事業売却・撤退
45件事業売却・撤退
45件日本企業の撤退判断の歴史は、バブル崩壊を境に質的に変化している。1991年以前の撤退は主に戦時統制や資源制約など外部要因に強制されたものが多かったのに対し、バブル崩壊後は企業が自らの意思で事業を切り離す「戦略的撤退」が本格化した。この変化の背景には、日本企業を取り巻く構造的な環境変化がある。
バブル崩壊は、日本企業に「持たざる経営」という新しいパラダイムを突きつけた。1990年代後半から2000年代にかけて「選択と集中」が経営のキーワードとなり、非中核事業の売却が一種のブームとなった。一社が大規模な事業売却を実行して市場から評価されると、同業他社も追随する構図が繰り返された。汎用品からの全面撤退、大衆向け事業の切り離し、低採算の海外拠点の閉鎖——こうした判断が「敗北」ではなく「英断」として受容されるようになったのは、日本の経営文化における大きな転換点であった。
円高トレンドは撤退判断に二重の影響を与えた。一方では輸出採算の悪化が国内工場の閉鎖を促進し、他方では円高で海外資産の売却益が目減りするため撤退のタイミングが難しくなった。2020年前後に集中した海外生産拠点の閉鎖・再編は、EV時代への転換という技術要因に加え、為替や地政学リスクの再評価が重なった結果である。「どこで作るか」の最適解が変わるたびに、前の時代に構築した拠点が撤退対象になるというサイクルが存在する。
撤退のパターンには大きく三つの類型が見られる。第一は「構造的縮小」への対応であり、新興国との価格競争に敗れた産業が半世紀以上をかけて段階的に退出するプロセスが記録されている。安価な輸入品やデジタル化による市場消失といったメガトレンドに対しては、撤退の「速度」が企業の命運を分けた。遅すぎる撤退は資源の浪費を招き、早すぎる撤退は残存者利益を取り損ねる。
第二は「攻めの撤退」であり、むしろ成長戦略の一環として事業を切り離すパターンである。「より多く売る」から「より高く売る」へ、量の追求から質の追求への転換を、非中核事業の売却で実現する。このパターンが2010年代以降に増加した背景には、アクティビストやスチュワードシップ・コードの浸透による資本効率への圧力がある。ROIC経営の普及が「持ち続ける合理性」を問い直す力として作用し、「売る理由」だけでなく「持ち続ける理由」の説明を求められるようになった。
第三は「再配置としての撤退」であり、事業そのものを止めるのではなく、資源の配分先を組み替えるパターンである。小規模店舗を閉じて大型旗艦店に集中する、国内工場を統合して最新鋭設備に投資する、といった判断がこれにあたる。撤退と投資が表裏一体で進む点が特徴であり、「縮小」ではなく「再構成」として理解すべきものである。
見落としがちだが重要なのは、撤退の「その後」である。一度撤退した事業に数十年後に再参入した事例や、工場跡地を不動産として転用した事例は、撤退が「終わり」ではなく資産やノウハウの再活用の起点になりうることを示している。撤退判断の本質は「何をやめるか」ではなく「残った資源で何に集中するか」の裏返しであり、企業の自己定義の更新そのものである。
半世紀以上にわたる構造的縮小の記録。資産売却、工場閉鎖、人員削減、そして最終的な祖業撤退まで、安価な輸入品との競争に敗れた国内繊維産業の退出プロセスが一貫して記録されている。
一度撤退した事業への数十年後の再参入や、工場跡地の不動産転用など、撤退の「その後」が多彩。撤退は終わりではなく、資産やノウハウの再活用の起点になりうることを示す好例。
遠洋漁業からの段階的撤退、非中核事業の売却、タバコ事業の国際的な再編など、「本業とは何か」を問い直す判断が多様な形で現れている。食品メーカーの事業ドメイン再定義の軌跡。
創業期の生存のための事業譲渡から、成熟企業の戦略的な非注力事業売却まで、企業のライフステージに応じた撤退判断の変化が読み取れる。コア領域の定義と非コアの切り離しが一貫したテーマ。
2020年前後に国内外の生産拠点閉鎖が集中。EV時代への生産体制再編と、採算の合わない海外拠点からの撤退が同時進行。「選択と集中」が工場単位で進む傾向。
数十年にわたり繰り返されてきた事業の切り離しの歴史。子会社分離→工場閉鎖→事業撤退→グループ外への売却と、手法が段階的に深化。総合電機のポートフォリオ経営の本質が浮かぶ。