第2章 年〜年

日本マクドナルド:ハンバーガー130円への値下げ攻勢と売上高3285億円への拡大

210円の据え置きから130円の客数追求へ

1985年〜初めての大幅減益と成熟した外食市場

1985年12月期、日本マクドナルドは創業以来初めて既存店の売上高が前年を割った。売上高は1188億円と10.1%伸びたものの、経常利益は70億円で前期比25.7%の減益である。当初計画の売上高1302億円・経常利益109億円には遠く届かなかった。原因は前年に爆発的に売れたチキンナゲットの失速で、全売上高に占める比率は18%から10%へ、金額では194億円から120億円へ落ちた。利益率35%の商品だけに、これだけで25億円の見込み違いが生じた。同業各社が5個300円の追随商品を出し、発売時に販売促進を競ったことが効いた。1985年2月から朝食メニューを導入して補おうとしたが、開発途上の市場では落ち込みを埋められなかった。

  • 日経ビジネス 1986年4月28日号
    • [1]1985年12月期の既存店売上高は1040億円と前年比4%減で、日本マクドナルドが既存店の売上高で前年を下回ったのは創業以来初めてだった
    • [3]1985年12月期の経常利益は70億円で、前期比25.7%の減益となった
    • [4]1985年12月期の当初計画は売上高1302億円、経常利益109億円であった
    • [5]チキンナゲットが全売上高に占める比率は1984年12月期の18%から1985年12月期は10%へ下がり、金額では194億円から120億円へ減少した
    • [6]チキンナゲットの利益率は35%で、その落ち込みだけで利益ベースの見込み違いは25億円に相当した
    • [7]同業各社がチキンナゲットと同種の商品を5個入り300円で売り出し、発売時に活発なキャンペーンを展開した
    • [8]1985年2月からホットケーキやスクランブルエッグ・マフィンなどの朝食メニューを導入したが、開発途上の朝食市場だけではチキンナゲットの落ち込みを補えなかった
  • 日本マクドナルド 長期損益系列(IEレビュー 30(3)(161))
    • [2]日本マクドナルドの1985年の売上高は1188億円であった

費用の側も膨らんでいた。1984年は過去最高の82店を新規出店し、既存29店を大幅に改装している。うち13店は土地と建物をともに自己所有としたため、設備投資の総額は173億円と過去最高に達した。資本金も1985年5月に5億8800万円、1986年5月に7億2000万円へと毎年積み増している。ハンバーガー店が軒を連ねる渋谷センター通りでは、1坪当たりの保証金が1年で500万円から700万円へ上がった。外食産業全体の市場規模の伸び率は1983年が3.3%、1984年が4.8%で、5%の線を割っている。1985年12月20日、日本マクドナルドはハンバーガーを200円から210円へ、チーズバーガーを230円から240円へ引き上げた。値上げをしないという創業以来の方針は、ここで折れた。

  • 日経ビジネス 1986年4月28日号
    • [9]1984年12月期は過去最高の82店を新規出店し、既存29店を大幅に改装した
    • [10]1984年の新規出店のうち13店は土地・建物とも自己所有としたため、設備投資の総額は過去最高の173億円に達した
    • [12]東京・渋谷のセンター通りのビルへ出店する際の保証金は、1坪当たり1年前の500万円から700万円へ上昇した
    • [13]外食産業の市場規模は1983年が17兆9086億円、1984年が18兆7730億円で、前年比伸び率はそれぞれ3.3%、4.8%であった
    • [14]1985年12月20日、ハンバーガーを200円から210円へ、チーズバーガーを230円から240円へ値上げした
  • 有価証券報告書 沿革
    • [11]資本金を1985年5月に5億8800万円、1986年5月に7億2000万円へ増資した

それでも藤田氏は目標を下げず、米国に比べれば日本はハンバーガー後進国だとして、2000年に売上高5000億円という水準を掲げ続けた。資本金は1988年5月に10億円へ達している。売上高は1985年の1188億円から1990年に1754億円、1992年に2126億円へ伸びた。ファストフード業界全体はバブル崩壊後に伸びが鈍った。1992年から3年連続で、伸び率は2%前後で推移している。もっとも同社でも、直営とフランチャイズを合算した店舗総売上高は、ほぼ横ばいが続いた。1992年12月期は2120億7741万円で、前期より2.32%増えた。続く1993年12月期は2120億6654万円と、0.01%の減少に転じた。この1993年、同社は創業以来初めて減益を記録している。

  • 日経ビジネス 1986年4月28日号
    • [15]藤田田氏は、米国に比べて日本はハンバーガー後進国であり、西暦2000年には売上高を5000億円へ引き上げると述べた
  • 有価証券報告書 沿革
    • [16]1988年5月に資本金を10億円へ増資した
  • 日本マクドナルド 単体損益(07_pl_long)
    • [17]日本マクドナルドの売上高は1990年1754億円、1992年2126億円であった
  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
    • [18]ファストフード業界はバブル崩壊後の景気後退で、1992年から3年連続して2%前後の伸びにとどまった
    • [19]直営店とフランチャイズ店を合わせた店舗総売上高は1992年12月期から1993年12月期にかけてほぼ横ばいであった
    • [20]店舗総売上高は1992年12月期が前年比2.32%増の2120億7741万円、1993年12月期が0.01%減の2120億6654万円であった
  • 日経ビジネス 1994年10月24日号
    • [21]1993年は創業以来の減益となった
参考文献[1]-[21]
  • 日経ビジネス 1986年4月28日号
    • [1]1985年12月期の既存店売上高は1040億円と前年比4%減で、日本マクドナルドが既存店の売上高で前年を下回ったのは創業以来初めてだった
    • [3]1985年12月期の経常利益は70億円で、前期比25.7%の減益となった
    • [4]1985年12月期の当初計画は売上高1302億円、経常利益109億円であった
    • [5]チキンナゲットが全売上高に占める比率は1984年12月期の18%から1985年12月期は10%へ下がり、金額では194億円から120億円へ減少した
    • [6]チキンナゲットの利益率は35%で、その落ち込みだけで利益ベースの見込み違いは25億円に相当した
    • [7]同業各社がチキンナゲットと同種の商品を5個入り300円で売り出し、発売時に活発なキャンペーンを展開した
    • [8]1985年2月からホットケーキやスクランブルエッグ・マフィンなどの朝食メニューを導入したが、開発途上の朝食市場だけではチキンナゲットの落ち込みを補えなかった
    • [9]1984年12月期は過去最高の82店を新規出店し、既存29店を大幅に改装した
    • [10]1984年の新規出店のうち13店は土地・建物とも自己所有としたため、設備投資の総額は過去最高の173億円に達した
    • [12]東京・渋谷のセンター通りのビルへ出店する際の保証金は、1坪当たり1年前の500万円から700万円へ上昇した
    • [13]外食産業の市場規模は1983年が17兆9086億円、1984年が18兆7730億円で、前年比伸び率はそれぞれ3.3%、4.8%であった
    • [14]1985年12月20日、ハンバーガーを200円から210円へ、チーズバーガーを230円から240円へ値上げした
    • [15]藤田田氏は、米国に比べて日本はハンバーガー後進国であり、西暦2000年には売上高を5000億円へ引き上げると述べた
  • 日本マクドナルド 長期損益系列(IEレビュー 30(3)(161))
    • [2]日本マクドナルドの1985年の売上高は1188億円であった
  • 有価証券報告書 沿革
    • [11]資本金を1985年5月に5億8800万円、1986年5月に7億2000万円へ増資した
    • [16]1988年5月に資本金を10億円へ増資した
  • 日本マクドナルド 単体損益(07_pl_long)
    • [17]日本マクドナルドの売上高は1990年1754億円、1992年2126億円であった
  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
    • [18]ファストフード業界はバブル崩壊後の景気後退で、1992年から3年連続して2%前後の伸びにとどまった
    • [19]直営店とフランチャイズ店を合わせた店舗総売上高は1992年12月期から1993年12月期にかけてほぼ横ばいであった
    • [20]店舗総売上高は1992年12月期が前年比2.32%増の2120億7741万円、1993年12月期が0.01%減の2120億6654万円であった
  • 日経ビジネス 1994年10月24日号
    • [21]1993年は創業以来の減益となった

1994年〜100円バーガーの実験と130円への一斉値下げ

1994年、藤田氏は価格の見直しを最大の課題に挙げた。会社を設立した時に1ドル360円だった為替は90円台となり、輸入原料に頼るハンバーガーの原価は大きく下がっていた。輸入品の値段は約4分の1になったとして、ハンバーガーの価格が今後3年で半分になっても不思議はないと藤田氏は述べている。円高が輸入品を通じてデフレを招くことは、その3年前から読んでいた。価格が下がるまで客は財布のひもを固く結ぶため、先に価格を下げれば客は集まるというのが読みの中身である。経営コストのうち円高で下げられる比率は6分の1にとどまる。藤田氏は納入先にも、従来10円で納めていたものを8円にできないかと求めた。

  • 日経ビジネス 1994年10月24日号
    • [22]藤田田氏は1994年10月の時点で、日本マクドナルドの最大の課題は価格についての見直しだと述べた
    • [23]会社設立時の為替は1ドル360円で、1994年時点では90円台となっていた
    • [24]藤田田氏は、輸入品の値段が約4分の1に下がったため、輸入原料を使うハンバーガーの価格が今後3年で半分になっても不思議はないと述べた
    • [27]経営コストのうち円高で下げられる比率は6分の1程度であった
    • [28]藤田田氏は国内の納入先にも、従来10円で納めていたものを8円にできないかとコスト削減を要請した
  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
    • [25]藤田田氏は極端な円高となった3年前から、輸入品によるデフレーションが近い将来に起こると読んでいた
    • [26]デフレ経済では客が価格の下がるまで支出を控えるため、それを見越して先に価格を下げれば客が集まるとの判断に立った

1994年に投入した400円前後のバリューセットは、既存店の客数を2.6%増やしたものの、客単価が下がって売上高は4.2%減った。次に9月2日から18日まで、210円のハンバーガーを100円で売った。販売個数は前年同期の154万個に対して2750万個と18倍に達し、会社の予測1109万個の倍以上である。半値でなければ客は動かないと確かめたうえで、1995年4月に主力商品を一斉に値下げした。ハンバーガーは220円から130円へ、チーズバーガーは240円から160円へ下がった。7月中旬にはてりやきバーガーが280円から190円へ続いている。1995年上半期の売上高は2割増え、客単価は5%下がったがハンバーガーの販売個数は4割近く増えた。

  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
    • [29]1994年に投入した400円前後のバリューセットは既存店の客数を2.6%増やしたが、客単価の低下で既存店売上高は4.2%減少した
    • [32]半値という値下げでなければ客は来ないと確かめたうえで、1995年に主力メニューの一斉値下げへ踏み切った
    • [33]1995年4月にハンバーガーを220円から130円へ、チーズバーガーを240円から160円へ値下げした
    • [34]1995年7月中旬にてりやきバーガーを280円から190円へ、フィレオフィッシュを40円下げて240円とした
    • [35]1995年上半期の売上高は2割増、既存店ベースでも1割以上増え、客単価は5%減ったがハンバーガーの販売個数は4割弱増えた
  • 日経ビジネス 1994年10月24日号
    • [30]1994年9月2日から18日まで、通常210円のハンバーガーを100円で販売する期間限定のセールを実施した
    • [31]100円セールの販売個数は前年同期間の154万個に対し2750万個で、当初予測の1109万個を大きく上回った

世界のマクドナルドが食材を共同購入するグローバル・パーチェシングにより、フィレオフィッシュに使うタラは個別仕入れの半値で調達できた。米国と世界70カ国・地域の仕入担当者が集まる仕組みで、日本からも社員1人を送り出していた。1995年には最も安い調達先を呼び出すパソコンネットワークを導入し、現地価格や運賃・関税を含めた調達費用を一日で弾き出せるようにしている。1994年度には50億円の円高差益も出た。厨房には1時間に576枚のパテを焼くグリルを2台備え、100円セールの期間中は1個当たりの販売管理費が18分の1に縮んだ。一方で販管費率は1994年12月期に66.9%まで上がり、外食産業で最も高い水準の店長給与と駅前一等地の家賃が重くのしかかっていた。

  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
    • [36]世界のマクドナルドが原材料を共同購入するグローバル・パーチェシングにより、フィレオフィッシュ用のタラは個別仕入れに比べ半分の価格で調達できた
    • [38]1995年に最も安い食材の調達先を呼び出すパソコンネットワークを導入し、現地価格・輸送運賃・関税・保険を含む調達コストを一日で算出できるようにした
    • [39]1994年度は急激な円高により50億円の円高差益が生じた
    • [40]標準的な店舗の厨房は1時間に576枚のパテを焼くグリルを2台備え、100円セール期間中はハンバーガー1個当たりの販売管理費が18分の1に圧縮された
    • [41]販管費率は1994年12月期に66.9%へ上昇し、店長の最低年収600万円は外食産業で最も高く、駅前一等地の店舗は家賃も高かった
  • 日経ビジネス 1994年10月24日号
    • [37]グローバル・パーチェシングは米国と世界70カ国・地域のマクドナルドの仕入担当者を集めて進められ、日本からも社員1人を派遣していた
参考文献[22]-[41]
  • 日経ビジネス 1994年10月24日号
    • [22]藤田田氏は1994年10月の時点で、日本マクドナルドの最大の課題は価格についての見直しだと述べた
    • [23]会社設立時の為替は1ドル360円で、1994年時点では90円台となっていた
    • [24]藤田田氏は、輸入品の値段が約4分の1に下がったため、輸入原料を使うハンバーガーの価格が今後3年で半分になっても不思議はないと述べた
    • [27]経営コストのうち円高で下げられる比率は6分の1程度であった
    • [28]藤田田氏は国内の納入先にも、従来10円で納めていたものを8円にできないかとコスト削減を要請した
    • [30]1994年9月2日から18日まで、通常210円のハンバーガーを100円で販売する期間限定のセールを実施した
    • [31]100円セールの販売個数は前年同期間の154万個に対し2750万個で、当初予測の1109万個を大きく上回った
    • [37]グローバル・パーチェシングは米国と世界70カ国・地域のマクドナルドの仕入担当者を集めて進められ、日本からも社員1人を派遣していた
  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
    • [25]藤田田氏は極端な円高となった3年前から、輸入品によるデフレーションが近い将来に起こると読んでいた
    • [26]デフレ経済では客が価格の下がるまで支出を控えるため、それを見越して先に価格を下げれば客が集まるとの判断に立った
    • [29]1994年に投入した400円前後のバリューセットは既存店の客数を2.6%増やしたが、客単価の低下で既存店売上高は4.2%減少した
    • [32]半値という値下げでなければ客は来ないと確かめたうえで、1995年に主力メニューの一斉値下げへ踏み切った
    • [33]1995年4月にハンバーガーを220円から130円へ、チーズバーガーを240円から160円へ値下げした
    • [34]1995年7月中旬にてりやきバーガーを280円から190円へ、フィレオフィッシュを40円下げて240円とした
    • [35]1995年上半期の売上高は2割増、既存店ベースでも1割以上増え、客単価は5%減ったがハンバーガーの販売個数は4割弱増えた
    • [36]世界のマクドナルドが原材料を共同購入するグローバル・パーチェシングにより、フィレオフィッシュ用のタラは個別仕入れに比べ半分の価格で調達できた
    • [38]1995年に最も安い食材の調達先を呼び出すパソコンネットワークを導入し、現地価格・輸送運賃・関税・保険を含む調達コストを一日で算出できるようにした
    • [39]1994年度は急激な円高により50億円の円高差益が生じた
    • [40]標準的な店舗の厨房は1時間に576枚のパテを焼くグリルを2台備え、100円セール期間中はハンバーガー1個当たりの販売管理費が18分の1に圧縮された
    • [41]販管費率は1994年12月期に66.9%へ上昇し、店長の最低年収600万円は外食産業で最も高く、駅前一等地の店舗は家賃も高かった

1996年〜地理情報システムと小型店が支えた出店の加速

1996年、千葉県市川市のJR本八幡駅では北口のロッテリアが閉店し、その跡地へ日本マクドナルドが出店した。線路の南の既存店へ北側の住民も足を延ばしていたためで、自社競合を承知で2店目を置いても採算がとれると判断できた。新規出店は年100店のペースから1995年に350店、1996年に530店へ増え、1996年末の総店舗数は2000店を超えた。1997年も500店以上を計画した。藤田氏は1995年の時点で、当時の1300店を2000年までに5000店へ増やす目標を掲げていた。速度を支えたのは、総額約20億円を投じた地理情報システムである。商圏内の住民データと店舗売上高の相関を既存店から定式化し、候補地の予想売上高を弾き出す仕組みで、実績との誤差は5%程度だった。本社の39階には店舗開発部隊140人が詰めていた。

  • 日経ビジネス 1997年1月27日号
    • [42]千葉県市川市のJR本八幡駅では北口のロッテリアが閉店し、その跡地へ日本マクドナルドが出店した
    • [43]本八幡駅の南口店へ北側の住民も足を延ばしていたため、既存店と競合する北口へ出店しても十分に採算がとれると判断できた
    • [44]日本マクドナルドの新規出店数は1994年まで年間100店ペースだったが、1995年350店、1996年530店と急増し、1996年末に総店舗数が2000を上回った
    • [45]1997年も500店以上の出店を計画していた
    • [47]日本マクドナルドの地理情報システムは総額で約20億円を要し、うち6〜7割は地図の製作費用だった
    • [48]商圏内の住民データと実際の店舗売上高の相関を既存店から定式化して候補地の予想売上高を算出し、実際の売り上げとの誤差は5%程度だった
    • [49]東京・新宿の本社39階に店舗開発部隊140人が配置されていた
  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
    • [46]藤田田氏は1995年時点で、当時の1300店を2000年までに5000店、売上高5000億円とする目標を示した

通常店の3分の1以下の規模で商圏人口1万人を対象とするサテライト店は、月商300万円から500万円で採算に乗る。通常の店舗が月商2000万円を必要としたのと比べると、狙える場所の幅は大きく広がった。母店から500メートルから1000メートル離れた場所に置き、事務所と倉庫を共有して食材の供給も受ける。1号店は1994年3月、兵庫県三木市のジャスコ内へ開いた。メニューは通常店の8割に絞り、厨房施設は半分以下に抑えている。勤続10年を超えた社員がフランチャイズ店の主として独立する制度は1991年から進み、1995年までに約200人が独立した。中間管理職に尋ねると半分が独立したいと答えると、藤田氏は述べた。

  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
    • [50]サテライトと呼ぶ小型店は通常店舗の3分の1以下の規模、商圏人口1万人を対象とし、月商300万〜500万円で採算が合う
    • [51]通常の店舗は月商2000万円で採算が合う水準であった
    • [52]サテライト店は母店から500〜1000メートル離れた場所に置き、母店の事務所や倉庫を共有して食材の供給も受けた
    • [53]サテライト店の1号店は1994年3月に兵庫県三木市の新三木ジャスコ内へ開店した
    • [54]サテライト店のメニューは通常店の8割程度で、厨房施設は半分以下に抑えられていた
    • [55]勤続10年を超えた社員がフランチャイズ店のオーナーとして独立する社員フランチャイズ制度を1991年から積極的に進め、1995年までに約200人が独立した
  • 日経ビジネス 1994年10月24日号
    • [56]藤田田氏は、40〜50歳の中間管理職に尋ねると半分が独立したいと答えると述べた

売上高は1996年に2479億円、1997年に2763億円、1998年に3144億円、1999年に3285億円へ伸びた。当期純利益も1996年の110億円から1998年の146億円、1999年の159億円へ増えている。1995年3月には本社を新宿住友ビルから新宿アイランドタワーへ移し、書類を電子データへ置き換える方針を掲げた。1999年には4月に資本金を68億7512万円、6月に82億7387万円へ増やしている。ただし1995年に掲げた2000年までに5000店・売上高5000億円という目標には届かなかった。値下げは客数を運んだが、単価の低い商品で重い固定費を賄う構造をあとに残した。

  • 日本マクドナルド 単体損益(07_pl_long)
    • [57]日本マクドナルドの売上高は1996年2479億円、1997年2763億円、1998年3144億円、1999年3285億円であった
    • [58]日本マクドナルドの当期純利益は1996年110億円、1998年146億円、1999年159億円であった
    • [61]藤田田氏が1995年に掲げた2000年までに店舗5000店・売上高5000億円という目標は達成されなかった
  • 有価証券報告書 沿革
    • [59]1995年3月に本社を新宿住友ビルから新宿アイランドタワーへ移転し、社内から書類をなくす方針を掲げた
    • [60]1999年4月に資本金を68億7512万円へ、同年6月に82億7387万円へ増資した
参考文献[42]-[61]
  • 日経ビジネス 1997年1月27日号
    • [42]千葉県市川市のJR本八幡駅では北口のロッテリアが閉店し、その跡地へ日本マクドナルドが出店した
    • [43]本八幡駅の南口店へ北側の住民も足を延ばしていたため、既存店と競合する北口へ出店しても十分に採算がとれると判断できた
    • [44]日本マクドナルドの新規出店数は1994年まで年間100店ペースだったが、1995年350店、1996年530店と急増し、1996年末に総店舗数が2000を上回った
    • [45]1997年も500店以上の出店を計画していた
    • [47]日本マクドナルドの地理情報システムは総額で約20億円を要し、うち6〜7割は地図の製作費用だった
    • [48]商圏内の住民データと実際の店舗売上高の相関を既存店から定式化して候補地の予想売上高を算出し、実際の売り上げとの誤差は5%程度だった
    • [49]東京・新宿の本社39階に店舗開発部隊140人が配置されていた
  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
    • [46]藤田田氏は1995年時点で、当時の1300店を2000年までに5000店、売上高5000億円とする目標を示した
    • [50]サテライトと呼ぶ小型店は通常店舗の3分の1以下の規模、商圏人口1万人を対象とし、月商300万〜500万円で採算が合う
    • [51]通常の店舗は月商2000万円で採算が合う水準であった
    • [52]サテライト店は母店から500〜1000メートル離れた場所に置き、母店の事務所や倉庫を共有して食材の供給も受けた
    • [53]サテライト店の1号店は1994年3月に兵庫県三木市の新三木ジャスコ内へ開店した
    • [54]サテライト店のメニューは通常店の8割程度で、厨房施設は半分以下に抑えられていた
    • [55]勤続10年を超えた社員がフランチャイズ店のオーナーとして独立する社員フランチャイズ制度を1991年から積極的に進め、1995年までに約200人が独立した
  • 日経ビジネス 1994年10月24日号
    • [56]藤田田氏は、40〜50歳の中間管理職に尋ねると半分が独立したいと答えると述べた
  • 日本マクドナルド 単体損益(07_pl_long)
    • [57]日本マクドナルドの売上高は1996年2479億円、1997年2763億円、1998年3144億円、1999年3285億円であった
    • [58]日本マクドナルドの当期純利益は1996年110億円、1998年146億円、1999年159億円であった
    • [61]藤田田氏が1995年に掲げた2000年までに店舗5000店・売上高5000億円という目標は達成されなかった
  • 有価証券報告書 沿革
    • [59]1995年3月に本社を新宿住友ビルから新宿アイランドタワーへ移転し、社内から書類をなくす方針を掲げた
    • [60]1999年4月に資本金を68億7512万円へ、同年6月に82億7387万円へ増資した

筆者考察

1985年の減益が明かしたのは、利益が単品の当たり外れに振られる構造だった。前年に売れたチキンナゲットが1年で194億円から120億円へ落ち、それだけで25億円の見込み違いが生じる。店の数を増やすほど、当たった商品への依存も増えていた。同年12月の値上げは創業以来の据え置き方針を折る代わりに、客足を細らせる向きにも働く。1994年9月の100円バーガーは、その逆を測る実験だった。210円を100円にすると18倍売れる。この数字は需要の価格弾力性の目盛りであると同時に、消費の冷え方が会社の想定を超えていたことの証しでもあった。当たる商品を待つ経営から、価格そのものを動かす経営へ、会社はここで切り替わった。

値下げを続けられたのは、店の外側の条件に支えられていたからである。設立時に1ドル360円だった為替は90円台となり、輸入原料の値段は4分の1に下がった。世界70カ国の仕入担当が食材を一括して買い、1994年度には50億円の円高差益が出ている。一方で販管費率は66.9%へ上がり、駅前一等地の家賃と外食で最も高い店長給与がそこに乗っていた。安い商品を大量に売って重い固定費を賄う形は、円が反転すれば支えを失う。1999年の売上高3285億円は、この構造が最も良く噛み合った年の数字であり、同時に構造の限界を測る基準線でもある。単価を捨てて客数を買うという取引は、客が増え続ける間だけ成り立つ。

1985年〜1999年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1985年12月期 単体 1,188 n/a n/a n/a n/a
1986年12月期 単体 1,304 +9.8% n/a n/a n/a
1987年12月期 単体 1,436 +10.1% n/a n/a n/a
1988年12月期 単体 1,529 +6.5% n/a n/a n/a
1989年12月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1990年12月期 単体 1,754 n/a n/a n/a n/a
1991年12月期 単体 2,077 +18.4% n/a n/a n/a
1992年12月期 単体 2,126 +2.4% n/a n/a n/a
1993年12月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1994年12月期 単体 1,732 n/a 51 2.9% n/a
1995年12月期 単体 1,971 +13.8% 86 4.4% n/a
1996年12月期 単体 2,479 +25.8% 110 4.4% n/a
1997年12月期 単体 2,763 +11.5% 110 4.0% n/a
1998年12月期 単体 3,144 +13.8% 146 4.6% n/a
1999年12月期 単体 3,285 +4.5% 159 4.8% n/a

出所:IEレビュー30(3)、ヤノニュース、jmrlsi.co.jp

出典・参考

7件
出典・参考
  • 有価証券報告書 沿革
  • 日経ビジネス 1986年4月28日号
  • 日経ビジネス 1994年10月24日号
  • 日経ビジネス 1995年8月28日号
  • 日経ビジネス 1997年1月27日号
  • 日本マクドナルド 長期損益系列(IEレビュー 30(3)(161))
  • 日本マクドナルド 単体損益(07_pl_long)

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