ボーダフォン(現ソフトバンク):国鉄系の日本テレコム設立と東京デジタルホンによる携帯電話参入
1984年〜国鉄が創設した新電電・日本テレコムの市外電話0088と、鉄道通信の設立
国鉄は1984年10月9日、通信事業の企業化調査を担う日本テレコムの創立総会を開催した。資本金22億5,000万円を銀行・商社・国鉄関連企業など51社が出し、社長には前国鉄副総裁の馬渡一眞が就任した。その直前の9月、国鉄総裁の諮問機関である通信事業懇談会は、基幹回線には光ファイバーが最も有利だと中間報告した。同じ報告は、全国に線路用地を持つ国鉄を第一種電気通信事業への参入に適した担い手と位置づけた。馬渡は1986年の講演で、『光ファイバーケーブルというのが非常に有力な武器でございまして、これを敷設するに適当な全国を縦断する土地を国鉄が持っておるということが、やはり国鉄出るべしという大きな理由になっておるように思っております』と参入の理由を説明した。設立時の目標は、専用線を1986年ごろ、市外電話を1988年ごろに始め、東海道沿線から営業に入ることだった。
- 運輸 65(10) 1984年10月「日本テレコムが発足(国鉄の通信事業進出に布石)」
- [1]1984年10月9日に日本テレコムが創立総会。資本金22億5,000万円・出資51社、社長は前国鉄副総裁の馬渡一眞。専用線は1986年頃・電話は1988年頃、東海道沿線から開始の目標
- [2]1984年10月9日に日本テレコムが創立総会。資本金22億5,000万円・出資51社、社長は前国鉄副総裁の馬渡一眞。専用線は1986年頃・電話は1988年頃、東海道沿線から開始の目標
- [3]国鉄総裁の諮問機関・通信事業懇談会が1984年9月25日に中間報告。基幹回線は光ファイバーが最も有利、全国の線路用地を持つ国鉄は第一種事業参入に適性
- [4]国鉄総裁の諮問機関・通信事業懇談会が1984年9月25日に中間報告。基幹回線は光ファイバーが最も有利、全国の線路用地を持つ国鉄は第一種事業参入に適性
- [6]1984年10月9日に日本テレコムが創立総会。資本金22億5,000万円・出資51社、社長は前国鉄副総裁の馬渡一眞。専用線は1986年頃・電話は1988年頃、東海道沿線から開始の目標
- 汎交通 86(5) 1986年5月 馬渡一眞「通信事業と日本テレコム(上)」
- [5]馬渡一眞(1986年2月講演): 光ファイバーの敷設に適した全国縦断の土地を国鉄が持つことが参入の大きな理由。国鉄財政への寄与も理由
日本テレコムが最初に売ったのは企業向けの専用線で、1986年8月1日に東京・大阪間で始めた。許可の上では10月の開業だったが2か月繰り上げ、10〜11月に開いた長距離系の2社より先に営業に入った。市外電話は1987年9月4日に開業し、利用者は識別番号0088を回せば月々の基本料なしで使えた。開業時の料金は、東京・大阪間の3分間でNTTより25%安く設定した。中継系の新電電は両端の回線をNTTに依存するため、NTTとの接続点が利用者に近いほど割安にできた。1987年4月には接続点を7か所から14か所へ増やし、同年11月までに申し込みは65万回線に達した。
- 汎交通 88(2) 1988年2月 馬渡一眞「日本テレコムの現状について(上)」
- [7]専用線は1986年8月1日に開業。許可上の10月を2か月繰り上げ、他の2社(10〜11月開業)に先んじた
- [8]専用線は1986年8月1日に開業。許可上の10月を2か月繰り上げ、他の2社(10〜11月開業)に先んじた
- [11]中継系は両端をNTTにつなぐ必要があり、POIが利用者に近いほど割安。1987年4月にPOIを7か所から14か所へ増設
- [12]中継系は両端をNTTにつなぐ必要があり、POIが利用者に近いほど割安。1987年4月にPOIを7か所から14か所へ増設
- [13]市外電話は1987年9月4日に3社同時開業。1987年11月時点の申込総数は65万回線
- 証券 1994年
- [9]市外電話は1987年9月に東京・大阪間で開始。識別番号「0088」をダイヤルすれば月々の基本料金なしで利用可能
- 証券アナリストジャーナル 31(4) 1993年3月
- [10]市外電話は1987年に東京・大阪間3分間でNTTより25%割安に設定して開始、1992年4月までに5回値下げ
国鉄の分割民営化を前にした1986年12月、国鉄の全額出資で鉄道通信が設立され、国鉄の自営通信網と業務を引き継いだ。資本金は32億円で、社長には国鉄技師長だった坂田浩一が就任した。民間会社の日本テレコムが国鉄の財産を引き取ると資産評価の手間がかかるため、別に受け皿が作られた。鉄道通信は1987年3月に第一種電気通信事業の許可を得て、4月からJR各社向けの電話と専用線を始めた。こうして新幹線沿いの長距離網を持つ日本テレコムと、国鉄の業務網を継いだ鉄道通信という、同じ出自の2社が並んだ。分割の日程に財産承継の手続きを合わせた結果、国鉄系の通信会社が二つに分かれたとみられる。
- 証券 1994年
- [14]国鉄改革関連法の成立(1986年11月)を受け、国鉄の基幹通信業務を一元管理するため鉄道通信を国鉄の全額出資で1986年12月9日に設立(資本金32億円)。1987年3月に第一種許可、JR各社へ電話・専用サービス
- [16]国鉄改革関連法の成立(1986年11月)を受け、国鉄の基幹通信業務を一元管理するため鉄道通信を国鉄の全額出資で1986年12月9日に設立(資本金32億円)。1987年3月に第一種許可、JR各社へ電話・専用サービス
- [19]国鉄改革関連法の成立(1986年11月)を受け、国鉄の基幹通信業務を一元管理するため鉄道通信を国鉄の全額出資で1986年12月9日に設立(資本金32億円)。1987年3月に第一種許可、JR各社へ電話・専用サービス
- 証券アナリストジャーナル 31(4) 1993年3月
- [15]鉄道通信は国鉄分割民営化に伴い、その自営通信網と業務を承継して1986年12月に設立
- TAC report 13(4) 1997年12月「日本テレコム(株)社長 坂田浩一氏に聞く」
- [17]坂田浩一は国鉄技師長(1985年6月)を経て1986年12月に鉄道通信社長
- 汎交通 88(2) 1988年2月 馬渡一眞「日本テレコムの現状について(上)」
- [18]民間会社の日本テレコムが国鉄財産を承継すると財産評価の手数がかかるため、鉄道電話部門を独立させ鉄道通信とした。郵政省は同系列の2社の存在を気にしている
- [20]鉄道通信は1987年3月13日許可、1987年4月1日事業開始(電話・専用、44都道府県)
- [21]民間会社の日本テレコムが国鉄財産を承継すると財産評価の手数がかかるため、鉄道電話部門を独立させ鉄道通信とした。郵政省は同系列の2社の存在を気にしている
参考文献[1]-[21]
- 運輸 65(10) 1984年10月「日本テレコムが発足(国鉄の通信事業進出に布石)」
- [1]1984年10月9日に日本テレコムが創立総会。資本金22億5,000万円・出資51社、社長は前国鉄副総裁の馬渡一眞。専用線は1986年頃・電話は1988年頃、東海道沿線から開始の目標
- [2]1984年10月9日に日本テレコムが創立総会。資本金22億5,000万円・出資51社、社長は前国鉄副総裁の馬渡一眞。専用線は1986年頃・電話は1988年頃、東海道沿線から開始の目標
- [3]国鉄総裁の諮問機関・通信事業懇談会が1984年9月25日に中間報告。基幹回線は光ファイバーが最も有利、全国の線路用地を持つ国鉄は第一種事業参入に適性
- [4]国鉄総裁の諮問機関・通信事業懇談会が1984年9月25日に中間報告。基幹回線は光ファイバーが最も有利、全国の線路用地を持つ国鉄は第一種事業参入に適性
- [6]1984年10月9日に日本テレコムが創立総会。資本金22億5,000万円・出資51社、社長は前国鉄副総裁の馬渡一眞。専用線は1986年頃・電話は1988年頃、東海道沿線から開始の目標
- 汎交通 86(5) 1986年5月 馬渡一眞「通信事業と日本テレコム(上)」
- [5]馬渡一眞(1986年2月講演): 光ファイバーの敷設に適した全国縦断の土地を国鉄が持つことが参入の大きな理由。国鉄財政への寄与も理由
- 汎交通 88(2) 1988年2月 馬渡一眞「日本テレコムの現状について(上)」
- [7]専用線は1986年8月1日に開業。許可上の10月を2か月繰り上げ、他の2社(10〜11月開業)に先んじた
- [8]専用線は1986年8月1日に開業。許可上の10月を2か月繰り上げ、他の2社(10〜11月開業)に先んじた
- [11]中継系は両端をNTTにつなぐ必要があり、POIが利用者に近いほど割安。1987年4月にPOIを7か所から14か所へ増設
- [12]中継系は両端をNTTにつなぐ必要があり、POIが利用者に近いほど割安。1987年4月にPOIを7か所から14か所へ増設
- [13]市外電話は1987年9月4日に3社同時開業。1987年11月時点の申込総数は65万回線
- [18]民間会社の日本テレコムが国鉄財産を承継すると財産評価の手数がかかるため、鉄道電話部門を独立させ鉄道通信とした。郵政省は同系列の2社の存在を気にしている
- [20]鉄道通信は1987年3月13日許可、1987年4月1日事業開始(電話・専用、44都道府県)
- [21]民間会社の日本テレコムが国鉄財産を承継すると財産評価の手数がかかるため、鉄道電話部門を独立させ鉄道通信とした。郵政省は同系列の2社の存在を気にしている
- 証券 1994年
- [9]市外電話は1987年9月に東京・大阪間で開始。識別番号「0088」をダイヤルすれば月々の基本料金なしで利用可能
- [14]国鉄改革関連法の成立(1986年11月)を受け、国鉄の基幹通信業務を一元管理するため鉄道通信を国鉄の全額出資で1986年12月9日に設立(資本金32億円)。1987年3月に第一種許可、JR各社へ電話・専用サービス
- [16]国鉄改革関連法の成立(1986年11月)を受け、国鉄の基幹通信業務を一元管理するため鉄道通信を国鉄の全額出資で1986年12月9日に設立(資本金32億円)。1987年3月に第一種許可、JR各社へ電話・専用サービス
- [19]国鉄改革関連法の成立(1986年11月)を受け、国鉄の基幹通信業務を一元管理するため鉄道通信を国鉄の全額出資で1986年12月9日に設立(資本金32億円)。1987年3月に第一種許可、JR各社へ電話・専用サービス
- 証券アナリストジャーナル 31(4) 1993年3月
- [10]市外電話は1987年に東京・大阪間3分間でNTTより25%割安に設定して開始、1992年4月までに5回値下げ
- [15]鉄道通信は国鉄分割民営化に伴い、その自営通信網と業務を承継して1986年12月に設立
- TAC report 13(4) 1997年12月「日本テレコム(株)社長 坂田浩一氏に聞く」
- [17]坂田浩一は国鉄技師長(1985年6月)を経て1986年12月に鉄道通信社長
1988年〜鉄道通信による日本テレコムの吸収合併と、携帯に出た東京デジタルホン
1989年5月、鉄道通信は日本テレコムを1対1の比率で合併して商号を日本テレコムに改め、坂田浩一が社長を続けた。合併の狙いは、両社の人員と設備を一体で使い、経営の基盤を広げることに置かれた。合併前から郵政省は、同じ国鉄系の第一種事業者が2社並ぶことを気にかけていた。合併後は網の延伸と接続点の増設を進め、1992年11月には新電電で初めて全国をつなぐデジタル網を完成させた。合併後の出資はJR各社が過半を占め、1994年3月末の筆頭株主は22.7%を持つ東日本旅客鉄道だった。監督官庁の意向と設備の重複の両方が、2社を一つにまとめる方向へ働いたと推察される。
- 証券 1994年
- [22](旧)日本テレコムと鉄道通信は1989年5月、人的・物的資源の有効活用と経営基盤の拡大・強化のため、鉄道通信を存続会社として1:1で合併し商号を日本テレコムとした
- [24](旧)日本テレコムと鉄道通信は1989年5月、人的・物的資源の有効活用と経営基盤の拡大・強化のため、鉄道通信を存続会社として1:1で合併し商号を日本テレコムとした
- [27]営業地域を順次拡大し、1992年11月に全国ネットワークが完成
- [29]大株主(1994年3月31日): 東日本旅客鉄道22.7%、西日本旅客鉄道17.4%、東海旅客鉄道12.9%
- TAC report 13(4) 1997年12月「日本テレコム(株)社長 坂田浩一氏に聞く」
- [23]坂田浩一は1989年5月の社名変更後も引き続き日本テレコム社長
- 汎交通 88(2) 1988年2月 馬渡一眞「日本テレコムの現状について(上)」
- [25]郵政省は同じ系列の第一種事業者が2社あることを大変気にしていた(1987年11月講演)
- 証券アナリストジャーナル 32(10) 1994年11月
- [26]1989年5月の合併以降、ネットワーク拡大とPOI増設を進め、1992年11月にNCC初の光ファイバー主体の全国デジタル網を完成
- 証券アナリストジャーナル 31(4) 1993年3月
- [28]出資はJRグループが過半数を占める(1993年3月)
日本テレコムは1991年7月、デジタル方式の自動車・携帯電話を手がける東京デジタルホンを資本金40億円で設立した。同年11月に関西デジタルホン、1992年3月に東海デジタルホンを設け、地域ごとに別会社で参入した。使う電波は1.5GHz帯で、日本テレコム社長の坂田浩一は参入の理由を利用者に近いサービスを出すためと説明した。東京デジタルホンの株主には1994年時点で、日本テレコムを筆頭に米エアタッチ・インターナショナルやJR東日本など69社が並んだ。本業の市外電話では、1987年の開業から1992年4月までにNTTに対抗した値下げを5回重ねていた。長距離の単価が下がり続けるなかで、次の収益源を携帯に求めたのだろう。
- LA international 31(9) 1994年6月 落合進「首都圏でデジタルホン」
- [30]東京デジタルホンは1991年7月に資本金40億円で設立、1992年4月に第一種許可、同年5月に100億円へ増資
- [33]東京デジタルホンの株主は日本テレコムを筆頭に、エアタッチ・インターナショナル、JR東日本など69社(1994年)
- 証券 1994年
- [31]関連会社として1991年7月東京デジタルホン、1991年11月関西デジタルホン、1992年3月東海デジタルホン、1994年3月デジタルツーカー九州を設立
- 証券アナリストジャーナル 31(4) 1993年3月
- [32]坂田浩一: よりユーザーに密着したサービスのため移動体通信に参入、1.5GHzデジタル方式の自動車・携帯電話3社を設立、1994年から開業予定
- [34]市外電話は1987年の開始以来、NTTの値下げに対抗して1992年4月までに5回引き下げ
日本テレコムは1994年9月6日に東証・大証の二部へ上場し、34,000株の公募で資本金は653億4,900万円になった。全国網を短期間で敷くための設備投資は借入金で賄っており、1994年3月期の借入金比率は66.0%だった。上場直前の1994年3月期の営業収益は2,507億4,600万円で、その88.6%を電話が占めた。坂田は上場を機に、網づくりの間に膨らんだ組織を見直し、技術陣と営業体制を組み直す方針を示した。1995年度には上場で得た資金などを返済に回し、有利子負債を1年で421億円減らした。株式の公開は、網を作り終えた後に借金を資本へ置き換える手段だったと考えられる。
- 証券 1994年
- [35]1994年9月6日に東証二部・大証二部に上場。代表者は取締役社長坂田浩一。公募34,000株、上場時の資本組入総額65,349百万円
- [36]設備投資は借入金で賄い、1994年3月期の借入金比率は66.0%。上場時の公募増資で株主資本を充実させる見込み
- [37]1994年3月期の営業収益は2,507億4,600万円、うち電話サービス2,221億1,800万円(88.6%)
- 証券アナリストジャーナル 32(10) 1994年11月
- [38]坂田浩一(1994年9月): 全国網拡充の間に付いた余分を上場を機に見直し、技術陣・営業体制を再構築する。上場経費は50数億円
- 証券アナリストジャーナル 34(6) 1996年5月
- [39]1995年度(1996年3月期)に株式上場資金等を返済に回し、有利子負債を1年間で約421億円圧縮
参考文献[22]-[39]
- 証券 1994年
- [22](旧)日本テレコムと鉄道通信は1989年5月、人的・物的資源の有効活用と経営基盤の拡大・強化のため、鉄道通信を存続会社として1:1で合併し商号を日本テレコムとした
- [24](旧)日本テレコムと鉄道通信は1989年5月、人的・物的資源の有効活用と経営基盤の拡大・強化のため、鉄道通信を存続会社として1:1で合併し商号を日本テレコムとした
- [27]営業地域を順次拡大し、1992年11月に全国ネットワークが完成
- [29]大株主(1994年3月31日): 東日本旅客鉄道22.7%、西日本旅客鉄道17.4%、東海旅客鉄道12.9%
- [31]関連会社として1991年7月東京デジタルホン、1991年11月関西デジタルホン、1992年3月東海デジタルホン、1994年3月デジタルツーカー九州を設立
- [35]1994年9月6日に東証二部・大証二部に上場。代表者は取締役社長坂田浩一。公募34,000株、上場時の資本組入総額65,349百万円
- [36]設備投資は借入金で賄い、1994年3月期の借入金比率は66.0%。上場時の公募増資で株主資本を充実させる見込み
- [37]1994年3月期の営業収益は2,507億4,600万円、うち電話サービス2,221億1,800万円(88.6%)
- TAC report 13(4) 1997年12月「日本テレコム(株)社長 坂田浩一氏に聞く」
- [23]坂田浩一は1989年5月の社名変更後も引き続き日本テレコム社長
- 汎交通 88(2) 1988年2月 馬渡一眞「日本テレコムの現状について(上)」
- [25]郵政省は同じ系列の第一種事業者が2社あることを大変気にしていた(1987年11月講演)
- 証券アナリストジャーナル 32(10) 1994年11月
- [26]1989年5月の合併以降、ネットワーク拡大とPOI増設を進め、1992年11月にNCC初の光ファイバー主体の全国デジタル網を完成
- [38]坂田浩一(1994年9月): 全国網拡充の間に付いた余分を上場を機に見直し、技術陣・営業体制を再構築する。上場経費は50数億円
- 証券アナリストジャーナル 31(4) 1993年3月
- [28]出資はJRグループが過半数を占める(1993年3月)
- [32]坂田浩一: よりユーザーに密着したサービスのため移動体通信に参入、1.5GHzデジタル方式の自動車・携帯電話3社を設立、1994年から開業予定
- [34]市外電話は1987年の開始以来、NTTの値下げに対抗して1992年4月までに5回引き下げ
- LA international 31(9) 1994年6月 落合進「首都圏でデジタルホン」
- [30]東京デジタルホンは1991年7月に資本金40億円で設立、1992年4月に第一種許可、同年5月に100億円へ増資
- [33]東京デジタルホンの株主は日本テレコムを筆頭に、エアタッチ・インターナショナル、JR東日本など69社(1994年)
- 証券アナリストジャーナル 34(6) 1996年5月
- [39]1995年度(1996年3月期)に株式上場資金等を返済に回し、有利子負債を1年間で約421億円圧縮
1994年〜首都圏で開業したデジタルホンと、日本国際通信の合併で得た国際電話
東京デジタルホンは1994年4月1日、許可より3か月早く首都圏で携帯電話の営業を始めた。端末の売り切り制が始まる自由化の日に合わせた繰り上げで、関西は5月、東海は7月に続いた。東京デジタルホンの方式はエリクソン製の1.5GHz帯デジタルだけで、アナログも持つNTTドコモとは異なった。開業時の料金は新規加入料3万2,500円、月額基本料7,300円で、首都圏では4社が客を争った。郵政省への申請では、4年で単年度黒字、7年で累積赤字の解消を見込んだ。先行するドコモに対し、デジタル専業であることを売り物にするほかなかったとうかがえる。
- LA international 31(9) 1994年6月 落合進「首都圏でデジタルホン」
- [40]東京デジタルホンは許可上の7月開業を3か月早め、携帯電話市場の開放(端末売り切り制)に合わせて1994年4月1日に開業
- [41]東京デジタルホンは許可上の7月開業を3か月早め、携帯電話市場の開放(端末売り切り制)に合わせて1994年4月1日に開業
- [43]落合進(東京デジタルホン社長): 1.5GHz帯デジタルのみ、エリクソンのCMS30を採用。NTTドコモは800MHz帯アナログ・デジタルと1.5GHz帯デジタル
- [44]開業時の料金は新規加入料32,500円、月額基本料7,300円(ローコール4,400円)、端末10.5〜13.2万円
- [45]関東エリアの携帯電話は4社体制
- [46]郵政省への申請時の計画は4年で単年度黒字、7年で累積赤字解消
- 証券アナリストジャーナル 32(10) 1994年11月
- [42]東京デジタルホンが1994年4月から首都圏、関西デジタルホンが5月、東海デジタルホンが7月に開業(デジタル式は音質・省電力・秘話性に優れる)
日本テレコムは1997年10月1日、国際電話の日本国際通信(ITJ)を合併した。両社は3月に合意し、ITJ株12株に日本テレコム株1株を割り当て、合併後の社長は坂田浩一とした。引き金は1996年12月に決まったNTTの再編で、持株会社の下に分かれるNTTは国際事業にも出られるようになった。坂田は国際通信を、利益のためではなく客をつなぎ止めるのに欠かせない事業とみていた。自前の網づくりについては、『自分でこれから一生懸命設備投資をしたり、海底に光ファイバーを敷設したり、買い取ったり、海外と折衝したりでは10年ぐらいかかってしまう』とみて、合併を最善の手とした。合併で1998年3月期の売上高は4,000億円となる見込みで、DDIを抜いて新電電の中で2位に上がる計算だった。
- TAC report 13(4) 1997年12月「日本テレコム(株)社長 坂田浩一氏に聞く」
- [47]坂田浩一: 1997年10月1日にITJと合併。自前で海底光ファイバー敷設や海外との折衝をすれば10年かかるため合併が最善と判断、1996年末から進め3月18日覚書、6月総会承認
- [51]坂田浩一: 1997年10月1日にITJと合併。自前で海底光ファイバー敷設や海外との折衝をすれば10年かかるため合併が最善と判断、1996年末から進め3月18日覚書、6月総会承認
- 月刊貿易と産業 38(5) 1997年5月 高橋健吉「日本テレコムとITJの合併」
- [48]1997年3月12日合意・18日会見。10月1日合併、存続会社は日本テレコム、ITJ株12株に1株、社長は坂田浩一、資本金670億1,500万円、1998年3月期売上高4,000億円予定でDDIを抜き2位
- [50]坂田は儲かるから国際通信に進出するのではなく、顧客のつなぎ止めとして不可欠とみていた
- [52]1997年3月12日合意・18日会見。10月1日合併、存続会社は日本テレコム、ITJ株12株に1株、社長は坂田浩一、資本金670億1,500万円、1998年3月期売上高4,000億円予定でDDIを抜き2位
- 日経ビジネス 1997年3月24日
- [49]国内の通信再編のきっかけは1996年12月に決着したNTT経営形態の見直し。新生NTTは持株会社の下で3社に分かれ、国際事業への進出が可能に
日本テレコム系の携帯会社は1996年春までに、デジタルホン3社とデジタルツーカー6社の計9社で全国を受け持つ体制になった。東京デジタルホンは開業当初から全デジタルで、若い個人客を主な狙いに据えていた。1997年、東京デジタルホン社長の林義郎は、『エリアが日本全国に拡大したことと、さらにキメ細かいサービスの実現・周知徹底を目的としてJ-フォンという愛称で、より親しまれる東京デジタルホンをめざしてPRをはじめました』と愛称を掲げた事情を説明した。同年4月1日には月額基本料2,700円のエル・プランを設け、料金を下げたいという利用者の声に応えた。林は国鉄の出身で、旧日本テレコムの技術部長から1991年の東京デジタルホン設立に加わった。地域ごとに分かれた社名を、全国で通じる一つの呼び名に統一する最初の一歩だったとも読める。
- 証券アナリストジャーナル 34(6) 1996年5月
- [53]1995年度にデジタルツーカー東北・北海道・北陸・四国を設立し、デジタルホン3社(東京・東海・関西)とデジタルツーカー中国・九州と合わせ全国のラインアップが完了
- 情報通信ジャーナル 15(9) 1997年9月「東京デジタルホンからJ-フォンへ」林義郎
- [54]林義郎(東京デジタルホン社長、1995年12月就任。国鉄出身、旧日本テレコム技術部長を経て1991年7月東京デジタルホン専務): 1991年7月設立・1994年4月開業、当初からオールデジタルで若者層が中心。エリアの全国拡大とサービス周知のためJ-フォンの愛称でPR
- [55]林義郎(東京デジタルホン社長、1995年12月就任。国鉄出身、旧日本テレコム技術部長を経て1991年7月東京デジタルホン専務): 1991年7月設立・1994年4月開業、当初からオールデジタルで若者層が中心。エリアの全国拡大とサービス周知のためJ-フォンの愛称でPR
- [56]1997年4月1日からエル・プラン(月額基本料2,700円、夜間・休日30円/分)を設定。利用者の要望はエリアと料金に集中
- [57]林義郎(東京デジタルホン社長、1995年12月就任。国鉄出身、旧日本テレコム技術部長を経て1991年7月東京デジタルホン専務): 1991年7月設立・1994年4月開業、当初からオールデジタルで若者層が中心。エリアの全国拡大とサービス周知のためJ-フォンの愛称でPR
参考文献[40]-[57]
- LA international 31(9) 1994年6月 落合進「首都圏でデジタルホン」
- [40]東京デジタルホンは許可上の7月開業を3か月早め、携帯電話市場の開放(端末売り切り制)に合わせて1994年4月1日に開業
- [41]東京デジタルホンは許可上の7月開業を3か月早め、携帯電話市場の開放(端末売り切り制)に合わせて1994年4月1日に開業
- [43]落合進(東京デジタルホン社長): 1.5GHz帯デジタルのみ、エリクソンのCMS30を採用。NTTドコモは800MHz帯アナログ・デジタルと1.5GHz帯デジタル
- [44]開業時の料金は新規加入料32,500円、月額基本料7,300円(ローコール4,400円)、端末10.5〜13.2万円
- [45]関東エリアの携帯電話は4社体制
- [46]郵政省への申請時の計画は4年で単年度黒字、7年で累積赤字解消
- 証券アナリストジャーナル 32(10) 1994年11月
- [42]東京デジタルホンが1994年4月から首都圏、関西デジタルホンが5月、東海デジタルホンが7月に開業(デジタル式は音質・省電力・秘話性に優れる)
- TAC report 13(4) 1997年12月「日本テレコム(株)社長 坂田浩一氏に聞く」
- [47]坂田浩一: 1997年10月1日にITJと合併。自前で海底光ファイバー敷設や海外との折衝をすれば10年かかるため合併が最善と判断、1996年末から進め3月18日覚書、6月総会承認
- [51]坂田浩一: 1997年10月1日にITJと合併。自前で海底光ファイバー敷設や海外との折衝をすれば10年かかるため合併が最善と判断、1996年末から進め3月18日覚書、6月総会承認
- 月刊貿易と産業 38(5) 1997年5月 高橋健吉「日本テレコムとITJの合併」
- [48]1997年3月12日合意・18日会見。10月1日合併、存続会社は日本テレコム、ITJ株12株に1株、社長は坂田浩一、資本金670億1,500万円、1998年3月期売上高4,000億円予定でDDIを抜き2位
- [50]坂田は儲かるから国際通信に進出するのではなく、顧客のつなぎ止めとして不可欠とみていた
- [52]1997年3月12日合意・18日会見。10月1日合併、存続会社は日本テレコム、ITJ株12株に1株、社長は坂田浩一、資本金670億1,500万円、1998年3月期売上高4,000億円予定でDDIを抜き2位
- 日経ビジネス 1997年3月24日
- [49]国内の通信再編のきっかけは1996年12月に決着したNTT経営形態の見直し。新生NTTは持株会社の下で3社に分かれ、国際事業への進出が可能に
- 証券アナリストジャーナル 34(6) 1996年5月
- [53]1995年度にデジタルツーカー東北・北海道・北陸・四国を設立し、デジタルホン3社(東京・東海・関西)とデジタルツーカー中国・九州と合わせ全国のラインアップが完了
- 情報通信ジャーナル 15(9) 1997年9月「東京デジタルホンからJ-フォンへ」林義郎
- [54]林義郎(東京デジタルホン社長、1995年12月就任。国鉄出身、旧日本テレコム技術部長を経て1991年7月東京デジタルホン専務): 1991年7月設立・1994年4月開業、当初からオールデジタルで若者層が中心。エリアの全国拡大とサービス周知のためJ-フォンの愛称でPR
- [55]林義郎(東京デジタルホン社長、1995年12月就任。国鉄出身、旧日本テレコム技術部長を経て1991年7月東京デジタルホン専務): 1991年7月設立・1994年4月開業、当初からオールデジタルで若者層が中心。エリアの全国拡大とサービス周知のためJ-フォンの愛称でPR
- [56]1997年4月1日からエル・プラン(月額基本料2,700円、夜間・休日30円/分)を設定。利用者の要望はエリアと料金に集中
- [57]林義郎(東京デジタルホン社長、1995年12月就任。国鉄出身、旧日本テレコム技術部長を経て1991年7月東京デジタルホン専務): 1991年7月設立・1994年4月開業、当初からオールデジタルで若者層が中心。エリアの全国拡大とサービス周知のためJ-フォンの愛称でPR
出典・参考
12件
- 証券アナリストジャーナル 31(4) 1993年3月
- 証券アナリストジャーナル 32(10) 1994年11月
- 証券アナリストジャーナル 34(6) 1996年5月
- 日経ビジネス 1997年3月24日
- 情報通信ジャーナル 15(9) 1997年9月「東京デジタルホンからJ-フォンへ」林義郎
- 運輸 65(10) 1984年10月「日本テレコムが発足(国鉄の通信事業進出に布石)」
- 汎交通 86(5) 1986年5月 馬渡一眞「通信事業と日本テレコム(上)」
- 汎交通 88(2) 1988年2月 馬渡一眞「日本テレコムの現状について(上)」
- 証券 1994年
- LA international 31(9) 1994年6月 落合進「首都圏でデジタルホン」
- TAC report 13(4) 1997年12月「日本テレコム(株)社長 坂田浩一氏に聞く」
- 月刊貿易と産業 38(5) 1997年5月 高橋健吉「日本テレコムとITJの合併」