第1章 年〜年

ハウス食品グループ本社:浦上商店のホーム食品吸収とカレー粉の製造開始

1913年〜大阪・松屋町筋の薬種化学原料店と、白玉・中央・羽車のソース各社へ納めたカレー原料

浦上靖介氏は1913年11月、大阪市南区で薬種化学原料を扱う店を開業した。場所は大阪・松屋町筋、屋号は浦上商店。個人で営む商店として、薬種化学原料の販売から商いを始めた。浦上靖介氏は、のちのハウス食品工業の初代社長にあたる。ハウス食品グループ本社の源流は、食品を作る工場ではなく、原料を仕入れて卸す問屋にあった。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [1]1913年11月、先代社長の浦上靖介が大阪市南区で薬種化学原料店を開業した
  • インベストメント 24(4) 1971年8月「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
    • [2]1913年11月、故浦上靖介(初代社長)が大阪市南区に薬種化学原料店を創設した
    • [5]1913年11月、故浦上靖介(初代社長)が大阪市南区に薬種化学原料店を創設した
  • 日経ビジネス 1978年12月18日号
    • [3]1913年、浦上靖介が大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立した
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [4]前身は1913年に浦上靖介が創設した個人商店「浦上靖介商店」で、当初は薬種化学原料を販売した
    • [6]前身は1913年に浦上靖介が創設した個人商店「浦上靖介商店」で、当初は薬種化学原料を販売した

浦上靖介氏は創業当初、白玉ソース・中央ソース・羽車ソースの各メーカーにカレーの原料を納入した。浦上靖介氏の店の本業は、薬種化学原料の販売だった。2代社長の浦上郁夫氏は1971年、ソース各社への納入で生まれた縁が、のちのカレー粉の製造につながったと説明している。1913年の創立から13年後の1926年に、浦上靖介氏はホーム食品を吸収してカレー粉の製造に入った。ソース各社への納入を通じて、浦上靖介氏はカレー原料の需要と調合の実際を取引の内側から知ったとみられる。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [7]創立当初、白玉ソース・中央ソース・羽車ソースの各メーカーへカレーの原料を納入しており、その縁がカレー粉製造の第一歩につながった
    • [9]創立当初、白玉ソース・中央ソース・羽車ソースの各メーカーへカレーの原料を納入しており、その縁がカレー粉製造の第一歩につながった
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [8]当初は薬種化学原料の販売をしていた
  • 日経ビジネス 1978年12月18日号
    • [10]年表で1913年の創立に続き、1926年にホーム食品を吸収してカレー粉の製造を始めたと記す
参考文献[1]-[10]
  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [1]1913年11月、先代社長の浦上靖介が大阪市南区で薬種化学原料店を開業した
    • [7]創立当初、白玉ソース・中央ソース・羽車ソースの各メーカーへカレーの原料を納入しており、その縁がカレー粉製造の第一歩につながった
    • [9]創立当初、白玉ソース・中央ソース・羽車ソースの各メーカーへカレーの原料を納入しており、その縁がカレー粉製造の第一歩につながった
  • インベストメント 24(4) 1971年8月「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
    • [2]1913年11月、故浦上靖介(初代社長)が大阪市南区に薬種化学原料店を創設した
    • [5]1913年11月、故浦上靖介(初代社長)が大阪市南区に薬種化学原料店を創設した
  • 日経ビジネス 1978年12月18日号
    • [3]1913年、浦上靖介が大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立した
    • [10]年表で1913年の創立に続き、1926年にホーム食品を吸収してカレー粉の製造を始めたと記す
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [4]前身は1913年に浦上靖介が創設した個人商店「浦上靖介商店」で、当初は薬種化学原料を販売した
    • [6]前身は1913年に浦上靖介が創設した個人商店「浦上靖介商店」で、当初は薬種化学原料を販売した
    • [8]当初は薬種化学原料の販売をしていた

1926年〜ホーム食品の吸収で得た御厨の工場と、ハヤシライスで中国・四国・九州へ拡大した地盤

浦上靖介氏は1926年9月、個人経営のホーム食品を吸収し、香辛料の製造に参入した。工場は布施(現東大阪市御厨)に設け、カレー粉・コショー・唐辛子・七味の製造を始めた。社長の浦上郁夫氏は1971年の講演で、ソース各社へのカレー原料の納入で得た縁がホーム食品の吸収につながったと説明した。最初の製品の名は「ホーム・カレー」。御厨の工場は1971年時点でも東大阪工場として香辛料を主に生産しており、1926年に得た立地がその後も製造の拠点であり続けた。

  • インベストメント 24(4) 1971年8月「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
    • [11]1926年9月、ホーム食品を吸収し、カレー粉・コショー粉・唐辛子の香辛料製造を開始した
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [12]1926年に個人会社ホーム食品を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設け、カレー・コショー・唐辛子の製造販売を始めた
    • [13]1926年に個人会社ホーム食品を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設け、カレー・コショー・唐辛子の製造販売を始めた
  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [14]カレー原料納入の縁で1926年にホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・コショー・七味の製造を始め、「ホーム・カレー」の名で販売した
    • [15]カレー原料納入の縁で1926年にホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・コショー・七味の製造を始め、「ホーム・カレー」の名で販売した
    • [16]カレー原料納入の縁で1926年にホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・コショー・七味の製造を始め、「ホーム・カレー」の名で販売した
    • [17]カレー原料納入の縁で1926年にホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・コショー・七味の製造を始め、「ホーム・カレー」の名で販売した
  • 週刊日本経済 24(33) 1971年9月2日号
    • [18]香辛料の製造販売を始め、1971年時点で香辛料は主に東大阪工場で生産している

浦上靖介氏は1927年、カレーを「ハウスカレー」の名で発売した。改名の発端は、寿屋(現サントリー)が自社の商標と重なるとして名称の変更を申し入れたことである。新しい登録商標は、家の図の中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマーク。浦上郁夫氏は1971年の講演で、『製品の品質は従来となんら変つていないのに』名前を変えただけで売れ行きが良くなったと伝え聞いた話を紹介した。1930年10月には、個人商店から合名会社へ組織を改めた。合名会社化の後の商号は、浦上靖介商店とする資料と合名会社浦上商店とする資料があり、どちらかに定まらない。

  • 日経ビジネス 1978年12月18日号
    • [19]1927年にハウスカレーを発売し、1930年に合名会社組織へ移行して商号を「浦上靖介商店」とした
    • [23]1927年にハウスカレーを発売し、1930年に合名会社組織へ移行して商号を「浦上靖介商店」とした
    • [25]1927年にハウスカレーを発売し、1930年に合名会社組織へ移行して商号を「浦上靖介商店」とした
  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [20]寿屋(現サントリー)からブランド抵触を理由に変更を求められ「ハウス・カレー」に改め、家の図に「イン・エブリー・ハウス」と書いた商標で発売したところ売れ行きが良くなったと聞いている
    • [21]寿屋(現サントリー)からブランド抵触を理由に変更を求められ「ハウス・カレー」に改め、家の図に「イン・エブリー・ハウス」と書いた商標で発売したところ売れ行きが良くなったと聞いている
    • [22]寿屋(現サントリー)からブランド抵触を理由に変更を求められ「ハウス・カレー」に改め、家の図に「イン・エブリー・ハウス」と書いた商標で発売したところ売れ行きが良くなったと聞いている
  • インベストメント 24(4) 1971年8月「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
    • [24]1930年10月、合名会社浦上商店に組織を変更した
    • [26]1930年10月、合名会社浦上商店に組織を変更した

浦上靖介氏は1926年の参入後、ハウスカレーの売り先を関西から中国・四国・九州へ順に広げた。参入時の関西には「メタル・カレー」「蜂カレー」「月美人カレー」があり、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋といった先発メーカーが多かった。浦上郁夫氏は1971年の講演で、創業期の会社が先発各社の間で苦しい競争を強いられたと振り返った。浦上靖介氏は1934年にハヤシライスを発売し、カレーの他に品目を加えた。「ハウス」の商標は戦前から使い続け、戦後の1949年には商号にも取り入れた。先発の多い関東を避けて関西から西へ販路を延ばした道筋は、改名後の商標の売れ行きを足場にした選択だったと思われる。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [27]関西に既にメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にノーブル商会やエスビー・カレーの東屋などの先発が多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心に中国・四国・九州に地盤を築いた
    • [28]関西に既にメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にノーブル商会やエスビー・カレーの東屋などの先発が多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心に中国・四国・九州に地盤を築いた
    • [29]関西に既にメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にノーブル商会やエスビー・カレーの東屋などの先発が多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心に中国・四国・九州に地盤を築いた
  • 日経ビジネス 1978年12月18日号
    • [30]1934年にハヤシライスを発売した
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [31]1949年、戦前から使用していたブランドを商号に取り入れ、ハウスカレー浦上商店に商号を変更した
参考文献[11]-[31]
  • インベストメント 24(4) 1971年8月「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
    • [11]1926年9月、ホーム食品を吸収し、カレー粉・コショー粉・唐辛子の香辛料製造を開始した
    • [24]1930年10月、合名会社浦上商店に組織を変更した
    • [26]1930年10月、合名会社浦上商店に組織を変更した
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [12]1926年に個人会社ホーム食品を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設け、カレー・コショー・唐辛子の製造販売を始めた
    • [13]1926年に個人会社ホーム食品を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設け、カレー・コショー・唐辛子の製造販売を始めた
    • [31]1949年、戦前から使用していたブランドを商号に取り入れ、ハウスカレー浦上商店に商号を変更した
  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [14]カレー原料納入の縁で1926年にホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・コショー・七味の製造を始め、「ホーム・カレー」の名で販売した
    • [15]カレー原料納入の縁で1926年にホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・コショー・七味の製造を始め、「ホーム・カレー」の名で販売した
    • [16]カレー原料納入の縁で1926年にホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・コショー・七味の製造を始め、「ホーム・カレー」の名で販売した
    • [17]カレー原料納入の縁で1926年にホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設けてカレー粉・コショー・七味の製造を始め、「ホーム・カレー」の名で販売した
    • [20]寿屋(現サントリー)からブランド抵触を理由に変更を求められ「ハウス・カレー」に改め、家の図に「イン・エブリー・ハウス」と書いた商標で発売したところ売れ行きが良くなったと聞いている
    • [21]寿屋(現サントリー)からブランド抵触を理由に変更を求められ「ハウス・カレー」に改め、家の図に「イン・エブリー・ハウス」と書いた商標で発売したところ売れ行きが良くなったと聞いている
    • [22]寿屋(現サントリー)からブランド抵触を理由に変更を求められ「ハウス・カレー」に改め、家の図に「イン・エブリー・ハウス」と書いた商標で発売したところ売れ行きが良くなったと聞いている
    • [27]関西に既にメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にノーブル商会やエスビー・カレーの東屋などの先発が多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心に中国・四国・九州に地盤を築いた
    • [28]関西に既にメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にノーブル商会やエスビー・カレーの東屋などの先発が多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心に中国・四国・九州に地盤を築いた
    • [29]関西に既にメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にノーブル商会やエスビー・カレーの東屋などの先発が多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心に中国・四国・九州に地盤を築いた
  • 週刊日本経済 24(33) 1971年9月2日号
    • [18]香辛料の製造販売を始め、1971年時点で香辛料は主に東大阪工場で生産している
  • 日経ビジネス 1978年12月18日号
    • [19]1927年にハウスカレーを発売し、1930年に合名会社組織へ移行して商号を「浦上靖介商店」とした
    • [23]1927年にハウスカレーを発売し、1930年に合名会社組織へ移行して商号を「浦上靖介商店」とした
    • [25]1927年にハウスカレーを発売し、1930年に合名会社組織へ移行して商号を「浦上靖介商店」とした
    • [30]1934年にハヤシライスを発売した

1935年〜カレー原料の統制と兵役で止まった生産と、空襲で焼けた事業所から布施市の工場への移転

第二次大戦が進むと、カレーの原料は統制品となり、浦上靖介商店は原料を入手できなくなった。原料が手に入らないまま、浦上靖介商店は戦中から戦後にかけて操業を一時止めた。関西から中国・四国・九州へ広げた地盤は、売る製品を作れないまま戦時を迎えた。カレー粉の原料となる香辛料の多くは輸入に依存しており、戦時の統制の影響を強く受けたと推察される。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [32]第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制となり、入手困難となった
    • [35]第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制となり、入手困難となった
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [33]戦中戦後は原料の入手難から一時操業を停止した
  • 週刊日本経済 24(33) 1971年9月2日号
    • [34]戦中戦後は原料の入手難から一時操業停止を余儀なくされた

原料難に加えて、男子従業員が兵役に召集され、浦上靖介商店は人手不足に陥った。原料と人手の両方を欠いた結果、浦上靖介商店は生産活動を中絶した。中断の期間は戦中だけでなく、戦後にまでわたる。1926年9月に御厨の工場で始めた香辛料の製造は、戦時の統制と兵役で途絶えた。原料の統制と従業員の召集が同時に進んだ以上、個人経営に近い規模の食品業者には操業を続ける手段が残らなかったのだろう。

  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [36]男子従業員が兵役に徴収されて人手不足となり、原料難と重なって生産活動を中絶した
    • [37]男子従業員が兵役に徴収されて人手不足となり、原料難と重なって生産活動を中絶した
    • [39]男子従業員が兵役に徴収されて人手不足となり、原料難と重なって生産活動を中絶した
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [38]戦中戦後は原料の入手難から一時操業を停止した
  • インベストメント 24(4) 1971年8月「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
    • [40]1926年9月にホーム食品を吸収して香辛料の製造を開始した

1945年、浦上靖介商店の事業所は空襲で焼失し、布施市の工場内へ移転した。布施の工場は、1926年のホーム食品の吸収の際に設けたものである。浦上靖介氏は1947年6月、株式会社浦上糧食工業所を設立し、株式会社組織に改めて再出発を図った。本店は1971年時点でも東大阪市御厨に置かれ、戦時に移った工場の所在地がそのまま会社の中心となった。1952年頃に原料資材の統制が解除されると、インスタントカレーの製造販売を再開した。1945年に工場へ本拠を移したことで、戦後の製造再開を同じ土地から始める条件が整ったと考えられる。

  • 日経ビジネス 1978年12月18日号
    • [41]1945年、空襲により事業所が焼失し、布施市の工場内に移転した
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [42]1926年に布施市に工場を設置し、1947年に株式会社組織に改組して再出発を図った
    • [43]1926年に布施市に工場を設置し、1947年に株式会社組織に改組して再出発を図った
  • インベストメント 24(4) 1971年8月「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
    • [44]1947年6月に株式会社浦上糧食工業所に組織を変更し、1971年時点の本店所在地は東大阪市御厨227番地
    • [45]1947年6月に株式会社浦上糧食工業所に組織を変更し、1971年時点の本店所在地は東大阪市御厨227番地
  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [46]1952年頃より諸原料資材の統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開した
参考文献[32]-[46]
  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
    • [32]第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制となり、入手困難となった
    • [35]第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制となり、入手困難となった
    • [36]男子従業員が兵役に徴収されて人手不足となり、原料難と重なって生産活動を中絶した
    • [37]男子従業員が兵役に徴収されて人手不足となり、原料難と重なって生産活動を中絶した
    • [39]男子従業員が兵役に徴収されて人手不足となり、原料難と重なって生産活動を中絶した
    • [46]1952年頃より諸原料資材の統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開した
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)
    • [33]戦中戦後は原料の入手難から一時操業を停止した
    • [38]戦中戦後は原料の入手難から一時操業を停止した
    • [42]1926年に布施市に工場を設置し、1947年に株式会社組織に改組して再出発を図った
    • [43]1926年に布施市に工場を設置し、1947年に株式会社組織に改組して再出発を図った
  • 週刊日本経済 24(33) 1971年9月2日号
    • [34]戦中戦後は原料の入手難から一時操業停止を余儀なくされた
  • インベストメント 24(4) 1971年8月「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
    • [40]1926年9月にホーム食品を吸収して香辛料の製造を開始した
    • [44]1947年6月に株式会社浦上糧食工業所に組織を変更し、1971年時点の本店所在地は東大阪市御厨227番地
    • [45]1947年6月に株式会社浦上糧食工業所に組織を変更し、1971年時点の本店所在地は東大阪市御厨227番地
  • 日経ビジネス 1978年12月18日号
    • [41]1945年、空襲により事業所が焼失し、布施市の工場内に移転した

出典・参考

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出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 1971年7月(浦上郁夫社長講演要旨)
  • 週刊日本経済 24(33) 1971年9月2日号
  • 日経ビジネス 1978年12月18日号
  • インベストメント 24(4) 1971年8月「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
  • 証券 1971年(新規上場会社紹介)

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