ボーダフォン(現ソフトバンク):J-フォンの写メールとボーダフォン・グループの傘下入り
1999年〜9社の商号をそろえたJ-フォンと、カメラ付き携帯の写メール
1999年10月、東京デジタルホンなどデジタルホン3社とデジタルツーカー6社の計9社が、商号をそろってJ-フォンに改めた。9社は1997年にグループの呼び名をJ-PHONEに変えていたが、会社としては地域ごとに別々のままだった。東京デジタルホンは1999年春、料金メニューや新サービス、アフターサービスをグループで統一し、ブランドの重みを増す方針を掲げていた。統合前の9社は系列も異なり、端末の企画も広告も地域ごとに行っていた。商号の統一に続き、2000年5月に持株会社のジェイフォンが9社を傘下に収め、同年10月には9社を東日本・東海・西日本の3社に合併した。呼び名、商号、資本、組織の順に、地域会社を一つの会社へ寄せていったとみられる。
- ソフトバンク 有価証券報告書(2019年3月期)【沿革】
- [1]1999年10月、デジタルホン3社・デジタルツーカー6社の計9社がJ-フォン9社に商号変更。2000年5月ジェイフォンが9社の持株会社に、2000年10月に東日本・東海・西日本の3社へ合併再編
- [5]1999年10月、デジタルホン3社・デジタルツーカー6社の計9社がJ-フォン9社に商号変更。2000年5月ジェイフォンが9社の持株会社に、2000年10月に東日本・東海・西日本の3社へ合併再編
- 通信工業 39(5) 1999年5月 萩原和之「東京デジタルホンの現状と展望」
- [2]1997年にデジタルホングループの名称をJ-PHONEグループに変更。グループ内の料金メニュー・付加サービス・新サービス・アフターサービスの統一を図りブランドのメジャー感を醸成する方針(1999年)
- [3]1997年にデジタルホングループの名称をJ-PHONEグループに変更。グループ内の料金メニュー・付加サービス・新サービス・アフターサービスの統一を図りブランドのメジャー感を醸成する方針(1999年)
- 日経ビジネス 2003年2月17日
- [4]グリーンによれば、J-フォンは元は系列の異なる9社で、端末も各地域が独自に企画し、広告もばらばらだった
J-フォンは2000年時点で、ドコモ・KDDIと並ぶ三陣営のうち最も小さい16%強の市場シェアにとどまっていた。中核のJ-フォン東京は2000年3月期に売上高2697億円、経常利益530億円を計上し、累積損失を解消した。撮った写真をメールで送る写メールは、グリーンが着任する1年前に、J-フォンの経営会議で決まっていた。当時は3Gのテレビ電話が注目を集め、写真のメールは要らないとみる競合もあった。写メールの時期、J-フォンは年間200万件以上の純増を得た。2001年末の累計台数シェアは17%強の3位で、2位のKDDIのauとの差は0.4ポイントまで縮まった。支持の中心は10代から20代前半の女性だった。通信の方式で先行できない後発は、端末の使い道で若い客を集めることを選んだのだろう。
- エルネオス 6(8) 2000年8月「ドコモ、KDDI、J-フォン三つ巴「次世代携帯電話」の覇権争いを読む」
- [6]2000年時点のJ-フォンの市場シェアは16%強で三陣営中最小。J-フォン東京の2000年3月期は売上高2697億円(前期比54%増)、経常利益530億円で累積損失を解消
- [7]2000年時点のJ-フォンの市場シェアは16%強で三陣営中最小。J-フォン東京の2000年3月期は売上高2697億円(前期比54%増)、経常利益530億円で累積損失を解消
- 日経ビジネス 2003年2月17日
- [8]写メールはグリーン着任の1年前に経営会議で決定。当時は3Gが騒がれ、テレビ電話になるので写メールは不要とする競争相手もいた
- [9]写メールはグリーン着任の1年前に経営会議で決定。当時は3Gが騒がれ、テレビ電話になるので写メールは不要とする競争相手もいた
- 政財界 26(10) 2004年11月 溝上幸伸「苦戦するボーダフォンの迷走の原因は?」
- [10]写メールの時期、J-フォン(のちボーダフォン)は年間200万件以上の純増を確保していた
- 日経ビジネス 2002年2月11日
- [11]2001年末のJ-フォンの累計台数シェアは17%強で3位、2位のKDDI「au」とは0.4%差。10代から20代前半の女性に支持された
- [12]2001年末のJ-フォンの累計台数シェアは17%強で3位、2位のKDDI「au」とは0.4%差。10代から20代前半の女性に支持された
参考文献[1]-[12]
- ソフトバンク 有価証券報告書(2019年3月期)【沿革】
- [1]1999年10月、デジタルホン3社・デジタルツーカー6社の計9社がJ-フォン9社に商号変更。2000年5月ジェイフォンが9社の持株会社に、2000年10月に東日本・東海・西日本の3社へ合併再編
- [5]1999年10月、デジタルホン3社・デジタルツーカー6社の計9社がJ-フォン9社に商号変更。2000年5月ジェイフォンが9社の持株会社に、2000年10月に東日本・東海・西日本の3社へ合併再編
- 通信工業 39(5) 1999年5月 萩原和之「東京デジタルホンの現状と展望」
- [2]1997年にデジタルホングループの名称をJ-PHONEグループに変更。グループ内の料金メニュー・付加サービス・新サービス・アフターサービスの統一を図りブランドのメジャー感を醸成する方針(1999年)
- [3]1997年にデジタルホングループの名称をJ-PHONEグループに変更。グループ内の料金メニュー・付加サービス・新サービス・アフターサービスの統一を図りブランドのメジャー感を醸成する方針(1999年)
- 日経ビジネス 2003年2月17日
- [4]グリーンによれば、J-フォンは元は系列の異なる9社で、端末も各地域が独自に企画し、広告もばらばらだった
- [8]写メールはグリーン着任の1年前に経営会議で決定。当時は3Gが騒がれ、テレビ電話になるので写メールは不要とする競争相手もいた
- [9]写メールはグリーン着任の1年前に経営会議で決定。当時は3Gが騒がれ、テレビ電話になるので写メールは不要とする競争相手もいた
- エルネオス 6(8) 2000年8月「ドコモ、KDDI、J-フォン三つ巴「次世代携帯電話」の覇権争いを読む」
- [6]2000年時点のJ-フォンの市場シェアは16%強で三陣営中最小。J-フォン東京の2000年3月期は売上高2697億円(前期比54%増)、経常利益530億円で累積損失を解消
- [7]2000年時点のJ-フォンの市場シェアは16%強で三陣営中最小。J-フォン東京の2000年3月期は売上高2697億円(前期比54%増)、経常利益530億円で累積損失を解消
- 政財界 26(10) 2004年11月 溝上幸伸「苦戦するボーダフォンの迷走の原因は?」
- [10]写メールの時期、J-フォン(のちボーダフォン)は年間200万件以上の純増を確保していた
- 日経ビジネス 2002年2月11日
- [11]2001年末のJ-フォンの累計台数シェアは17%強で3位、2位のKDDI「au」とは0.4%差。10代から20代前半の女性に支持された
- [12]2001年末のJ-フォンの累計台数シェアは17%強で3位、2位のKDDI「au」とは0.4%差。10代から20代前半の女性に支持された
2000年〜BT・AT&Tの持ち分を取得したボーダフォンと、村上春雄社長の外資受け入れ
3Gの事業免許は2000年6月30日にドコモ、J-フォン、KDDIの三陣営へ交付され、どの方式でも1兆円規模の投資が要るとされた。日本テレコムはそれに先立つ1999年4月に第三者割当増資を行い、米AT&Tと英BTの出資を受け入れていた。2000年4月に立ち上げた持株会社のJ-フォンには、日本テレコムが54%、英ボーダフォン・エアタッチが26%、BTが20%を出した。三社は5月にJ-フォン9社の第三者割当増資を引き受け、約7000億円を投じた。技術方式はドコモと同じ日欧方式を採った。2000年末にはボーダフォンが日本テレコム株の15%を取得し、既存の出資先の持ち分を引き上げる方針を実地に移した。
- エルネオス 6(8) 2000年8月「ドコモ、KDDI、J-フォン三つ巴「次世代携帯電話」の覇権争いを読む」
- [13]2000年6月30日に3陣営へ次世代携帯の事業免許。1兆円規模の投資が必要。2000年4月に日本テレコム54%・ボーダフォンエアタッチ26%・BT20%で持株会社J-フォンを設立、5月に9社の第三者割当増資を引き受け約7000億円を投入。日欧方式を採用
- [15]2000年6月30日に3陣営へ次世代携帯の事業免許。1兆円規模の投資が必要。2000年4月に日本テレコム54%・ボーダフォンエアタッチ26%・BT20%で持株会社J-フォンを設立、5月に9社の第三者割当増資を引き受け約7000億円を投入。日欧方式を採用
- [16]2000年6月30日に3陣営へ次世代携帯の事業免許。1兆円規模の投資が必要。2000年4月に日本テレコム54%・ボーダフォンエアタッチ26%・BT20%で持株会社J-フォンを設立、5月に9社の第三者割当増資を引き受け約7000億円を投入。日欧方式を採用
- [17]2000年6月30日に3陣営へ次世代携帯の事業免許。1兆円規模の投資が必要。2000年4月に日本テレコム54%・ボーダフォンエアタッチ26%・BT20%で持株会社J-フォンを設立、5月に9社の第三者割当増資を引き受け約7000億円を投入。日欧方式を採用
- 日経ビジネス 2001年3月5日
- [14]日本テレコムは1999年4月に第三者割当増資でAT&TとBTの出資を受け入れた
- 日経ビジネス 2001年1月8日
- [18]ボーダフォンは2000年末に日本テレコムへの15%出資を決定。既存出資先の所有株の増加という成長戦略の一環で、J-フォン持株会社には26%を出資
2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い、日本テレコムの筆頭株主となる計画が明らかになった。出資比率は15%から25%か30%に上がり、JR東日本の15.1%を上回る見込みだった。日本テレコム社長の村上春雄は、1兆円に迫る3Gの投資と通信の国際化を前に、外資の資本を入れて財務を固めると決めた。村上は外資の受け入れについて、『相手先の株式を持つ資金的余力があれば、そもそも外資からの資本を受け入れる必要はない。今後の生き残りをかけて決断したことだ』という立場を取った。ボーダフォンは3月にAT&Tから株を買い取り、出資比率は25%に達した。ボーダフォンは役員4人の派遣を求めたが、会長の坂田浩一は2人と押し返した。J-フォンの持株会社でもボーダフォンとBTが並んで出資し、両社がそれぞれ日本での影響力を求める構図は2000年から指摘されていた。経営への関与をめぐる綱引きは、この時点では日本側がなお押さえていたと思われる。
- 日経ビジネス 2001年3月5日
- [19]2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い取り出資比率を15%から25%または30%へ上げる話が進行。実現すればJR東日本の15.1%を超え筆頭株主に。村上は1兆円に迫る次世代携帯投資と国際化を前に外資資本で財務・事業基盤を強化する考え
- [20]2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い取り出資比率を15%から25%または30%へ上げる話が進行。実現すればJR東日本の15.1%を超え筆頭株主に。村上は1兆円に迫る次世代携帯投資と国際化を前に外資資本で財務・事業基盤を強化する考え
- [21]2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い取り出資比率を15%から25%または30%へ上げる話が進行。実現すればJR東日本の15.1%を超え筆頭株主に。村上は1兆円に迫る次世代携帯投資と国際化を前に外資資本で財務・事業基盤を強化する考え
- [22]2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い取り出資比率を15%から25%または30%へ上げる話が進行。実現すればJR東日本の15.1%を超え筆頭株主に。村上は1兆円に迫る次世代携帯投資と国際化を前に外資資本で財務・事業基盤を強化する考え
- 日経ビジネス 2001年4月16日
- [23]ボーダフォンは2000年末にJR東海・JR西日本から、2001年3月にAT&Tから株式を買い取り出資比率25%。派遣役員4人を要求し、坂田浩一会長は2人と突き返した
- [24]ボーダフォンは2000年末にJR東海・JR西日本から、2001年3月にAT&Tから株式を買い取り出資比率25%。派遣役員4人を要求し、坂田浩一会長は2人と突き返した
- エルネオス 6(8) 2000年8月「ドコモ、KDDI、J-フォン三つ巴「次世代携帯電話」の覇権争いを読む」
- [25]J-フォン持株会社に出資するボーダフォン・エアタッチとBTは日本では呉越同舟で、それぞれJ-フォンに影響力を行使したいと考えるのは当然と指摘(2000年)
ボーダフォンは2001年9月半ば、日本テレコム株の公開買付けを表明した。ドコモが3Gの本格サービスを10月に始める直前の動きだった。ボーダフォンは出資比率50%以上を原則とし、20%以下の出資と技術供与で海外に出るドコモとは逆の型を取った。ボーダフォン社長のクリス・ジェントは、『ドコモは日本では一番だが、20%以下の出資で国際展開はできない』という見方を示していた。公開買付けの結果、ボーダフォンは2001年10月に日本テレコム株の66.7%を握り、親会社となった。11月には日本テレコムの次期社長にボーダフォンのウィリアム・モローを充てる人事が決まった。J-フォンも同月に3社を1社に合併し、経営陣を一新した。
- 日経ビジネス 2001年10月1日
- [26]2001年9月半ば、ドコモの3G本格開始(10月)直前にボーダフォンが日本テレコム株の公開買付けを表明。ボーダフォンは出資比率50%以上が原則、ドコモは20%以下の出資と技術供与
- [27]2001年9月半ば、ドコモの3G本格開始(10月)直前にボーダフォンが日本テレコム株の公開買付けを表明。ボーダフォンは出資比率50%以上が原則、ドコモは20%以下の出資と技術供与
- [28]2001年9月半ば、ドコモの3G本格開始(10月)直前にボーダフォンが日本テレコム株の公開買付けを表明。ボーダフォンは出資比率50%以上が原則、ドコモは20%以下の出資と技術供与
- [29]2001年9月半ば、ドコモの3G本格開始(10月)直前にボーダフォンが日本テレコム株の公開買付けを表明。ボーダフォンは出資比率50%以上が原則、ドコモは20%以下の出資と技術供与
- ソフトバンク 有価証券報告書(2019年3月期)【沿革】
- [30]2001年10月、ボーダフォン・グループ子会社の公開買付けの結果、日本テレコム株式の66.7%を保有し親会社に。2001年11月、ジェイフォンが東日本・東海・西日本の3社と合併
- [32]2001年10月、ボーダフォン・グループ子会社の公開買付けの結果、日本テレコム株式の66.7%を保有し親会社に。2001年11月、ジェイフォンが東日本・東海・西日本の3社と合併
- Bloomberg 2001年11月28日
- [31]2001年11月、日本テレコムの次期社長にボーダフォンのウィリアム・T・モローが決まった
- 日経ビジネス 2002年2月11日
- [33]日本テレコムの筆頭株主がボーダフォンに代わったのに呼応し、J-フォンの経営陣は一新され、全国3社から1社体制に統合
参考文献[13]-[33]
- エルネオス 6(8) 2000年8月「ドコモ、KDDI、J-フォン三つ巴「次世代携帯電話」の覇権争いを読む」
- [13]2000年6月30日に3陣営へ次世代携帯の事業免許。1兆円規模の投資が必要。2000年4月に日本テレコム54%・ボーダフォンエアタッチ26%・BT20%で持株会社J-フォンを設立、5月に9社の第三者割当増資を引き受け約7000億円を投入。日欧方式を採用
- [15]2000年6月30日に3陣営へ次世代携帯の事業免許。1兆円規模の投資が必要。2000年4月に日本テレコム54%・ボーダフォンエアタッチ26%・BT20%で持株会社J-フォンを設立、5月に9社の第三者割当増資を引き受け約7000億円を投入。日欧方式を採用
- [16]2000年6月30日に3陣営へ次世代携帯の事業免許。1兆円規模の投資が必要。2000年4月に日本テレコム54%・ボーダフォンエアタッチ26%・BT20%で持株会社J-フォンを設立、5月に9社の第三者割当増資を引き受け約7000億円を投入。日欧方式を採用
- [17]2000年6月30日に3陣営へ次世代携帯の事業免許。1兆円規模の投資が必要。2000年4月に日本テレコム54%・ボーダフォンエアタッチ26%・BT20%で持株会社J-フォンを設立、5月に9社の第三者割当増資を引き受け約7000億円を投入。日欧方式を採用
- [25]J-フォン持株会社に出資するボーダフォン・エアタッチとBTは日本では呉越同舟で、それぞれJ-フォンに影響力を行使したいと考えるのは当然と指摘(2000年)
- 日経ビジネス 2001年3月5日
- [14]日本テレコムは1999年4月に第三者割当増資でAT&TとBTの出資を受け入れた
- [19]2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い取り出資比率を15%から25%または30%へ上げる話が進行。実現すればJR東日本の15.1%を超え筆頭株主に。村上は1兆円に迫る次世代携帯投資と国際化を前に外資資本で財務・事業基盤を強化する考え
- [20]2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い取り出資比率を15%から25%または30%へ上げる話が進行。実現すればJR東日本の15.1%を超え筆頭株主に。村上は1兆円に迫る次世代携帯投資と国際化を前に外資資本で財務・事業基盤を強化する考え
- [21]2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い取り出資比率を15%から25%または30%へ上げる話が進行。実現すればJR東日本の15.1%を超え筆頭株主に。村上は1兆円に迫る次世代携帯投資と国際化を前に外資資本で財務・事業基盤を強化する考え
- [22]2001年2月、ボーダフォンがAT&Tの持ち分を買い取り出資比率を15%から25%または30%へ上げる話が進行。実現すればJR東日本の15.1%を超え筆頭株主に。村上は1兆円に迫る次世代携帯投資と国際化を前に外資資本で財務・事業基盤を強化する考え
- 日経ビジネス 2001年1月8日
- [18]ボーダフォンは2000年末に日本テレコムへの15%出資を決定。既存出資先の所有株の増加という成長戦略の一環で、J-フォン持株会社には26%を出資
- 日経ビジネス 2001年4月16日
- [23]ボーダフォンは2000年末にJR東海・JR西日本から、2001年3月にAT&Tから株式を買い取り出資比率25%。派遣役員4人を要求し、坂田浩一会長は2人と突き返した
- [24]ボーダフォンは2000年末にJR東海・JR西日本から、2001年3月にAT&Tから株式を買い取り出資比率25%。派遣役員4人を要求し、坂田浩一会長は2人と突き返した
- 日経ビジネス 2001年10月1日
- [26]2001年9月半ば、ドコモの3G本格開始(10月)直前にボーダフォンが日本テレコム株の公開買付けを表明。ボーダフォンは出資比率50%以上が原則、ドコモは20%以下の出資と技術供与
- [27]2001年9月半ば、ドコモの3G本格開始(10月)直前にボーダフォンが日本テレコム株の公開買付けを表明。ボーダフォンは出資比率50%以上が原則、ドコモは20%以下の出資と技術供与
- [28]2001年9月半ば、ドコモの3G本格開始(10月)直前にボーダフォンが日本テレコム株の公開買付けを表明。ボーダフォンは出資比率50%以上が原則、ドコモは20%以下の出資と技術供与
- [29]2001年9月半ば、ドコモの3G本格開始(10月)直前にボーダフォンが日本テレコム株の公開買付けを表明。ボーダフォンは出資比率50%以上が原則、ドコモは20%以下の出資と技術供与
- ソフトバンク 有価証券報告書(2019年3月期)【沿革】
- [30]2001年10月、ボーダフォン・グループ子会社の公開買付けの結果、日本テレコム株式の66.7%を保有し親会社に。2001年11月、ジェイフォンが東日本・東海・西日本の3社と合併
- [32]2001年10月、ボーダフォン・グループ子会社の公開買付けの結果、日本テレコム株式の66.7%を保有し親会社に。2001年11月、ジェイフォンが東日本・東海・西日本の3社と合併
- Bloomberg 2001年11月28日
- [31]2001年11月、日本テレコムの次期社長にボーダフォンのウィリアム・T・モローが決まった
- 日経ビジネス 2002年2月11日
- [33]日本テレコムの筆頭株主がボーダフォンに代わったのに呼応し、J-フォンの経営陣は一新され、全国3社から1社体制に統合
2002年〜ダリル・グリーン社長の3Gと、固定の日本テレコムを売却して残ったボーダフォン
ボーダフォンは、グローバル・クロッシング・ジャパン社長だったダリル・E・グリーンを2001年11月にJ-フォン社長に据えた。グリーンは就任前に決まっていた設備投資の計画を、縮む第2世代への投資は無駄だとして半分の3000億円強に削減した。従来の計画のままでは借入が1兆円から2兆円に増え、8年続いた資金の流出も止まらなかった。ボーダフォンと日本テレコムの間で固まっていた役員人事も覆し、退任の決まっていた旧J-フォン東日本社長の林義郎を会長に迎えた。グリーンが率いたJ-フォンは、2001年11月に東日本・東海・西日本の3社を合併した1社体制だった。『企業はフリーキャッシュフローを大事にしなければいけない。たとえ1円でも黒字ならいいんです』という方針のもと、仕事の重さを点数にする職位の等級と、ポストの社内公募も入れた。
- 日経ビジネス 2002年2月11日
- [34]グリーンは前職グローバル・クロッシング・ジャパン社長。2001年11月J-フォン社長。ジェントは日本文化になじんだ人物を条件とした。就任前の設備投資計画を、しぼむ第2世代への投資は無駄として半分の3000億円強に削減。固まっていた役員人事を覆し旧J-フォン東日本社長の林義郎を会長に迎えた
- [35]グリーンは前職グローバル・クロッシング・ジャパン社長。2001年11月J-フォン社長。ジェントは日本文化になじんだ人物を条件とした。就任前の設備投資計画を、しぼむ第2世代への投資は無駄として半分の3000億円強に削減。固まっていた役員人事を覆し旧J-フォン東日本社長の林義郎を会長に迎えた
- [37]グリーンは前職グローバル・クロッシング・ジャパン社長。2001年11月J-フォン社長。ジェントは日本文化になじんだ人物を条件とした。就任前の設備投資計画を、しぼむ第2世代への投資は無駄として半分の3000億円強に削減。固まっていた役員人事を覆し旧J-フォン東日本社長の林義郎を会長に迎えた
- 日経ビジネス 2003年2月17日
- [36]グリーンは1歳から5歳前まで日本で暮らした。計画通りなら借入が1兆円から2兆円に増え、8年間支出が収入を上回っていた。ポジショングレードと社内公募制を導入
- [39]グリーンは1歳から5歳前まで日本で暮らした。計画通りなら借入が1兆円から2兆円に増え、8年間支出が収入を上回っていた。ポジショングレードと社内公募制を導入
- ソフトバンク 有価証券報告書(2019年3月期)【沿革】
- [38]2001年11月、ジェイフォンが東日本・東海・西日本の3社と合併
日本テレコムは2002年8月に持株会社体制へ移り、商号を日本テレコムホールディングスに改めた。固定通信は会社分割で新設した日本テレコムに移し、携帯のJ-フォンと並ぶ子会社とした。その前の7月には、携帯のシステム事業と端末の販売代理店事業も会社分割で子会社に切り出していた。ボーダフォンは親会社でいる間、固定の日本テレコムの設備投資を大きく絞った。2003年2月には、ボーダフォンが日本テレコムの売却に向けて複数の企業と交渉していることを明らかにした。固定と携帯を別々の会社に分けた持株会社化は、固定を売れる単位にする準備を兼ねていたと推察される。
- ソフトバンク 有価証券報告書(2019年3月期)【沿革】
- [40]2002年7月、会社分割でジャパン・システム・ソリューションとテレコム・エクスプレスを設立。2002年8月、持株会社体制に移行し日本テレコムホールディングスに商号変更、会社分割で日本テレコム(子会社)を設立
- [41]2002年7月、会社分割でジャパン・システム・ソリューションとテレコム・エクスプレスを設立。2002年8月、持株会社体制に移行し日本テレコムホールディングスに商号変更、会社分割で日本テレコム(子会社)を設立
- [43]2002年7月、会社分割でジャパン・システム・ソリューションとテレコム・エクスプレスを設立。2002年8月、持株会社体制に移行し日本テレコムホールディングスに商号変更、会社分割で日本テレコム(子会社)を設立
- 政財界 26(10) 2004年11月 溝上幸伸「苦戦するボーダフォンの迷走の原因は?」
- [42]ボーダフォンは持ち株会社の下に携帯電話のJフォンと固定電話の日本テレコムを分けた
- 日経ビジネス 2004年3月29日
- [44]ボーダフォンは親会社時代に日本テレコムの設備投資を大幅に圧縮していた
- 日経ビジネス 2003年2月17日
- [45]2003年2月時点で、英ボーダフォンが日本テレコムの売却に向けて複数の企業と交渉していることを明らかにしていた
2003年8月、米投資会社リップルウッド・ホールディングスが日本テレコムの買収を発表した。日本テレコムホールディングスは固定の日本テレコムを2003年中にリップルウッドへ譲り渡した。同年10月にJ-フォンはボーダフォンに、12月に持株会社はボーダフォンホールディングスに商号を改め、携帯専業となった。グリーンはドコモに比べて信頼性と国際性で劣る点をJ-フォンの弱みとみて、世界最大の携帯会社の傘下にあることを訴えたいとしていた。端末の調達については、『3Gでは世界に1億人以上のお客がいるボーダフォンの規模を生かさないといけない』という考えを示していた。世界共通のブランドと3G端末の調達規模でドコモとの差を詰めることが、ボーダフォンが日本で置いた前提だった。
- 日経ビジネス 2004年3月29日
- [46]2003年8月にリップルウッドが日本テレコム買収の会見を開いた
- ソフトバンク 有価証券報告書(2019年3月期)【沿革】
- [47]2003年に固定通信の日本テレコムをリップルウッド・ホールディングスへ譲渡。2003年10月ジェイフォンが(旧)ボーダフォン㈱に商号変更、2003年12月日本テレコムホールディングスがボーダフォンホールディングスに商号変更
- [48]2003年に固定通信の日本テレコムをリップルウッド・ホールディングスへ譲渡。2003年10月ジェイフォンが(旧)ボーダフォン㈱に商号変更、2003年12月日本テレコムホールディングスがボーダフォンホールディングスに商号変更
- 政財界 26(10) 2004年11月 溝上幸伸「苦戦するボーダフォンの迷走の原因は?」
- [49]Jフォンからボーダフォンに変更され、携帯専業として事業が継続された
- 日経ビジネス 2003年2月17日
- [50]グリーンはJ-フォンのブランドは信頼性・グローバル性でドコモに大差をつけられているとし、ボーダフォン傘下をアピールしたいとした。3Gではボーダフォンの規模を生かすとした
- [51]グリーンはJ-フォンのブランドは信頼性・グローバル性でドコモに大差をつけられているとし、ボーダフォン傘下をアピールしたいとした。3Gではボーダフォンの規模を生かすとした
参考文献[34]-[51]
- 日経ビジネス 2002年2月11日
- [34]グリーンは前職グローバル・クロッシング・ジャパン社長。2001年11月J-フォン社長。ジェントは日本文化になじんだ人物を条件とした。就任前の設備投資計画を、しぼむ第2世代への投資は無駄として半分の3000億円強に削減。固まっていた役員人事を覆し旧J-フォン東日本社長の林義郎を会長に迎えた
- [35]グリーンは前職グローバル・クロッシング・ジャパン社長。2001年11月J-フォン社長。ジェントは日本文化になじんだ人物を条件とした。就任前の設備投資計画を、しぼむ第2世代への投資は無駄として半分の3000億円強に削減。固まっていた役員人事を覆し旧J-フォン東日本社長の林義郎を会長に迎えた
- [37]グリーンは前職グローバル・クロッシング・ジャパン社長。2001年11月J-フォン社長。ジェントは日本文化になじんだ人物を条件とした。就任前の設備投資計画を、しぼむ第2世代への投資は無駄として半分の3000億円強に削減。固まっていた役員人事を覆し旧J-フォン東日本社長の林義郎を会長に迎えた
- 日経ビジネス 2003年2月17日
- [36]グリーンは1歳から5歳前まで日本で暮らした。計画通りなら借入が1兆円から2兆円に増え、8年間支出が収入を上回っていた。ポジショングレードと社内公募制を導入
- [39]グリーンは1歳から5歳前まで日本で暮らした。計画通りなら借入が1兆円から2兆円に増え、8年間支出が収入を上回っていた。ポジショングレードと社内公募制を導入
- [45]2003年2月時点で、英ボーダフォンが日本テレコムの売却に向けて複数の企業と交渉していることを明らかにしていた
- [50]グリーンはJ-フォンのブランドは信頼性・グローバル性でドコモに大差をつけられているとし、ボーダフォン傘下をアピールしたいとした。3Gではボーダフォンの規模を生かすとした
- [51]グリーンはJ-フォンのブランドは信頼性・グローバル性でドコモに大差をつけられているとし、ボーダフォン傘下をアピールしたいとした。3Gではボーダフォンの規模を生かすとした
- ソフトバンク 有価証券報告書(2019年3月期)【沿革】
- [38]2001年11月、ジェイフォンが東日本・東海・西日本の3社と合併
- [40]2002年7月、会社分割でジャパン・システム・ソリューションとテレコム・エクスプレスを設立。2002年8月、持株会社体制に移行し日本テレコムホールディングスに商号変更、会社分割で日本テレコム(子会社)を設立
- [41]2002年7月、会社分割でジャパン・システム・ソリューションとテレコム・エクスプレスを設立。2002年8月、持株会社体制に移行し日本テレコムホールディングスに商号変更、会社分割で日本テレコム(子会社)を設立
- [43]2002年7月、会社分割でジャパン・システム・ソリューションとテレコム・エクスプレスを設立。2002年8月、持株会社体制に移行し日本テレコムホールディングスに商号変更、会社分割で日本テレコム(子会社)を設立
- [47]2003年に固定通信の日本テレコムをリップルウッド・ホールディングスへ譲渡。2003年10月ジェイフォンが(旧)ボーダフォン㈱に商号変更、2003年12月日本テレコムホールディングスがボーダフォンホールディングスに商号変更
- [48]2003年に固定通信の日本テレコムをリップルウッド・ホールディングスへ譲渡。2003年10月ジェイフォンが(旧)ボーダフォン㈱に商号変更、2003年12月日本テレコムホールディングスがボーダフォンホールディングスに商号変更
- 政財界 26(10) 2004年11月 溝上幸伸「苦戦するボーダフォンの迷走の原因は?」
- [42]ボーダフォンは持ち株会社の下に携帯電話のJフォンと固定電話の日本テレコムを分けた
- [49]Jフォンからボーダフォンに変更され、携帯専業として事業が継続された
- 日経ビジネス 2004年3月29日
- [44]ボーダフォンは親会社時代に日本テレコムの設備投資を大幅に圧縮していた
- [46]2003年8月にリップルウッドが日本テレコム買収の会見を開いた
1999年〜2003年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1999年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2000年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2001年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 2002年03月期 | 連結 | 17,040 | n/a | 740 | n/a | n/a | n/a |
| 2003年03月期 | 連結 | 17,969 | +5.5% | 2,719 | n/a | n/a | n/a |
出所:有価証券報告書
出典・参考
12件
- ソフトバンク 有価証券報告書(2019年3月期)【沿革】
- 日経ビジネス 2001年3月5日
- 日経ビジネス 2001年1月8日
- 日経ビジネス 2001年4月16日
- 日経ビジネス 2001年10月1日
- 日経ビジネス 2002年2月11日
- 日経ビジネス 2003年2月17日
- 日経ビジネス 2004年3月29日
- 通信工業 39(5) 1999年5月 萩原和之「東京デジタルホンの現状と展望」
- エルネオス 6(8) 2000年8月「ドコモ、KDDI、J-フォン三つ巴「次世代携帯電話」の覇権争いを読む」
- Bloomberg 2001年11月28日
- 政財界 26(10) 2004年11月 溝上幸伸「苦戦するボーダフォンの迷走の原因は?」