境機器部門は家庭の浄化槽からプラント処理場までを手がけ、雑排水も処理する小型合併処理浄化槽の普及が政府の補助で進む見通しに合わせて需要を見込んでいた。中水道の工事にも取り組み、三越新宿店に施工した実績を持つ。中国では大連市に小型合併処理浄化槽の部品工場を置き、大連理工大学と提携して中水道の装置を寄付している。住宅設備を売り、貼り、水を処理するという組み合わせは、ホームセンター専業3社が並ぶ統合後の姿とは異なるものだった。","references":[{"title":"証券 1996年1月号「新規上場会社紹介 株式会社カーマ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年1月号「カーマ」（鏡味順一郎社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1993年10月号「ダイキ」（大亀孝裕社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1998年5月号「ケーヨー」（儘田公明専務取締役講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"共同仕入れから株式移転による対等統合へ","text":"石黒ホーマは1995年に商号をホーマック株式会社へ変え、店舗名も順次ホーマックへ切り替えた。統合の前に、3社は緩い協業をすでに試していた。1990年代後半、ホーマックはジャスコとケーヨーとの3社で商品の共同開発を行い、共同ブランドのプライス・ファーストを立てている。1998年4月の講演でケーヨーの儘田公明専務取締役は、この共同ブランドの売上が目下50億円になったと述べた。仕入と商品開発を他社と持ち合う動きは、単独では価格をこれ以上下げられないという認識を、業界の各社が共有していたことを示している。2017年に始まるDCMホールディングスとケーヨーの提携は、この時期の関係を20年後に資本の形で結び直したものにあたる。\n\n2005年7月、株式会社カーマ、ダイキ株式会社、ホーマック株式会社の3社は、株式移転により完全親会社となる持株会社を設立することを取締役会で決議し、株式移転契約書を締結した。2006年5月にホーマック、6月にカーマとダイキの株主総会が承認した。3社の規模は資本金でホーマックが109億8,100万円、ダイキが70億5,800万円、カーマが60億100万円と差があり、対等な合併ではない。それでも商圏は北海道、四国と中国、中部と北陸に分かれて重ならず、どの社も自地域では強い。どこかを従属させる形をとらず、持株会社の下に3社をそのまま並べたのは、地域ごとに完成した売り方を壊さずに済ませる選択だった。","references":[{"title":"証券 1996年1月号「新規上場会社紹介 株式会社カーマ」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1994年1月号「カーマ」（鏡味順一郎社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1993年10月号「ダイキ」（大亀孝裕社長講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1998年5月号「ケーヨー」（儘田公明専務取締役講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]}]},{"start_year":2006,"end_year":2026,"main_title":"持株会社として発足してから、15年かけて一つの事業会社に畳むまで","subsections":[{"title":"4取引所に上場した持株会社と、続いた地方チェーンの買収","text":"2006年9月、3社の完全親会社としてＤＣＭ Ｊａｐａｎホールディングス株式会社が発足し、東京・大阪・名古屋の各市場第一部と札幌証券取引所に上場した。初代の代表取締役社長には前田勝敏氏が就いた。取締役会長には大亀孝裕氏、取締役相談役には鏡味順一郎氏と石黒靖尋氏が並び、3社の経営者がそのまま持株会社の役員に収まっている。久田宗弘氏は代表取締役副社長兼最高執行責任者として発足に加わり、社長に就くのは2007年5月である。久田氏は2001年7月にカーマへ顧問として入社し、2002年9月に同社社長となった。第1期は2006年9月から2007年2月までの6か月決算で営業収益1,936億円、2008年2月期は3,958億円となった。2009年9月には大阪・名古屋・札幌の3取引所の上場を廃止し、2010年6月に商号をＤＣＭホールディングス株式会社へ変更した。\n\n発足後の10年は地方チェーンの買収に費やされた。2007年12月に株式会社オージョイフルの全株式を取得し、2009年3月にダイキが吸収合併した。2008年6月にはダイキが株式会社ホームセンターサンコーを子会社化している。2015年7月に北海道の株式会社サンワドー、2016年12月に甲信の株式会社くろがねやを、いずれも株式交換で完全子会社化した。買うだけではない。2011年2月にはホーマックがディスカウントストアのダイレックス株式会社の株式を株式会社日立物流へ譲渡し、連結の外に出した。ホームセンター以外の業態を手放し、地域の店舗網を買い足すという整理である。買い集めた結果、2015年2月期のセグメント売上はＤＣＭホーマックが1,927億円、ＤＣＭカーマが1,321億円、ＤＣＭダイキが1,053億円となり、北海道が最大の稼ぎ手になった。\n\n規模を一気に広げる機会は、一度だけ手からこぼれている。2020年10月2日、ＤＣＭホールディングスは業界7位の島忠を完全子会社化すると発表した。1株4,200円で株式公開買い付けを行い、最大1,630億円を投じる計画で、両社の売上高を単純に足すと5,836億円となって首位のカインズを引き離す。同じころコーナン商事は建デポを、アークランドサカモトはＬＩＸＩＬビバを買っており、市場が4兆円前後で動かないまま店舗数だけが増える業界では、伸びしろが他社の店舗網を買い足すところにしか残っていなかった。だが11月にニトリホールディングスがより高い価格で対抗買収に参戦し、島忠はニトリの傘下に入った。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年10月24日号「カインズを抜いてトップに 「ＤＣＭ・島忠」連合の思惑」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年11月7日号「ニトリが島忠争奪戦に参戦 初の小売企業買収の好機」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ログミーファイナンス 2019年10月8日「DCMホールディングス、上期は経常益が増加するも減収し営業益減」（2020年2月期第2四半期決算説明会）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ＤＣＭ株式会社「店舗ロゴマークの変更、店名統一について」（2022年3月1日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1998年5月号「ケーヨー」（儘田公明専務取締役講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ログミーファイナンス 2017年10月10日「DCM、3-8月期は増収増益 サンワが収益改善により黒字化」（2018年2月期第2四半期決算説明会）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"data/3050/generated（有報XBRL・主要指標由来の財務・役員・セグメントCSV）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]}]},{"title":"1社に畳む前に人事とシステムを先に揃える","text":"店舗網は増えたが、既存店の売上は伸びなかった。2018年2月期上期の既存店売上高は前年同期比5.1パーセント減、2020年2月期上期も2.9パーセント減で、利益はプライベートブランドの構成比を16.8パーセントから22.1パーセントへ引き上げて確保していた。5社を1社にする工程は、合併より先に業務を揃えるところで動き出している。2019年10月の決算説明会で久田宗弘社長は、店舗業務のシステムをその年の9月に完全に統一し、従来のシステムを止めていると説明した。止める作業にも費用がかかり、並行して走る仕組みを一つずつ閉じているところだという。店舗オペレーションの統一もほぼ終わり、各社の間で店舗運営部長を1名、エリアマネージャーを2名、店長を4名ずつ入れ替えて配置してみたところ、問題なく回ることを確認したと述べている。合併の前に人を入れ替えて試すという順序である。\n\n人事制度も同じ手順を踏んだ。2021年3月の完全統一を前提に、旧事業会社の社員を同じ人事制度へ仮に貼り付け、自由に人事交流できる状態を先に作った。狙いは事業会社ごとに偏る人材を動かせるようにすることである。久田氏は、ダイキでは足りない部分の人材が余っている会社があるといった偏りをなくし、本当の意味での適材適所に配置できる体制が整うと説明した。組織の側では在庫管理部を置き、季節性の強い商品は本部から計画的に送り込む方式へ変えた。夏物と冬物それぞれ約1,000アイテムを一斉に投入する実験を済ませている。\n\n統合を仕上げる役は、北海道の事業会社を率いた人物に移った。2020年3月、2007年から社長を務めた久田宗弘氏が退き、石黒靖規氏が代表取締役社長兼ＣＯＯに就いた。石黒氏は1991年9月に石黒ホーマへ入社し、2011年3月にホーマック社長、2017年5月にＤＣＭホールディングス副社長兼ＣＯＯを務めた人物である。翌2021年3月、ホームセンター事業を移した分割準備会社を存続会社に立て、ＤＣＭカーマ、ＤＣＭダイキ、ＤＣＭホーマック、ＤＣＭサンワ、ＤＣＭくろがねやの5社をそこへ吸収合併して、ＤＣＭ株式会社が発足した。統合の決議から数えて15年半が経っている。地域ごとに分かれていた屋号の統一はこの時点では終わっておらず、店名とロゴをＤＣＭへ揃える方針が公表されたのは翌2022年3月、約510店の切り替えには2年をかけた。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年10月24日号「カインズを抜いてトップに 「ＤＣＭ・島忠」連合の思惑」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 2020年11月7日号「ニトリが島忠争奪戦に参戦 初の小売企業買収の好機」","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ログミーファイナンス 2019年10月8日「DCMホールディングス、上期は経常益が増加するも減収し営業益減」（2020年2月期第2四半期決算説明会）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ＤＣＭ株式会社「店舗ロゴマークの変更、店名統一について」（2022年3月1日）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"証券アナリストジャーナル 1998年5月号「ケーヨー」（儘田公明専務取締役講演要旨）","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"ログミーファイナンス 2017年10月10日「DCM、3-8月期は増収増益 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2019年10月8日「DCMホールディングス、上期は経常益が増加するも減収し営業益減」（2020年2月期第2四半期決算説明会）","paragraph":2}]},{"title":"ケーヨーを7年かけて完全子会社化する","text":"ケーヨーへは、資本を入れる前から商品が流れていた。2017年1月の資本業務提携で持分法適用関連会社としたのち、DCMホールディングスはケーヨーへプライベートブランドを供給し、2020年2月期上期にはその供給高が前年同期比15億7,700万円増の56億6,800万円となった。ナショナルブランドを合わせた商品供給高は347億4,100万円で、ケーヨーの仕入の92パーセントをDCMホールディングスが供給していた。同期末の店舗数はDCM側673店、ケーヨー175店で、合わせて848店の網になる。持分法投資損益も2020年2月期上期には2億6,700万円の利益に転じ、営業段階の減益を補って経常利益を押し上げた。\n\n提携から7年を経た2024年1月、DCMホールディングスはケーヨーの全株式を取得して完全子会社化し、同年9月にはＤＣＭ株式会社を存続会社としてケーヨーを吸収合併した。売上高は2024年2月期の4,813億円から2025年2月期に5,361億円へ増え、営業利益も332億円となった。連結従業員数は2024年2月期に4,955人へ増えたのち2025年2月期は4,646人で、臨時雇用者は1万1,739人を数える。買収は続いている。2022年3月にはネット通販のエクスプライス株式会社、2025年9月には静岡県を中心とする株式会社エンチョー、同年12月にはホームテック株式会社を子会社化した。\n\n3社が別々に強くなった理由は、地域の制約に合わせて売り方を作り替えたことにある。北海道の物流の不利は情報システムと物流センターへの投資を促し、四国の小さな商圏は取付工事つきの品揃えと園芸の売り場を生み、中部の平地は600坪の郊外店とローコスト経営を成り立たせた。単一の会社に畳む作業は、その差異を意図して捨てるものでもある。久田宗弘社長は2019年の説明会で、人口減少と所得水準の問題から店頭の売上は減る一方になるはずだと述べ、売り方と体質と収益性を変えて新しい事業に挑むと説明した。地域ごとの適応で伸びた会社が、その適応をやめる判断で次の規模を得ようとしている。","references":[{"title":"有価証券報告書","year":null,"month":null,"date":null,"url":null,"quotes":[]},{"title":"週刊東洋経済 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Ｊａｐａｎホールディングスは、初代社長にホーマック出身の前田勝敏氏、取締役会長にダイキの大亀孝裕氏を据え、カーマの鏡味順一郎氏と石黒ホーマの石黒靖尋氏が取締役相談役に並ぶ構成をとった。"},{"q":"なぜ15年も3社を並存させた末に、2021年に1社へ畳んだのか","a":"店舗数を増やしても既存店の売上が落ち続けるなら、地域ごとに作り込んだ売り方の違いは、そのまま仕入と在庫とシステムの重複費用に変わる。人口減少で店頭売上が減る前提に立てば、地域最適より全社最適が要る。ＤＣＭホールディングスは合併に先立って業務を揃え、2019年9月に店舗業務システムを統一し、店舗運営部長や店長を各社間で入れ替える実験で運営が回ることを確かめ、人事制度も仮に貼り替えた。2021年3月に5社を吸収合併してＤＣＭ株式会社を発足させ、店名とロゴを統一する方針は翌2022年3月に公表している。"}]}}