ケンコーマヨネーズ の歴史

更新:

創業

1952年

母体

食用油販売(有限会社森本商店)

創業地

兵庫県神戸市

直近売上高(2026/3)

924億円

長期業績の推移 1950〜2026年
ケンコーマヨネーズ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

設立ストーリー 会社設立の経緯

1952年〜 ケンコー・マヨネーズの経営権取得から業務用シェア5割まで

森本商店の食用油から業務用サラダ向けマヨネーズへ

ケンコーマヨネーズの前身は、1952年3月に設立された有限会社森本商店であるが、その創業については不明な点が多い。森本商店は1958年3月に森本油脂株式会社へ組織変更し、サラダ油の製造からマヨネーズの製造へ事業を拡張した。1961年9月には業務用サラダ向けの「ケンコーマヨネーズAS」を発売し、同時に食用油の販売を中止。1966年6月にケンコー・マヨネーズ株式会社へ商号変更し、1967年10月に神戸市灘区へ神戸工場を新設して本社を移転した森本商店と森本油脂を興した創業者については名を伝える資料が無く、創業者は不明である。このため、ケンコーマヨネーズの創業期には不明な点が多い。

  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [1]1952年3月、当社の前身である有限会社森本商店を設立した。
    • [2]1958年3月、森本油脂株式会社に組織変更した。
    • [4]1961年9月、業務用サラダ向マヨネーズ「ケンコーマヨネーズAS」の製造販売を開始し、食用油販売を中止した。
    • [5]1966年6月、ケンコー・マヨネーズ株式会社に商号変更した。
    • [6]1967年10月、神戸市灘区に神戸工場を新設し、本社を移転した。
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
    • [3]前身の森本油脂はサラダ油製造からマヨネーズを手がけた。

ケンコー・マヨネーズの特色は、家庭用ではなく業務用(BtoB)のマヨネーズに販路を絞って出発した点に集約される。1970年代末のマヨネーズ市場は、キユーピー味の素の2社で9割以上を占める寡占市場だった。発足当初のケンコー・マヨネーズには、先行メーカーのブランドが並ぶ家庭用の売り場へ参入する販売力が無く、家庭用の市場でのシェア奪還は難しい状況にあった。これに対して業務用の取引は知名度よりも、味やコストの優劣で決まり、仕入れや調理の担当者が製品を直に試食して採否を判断することが購買行動につながった。1979年時点におけるケンコー・マヨネーズの得意先は、サラダを売る惣菜店、調理パン工場、ホテル、レストランといった食味を自ら評価する業務用が大半を占めた『名前だけでは商売ができない』市場を選んだことで、知名度で劣る後発のケンコー・マヨネーズは食味の優劣で大手2社と競合できた。

  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
    • [7]一般家庭用のマヨネーズではなく、スタートの段階から業務用製品に絞ってきた。
  • 矢野経済研究所『食品産業白書 1979年版 業界動向編』矢野経済研究所, 1979年
    • [8]マヨネーズ市場はキユーピー、味の素の2大メーカーで9割以上を占める有数の寡占市場である(1979年版)。
  • 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
    • [9]発足当初は既成の市販市場になかなか入っていけず、比較的参入しやすいのが業務用市場だった。
    • [10]業務用の世界は知名度よりもうまいかまずいかが基本の勝負で、商品を直接持っていき仕入れや調理の担当者に判断してもらえる。
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
    • [11]得意先はサラダを売るおかず屋、調理パン工場、ホテル、レストランなどプロが大半で、それぞれ味に一家言を持つ。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [1]1952年3月、当社の前身である有限会社森本商店を設立した。
    • [2]1958年3月、森本油脂株式会社に組織変更した。
    • [4]1961年9月、業務用サラダ向マヨネーズ「ケンコーマヨネーズAS」の製造販売を開始し、食用油販売を中止した。
    • [5]1966年6月、ケンコー・マヨネーズ株式会社に商号変更した。
    • [6]1967年10月、神戸市灘区に神戸工場を新設し、本社を移転した。
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
    • [3]前身の森本油脂はサラダ油製造からマヨネーズを手がけた。
    • [11]得意先はサラダを売るおかず屋、調理パン工場、ホテル、レストランなどプロが大半で、それぞれ味に一家言を持つ。
  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
    • [7]一般家庭用のマヨネーズではなく、スタートの段階から業務用製品に絞ってきた。
  • 矢野経済研究所『食品産業白書 1979年版 業界動向編』矢野経済研究所, 1979年
    • [8]マヨネーズ市場はキユーピー、味の素の2大メーカーで9割以上を占める有数の寡占市場である(1979年版)。
  • 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
    • [9]発足当初は既成の市販市場になかなか入っていけず、比較的参入しやすいのが業務用市場だった。
    • [10]業務用の世界は知名度よりもうまいかまずいかが基本の勝負で、商品を直接持っていき仕入れや調理の担当者に判断してもらえる。

松生睦氏による1970年の経営権取得と惣菜店の開拓

松生睦氏は35歳でケンコー・マヨネーズに招聘され、1970年に経営権を買い取った具体的な経緯は不明だが、ケンコー・マヨネーズの実質的な創業者に当たる。松生睦氏は千葉県の出身で、1959年に東京水産大学を卒業松生睦氏が社長に就任した1970年時点の年商は、3億円台であり、神戸に拠点を置く食品の中小企業であった。松生睦氏の社長就任とともに、1970年11月、ケンコー・マヨネーズは業務用マヨネーズの事業に集中する方針をとり、専門メーカーへ転換松生睦社長は近代経営への移行を掲げ、企業体質の転換を最優先の経営課題に据えた松生睦氏がのちに『実質創業で再スタート』と振り返る1970年を境に、ケンコー・マヨネーズは食品メーカーから、業務用に特化したマヨネーズ専業メーカーへ業態転換した。

  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
    • [12]松生社長は35歳の時に同社にスカウトされ、1970年に経営権を買い取った。
    • [13]松生睦社長は1959年東京水産大卒、千葉県出身。
    • [16]松生社長は近代経営をめざし、同社の企業体質を転換させるのに全力を注いだ。
  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
    • [14]本格的な事業展開を始めたのは松生睦氏が社長に就任した1970年からで、就任時の売上は3億円台だった。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [15]1970年11月、業務用マヨネーズ専門メーカーとなった。

松生睦氏が最初に開拓した顧客は、神戸と関西の煮豆・佃煮店だった。1970年当時の煮豆・佃煮は、食の洋風化で需要が頭打ちになり始めた。そこで、松生睦氏は、惣菜の需要がサラダを中心とする洋風惣菜へ移ると判断。営業担当は煮豆・佃煮店を毎日訪ね、サラダの作り方、配合、原価、陳列方法までを提案して自社のマヨネーズを拡販した。ケンコー・マヨネーズは製品仕様も、そうした惣菜の製造に最も適合するよう改良することで顧客からの深楽を確保。1970年代末には販売先が製パン業者、レストラン、給食センターへ広がり、営業担当が訪問先でサンドイッチやサラダを調理して試食することで顧客に訴求。この提案営業でマヨネーズの新たな需要を開拓し、競合メーカーの取引先も獲得したケンコー・マヨネーズが売ったのは調味料そのものではなく、マヨネーズを使う惣菜の献立であり、ソリューションを含めた営業活動に特色があった。

  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
    • [17]神戸・関西方面を中心に、煮豆・佃煮屋(今でいう惣菜屋)に向けて業務用製品をつくることから始めた。
    • [18]1970年当時、煮豆・佃煮は食の洋風化に伴って伸び悩みをみせ始めていた。
    • [19]今後の惣菜は洋風化し、煮豆・佃煮のタイプではなくサラダを中心にした洋風惣菜のほうがよいと考えた。
    • [20]煮豆・佃煮屋を対象に、サラダのつくり方・配合・原価・目立つ陳列を示し、マヨネーズは当社製品を使ってほしいと毎日紹介して回った。
    • [21]製品自体も、そうした惣菜をつくるのに一番適するよう改良・開発した。
  • 矢野経済研究所『食品産業白書 1979年版 業界動向編』矢野経済研究所, 1979年
    • [22]販売対象は惣菜屋をはじめパン屋、レストラン、給食センターなどで、一軒一軒歩き回り、自社で作ったサンドイッチやサラダを食べさせ、営業マン自身が訪問先で調理をして見せた。
    • [23]地道な努力によって新たなマヨネーズ需要を開拓するとともに、他のメーカーの取引先を奪ってきた。
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
    • [12]松生社長は35歳の時に同社にスカウトされ、1970年に経営権を買い取った。
    • [13]松生睦社長は1959年東京水産大卒、千葉県出身。
    • [16]松生社長は近代経営をめざし、同社の企業体質を転換させるのに全力を注いだ。
  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
    • [14]本格的な事業展開を始めたのは松生睦氏が社長に就任した1970年からで、就任時の売上は3億円台だった。
    • [17]神戸・関西方面を中心に、煮豆・佃煮屋(今でいう惣菜屋)に向けて業務用製品をつくることから始めた。
    • [18]1970年当時、煮豆・佃煮は食の洋風化に伴って伸び悩みをみせ始めていた。
    • [19]今後の惣菜は洋風化し、煮豆・佃煮のタイプではなくサラダを中心にした洋風惣菜のほうがよいと考えた。
    • [20]煮豆・佃煮屋を対象に、サラダのつくり方・配合・原価・目立つ陳列を示し、マヨネーズは当社製品を使ってほしいと毎日紹介して回った。
    • [21]製品自体も、そうした惣菜をつくるのに一番適するよう改良・開発した。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [15]1970年11月、業務用マヨネーズ専門メーカーとなった。
  • 矢野経済研究所『食品産業白書 1979年版 業界動向編』矢野経済研究所, 1979年
    • [22]販売対象は惣菜屋をはじめパン屋、レストラン、給食センターなどで、一軒一軒歩き回り、自社で作ったサンドイッチやサラダを食べさせ、営業マン自身が訪問先で調理をして見せた。
    • [23]地道な努力によって新たなマヨネーズ需要を開拓するとともに、他のメーカーの取引先を奪ってきた。

業界初のロングライフサラダと業務用マヨネーズのシェア5割

惣菜店の次に開拓対象としたのは、食パンを使うサンドイッチと調理パンの市場だった。サラダや卵は劣化と腐敗が速く、春から夏にかけてはパンの具材に使えなかった。マヨネーズは加熱や防腐剤なしでも日持ちするため、ケンコー・マヨネーズはこの特性をサラダの保存に生かす研究を進めた。最初の試作品は黒く変色して食感も劣化し、取引先に採用されなかった。改良を経て1977年10月、業界初のロングライフサラダ「ファッションデリカフーズ」を発売した。卵白を使った加工品の開発にも注力し、ゆで卵をソーセージ状に加工した具材には1カ月の品質保証を付けた保存性と食味という相反する条件を両立させ、ケンコー・マヨネーズは調味料の納入業者から製パン業者への具材の供給元へ事業領域を広げた。

  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
    • [24]次に対象にしたのがパン屋関連で、食パンを使ってサンドイッチや調理パンを出した。
    • [25]春から夏場にかけては衛生・品質上、劣化・腐敗が速いサラダ類や卵類をパンにはさむことができなかった。
    • [26]マヨネーズは加熱や防腐剤なしでも日持ちするため、その特性を生かせないかと研究した。
    • [27]最初につくった日持ちのするサラダ類はオカラのように黒くぼそぼそになり、なかなか受け入れられなかった。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第68期・2025年3月期)【沿革】
    • [28]1977年10月、業界初のロングライフサラダ「ファッションデリカフーズ」を発売開始した。
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
    • [29]卵白を生かした加工品の開発に力を入れ、ゆで卵をソーセージ状に加工した食品は1カ月の保証付きで日持ちがよい。

ケンコー・マヨネーズは1976年1月に東京都稲城市へ稲城工場を新設し、神戸と東京の東西に生産拠点を持った。1977年9月には研究開発部門を東京本部にも置いた。売上高は1976年2月期の2,854,337千円から、1978年2月期には4,419,161千円へ伸びた。オイルショック後も年率30%の増収を続け、1979年2月期の売上高は5,500百万円、経常利益は180百万円に達した。1979年時点の資本金は1億8千万円、従業員は220人だった首都圏に工場と研究部門を置いたことで、関西の惣菜店から始まった取引は全国の業務用需要を対象とする規模へ拡大した。

  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [30]1976年1月、東京都稲城市に稲城工場を新設した。
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
    • [31]東京に稲城工場を完成させて東西に拠点を持ち、1977年9月に研究開発部隊を東京本部にも置いた。
    • [32]東京に稲城工場を完成させて東西に拠点を持ち、1977年9月に研究開発部隊を東京本部にも置いた。
    • [33]売上高は1976年2月期2,854,337千円、1977年2月期3,621,417千円、1978年2月期4,419,161千円。
    • [34]オイル・ショック後も年率30%の割合で伸びた。
  • 矢野経済研究所『食品産業白書 1979年版 業界動向編』矢野経済研究所, 1979年
    • [35]1979年2月期の売上高5,500百万円、経常利益180百万円(経常利益率3.3%)。
    • [36]資本金1億8千万円、従業員数220人(1979年版)。

1979年時点で、ケンコー・マヨネーズは業務用マヨネーズ市場で50%を超えるシェアを握り、キユーピー味の素を抑えた。ただしマヨネーズ市場全体でのシェアは5%にとどまった。国内の使用量は業務用で約2万トン、家庭用で約15万トンと推定され、大手メーカーも業務用の顧客基盤の切り崩しを狙った。ケンコー・マヨネーズはシェアの拡大に向け、1979年11月に神奈川県厚木市へ厚木工場を新設した。販売でもマヨネーズ料理を実演する展示会方式を打ち出した松生睦社長は『業務筋の完全制覇』を当面の目標に掲げ、家庭用への進出は業務用を固めたのちの課題に据えた家庭用の寡占を避けて業務用へ経営資源を集中したことが、後発のケンコー・マヨネーズを業務用市場の首位へ押し上げた。

  • 矢野経済研究所『食品産業白書 1979年版 業界動向編』矢野経済研究所, 1979年
    • [37]業務用市場だけでみると当社のシェアは50%を超え、キユーピー、味の素を完全に抑えている(1979年版)。
    • [38]業務用を中心に急速にシェアを伸ばし、マヨネーズ市場全体で5%のシェアを占めるまでに成長した(1979年版)。
    • [41]最近では「展示会方式」の新戦術を打ち出し、マヨネーズ料理の実演をしている。
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
    • [39]日本のマヨネーズ使用量は業務用で約2万トン、家庭用で約15万トンと推定され、大手メーカーもケンコーマヨネーズの"城"を崩そうと虎視たんたんとしている。
    • [42]業務筋の完全制覇を当面の目標とし、業務筋を固めたうえで家庭用に進みたいとした。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [40]1979年11月、神奈川県厚木市に厚木工場を新設した。
  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
    • [24]次に対象にしたのがパン屋関連で、食パンを使ってサンドイッチや調理パンを出した。
    • [25]春から夏場にかけては衛生・品質上、劣化・腐敗が速いサラダ類や卵類をパンにはさむことができなかった。
    • [26]マヨネーズは加熱や防腐剤なしでも日持ちするため、その特性を生かせないかと研究した。
    • [27]最初につくった日持ちのするサラダ類はオカラのように黒くぼそぼそになり、なかなか受け入れられなかった。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第68期・2025年3月期)【沿革】
    • [28]1977年10月、業界初のロングライフサラダ「ファッションデリカフーズ」を発売開始した。
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
    • [29]卵白を生かした加工品の開発に力を入れ、ゆで卵をソーセージ状に加工した食品は1カ月の保証付きで日持ちがよい。
    • [31]東京に稲城工場を完成させて東西に拠点を持ち、1977年9月に研究開発部隊を東京本部にも置いた。
    • [32]東京に稲城工場を完成させて東西に拠点を持ち、1977年9月に研究開発部隊を東京本部にも置いた。
    • [33]売上高は1976年2月期2,854,337千円、1977年2月期3,621,417千円、1978年2月期4,419,161千円。
    • [34]オイル・ショック後も年率30%の割合で伸びた。
    • [39]日本のマヨネーズ使用量は業務用で約2万トン、家庭用で約15万トンと推定され、大手メーカーもケンコーマヨネーズの"城"を崩そうと虎視たんたんとしている。
    • [42]業務筋の完全制覇を当面の目標とし、業務筋を固めたうえで家庭用に進みたいとした。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [30]1976年1月、東京都稲城市に稲城工場を新設した。
    • [40]1979年11月、神奈川県厚木市に厚木工場を新設した。
  • 矢野経済研究所『食品産業白書 1979年版 業界動向編』矢野経済研究所, 1979年
    • [35]1979年2月期の売上高5,500百万円、経常利益180百万円(経常利益率3.3%)。
    • [36]資本金1億8千万円、従業員数220人(1979年版)。
    • [37]業務用市場だけでみると当社のシェアは50%を超え、キユーピー、味の素を完全に抑えている(1979年版)。
    • [38]業務用を中心に急速にシェアを伸ばし、マヨネーズ市場全体で5%のシェアを占めるまでに成長した(1979年版)。
    • [41]最近では「展示会方式」の新戦術を打ち出し、マヨネーズ料理の実演をしている。

1980年〜 ダイエットクック各社による惣菜の量産と1994年の店頭公開

年商140億円からのサラダ・惣菜への拡張と西神戸工場

1986年度を境に、ケンコー・マヨネーズは開発・開拓型企業への転換と総合食品メーカー化を掲げた。売上高は1970年の3億円台から1985年には140億円弱へ伸び、1986年時点の従業員300名のうち50名が技術者だった松生睦社長は『たまたまマヨネーズから始め、たまたま業務筋から販売を始めた』と総括し、商材の多様化と業務筋以外への販路拡大に重点を移した。1986年12月には業務用のごぼうサラダを発売した。同じ1986年ごろから、業務用に加えて一般消費者向け商品の販売も始めた1980年代のケンコー・マヨネーズは、調味料の専業メーカーからサラダと惣菜を献立ごと納める食品メーカーへ事業の定義を広げた。

  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
    • [43]1986年度から第二ラウンドに入り、開発・開拓型企業、総合食品メーカーへの飛躍をめざす。
    • [44]松生睦氏が社長に就任した1970年に3億円台だった売上げは、1985年に140億円弱まで伸びた。
    • [45]総員300名中50名が技術陣という開発体制を持つ(1986年)。
    • [46]商材の多様化に力点を置き、販売先も業務筋に限らずもっと広く考えてよいとした。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第68期・2025年3月期)【沿革】
    • [47]1986年12月、ごぼうサラダ(業務用)を発売開始した。
  • 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
    • [48]1986年ごろから業務用だけでなく一般消費者向けの商品販売も手がけている。

1988年3月に神戸市西区の西神戸工場が、5月には神奈川県厚木市の厚木フードセンターが竣工した。主力のマヨネーズ類は常温で流通する商品で、合理化した工場で集中生産し、物流費で競争優位を得られた。洋風の調味料は地域による味の差が小さく、全国一律の味で売れる反面、単品のままでは生産量に限界があった。これに対して自然度の高いサラダや惣菜は日持ちせず、本来の食味を追求するには下請けに頼らず自社の生産拠点を持つ必要があった。工場の新設は借入とコストを増やしたが、松生睦社長は協力会社への生産委託では技術力も生産力も蓄積できないと判断した。販売エリア内に自社工場を置いたことで、支店の販売力も高まった日持ちしない惣菜へ参入したことが、常温品の集中生産とは逆向きの、消費地に近い工場の分散をケンコー・マヨネーズに求めた。

  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [49]1988年3月、兵庫県神戸市に西神戸工場を新設し、同年5月、神奈川県厚木市に厚木フードセンターを新設した。
  • 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
    • [50]主力商品のマヨネーズ類は常温品で、合理的な工場をつくって生産し、物流費で勝負できる類いの商品である。
    • [51]洋風の商品は地域の風土の影響を受けにくく味を変えなくてもやっていけるが、それでは生産量に限界がある。
    • [52]日持ちのしない自然度の高い商品というコンセプトでサラダ類や惣菜類に力を入れ、本当の味を追求するため下請けに頼らず自前の生産拠点を持った。
  • 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
    • [53]協力会社に作ってもらえば投資は不要だが技術力・生産力・総合能力がつかないとして、コストと借金が増えても生産能力を増やす方針をとった。
  • 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
    • [54]自分の支店のエリアの中に自社の工場があることで販売に力が入り、工場を作ったことで結果的に販売力が増した。
  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
    • [43]1986年度から第二ラウンドに入り、開発・開拓型企業、総合食品メーカーへの飛躍をめざす。
    • [44]松生睦氏が社長に就任した1970年に3億円台だった売上げは、1985年に140億円弱まで伸びた。
    • [45]総員300名中50名が技術陣という開発体制を持つ(1986年)。
    • [46]商材の多様化に力点を置き、販売先も業務筋に限らずもっと広く考えてよいとした。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第68期・2025年3月期)【沿革】
    • [47]1986年12月、ごぼうサラダ(業務用)を発売開始した。
  • 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
    • [48]1986年ごろから業務用だけでなく一般消費者向けの商品販売も手がけている。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [49]1988年3月、兵庫県神戸市に西神戸工場を新設し、同年5月、神奈川県厚木市に厚木フードセンターを新設した。
  • 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
    • [50]主力商品のマヨネーズ類は常温品で、合理的な工場をつくって生産し、物流費で勝負できる類いの商品である。
    • [51]洋風の商品は地域の風土の影響を受けにくく味を変えなくてもやっていけるが、それでは生産量に限界がある。
    • [52]日持ちのしない自然度の高い商品というコンセプトでサラダ類や惣菜類に力を入れ、本当の味を追求するため下請けに頼らず自前の生産拠点を持った。
  • 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
    • [53]協力会社に作ってもらえば投資は不要だが技術力・生産力・総合能力がつかないとして、コストと借金が増えても生産能力を増やす方針をとった。
  • 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
    • [54]自分の支店のエリアの中に自社の工場があることで販売に力が入り、工場を作ったことで結果的に販売力が増した。

九州ダイエットクックの買収と1700品目の品揃え

1994年時点で本体は山梨工場を含めて7工場、100%子会社は12月完成の新座工場を含めて5社10工場となる計画だった。子会社群は、1990年2月の株式会社九州ダイエットクックの買収に始まった。1991年には3月に株式会社ダイエットクック三田を設立し、8月に株式会社丸実フーズを買収、9月に株式会社ダイエットクック埼玉を設立した。1993年8月には株式会社ダイエットクック白老を設立した。ダイエットクック各社は100%子会社でありながら、各社が独自の権限と責任で事業を運営したダイエットクック各社は、日持ちしない惣菜を消費地の近くで製造するために、買収と設立で整備した地域別の製造子会社であった。

  • 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
    • [55]7月に完成した山梨工場でケンコーマヨネーズは7工場となり、100%子会社は12月にできる新座工場を含めると5社10工場となる。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [56]1990年2月、株式会社九州ダイエットクックを買収した。
    • [57]1991年3月に株式会社ダイエットクック三田を設立、同年8月に株式会社丸実フーズ(株式会社ダイエットクック東村山)を買収、同年9月に株式会社ダイエットクック埼玉を設立した。
    • [58]1993年8月、株式会社ダイエットクック白老を設立した。
  • 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
    • [59]ダイエットクック株式会社は100%子会社だが、ダイエットクック株式会社という立場で自分の権限、責任、発想でやる幅をもたせている。

1994年時点の商品は1700種類に達し、毎年250〜300点の新商品を開発した。戦略商材としたサラダ・惣菜類は約200種類に広がった。品目を整理するときは廃番より先に、味と原価を保ったまま複数の商品を1品目へ統合できないかを検討した。1993年9月には東京本社を置き、新宿住友ビル内の本社にショールームを設けて問屋、外食、スーパー、小売店との商談の場とした。本業のマヨネーズ類のシェアも1993年に12.3%となり、業界3位に上った1990年代のケンコーマヨネーズは、品目の数と提案の場を増やしてマヨネーズ以外の売上を積み上げた。

  • 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
    • [60]商品アイテムは1700種に上り、毎年250〜300の新商品を開発できるようになっている(1994年)。
    • [61]戦略商材としてサラダ・総菜類に力を入れ、現在200種類ぐらいになっている(1994年)。
    • [65]マヨネーズ類のシェアは平成5年に12.3%となり、業界第3位である。
  • 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
    • [62]廃番を考える前に統合を考え、味と原価と生命力増を前提にAとBの商品をCで一本化できないかを検討する。
    • [64]昨年9月に東京本社を新宿住友ビル内に移転すると同時に本社内にショールームを設置し、問屋、外食ユーザー、スーパー、小売店に来てもらう場とした。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [63]1993年9月、東京本社を設置した。
  • 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
    • [55]7月に完成した山梨工場でケンコーマヨネーズは7工場となり、100%子会社は12月にできる新座工場を含めると5社10工場となる。
    • [60]商品アイテムは1700種に上り、毎年250〜300の新商品を開発できるようになっている(1994年)。
    • [61]戦略商材としてサラダ・総菜類に力を入れ、現在200種類ぐらいになっている(1994年)。
    • [65]マヨネーズ類のシェアは平成5年に12.3%となり、業界第3位である。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [56]1990年2月、株式会社九州ダイエットクックを買収した。
    • [57]1991年3月に株式会社ダイエットクック三田を設立、同年8月に株式会社丸実フーズ(株式会社ダイエットクック東村山)を買収、同年9月に株式会社ダイエットクック埼玉を設立した。
    • [58]1993年8月、株式会社ダイエットクック白老を設立した。
    • [63]1993年9月、東京本社を設置した。
  • 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
    • [59]ダイエットクック株式会社は100%子会社だが、ダイエットクック株式会社という立場で自分の権限、責任、発想でやる幅をもたせている。
    • [62]廃番を考える前に統合を考え、味と原価と生命力増を前提にAとBの商品をCで一本化できないかを検討する。
    • [64]昨年9月に東京本社を新宿住友ビル内に移転すると同時に本社内にショールームを設置し、問屋、外食ユーザー、スーパー、小売店に来てもらう場とした。

1994年の店頭公開と1997年度の減益、炭井孝志氏への交代

1994年11月、ケンコーマヨネーズは日本証券業協会へ株式を店頭登録した。初値は1800円、出来高は105万2000株だった。株式上場は、1970年の社長就任以来、松生睦社長が掲げた目標であったという。公開前の1994年3月期は、本体の売上高が360億円、経常利益が10億8000万円だった。ただし直前の2期は増収率が1桁に落ち、長く続いた2桁の増収が途切れていた松生睦社長が規模の拡大を優先した背景には、『小さすぎるがゆえの惨めさ。弱すぎるが故の悔しさ』という創業期の記憶があったためと推察される。

  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [66]1994年11月、日本証券業協会へ株式を店頭登録した。
  • 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
    • [67]11月1日に株式店頭公開を果たし、初値1800円、出来高105万2000株だった。
    • [68]1970年の就任以来、株式上場が松生睦社長の夢だった。
  • 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
    • [69]昨年度の売上げは360億円、経常利益は10億8000万円(ケンコー本体)。
    • [70]連続して2桁の伸びを続けてきたが、一昨年と昨年は前年比107〜108%と1桁台に落ちた。

1994年時点まで、ケンコーマヨネーズは業績の波を抱えながらも増収と黒字を保ち続けた。1996年度の売上高は430億円、経常利益は13億円だった。しかし翌1997年度には売上高が400億円へ、経常利益が3億円へ減少した。ケンコーマヨネーズは15カ月で収益を立て直し、1998年度には経常利益を10億円まで戻した。ケンコーマヨネーズは1999年を第二の成長期の元年と位置づけて再出発した。1999年の売上高は422億円、販売拠点は12カ所、子会社を含む生産拠点は18カ所だった店頭公開から3年での大幅減益は、株主へ増収増益を示し続ける上場企業の責務を経営陣に課した。

  • 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
    • [71]波はいろいろあるが、売り上げを伸ばし、利益も黒字を維持し続けてきた(1994年)。
  • 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
    • [72]平成8年は売上げ430億円、経常利益13億円だった。
    • [73]平成9年度に一回だけ実績を落とし、売上げは400億円、利益は3億円まで下がった。
    • [74]15カ月間必死で勝負し、平成10年度からは利益を10億円まで戻した。
    • [75]99年を第二の成長期の元年として再スタートした。平成11年現在、資本金11億7950万円、売上高422億円、全国12カ所の販売拠点、子会社を含め18カ所の生産拠点を持つ。
    • [76]99年を第二の成長期の元年として再スタートした。平成11年現在、資本金11億7950万円、売上高422億円、全国12カ所の販売拠点、子会社を含め18カ所の生産拠点を持つ。

第二の成長期に向けて注力したのは、業務用で蓄えた商品開発力を元手とする市販品だった。2000年までの2、3年で市販品へ本格参入したものの、総売上高422億円に占める比率は12〜13%にとどまった。市販のマヨネーズ売り場は大手2社の寡占が強く、多くのスーパーは2社の商品しか扱わなかった。営業担当は店頭でコールスロードレッシングの食べ方を実演して販売実績を積み、イトーヨーカ堂グループでの全店展開を実現した。ただしスポット商品の扱いから定番の棚を確保するまでに3年を要した。2000年6月、1953年生まれの炭井孝志氏が代表取締役社長に就任した業務用の提案力を家庭用の売り場へ持ち込むという、1979年に先送りした課題は炭井孝志社長へ引き継がれた。

  • 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
    • [77]長年業務用で培った商品力を駆使し、第二の創業の意気込みで2、3年前から市販品に乗り出した。
    • [79]マヨネーズは大手の市場寡占状況が強く、たいていのスーパーマーケットには大手2社の商品しか入っていない。
    • [80]担当者が店頭でマネキン販売をしてコールスローの食べ方やおいしさを訴え、店頭販売の好調な実績によってイトーヨーカ堂グループでコールスロードレッシングの全店展開が実現した。
    • [81]販売開始当初はスーパーマーケットの店頭でスポット商品としての扱いで、棚を持つに至るまでに3年かかった。
  • 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
    • [78]一般消費者向け商品に本気で取り組み始めたのはここ2、3年で、総売上げ422億円のうち12〜13%程度である。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【役員の状況】
    • [82]炭井孝志は1953年8月7日生まれで、2000年6月に代表取締役社長に就任した。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
    • [66]1994年11月、日本証券業協会へ株式を店頭登録した。
  • 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
    • [67]11月1日に株式店頭公開を果たし、初値1800円、出来高105万2000株だった。
    • [68]1970年の就任以来、株式上場が松生睦社長の夢だった。
  • 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
    • [69]昨年度の売上げは360億円、経常利益は10億8000万円(ケンコー本体)。
    • [70]連続して2桁の伸びを続けてきたが、一昨年と昨年は前年比107〜108%と1桁台に落ちた。
    • [71]波はいろいろあるが、売り上げを伸ばし、利益も黒字を維持し続けてきた(1994年)。
  • 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
    • [72]平成8年は売上げ430億円、経常利益13億円だった。
    • [73]平成9年度に一回だけ実績を落とし、売上げは400億円、利益は3億円まで下がった。
    • [74]15カ月間必死で勝負し、平成10年度からは利益を10億円まで戻した。
    • [75]99年を第二の成長期の元年として再スタートした。平成11年現在、資本金11億7950万円、売上高422億円、全国12カ所の販売拠点、子会社を含め18カ所の生産拠点を持つ。
    • [76]99年を第二の成長期の元年として再スタートした。平成11年現在、資本金11億7950万円、売上高422億円、全国12カ所の販売拠点、子会社を含め18カ所の生産拠点を持つ。
    • [78]一般消費者向け商品に本気で取り組み始めたのはここ2、3年で、総売上げ422億円のうち12〜13%程度である。
  • 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
    • [77]長年業務用で培った商品力を駆使し、第二の創業の意気込みで2、3年前から市販品に乗り出した。
    • [79]マヨネーズは大手の市場寡占状況が強く、たいていのスーパーマーケットには大手2社の商品しか入っていない。
    • [80]担当者が店頭でマネキン販売をしてコールスローの食べ方やおいしさを訴え、店頭販売の好調な実績によってイトーヨーカ堂グループでコールスロードレッシングの全店展開が実現した。
    • [81]販売開始当初はスーパーマーケットの店頭でスポット商品としての扱いで、棚を持つに至るまでに3年かかった。
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【役員の状況】
    • [82]炭井孝志は1953年8月7日生まれで、2000年6月に代表取締役社長に就任した。

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歴史年表 1952〜2023年

ケンコーマヨネーズの沿革1952〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1952〜1979年ケンコー・マヨネーズの経営権取得から業務用シェア5割まで前身の森本商店を設立★★
森本油脂を設立★★
業務用サラダ向け「ケンコーマヨネーズAS」を発売★★
食用油販売を中止★★
ケンコー・マヨネーズに商号変更
神戸工場が竣工
松生睦業務用マヨネーズ専門メーカーに転換★★★
松生睦稲城工場が竣工
松生睦ロングライフサラダ「ファッションデリカフーズ」を発売★★★
松生睦厚木工場が竣工
1980〜2000年ダイエットクック各社による惣菜の量産と1994年の店頭公開松生睦業務用「ごぼうサラダ」を発売★★
松生睦西神戸工場が竣工
松生睦九州ダイエットクックを子会社化★★★
松生睦丸実フーズを子会社化
松生睦ケンコーマヨネーズに商号変更
松生睦山梨工場が竣工
松生睦日本証券業協会に株式を店頭登録
炭井孝志炭井孝志氏が社長に就任★★
2000〜2020年売上500億円の横ばいから静岡富士山工場による拡大炭井孝志御殿場工場が竣工
炭井孝志ジャスダック証券取引所に上場
炭井孝志健可食品(東莞)有限公司を設立
炭井孝志サラダカフェを設立★★
炭井孝志西日本工場が竣工
炭井孝志稲城工場を厚木工場に統合
炭井孝志東京証券取引所市場第二部に上場
炭井孝志東京証券取引所市場第一部に指定替え
炭井孝志杭州頂可食品有限公司を設立
炭井孝志PT. Intan Kenkomayo Indonesia を設立
炭井孝志静岡富士山工場が竣工★★
炭井孝志頂可(香港)控股股份有限公司の全持分を譲渡★★
2021〜2026年経常利益2億円への減益と炭井孝志氏の社長復帰炭井孝志プライム市場に移行
島本国一島本国一氏が社長に就任★★
出典・参考 10件
出典・参考
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【沿革】
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第49期・2006年3月期)【役員の状況】
  • ケンコーマヨネーズ 有価証券報告書(第68期・2025年3月期)【沿革】
  • 総合食品 第9巻第11号(通巻107号・1986年4月)「ザ・メーカー メニュー提案の実績を生かし開発・開拓型企業に前進」
  • 総合食品 第17巻第12号(通巻204号・1994年5月)「個性派企業 トップインタビュー ケンコーマヨネーズ(株) 松生睦社長」
  • 総合食品 第18巻第6号(通巻210号・1994年)「企業ピックアップ 業務用重点政策で事業拡大――店頭公開したケンコーマヨネーズの実力」
  • 2020 AIM 第176号(2000年)「製・販の取組みによる新たな価値創造・価値開発へのチャレンジ ケンコーマヨネーズの新たな挑戦」
  • 2020 AIM 第178号(2000年)「女性の能力と個性がイキイキと活きる組織風土と企業文化の検証報告(6) ケンコーマヨネーズ営業戦略の担い手たち」
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅百三十社』日本経済新聞社, 1979年, p76-77
  • 矢野経済研究所『食品産業白書 1979年版 業界動向編』矢野経済研究所, 1979年

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