浦上靖介
経歴1902〜1966年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1902年主要役職の状況(推定含む目安)1966年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 大阪・船場の薬種問屋 | 1902 | 入社 | ||
| 浦上商店(個人商店、1930年に合名会社) | 1913 | 創業 | |||
| 1930 | 合名会社浦上商店に組織を変更 | ||||
| 浦上糧食工業所(1949年ハウスカレー浦上商店、1960年ハウス食品工業) | 1947 | 設立 | |||
| 1966 | 死去 |
創業ストーリー
創業ストーリー
浦上靖介氏は1892年、徳島で5人兄弟の末っ子として生まれた。1902年から大阪・船場の薬種問屋で10年間の奉公を務め、商いの基礎を身につけた。
- ハウス食品「株主の皆様へ」(ハウス食品, 2014年)特集 創業100周年「創業のストーリー」
- [1]1892年、創業者・浦上靖介は徳島で5人兄弟の末っ子として誕生、1902年から大阪船場の薬種問屋で10年間奉公し、大阪商人としての心構えや商売の基礎を仕込まれた。1913年に現在の大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立した。1921年頃には瓶詰カレー粉の委託販売をきっかけに本格的なカレー粉の研究に没頭し始めた。当時副社長だった浦上郁夫は、大人から子供までいっしょに食べられるマイルドなカレーを発売したいと考え、1年6カ月におよぶ研究の末、1963年にバーモントカレーが誕生した
- [2]1892年、創業者・浦上靖介は徳島で5人兄弟の末っ子として誕生、1902年から大阪船場の薬種問屋で10年間奉公し、大阪商人としての心構えや商売の基礎を仕込まれた。1913年に現在の大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立した。1921年頃には瓶詰カレー粉の委託販売をきっかけに本格的なカレー粉の研究に没頭し始めた。当時副社長だった浦上郁夫は、大人から子供までいっしょに食べられるマイルドなカレーを発売したいと考え、1年6カ月におよぶ研究の末、1963年にバーモントカレーが誕生した
1913年11月、大阪市南区の松屋町筋で薬種化学原料店「浦上商店」を開業した。個人の商店として、薬種化学原料の販売から商いを始めている。創立当初は白玉ソース・中央ソース・羽車ソースといったソースのメーカーへ、カレーの原料を納めていた。1921年頃には瓶詰カレー粉の委託販売をきっかけに、カレー粉そのものの研究に取り組み始めた。
- 日経ビジネス 1978年12月18日号
- [3]1913(大正2)浦上靖介氏(前社長)、大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立。1930(昭和5)合名会社組織に移行。1934(昭和9)ハヤシライスを発売。1945年 空襲により事業所が焼失し布施市の工場内に移転。1966(昭和41)浦上靖介社長が死去、新社長に浦上郁夫氏が就任
- インベストメント 24巻4号(1971年8月)「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
- [4]大正2年11月 故浦上靖介(初代社長)が薬種化学原料店(大阪市南区)を創設。大正15年9月 ホーム食品を吸収しカレー粉、コショー粉、唐辛子等の香辛料の製造を開始。昭和5年10月 合名会社浦上商店に組織を変更。昭和22年6月 (株)浦上糧食工業所に組織を変更。昭和24年1月 (株)ハウスカレー浦上商店と商号変更
- 証券 1971年23巻7号(新規上場会社紹介)
- [5]昭和22年6月に(株)浦上糧食工業所として設立されたが、前身は大正2年に浦上靖介氏(前社長)が創設した個人商店浦上靖介商店。当初は薬種化学原料の販売をしていたが、大正15年にホーム食品(個人会社)を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設置してカレー、コショー、唐辛子等の香辛料の製造販売を開始した。昭和22年、株式会社組織に改組し再出発を図った。昭和24年に戦前から使用していたブランドを商号に取り入れ㈱ハウスカレー浦上商店に商号変更し、昭和35年に現商号のハウス食品工業(株)に変更した。昭和35年印度カレー、昭和38年バーモントカレーを発売
- 証券アナリストジャーナル 1971年9巻7号(浦上郁夫社長講演要旨)
- [6]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- ハウス食品「株主の皆様へ」(ハウス食品, 2014年)特集 創業100周年「創業のストーリー」
- [7]1892年、創業者・浦上靖介は徳島で5人兄弟の末っ子として誕生、1902年から大阪船場の薬種問屋で10年間奉公し、大阪商人としての心構えや商売の基礎を仕込まれた。1913年に現在の大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立した。1921年頃には瓶詰カレー粉の委託販売をきっかけに本格的なカレー粉の研究に没頭し始めた。当時副社長だった浦上郁夫は、大人から子供までいっしょに食べられるマイルドなカレーを発売したいと考え、1年6カ月におよぶ研究の末、1963年にバーモントカレーが誕生した
1926年9月、個人経営のホーム食品を吸収し、布施(現東大阪市御厨)に工場を設けて、カレー粉・コショー・唐辛子・七味などの香辛料の製造に入った。原料を仕入れて卸す問屋から、自ら製造して販売する側への転換である。製品は当初「ホーム・カレー」の名で売ったが、寿屋(現サントリー)から自社の商標に抵触するとの申し入れを受けた。そこで家の図に「イン・エブリー・ハウス」と記した商標の「ハウス・カレー」に改めた。2代社長の浦上郁夫氏は1971年の講演で、品質は同じでも名前を変えただけで売れ行きが良くなったと伝え聞いた話を紹介している。
- 証券アナリストジャーナル 1971年9巻7号(浦上郁夫社長講演要旨)
- [8]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- [12]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- [13]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- [14]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- 証券 1971年23巻7号(新規上場会社紹介)
- [9]昭和22年6月に(株)浦上糧食工業所として設立されたが、前身は大正2年に浦上靖介氏(前社長)が創設した個人商店浦上靖介商店。当初は薬種化学原料の販売をしていたが、大正15年にホーム食品(個人会社)を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設置してカレー、コショー、唐辛子等の香辛料の製造販売を開始した。昭和22年、株式会社組織に改組し再出発を図った。昭和24年に戦前から使用していたブランドを商号に取り入れ㈱ハウスカレー浦上商店に商号変更し、昭和35年に現商号のハウス食品工業(株)に変更した。昭和35年印度カレー、昭和38年バーモントカレーを発売
- [11]昭和22年6月に(株)浦上糧食工業所として設立されたが、前身は大正2年に浦上靖介氏(前社長)が創設した個人商店浦上靖介商店。当初は薬種化学原料の販売をしていたが、大正15年にホーム食品(個人会社)を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設置してカレー、コショー、唐辛子等の香辛料の製造販売を開始した。昭和22年、株式会社組織に改組し再出発を図った。昭和24年に戦前から使用していたブランドを商号に取り入れ㈱ハウスカレー浦上商店に商号変更し、昭和35年に現商号のハウス食品工業(株)に変更した。昭和35年印度カレー、昭和38年バーモントカレーを発売
- インベストメント 24巻4号(1971年8月)「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
- [10]大正2年11月 故浦上靖介(初代社長)が薬種化学原料店(大阪市南区)を創設。大正15年9月 ホーム食品を吸収しカレー粉、コショー粉、唐辛子等の香辛料の製造を開始。昭和5年10月 合名会社浦上商店に組織を変更。昭和22年6月 (株)浦上糧食工業所に組織を変更。昭和24年1月 (株)ハウスカレー浦上商店と商号変更
当時の関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にはエスビー・カレーの東屋などの先発メーカーが多く、創業期の競争は厳しかった。そのなかで関西を足場に、中国・四国・九州へと販売の地盤を広げた。1930年10月には合名会社に組織を改め、1934年にハヤシライスを発売した。第二次大戦が進むとカレーの原料が統制品となり、男子従業員の兵役も重なって、生産は中断に追い込まれた。1945年には空襲で事業所を失い、布施の工場内へ移った。
- 証券アナリストジャーナル 1971年9巻7号(浦上郁夫社長講演要旨)
- [15]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- [16]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- [19]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- 日経ビジネス 1978年12月18日号
- [17]1913(大正2)浦上靖介氏(前社長)、大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立。1930(昭和5)合名会社組織に移行。1934(昭和9)ハヤシライスを発売。1945年 空襲により事業所が焼失し布施市の工場内に移転。1966(昭和41)浦上靖介社長が死去、新社長に浦上郁夫氏が就任
- [20]1913(大正2)浦上靖介氏(前社長)、大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立。1930(昭和5)合名会社組織に移行。1934(昭和9)ハヤシライスを発売。1945年 空襲により事業所が焼失し布施市の工場内に移転。1966(昭和41)浦上靖介社長が死去、新社長に浦上郁夫氏が就任
- インベストメント 24巻4号(1971年8月)「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
- [18]大正2年11月 故浦上靖介(初代社長)が薬種化学原料店(大阪市南区)を創設。大正15年9月 ホーム食品を吸収しカレー粉、コショー粉、唐辛子等の香辛料の製造を開始。昭和5年10月 合名会社浦上商店に組織を変更。昭和22年6月 (株)浦上糧食工業所に組織を変更。昭和24年1月 (株)ハウスカレー浦上商店と商号変更
1947年6月、株式会社浦上糧食工業所を設立して再出発し、浦上靖介氏が初代社長となった。1949年1月には戦前から使ってきた「ハウス」の名を商号に取り入れ、ハウスカレー浦上商店と改めた。原料資材の統制が解けた1952年頃にインスタントカレーの製造販売を再開したが、国内市場は先に生産を始めたエスビー食品が押さえていた。そこで純カレーではなく即席カレーの分野に力を注ぎ、食生活の洋風化と簡便化の流れに乗った。1960年には商号をハウス食品工業へ改め、初の固形ルウカレー「印度カレー」を発売した。1963年には副社長の浦上郁夫氏のもとで「バーモントカレー」が誕生した。浦上靖介氏は1966年に社長在任のまま死去し、浦上郁夫氏が新社長に就任した。
- 証券 1971年23巻7号(新規上場会社紹介)
- [21]昭和22年6月に(株)浦上糧食工業所として設立されたが、前身は大正2年に浦上靖介氏(前社長)が創設した個人商店浦上靖介商店。当初は薬種化学原料の販売をしていたが、大正15年にホーム食品(個人会社)を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設置してカレー、コショー、唐辛子等の香辛料の製造販売を開始した。昭和22年、株式会社組織に改組し再出発を図った。昭和24年に戦前から使用していたブランドを商号に取り入れ㈱ハウスカレー浦上商店に商号変更し、昭和35年に現商号のハウス食品工業(株)に変更した。昭和35年印度カレー、昭和38年バーモントカレーを発売
- [23]昭和22年6月に(株)浦上糧食工業所として設立されたが、前身は大正2年に浦上靖介氏(前社長)が創設した個人商店浦上靖介商店。当初は薬種化学原料の販売をしていたが、大正15年にホーム食品(個人会社)を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設置してカレー、コショー、唐辛子等の香辛料の製造販売を開始した。昭和22年、株式会社組織に改組し再出発を図った。昭和24年に戦前から使用していたブランドを商号に取り入れ㈱ハウスカレー浦上商店に商号変更し、昭和35年に現商号のハウス食品工業(株)に変更した。昭和35年印度カレー、昭和38年バーモントカレーを発売
- [27]昭和22年6月に(株)浦上糧食工業所として設立されたが、前身は大正2年に浦上靖介氏(前社長)が創設した個人商店浦上靖介商店。当初は薬種化学原料の販売をしていたが、大正15年にホーム食品(個人会社)を吸収合併し、布施市(現東大阪市)に工場を設置してカレー、コショー、唐辛子等の香辛料の製造販売を開始した。昭和22年、株式会社組織に改組し再出発を図った。昭和24年に戦前から使用していたブランドを商号に取り入れ㈱ハウスカレー浦上商店に商号変更し、昭和35年に現商号のハウス食品工業(株)に変更した。昭和35年印度カレー、昭和38年バーモントカレーを発売
- インベストメント 24巻4号(1971年8月)「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
- [22]大正2年11月 故浦上靖介(初代社長)が薬種化学原料店(大阪市南区)を創設。大正15年9月 ホーム食品を吸収しカレー粉、コショー粉、唐辛子等の香辛料の製造を開始。昭和5年10月 合名会社浦上商店に組織を変更。昭和22年6月 (株)浦上糧食工業所に組織を変更。昭和24年1月 (株)ハウスカレー浦上商店と商号変更
- [24]大正2年11月 故浦上靖介(初代社長)が薬種化学原料店(大阪市南区)を創設。大正15年9月 ホーム食品を吸収しカレー粉、コショー粉、唐辛子等の香辛料の製造を開始。昭和5年10月 合名会社浦上商店に組織を変更。昭和22年6月 (株)浦上糧食工業所に組織を変更。昭和24年1月 (株)ハウスカレー浦上商店と商号変更
- 証券アナリストジャーナル 1971年9巻7号(浦上郁夫社長講演要旨)
- [25]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- [26]創立当初、白玉ソース、中央ソース、羽車ソースなどの各メーカーへカレーの原料を納入していた縁で、大正15年に個人経営のホーム食品を吸収し、東大阪市御厨に工場を設置してカレー粉、コショー、七味等の香辛料の製造を開始した。「ホーム・カレー」のブランドで販売していたが、寿屋(現サントリー)から同社のブランドに抵触するので変更してほしいとの申し入れがあり、「ハウス・カレー」と変更し、家の図中に「イン・エブリー・ハウス」と書いたマークで発売したところ、品質は変わっていないのにブランドを変えただけで売れ行きがよくなったと聞いている。関西にはメタル・カレー、蜂カレー、月美人カレー、関東にもノーブル商会やエスビー・カレーの東屋など先発メーカーが多数あり悪戦苦闘したが、次第に関西を中心として中国、四国、九州方面に地盤を築いた。第二次大戦の進展に伴いカレーの原料が統制になり、男子従業員の兵役もあって生産活動中絶のやむなきに至った。昭和27年頃より統制解除に伴いインスタント・カレーの製造販売を再開したが、市場はエスビー・カレー一色であった。そこで純カレーよりも即席カレーの分野に力をそそぎ、食生活の洋風化と簡便化の波に乗った
- ハウス食品グループ本社 公式サイト「沿革」
- [28]1960年 会社名をハウス食品工業株式会社へ改称。1960年 ハウス初の固形ルウカレー「印度カレー」を発売
- ハウス食品「株主の皆様へ」(ハウス食品, 2014年)特集 創業100周年「創業のストーリー」
- [29]1892年、創業者・浦上靖介は徳島で5人兄弟の末っ子として誕生、1902年から大阪船場の薬種問屋で10年間奉公し、大阪商人としての心構えや商売の基礎を仕込まれた。1913年に現在の大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立した。1921年頃には瓶詰カレー粉の委託販売をきっかけに本格的なカレー粉の研究に没頭し始めた。当時副社長だった浦上郁夫は、大人から子供までいっしょに食べられるマイルドなカレーを発売したいと考え、1年6カ月におよぶ研究の末、1963年にバーモントカレーが誕生した
- 日経ビジネス 1978年12月18日号
- [30]1913(大正2)浦上靖介氏(前社長)、大阪・松屋町筋に薬種化学原料店「浦上商店」を創立。1930(昭和5)合名会社組織に移行。1934(昭和9)ハヤシライスを発売。1945年 空襲により事業所が焼失し布施市の工場内に移転。1966(昭和41)浦上靖介社長が死去、新社長に浦上郁夫氏が就任
参考文献4件
参考文献
- ハウス食品「株主の皆様へ」(ハウス食品, 2014年)特集 創業100周年「創業のストーリー」
- ハウス食品「Corporate Guide 2013」(ハウス食品, 2013年)会社の歩み
- 日経ビジネス 1978年12月18日号「ハウス食品工業 新製品によるあくなき成長にも転機」年表
- インベストメント 24巻4号(1971年8月)「新規上場会社紹介――ハウス食品工業(株)」
事実根拠:出所(ハウス食品グループ本社)