NTTデータグループ:東証上場をめぐる官庁の思惑と公社由来の独占構造への批判
1995年〜上場の時期と株数を決めた大蔵省と郵政省の思惑
株式公開の目的は、分離のときに引き受けた借入金を減らすことにあった。1988年7月にデータ通信事業本部の営業を譲り受けた際、新会社は資産だけでなく借入金も背負っている。会社側の意向は、公募を厚くして市場から資金を調達し、その借入金を圧縮することにあった。一方の郵政省は、上場をNTT本体の株主への還元に使わせようとした。本体が持つ株の売り出しで株主作りを賄えば公募はゼロになり、子会社には資金が1円も入らない。エヌ・ティ・ティ・データ通信は1995年1月早々、本体にも内密のまま郵政省へ陳情に出向いたという。同じ上場から何を取るかが、親会社との間で割れていた。
- 有価証券報告書【沿革】
- [1]1988年7月、日本電信電話から同社データ通信事業本部に属する営業を譲り受け、営業を開始
- 日経ビジネス 1995年2月20日号
- [2]藤田史郎社長が、上場時に公募を増やして市場から資金を調達し、NTTからの分離の際に引き受けた借入金をできるだけ減らしたいと以前から漏らしていた
- [3]郵政省がデータ通信の上場を利用し、NTT本体の株主にできるだけ手厚い株主還元をするよう求めていたと関係者が述べた
- [4]データ通信は郵政省の思惑を懸念し、1995年1月早々にNTT本体にも内密のまま郵政省へ陳情に行ったとされる
- [5]郵政省とNTTとの対立だけでなく、NTTとNTTデータとの戦略にも対立があった
野村証券が握っていた公開の主幹事の座を、大和証券が奪った。会社は当初から早期の上場を望んでいたが、時期を決める主導権は会社になく、日程も株数も決まらないまま2月半ばになっても株数は7万株から8万株の幅で定まらなかった。背景にあったのは大蔵省証券局の意向で、不良債権を抱える金融機関の経営を揺らさぬよう、年度末の株価を押し下げうる大型募集は避けたいとしていた。先に控えた西日本旅客鉄道の上場が阪神・淡路大震災で流れると3月上場を狙う動きも出たが、結局は4月下旬へ送られた。上場を果たしたのは1995年4月、東京証券取引所市場第二部である。
- 日経ビジネス 1995年2月20日号
- [6]大和証券が、NTTの子会社として初めて上場するNTTデータ通信の公開主幹事の座をライバルの野村証券から奪った
- [7]データ通信はもともと、できるだけ早く上場したいという希望を持っていた
- [8]1995年2月半ばの時点でも公開株数は7万株から8万株ということで確定していなかった
- [9]上場スケジュールが定まらない背景には大蔵省の意向への配慮があり、NTTの大株主である理財局ではなく証券市場を監督する証券局が関与した
- [10]大蔵省は年度末の市場全体の株価に最大の関心を持ち、不良債権問題を抱える金融機関の経営問題に発展しかねないとして、証券会社の営業が年度末にデータ通信株の募集に追われないよう上場を遅らせる必要があった
- [11]国鉄清算事業団が株を保有する西日本旅客鉄道の上場が優先されていたが、阪神大震災で3月上場が不可能になったため、データ通信と大和証券は3月上場を実現しようとした。結局は4月下旬まで遅らせた
- 有価証券報告書【沿革】
- [12]1995年4月、東京証券取引所市場第二部に上場
官庁が口を出せたのは、上場の要件そのものが親会社の持ち分に触れていたためである。東証の規定は、上場直後の決算期までに親会社など特定株主の保有を7割以下へ下げることを求めた。下げ方は二つあり、本体の持ち株を売り出すか、新株を公募するかである。どちらをどれだけ使うかが、そのまま資金の行き先を決めた。当時のNTTは株主165万人を抱え、大蔵省が発行済み株式の3分の2を握る会社だった。1987年に318万円を付けた株価は1990年に72万円まで下げている。1988年の分離そのものが、成長分野を切り離した株価の下げ要因と見なされてきた経緯もあった。
- 日経ビジネス 1995年2月20日号
- [13]東証の上場規定は、上場直後の決算期までに親会社など特定株主の保有を7割以下にすることを求めていた
- [14]個人株主作りはNTT本体が保有する既発行株の売り出しと、新株を発行する公募の2つを組み合わせる
- [15]NTTの株主は1995年時点で165万人を超え、大蔵省が発行済み株式の3分の2を持つ大株主だった
- [17]NTT本体の株価は上場した1987年に318万円の最高値を付けた後、分割議論のあった1990年には72万円まで下げた
- [18]郵政省はNTT上場の際、データ通信を1988年に分離してNTTの100%子会社として発足させる方針を十分に周知せず、成長期待分野の突然の分離がNTT株の下げ要因の一つともされた
- 日経ビジネス 1997年4月7日号 宮津純一郎社長インタビュー
- [16]1997年時点でも日本政府がNTT株の3分の2を握り、宮津純一郎社長は政府の持ち株を早く放出してもらいたいと述べた
参考文献[1]-[18]
- 有価証券報告書【沿革】
- [1]1988年7月、日本電信電話から同社データ通信事業本部に属する営業を譲り受け、営業を開始
- [12]1995年4月、東京証券取引所市場第二部に上場
- 日経ビジネス 1995年2月20日号
- [2]藤田史郎社長が、上場時に公募を増やして市場から資金を調達し、NTTからの分離の際に引き受けた借入金をできるだけ減らしたいと以前から漏らしていた
- [3]郵政省がデータ通信の上場を利用し、NTT本体の株主にできるだけ手厚い株主還元をするよう求めていたと関係者が述べた
- [4]データ通信は郵政省の思惑を懸念し、1995年1月早々にNTT本体にも内密のまま郵政省へ陳情に行ったとされる
- [5]郵政省とNTTとの対立だけでなく、NTTとNTTデータとの戦略にも対立があった
- [6]大和証券が、NTTの子会社として初めて上場するNTTデータ通信の公開主幹事の座をライバルの野村証券から奪った
- [7]データ通信はもともと、できるだけ早く上場したいという希望を持っていた
- [8]1995年2月半ばの時点でも公開株数は7万株から8万株ということで確定していなかった
- [9]上場スケジュールが定まらない背景には大蔵省の意向への配慮があり、NTTの大株主である理財局ではなく証券市場を監督する証券局が関与した
- [10]大蔵省は年度末の市場全体の株価に最大の関心を持ち、不良債権問題を抱える金融機関の経営問題に発展しかねないとして、証券会社の営業が年度末にデータ通信株の募集に追われないよう上場を遅らせる必要があった
- [11]国鉄清算事業団が株を保有する西日本旅客鉄道の上場が優先されていたが、阪神大震災で3月上場が不可能になったため、データ通信と大和証券は3月上場を実現しようとした。結局は4月下旬まで遅らせた
- [13]東証の上場規定は、上場直後の決算期までに親会社など特定株主の保有を7割以下にすることを求めていた
- [14]個人株主作りはNTT本体が保有する既発行株の売り出しと、新株を発行する公募の2つを組み合わせる
- [15]NTTの株主は1995年時点で165万人を超え、大蔵省が発行済み株式の3分の2を持つ大株主だった
- [17]NTT本体の株価は上場した1987年に318万円の最高値を付けた後、分割議論のあった1990年には72万円まで下げた
- [18]郵政省はNTT上場の際、データ通信を1988年に分離してNTTの100%子会社として発足させる方針を十分に周知せず、成長期待分野の突然の分離がNTT株の下げ要因の一つともされた
- 日経ビジネス 1997年4月7日号 宮津純一郎社長インタビュー
- [16]1997年時点でも日本政府がNTT株の3分の2を握り、宮津純一郎社長は政府の持ち株を早く放出してもらいたいと述べた
1996年〜商号から通信が外れるまでと、親会社を上回った資本効率
上場後の数年で、会社は通信という名乗りを外した。1996年6月に英文表示をNTT DATA CORPORATIONへ改め、同年9月には東証市場第一部へ指定された。1998年8月、商号から通信の二文字を落としてエヌ・ティ・ティ・データとする。同じ年の11月には電気通信事業法の改正を受け、一般第二種電気通信事業者へ区分が変わった。回線を自ら持つ事業者ではなく、他人の回線を使ってシステムを売る会社という位置づけである。親会社の宮津純一郎氏はこの時期、同社を自分で顧客を取ってくる独立した通信会社と呼んでいた。公社のデータ通信部門という出自から、名実ともに離れる手続きだった。
- 有価証券報告書【沿革】
- [19]1996年6月、商号の英文表示をNTT DATA CORPORATIONに変更
- [20]1996年9月、東京証券取引所市場第一部に指定
- [21]1998年8月、商号を「エヌ・ティ・ティ・データ」に変更
- [22]1998年11月、電気通信事業法の改正により一般第二種電気通信事業者へ変更
- 日経ビジネス 1997年4月7日号 宮津純一郎社長インタビュー
- [23]NTT社長の宮津純一郎が、グループ会社にはNTTドコモやNTTデータ通信のように自分で顧客を取ってくる独立した通信会社もあると述べた
市場の評価は、規模ではなく資本の使い方に向いた。1998年3月末の時価総額から連結の実質株主資本を引いた株主からみた企業価値は、1兆2362億円である。連結株主資本500億円以上の全国上場企業451社を並べた集計で2位に付けた。実質株主資本に対する倍率は4.68倍で、首位に立ったセブン-イレブン・ジャパンの7.94倍に次いだ。日本電信電話は企業価値の実額こそ10兆1563億円と10倍近かったが、倍率は1.35倍で39位にとどまった。子会社が親会社の3.5倍の価値を生んでいた計算になる。連結の株主資本そのものは1998年3月末で2057億9900万円にすぎない。同じ集計で451社中201社は企業価値がマイナス、つまり資本を減らす側に回っていた。
- 日経ビジネス 1998年7月13日号
- [24]1998年3月末時点の株式時価総額から連結の実質株主資本額を引いた「株主からみた企業価値」で、NTTデータ通信は1兆2362億円
- [25]連結株主資本500億円以上・実質株主資本比率10%以上の全国上場企業451社を対象にした集計で、NTTデータ通信は2位
- [26]NTTデータ通信の「株主からみた企業価値創出度」は4.68倍で2位。1位はセブン-イレブン・ジャパンの7.94倍
- [27]日本電信電話は企業価値10兆1563億円・創出度1.35倍で39位
- [28]NTTデータ通信の企業価値の実額は日本電信電話の10分の1強だが、実質株主資本額に対する創出度はNTTの3.5倍
- [30]対象451社のうち45%にあたる201社は「株主からみた企業価値」がマイナスだった
- NTTデータ アニュアルレポート2000
- [29]1998年3月期末の連結株主資本は205,799百万円
実体の規模も、分離時とは別の会社になっていた。連結売上高は1998年3月期に6765億8100万円、翌1999年3月期には7101億5200万円へ伸びた。2000年3月期は7253億4800万円である。分離直前の1987年度が2400億円だったから、十年余りで3倍に近い。従業員も1987年度の6800人から、1990年に約7400人、1992年には7800人へ増えた。公共と金融の巨大システムで積み上げた規模を、上場企業として市場に示せる規模へ育てたことになる。ただし2000年3月期は営業利益が507億3800万円へ落ち、当期は291億7700万円の損失を計上した。
- NTTデータ アニュアルレポート2000
- [31]1998年3月期の連結売上高は676,581百万円
- [32]1999年3月期の連結売上高は710,152百万円
- [33]2000年3月期の連結売上高は725,348百万円
- [37]2000年3月期の営業利益は50,738百万円、当期損失は29,177百万円
- 日経ビジネス 1988年7月18日号
- [34]1987年度(昭和62年度)の売上高は2400億円
- 日経ビジネス 1990年11月19日号
- [35]1990年11月時点のNTTデータ通信の社員は約7400人
- 日経ビジネス 1992年4月13日号
- [36]1992年時点のNTTデータ通信の社員は7800人
参考文献[19]-[37]
- 有価証券報告書【沿革】
- [19]1996年6月、商号の英文表示をNTT DATA CORPORATIONに変更
- [20]1996年9月、東京証券取引所市場第一部に指定
- [21]1998年8月、商号を「エヌ・ティ・ティ・データ」に変更
- [22]1998年11月、電気通信事業法の改正により一般第二種電気通信事業者へ変更
- 日経ビジネス 1997年4月7日号 宮津純一郎社長インタビュー
- [23]NTT社長の宮津純一郎が、グループ会社にはNTTドコモやNTTデータ通信のように自分で顧客を取ってくる独立した通信会社もあると述べた
- 日経ビジネス 1998年7月13日号
- [24]1998年3月末時点の株式時価総額から連結の実質株主資本額を引いた「株主からみた企業価値」で、NTTデータ通信は1兆2362億円
- [25]連結株主資本500億円以上・実質株主資本比率10%以上の全国上場企業451社を対象にした集計で、NTTデータ通信は2位
- [26]NTTデータ通信の「株主からみた企業価値創出度」は4.68倍で2位。1位はセブン-イレブン・ジャパンの7.94倍
- [27]日本電信電話は企業価値10兆1563億円・創出度1.35倍で39位
- [28]NTTデータ通信の企業価値の実額は日本電信電話の10分の1強だが、実質株主資本額に対する創出度はNTTの3.5倍
- [30]対象451社のうち45%にあたる201社は「株主からみた企業価値」がマイナスだった
- NTTデータ アニュアルレポート2000
- [29]1998年3月期末の連結株主資本は205,799百万円
- [31]1998年3月期の連結売上高は676,581百万円
- [32]1999年3月期の連結売上高は710,152百万円
- [33]2000年3月期の連結売上高は725,348百万円
- [37]2000年3月期の営業利益は50,738百万円、当期損失は29,177百万円
- 日経ビジネス 1988年7月18日号
- [34]1987年度(昭和62年度)の売上高は2400億円
- 日経ビジネス 1990年11月19日号
- [35]1990年11月時点のNTTデータ通信の社員は約7400人
- 日経ビジネス 1992年4月13日号
- [36]1992年時点のNTTデータ通信の社員は7800人
1997年〜持株会社体制への移行と、社長人事が示した親会社との距離
社長の座は、親会社の人事で動いた。藤田史郎氏は1953年に日本電信電話公社へ入り、1985年の民営化で取締役、翌1986年に常務となった。1988年5月の設立とともに、初代社長へ就任した。1994年、NTT社長の児島仁氏は副社長を退任した神林留雄氏を後任に据えようとした。だが藤田氏が児島氏より年長であったことなどから、この交代は流れたという。民営化を推進した真藤恒氏から、この事業は君の手でと託された経緯も続投の根拠になっていた。神林氏は次期社長の含みを持ったまま、顧問という職に置かれる。交代が成ったのは1995年6月で、藤田氏は会長へ回った。
- 日経ビジネス 1994年8月22日号 編集長インタビュー 藤田史郎氏
- [38]藤田史郎は1953年に茨城大学工学部を卒業して日本電信電話公社に入社し、1985年4月のNTT民営化とともに取締役、1986年に常務となった
- [39]藤田史郎は1988年5月のNTTデータ通信設立に伴い社長に就任した
- Decide 1999年3月号
- [40]1994年、NTT社長の児島仁が副社長を退任した神林留雄をNTTデータの社長に据えようとした
- [41]藤田史郎が児島仁より年長であったことなどから、1994年の社長交代は流れたとされる
- [42]藤田史郎には、実力者であった真藤恒から直々にこの事業は君の手でと託されたという社長続投の理由があった
- [43]神林留雄は次期社長の含みでNTTデータの顧問に就任した
- [44]1995年のNTTデータのトップ人事は藤田会長、神林社長に落ち着いた
親会社の側も、自らの形を組み替える途中にあった。NTTは1999年度中に、持ち株会社と東西2つの地域会社、長距離・国際サービス会社の4つに分割されることが決まっていた。宮津氏が子会社へ繰り返し伝えていたのは、『NTTに全面的に依存するな』という一言である。NTTから独立して生きていける会社は、上場する方向で考えればよいという立場である。同じ時期、分割をさらに進める第2次分割案も論じられていた。その中身の一つが、NTT移動通信網とNTTデータ通信の完全分離だった。旧来のファミリー企業を生かすために親会社があるのではない、という整理も同時に示された。子会社の独立は、親会社が抱える競争政策上の課題でもあった。
- 日経ビジネス 1997年4月7日号
- [45]NTTは1999年度中に、持ち株会社と東西2つの地域会社、長距離・国際サービス会社に4分割されることが決まっていた
- [48]分割後の新NTTを完全民営化した先に第2次分割案が浮上するとの見方があった
- [49]第2次分割の内容として、携帯電話会社のNTT移動通信網(ドコモ)と情報処理会社のNTTデータ通信の完全分離が挙げられた
- 日経ビジネス 1997年4月7日号 宮津純一郎社長インタビュー
- [46]NTT社長の宮津純一郎が、子会社にNTTに全面的に依存するなと繰り返し言っていると述べた
- [47]宮津純一郎が、NTTから独立して生きていける会社は上場する方向で考えればいいと述べた
- [50]NTT社長の宮津純一郎が、旧ファミリーを生かすためにNTTがあるわけではないと述べた
独立の度合いは、上納金をめぐって顕在化した。神林氏はNTT持ち株会社への上納金負担の要請に異を唱えていた。宮津氏が恐れたのは、NTTデータが持ち株会社の言うことを聞かなくなることだったという。子会社に依存するなと説く一方で、指示は届かせたいという立場だった。1999年6月、NTT副社長の青木利晴氏が社長として送り込まれる。神林氏は代表権のある会長、藤田氏は相談役へ退き、神林氏の社長在任は4年で終わった。この人事で藤田氏を外せる神林氏は、大きな抵抗を見せなかったという。上場して4年が過ぎても、誰が経営するかは親会社が決めていた。
- Decide 1999年3月号
- [51]神林留雄はNTT持ち株会社への上納金負担要請にクレームをつけていた
- [52]NTT社長の宮津純一郎が恐れていたのは、NTTデータがNTT持ち株会社のいうことを聞かなくなることだったとされる
- [54]1999年6月末、NTT副社長の青木利晴がNTTデータ社長に就任した
- [55]神林留雄は1999年6月末に代表権のある会長となり藤田史郎は相談役に退いた。神林の社長在任は4年と短かった
- [56]神林留雄はこの人事で藤田会長の首を切ることができるため大きな抵抗はせず、宮津純一郎の人事は藤田と神林の微妙な関係を突く形で行われた
- 日経ビジネス 1997年4月7日号 宮津純一郎社長インタビュー
- [53]宮津純一郎は子会社にNTTへ全面的に依存するなと述べる一方、グループ各社をうまく回していくことを再編のテーマに挙げた
参考文献[38]-[56]
- 日経ビジネス 1994年8月22日号 編集長インタビュー 藤田史郎氏
- [38]藤田史郎は1953年に茨城大学工学部を卒業して日本電信電話公社に入社し、1985年4月のNTT民営化とともに取締役、1986年に常務となった
- [39]藤田史郎は1988年5月のNTTデータ通信設立に伴い社長に就任した
- Decide 1999年3月号
- [40]1994年、NTT社長の児島仁が副社長を退任した神林留雄をNTTデータの社長に据えようとした
- [41]藤田史郎が児島仁より年長であったことなどから、1994年の社長交代は流れたとされる
- [42]藤田史郎には、実力者であった真藤恒から直々にこの事業は君の手でと託されたという社長続投の理由があった
- [43]神林留雄は次期社長の含みでNTTデータの顧問に就任した
- [44]1995年のNTTデータのトップ人事は藤田会長、神林社長に落ち着いた
- [51]神林留雄はNTT持ち株会社への上納金負担要請にクレームをつけていた
- [52]NTT社長の宮津純一郎が恐れていたのは、NTTデータがNTT持ち株会社のいうことを聞かなくなることだったとされる
- [54]1999年6月末、NTT副社長の青木利晴がNTTデータ社長に就任した
- [55]神林留雄は1999年6月末に代表権のある会長となり藤田史郎は相談役に退いた。神林の社長在任は4年と短かった
- [56]神林留雄はこの人事で藤田会長の首を切ることができるため大きな抵抗はせず、宮津純一郎の人事は藤田と神林の微妙な関係を突く形で行われた
- 日経ビジネス 1997年4月7日号
- [45]NTTは1999年度中に、持ち株会社と東西2つの地域会社、長距離・国際サービス会社に4分割されることが決まっていた
- [48]分割後の新NTTを完全民営化した先に第2次分割案が浮上するとの見方があった
- [49]第2次分割の内容として、携帯電話会社のNTT移動通信網(ドコモ)と情報処理会社のNTTデータ通信の完全分離が挙げられた
- 日経ビジネス 1997年4月7日号 宮津純一郎社長インタビュー
- [46]NTT社長の宮津純一郎が、子会社にNTTに全面的に依存するなと繰り返し言っていると述べた
- [47]宮津純一郎が、NTTから独立して生きていける会社は上場する方向で考えればいいと述べた
- [50]NTT社長の宮津純一郎が、旧ファミリーを生かすためにNTTがあるわけではないと述べた
- [53]宮津純一郎は子会社にNTTへ全面的に依存するなと述べる一方、グループ各社をうまく回していくことを再編のテーマに挙げた
1995年〜2004年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1995年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1996年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1997年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1998年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1999年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2000年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2001年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2002年03月期 | 連結 | 8,020 | n/a | 472 | 264 | 3.3% | n/a |
| 2003年03月期 | 連結 | 8,321 | +3.8% | 473 | 286 | 3.4% | n/a |
| 2004年03月期 | 連結 | 8,467 | +1.8% | 496 | 270 | 3.2% | n/a |
出典・参考
11件
- NTTデータ アニュアルレポート2000
- 有価証券報告書【沿革】
- 日経ビジネス 1988年7月18日号
- 日経ビジネス 1990年11月19日号
- 日経ビジネス 1992年4月13日号
- 日経ビジネス 1994年8月22日号 編集長インタビュー 藤田史郎氏
- 日経ビジネス 1995年2月20日号
- 日経ビジネス 1997年4月7日号 宮津純一郎社長インタビュー
- 日経ビジネス 1997年4月7日号
- 日経ビジネス 1998年7月13日号
- Decide 1999年3月号