近鉄グループホールディングス:大阪証券取引所上場と百貨店・ホテルへの多角化
1949年〜大阪証券取引所への上場と、学園前の住宅地・志摩観光ホテル
近畿日本鉄道は1949年5月、大阪証券取引所に株式を上場した。その2年前の1947年6月に旧南海鉄道の事業を高野山電気鉄道へ譲渡し、旧関西急行鉄道の路線網に戻っていた。上場から2カ月後の1949年7月に資本金を7億円から13億円へ、1953年8月には23億4000万円へ引き上げた。増資の使途は1946年が戦災の復旧、1948年が借入金の返済と車両の増備、1953年が車両の新造と保線の改良だった。1951年時点の上場先は東京・大阪・名古屋・京都・神戸の5市場に及び、1,800株以上の株主には全線の優待乗車券を出した。復旧と借入金の返済を同時に進めるには、株式による調達を重ねるほかなかったとみられる。
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [1]1949年5月に大阪証券取引所へ上場
- 会社銀行八十年史(1955年)「近畿日本鉄道」
- [2]1947年6月に旧南海鉄道に属した事業を高野山電気鉄道へ譲渡し、旧関急の姿に戻った
- 日本企業要覧 1960年版「近畿日本鉄道」
- [3]資本金は1946年10月4億円(戦災復旧資金)、1948年6月7億円(借入金返済・車両増備)、1949年7月13億円(有償・縁故)、1953年8月23億4000万円(車両新造・保線改良)へ増資
- [4]資本金は1946年10月4億円(戦災復旧資金)、1948年6月7億円(借入金返済・車両増備)、1949年7月13億円(有償・縁故)、1953年8月23億4000万円(車両新造・保線改良)へ増資
- 株式会社年鑑 1952年版「近畿日本鉄道」
- [5]上場市場は東京・大阪・名古屋・京都・神戸、1,800株以上の株主に全線優待乗車券を発行
1950年7月、近畿日本鉄道は奈良の学園前で住宅地の開発に着手した。土地家屋の売買と賃貸は、1952年版の年鑑ですでに運輸業と並ぶ主な事業に数えられていた。着手の時点で専務だった佐伯勇氏は、1951年12月に社長に就任した。1958年版の年鑑では、土地家屋の売買賃貸業が鉄道・自動車運送と百貨店に次ぐ3番目の事業に置かれた。1966年版の要覧では付帯事業が事業構成の8.6%を占め、学園前と桔梗が丘を中心に分譲を続けていた。同年3月期は大口の土地売却を控えたため、付帯事業の収入が21.2%減った。住宅の売却益に加え、入居者が毎日の通勤で運賃を払う二重の収益を見込んだ開発だったと推察される。
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [6]1950年7月に学園前住宅地の開発に着手
- 株式会社年鑑 1952年版「近畿日本鉄道」
- [7]主な事業に運輸業と並べて土地家屋の売買・貸借を掲げる
- 日本企業要覧 1960年版「近畿日本鉄道」
- [8]佐伯勇は1947年4月に専務、1951年12月に社長に就任
- 株式会社年鑑 1958年版「近畿日本鉄道」
- [9]主なる事業内容は1.鉄道・自動車運送業 2.百貨店業 3.土地・家屋売買賃貸業 4.劇場・遊園地等
- 日本企業要覧 1966年版「近畿日本鉄道」
- [10]事業構成で付帯事業8.6%。1966年3月期、学園前・桔梗が丘など住宅地の開発分譲を推進、土地大口売却を控え付帯事業は21.2%減
- [11]事業構成で付帯事業8.6%。1966年3月期、学園前・桔梗が丘など住宅地の開発分譲を推進、土地大口売却を控え付帯事業は21.2%減
1951年4月、近畿日本鉄道は伊勢志摩で志摩観光ホテルを開業した。宇治山田へは1948年3月から、名古屋方面へは1947年10月から、座席指定制の特急を他の私鉄に先んじて走らせていた。1955年時点では、大阪から名古屋方面と宇治山田へ途中駅を通過する特急を運行していた。1958年7月には2階建て電車のビスタ・カーの運転を始めた。1968年時点ではビスタ・カーを名阪特急に充て、伊勢志摩一帯の総合開発を進めていた。1960年版の要覧では、志摩観光ホテルと都ホテルが投資先に並んでいた。行き先に泊まる場所と乗ること自体の楽しみを自前でそろえ、特急の利用を増やそうとしたのだろう。
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [12]1951年4月に志摩観光ホテルを開業、1958年7月に2階電車ビスタ・カーの運転を開始
- [15]1951年4月に志摩観光ホテルを開業、1958年7月に2階電車ビスタ・カーの運転を開始
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「近畿日本鉄道」
- [13]1947年10月に大阪・名古屋間、1948年3月に大阪・宇治山田間で座席指定制の特急を開始。2階電車ビスタ・カーによる名阪特急、伊勢志摩一帯の総合開発
- [16]1947年10月に大阪・名古屋間、1948年3月に大阪・宇治山田間で座席指定制の特急を開始。2階電車ビスタ・カーによる名阪特急、伊勢志摩一帯の総合開発
- 会社銀行八十年史(1955年)「近畿日本鉄道」
- [14]大阪・名古屋間と大阪・宇治山田間にノンストップ特急を運行
- 日本企業要覧 1960年版「近畿日本鉄道」
- [17]主な投資先に三重交通・志摩観光ホテル・都ホテルなど
参考文献[1]-[17]
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [1]1949年5月に大阪証券取引所へ上場
- [6]1950年7月に学園前住宅地の開発に着手
- [12]1951年4月に志摩観光ホテルを開業、1958年7月に2階電車ビスタ・カーの運転を開始
- [15]1951年4月に志摩観光ホテルを開業、1958年7月に2階電車ビスタ・カーの運転を開始
- 会社銀行八十年史(1955年)「近畿日本鉄道」
- [2]1947年6月に旧南海鉄道に属した事業を高野山電気鉄道へ譲渡し、旧関急の姿に戻った
- [14]大阪・名古屋間と大阪・宇治山田間にノンストップ特急を運行
- 日本企業要覧 1960年版「近畿日本鉄道」
- [3]資本金は1946年10月4億円(戦災復旧資金)、1948年6月7億円(借入金返済・車両増備)、1949年7月13億円(有償・縁故)、1953年8月23億4000万円(車両新造・保線改良)へ増資
- [4]資本金は1946年10月4億円(戦災復旧資金)、1948年6月7億円(借入金返済・車両増備)、1949年7月13億円(有償・縁故)、1953年8月23億4000万円(車両新造・保線改良)へ増資
- [8]佐伯勇は1947年4月に専務、1951年12月に社長に就任
- [17]主な投資先に三重交通・志摩観光ホテル・都ホテルなど
- 株式会社年鑑 1952年版「近畿日本鉄道」
- [5]上場市場は東京・大阪・名古屋・京都・神戸、1,800株以上の株主に全線優待乗車券を発行
- [7]主な事業に運輸業と並べて土地家屋の売買・貸借を掲げる
- 株式会社年鑑 1958年版「近畿日本鉄道」
- [9]主なる事業内容は1.鉄道・自動車運送業 2.百貨店業 3.土地・家屋売買賃貸業 4.劇場・遊園地等
- 日本企業要覧 1966年版「近畿日本鉄道」
- [10]事業構成で付帯事業8.6%。1966年3月期、学園前・桔梗が丘など住宅地の開発分譲を推進、土地大口売却を控え付帯事業は21.2%減
- [11]事業構成で付帯事業8.6%。1966年3月期、学園前・桔梗が丘など住宅地の開発分譲を推進、土地大口売却を控え付帯事業は21.2%減
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「近畿日本鉄道」
- [13]1947年10月に大阪・名古屋間、1948年3月に大阪・宇治山田間で座席指定制の特急を開始。2階電車ビスタ・カーによる名阪特急、伊勢志摩一帯の総合開発
- [16]1947年10月に大阪・名古屋間、1948年3月に大阪・宇治山田間で座席指定制の特急を開始。2階電車ビスタ・カーによる名阪特急、伊勢志摩一帯の総合開発
1959年〜伊勢湾台風の復旧で拡幅した名古屋線の軌間と、新幹線に奪われた名阪客
1959年11月、近畿日本鉄道は名古屋線約80キロの軌間を広げ、大阪線とそろえた。同年9月の伊勢湾台風で名古屋線は水没し、営業の一部を休んでいた。軌間の統一に備えて木曽川に架けた新しい鉄橋は、このとき既に完成していた。佐伯勇社長は『この機を逃してはゲージ統一ができない』と判断し、緊急の常務会に工事を提案した。700人あまりの社員が家を失ったなかで役員は全員反対したが、佐伯勇社長は1週間後に工事案を出すよう命じた。軌間がそろったことで、大阪・名古屋間の直通運転が可能になった。佐伯勇氏は1987年に、近鉄の今日の基盤をこの工事の成功に求めた。
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「近畿日本鉄道」
- [18]1959年11月、伊勢湾台風の水没区間の復旧を兼ねて名古屋線約80キロの軌間拡幅を実施し、名阪間直通運転が可能に
- [23]1959年11月、伊勢湾台風の水没区間の復旧を兼ねて名古屋線約80キロの軌間拡幅を実施し、名阪間直通運転が可能に
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [19]1959年9月に伊勢湾台風の被害で名古屋線等の営業を一部休止、同年11月に軌間拡幅工事完成
- 日経ビジネス 1987年3月2日号
- [20]佐伯勇は台風直後、既に木曽川に新鉄橋があるのを見て軌間統一を緊急常務会に提案。社員700人余りが被災し役員全員が反対したが、1週間後の工事案提出を命じた
- [21]佐伯勇は台風直後、既に木曽川に新鉄橋があるのを見て軌間統一を緊急常務会に提案。社員700人余りが被災し役員全員が反対したが、1週間後の工事案提出を命じた
- [22]佐伯勇は台風直後、既に木曽川に新鉄橋があるのを見て軌間統一を緊急常務会に提案。社員700人余りが被災し役員全員が反対したが、1週間後の工事案提出を命じた
- [24]佐伯勇は台風直後、既に木曽川に新鉄橋があるのを見て軌間統一を緊急常務会に提案。社員700人余りが被災し役員全員が反対したが、1週間後の工事案提出を命じた
1963年10月、近畿日本鉄道は資本金380百万円の奈良電気鉄道を合併した。1964年3月期の鉄道の乗車人員は合併もあって14.5%、収入は17.4%増え、京都駅の高架下整備にも着手していた。ところが1964年10月の東海道新幹線の開業で、名阪間のシェアは70%から40%へ下がった。1966年版の要覧は、新幹線の羽島駅と養老線を結ぶ新線の計画を載せていた。同年4月には京都丸物株のうち伊藤忠の持ち分の約半数を引き受け、京都進出への布石と目された。1968年時点では、関東の観光客が新幹線を経由して沿線の観光地へ来る旅を打ち出していた。名阪で国鉄と速さを競うより、京都と新幹線の駅に客を集める路線へ軸足を移したと考えられる。
- 日本企業要覧 1964年版「近畿日本鉄道」
- [25]1963年10月に資本金380百万円の奈良電気鉄道を合併、1964年3月期の鉄道乗車人員14.5%増・収入17.4%増、京都駅高架下整備工事を施工中
- [26]1963年10月に資本金380百万円の奈良電気鉄道を合併、1964年3月期の鉄道乗車人員14.5%増・収入17.4%増、京都駅高架下整備工事を施工中
- ダイヤモンド 1965年
- [27]1964年の東海道新幹線開業で名阪間のシェアが70%から40%に低下
- 日本企業要覧 1966年版「近畿日本鉄道」
- [28]東海道新幹線羽島駅と養老線を結ぶ新線計画。1966年4月に京都丸物の伊藤忠持株の約半数を肩代わりし、京都進出の企図と注目
- [29]東海道新幹線羽島駅と養老線を結ぶ新線計画。1966年4月に京都丸物の伊藤忠持株の約半数を肩代わりし、京都進出の企図と注目
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「近畿日本鉄道」
- [30]関東地方からも新幹線を利用して沿線の観光地へ来る旅を紹介
1965年4月、近畿日本鉄道は三重電気鉄道を合併し、営業区域を2府4県に広げた。1968年時点では、1970年の万国博に向けて大阪・名古屋・京都から伊勢志摩へ観光客を直通させる計画を掲げた。その手段として、志摩への延長線と難波線の建設に着手していた。難波延長線の工費は約120億円で、1966年度は輸送力増強3年計画の最終年度として82両を増備する予定だった。1970年3月に上本町・難波間の営業を始めた。1970年版の要覧は近畿圏への750億円の投資の完了を伝え、難波乗り入れと賢島への延長が収入に寄与すると見込んだ。一方で前期は先行投資による金利と償却の負担が増え、利益は2.5%増にとどまった。
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「近畿日本鉄道」
- [31]1965年4月に三重電気鉄道を合併し2府4県へ。万国博を目標に大阪・名古屋・京都から伊勢志摩へ観光客を直通輸送するため志摩延長線・難波線の建設に着手
- [32]1965年4月に三重電気鉄道を合併し2府4県へ。万国博を目標に大阪・名古屋・京都から伊勢志摩へ観光客を直通輸送するため志摩延長線・難波線の建設に着手
- [33]1965年4月に三重電気鉄道を合併し2府4県へ。万国博を目標に大阪・名古屋・京都から伊勢志摩へ観光客を直通輸送するため志摩延長線・難波線の建設に着手
- 日本企業要覧 1966年版「近畿日本鉄道」
- [34]難波延長線の工費約120億円、1966年度は輸送力増強3年計画の最終年度で82両を増備
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [35]1970年3月に上本町・難波間の運輸営業開始
- 日本企業要覧 1970年版「近畿日本鉄道」
- [36]難波乗り入れなど750億円の近畿圏集中投資が完了、難波乗り入れ・賢島延長が本格寄与の見込み。前期は先行投資による金利・償却負担増で利益2.5%増
- [37]難波乗り入れなど750億円の近畿圏集中投資が完了、難波乗り入れ・賢島延長が本格寄与の見込み。前期は先行投資による金利・償却負担増で利益2.5%増
参考文献[18]-[37]
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「近畿日本鉄道」
- [18]1959年11月、伊勢湾台風の水没区間の復旧を兼ねて名古屋線約80キロの軌間拡幅を実施し、名阪間直通運転が可能に
- [23]1959年11月、伊勢湾台風の水没区間の復旧を兼ねて名古屋線約80キロの軌間拡幅を実施し、名阪間直通運転が可能に
- [30]関東地方からも新幹線を利用して沿線の観光地へ来る旅を紹介
- [31]1965年4月に三重電気鉄道を合併し2府4県へ。万国博を目標に大阪・名古屋・京都から伊勢志摩へ観光客を直通輸送するため志摩延長線・難波線の建設に着手
- [32]1965年4月に三重電気鉄道を合併し2府4県へ。万国博を目標に大阪・名古屋・京都から伊勢志摩へ観光客を直通輸送するため志摩延長線・難波線の建設に着手
- [33]1965年4月に三重電気鉄道を合併し2府4県へ。万国博を目標に大阪・名古屋・京都から伊勢志摩へ観光客を直通輸送するため志摩延長線・難波線の建設に着手
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [19]1959年9月に伊勢湾台風の被害で名古屋線等の営業を一部休止、同年11月に軌間拡幅工事完成
- [35]1970年3月に上本町・難波間の運輸営業開始
- 日経ビジネス 1987年3月2日号
- [20]佐伯勇は台風直後、既に木曽川に新鉄橋があるのを見て軌間統一を緊急常務会に提案。社員700人余りが被災し役員全員が反対したが、1週間後の工事案提出を命じた
- [21]佐伯勇は台風直後、既に木曽川に新鉄橋があるのを見て軌間統一を緊急常務会に提案。社員700人余りが被災し役員全員が反対したが、1週間後の工事案提出を命じた
- [22]佐伯勇は台風直後、既に木曽川に新鉄橋があるのを見て軌間統一を緊急常務会に提案。社員700人余りが被災し役員全員が反対したが、1週間後の工事案提出を命じた
- [24]佐伯勇は台風直後、既に木曽川に新鉄橋があるのを見て軌間統一を緊急常務会に提案。社員700人余りが被災し役員全員が反対したが、1週間後の工事案提出を命じた
- 日本企業要覧 1964年版「近畿日本鉄道」
- [25]1963年10月に資本金380百万円の奈良電気鉄道を合併、1964年3月期の鉄道乗車人員14.5%増・収入17.4%増、京都駅高架下整備工事を施工中
- [26]1963年10月に資本金380百万円の奈良電気鉄道を合併、1964年3月期の鉄道乗車人員14.5%増・収入17.4%増、京都駅高架下整備工事を施工中
- ダイヤモンド 1965年
- [27]1964年の東海道新幹線開業で名阪間のシェアが70%から40%に低下
- 日本企業要覧 1966年版「近畿日本鉄道」
- [28]東海道新幹線羽島駅と養老線を結ぶ新線計画。1966年4月に京都丸物の伊藤忠持株の約半数を肩代わりし、京都進出の企図と注目
- [29]東海道新幹線羽島駅と養老線を結ぶ新線計画。1966年4月に京都丸物の伊藤忠持株の約半数を肩代わりし、京都進出の企図と注目
- [34]難波延長線の工費約120億円、1966年度は輸送力増強3年計画の最終年度で82両を増備
- 日本企業要覧 1970年版「近畿日本鉄道」
- [36]難波乗り入れなど750億円の近畿圏集中投資が完了、難波乗り入れ・賢島延長が本格寄与の見込み。前期は先行投資による金利・償却負担増で利益2.5%増
- [37]難波乗り入れなど750億円の近畿圏集中投資が完了、難波乗り入れ・賢島延長が本格寄与の見込み。前期は先行投資による金利・償却負担増で利益2.5%増
1970年〜近鉄百貨店と都ホテルへの多角化と、佐伯勇氏から上山善紀氏への社長交代
1970年1月、近畿日本鉄道は近鉄航空貨物を設立した。1972年4月には百貨店部門を切り離し、近鉄百貨店を発足させた。分離前の1970年版の要覧では、事業構成は鉄道58%、百貨店20%で、前期は百貨店と不動産の増収が全体を押し上げた。分離後の1973年3月期の売上高は286億9,900万円と8.8%減ったが、百貨店を除けば7.6%増だった。同じ要覧は子会社約160社を挙げ、三越と共同で東京近鉄百貨店を設ける計画を伝えた。海外では1962年に、サンフランシスコへ近鉄エア&シー・サービスの駐在事務所を開設していた。伸びていた百貨店を別会社にし、鉄道とは別の判断で資金を投じられる体制にしたとうかがえる。
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [38]1970年1月に近鉄航空貨物を設立、1972年4月に近鉄百貨店を設立
- [39]1970年1月に近鉄航空貨物を設立、1972年4月に近鉄百貨店を設立
- 日本企業要覧 1970年版「近畿日本鉄道」
- [40]事業構成は鉄道58%・百貨店20%、前期は百貨店・不動産部門の増収で全体20.7%増収
- 日本企業要覧 1973年版「近畿日本鉄道」
- [41]1973年3月期売上286億9,900万円・8.8%減は百貨店分離による、除外比較では7.6%増。子会社約160社、三越と共同出資の東京近鉄百貨店設立計画
- [42]1973年3月期売上286億9,900万円・8.8%減は百貨店分離による、除外比較では7.6%増。子会社約160社、三越と共同出資の東京近鉄百貨店設立計画
- 日経ビジネス 1978年7月31日号
- [43]1962年にサンフランシスコに駐在事務所「近鉄エア&シー・サービス」を開設
1973年5月、佐伯勇氏は会長に退き、今里英三副社長が社長に就任した。1977年6月には、労務畑を歩んだ富和宗一副社長が、関連会社を含め7万5000人のグループを率いる社長となった。この間、1975年3月に京都で新・都ホテルを、1979年7月に東京で都ホテル東京を開業した。1973年版の要覧はホテルと百貨店の東京進出を伝え、佐伯勇氏は会長として都ホテルの会長も兼ねていた。1979年版の要覧は近鉄を、ホテルや旅行、遊園地まで営む交通観光の事業体と位置づけた。その前年末には新ビスタ・カー28両を投じ、伊勢志摩方面の特急輸送を強めていた。伊勢志摩で組んだ運ぶ事業と泊める事業の組み合わせを、京都と東京へ広げたものと思われる。
- 日本企業要覧 1973年版「近畿日本鉄道」
- [44]佐伯勇は1973年5月に取締役会長、都ホテル取締役会長を兼任。今里英三は1971年5月副社長、1973年5月社長。ホテル・百貨店の東京進出
- [47]佐伯勇は1973年5月に取締役会長、都ホテル取締役会長を兼任。今里英三は1971年5月副社長、1973年5月社長。ホテル・百貨店の東京進出
- 日経ビジネス 1978年1月30日号
- [45]富和宗一は労務畑を歩み、1973年5月副社長、1977年6月社長に就任。関連会社を含め7万5000人の近鉄グループ
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [46]1975年3月に新・都ホテル、1979年7月に都ホテル東京を開業
- 日本企業要覧 1979年版「近畿日本鉄道」
- [48]鉄道を軸にホテル・旅行・遊園地などを営む交通観光事業体。前年末に新ビスタ・カー28両で伊勢志摩方面の特急輸送を強化
- [49]鉄道を軸にホテル・旅行・遊園地などを営む交通観光事業体。前年末に新ビスタ・カー28両で伊勢志摩方面の特急輸送を強化
1981年6月、上山善紀副社長が富和宗一氏の後を継いで社長に就任した。上山善紀社長は佐伯勇会長の側近として秘書畑を長く歩み、佐伯勇会長の敷いた路線を外れずに170社のグループを運営すると語った。上山善紀社長はグループの総点検を掲げ、関連会社を整理統合する再編もありうると語った。その後、1985年10月に都ホテル大阪を開業し、1986年4月に東大阪生駒電鉄を合併して同年10月に東大阪線の長田・生駒間を開業した。名阪間では、1964年の新幹線開業で近鉄のシェアが70%から40%へ低下していた。広げた事業の点検と並び、新幹線へ流れた名阪の客をどう呼び戻すかが次の代に残ったと推測される。
- 日経ビジネス 1981年9月21日号
- [50]上山善紀は1976年副社長、1981年6月社長。佐伯勇会長の側近として秘書畑を歩む。グループ170社、総点検と関連会社の整理統合による再編の可能性に言及
- [51]上山善紀は1976年副社長、1981年6月社長。佐伯勇会長の側近として秘書畑を歩む。グループ170社、総点検と関連会社の整理統合による再編の可能性に言及
- [52]上山善紀は1976年副社長、1981年6月社長。佐伯勇会長の側近として秘書畑を歩む。グループ170社、総点検と関連会社の整理統合による再編の可能性に言及
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [53]1985年10月に都ホテル大阪を開業、1986年4月に東大阪生駒電鉄を合併、同年10月に東大阪線(長田・生駒間)の運輸営業開始
- ダイヤモンド 1965年
- [54]1964年の東海道新幹線開業で名阪間のシェアが70%から40%に低下
参考文献[38]-[54]
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- [38]1970年1月に近鉄航空貨物を設立、1972年4月に近鉄百貨店を設立
- [39]1970年1月に近鉄航空貨物を設立、1972年4月に近鉄百貨店を設立
- [46]1975年3月に新・都ホテル、1979年7月に都ホテル東京を開業
- [53]1985年10月に都ホテル大阪を開業、1986年4月に東大阪生駒電鉄を合併、同年10月に東大阪線(長田・生駒間)の運輸営業開始
- 日本企業要覧 1970年版「近畿日本鉄道」
- [40]事業構成は鉄道58%・百貨店20%、前期は百貨店・不動産部門の増収で全体20.7%増収
- 日本企業要覧 1973年版「近畿日本鉄道」
- [41]1973年3月期売上286億9,900万円・8.8%減は百貨店分離による、除外比較では7.6%増。子会社約160社、三越と共同出資の東京近鉄百貨店設立計画
- [42]1973年3月期売上286億9,900万円・8.8%減は百貨店分離による、除外比較では7.6%増。子会社約160社、三越と共同出資の東京近鉄百貨店設立計画
- [44]佐伯勇は1973年5月に取締役会長、都ホテル取締役会長を兼任。今里英三は1971年5月副社長、1973年5月社長。ホテル・百貨店の東京進出
- [47]佐伯勇は1973年5月に取締役会長、都ホテル取締役会長を兼任。今里英三は1971年5月副社長、1973年5月社長。ホテル・百貨店の東京進出
- 日経ビジネス 1978年7月31日号
- [43]1962年にサンフランシスコに駐在事務所「近鉄エア&シー・サービス」を開設
- 日経ビジネス 1978年1月30日号
- [45]富和宗一は労務畑を歩み、1973年5月副社長、1977年6月社長に就任。関連会社を含め7万5000人の近鉄グループ
- 日本企業要覧 1979年版「近畿日本鉄道」
- [48]鉄道を軸にホテル・旅行・遊園地などを営む交通観光事業体。前年末に新ビスタ・カー28両で伊勢志摩方面の特急輸送を強化
- [49]鉄道を軸にホテル・旅行・遊園地などを営む交通観光事業体。前年末に新ビスタ・カー28両で伊勢志摩方面の特急輸送を強化
- 日経ビジネス 1981年9月21日号
- [50]上山善紀は1976年副社長、1981年6月社長。佐伯勇会長の側近として秘書畑を歩む。グループ170社、総点検と関連会社の整理統合による再編の可能性に言及
- [51]上山善紀は1976年副社長、1981年6月社長。佐伯勇会長の側近として秘書畑を歩む。グループ170社、総点検と関連会社の整理統合による再編の可能性に言及
- [52]上山善紀は1976年副社長、1981年6月社長。佐伯勇会長の側近として秘書畑を歩む。グループ170社、総点検と関連会社の整理統合による再編の可能性に言及
- ダイヤモンド 1965年
- [54]1964年の東海道新幹線開業で名阪間のシェアが70%から40%に低下
1949年〜1987年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1949年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 563 | n/a | 60 | 10.7% | 37 | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 627 | +11.4% | 69 | 11.0% | 45 | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 589 | ▲6.1% | 80 | 13.6% | 55 | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 625 | +6.1% | 63 | 10.1% | 50 | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 794 | +27.0% | 51 | 6.4% | 41 | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 1,087 | n/a | 85 | 7.8% | 56 | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 1,168 | +7.5% | 82 | 7.1% | 53 | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 1,234 | +5.6% | 89 | 7.3% | 58 | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 1,336 | +8.2% | 62 | 4.7% | 55 | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 1,458 | +9.2% | 100 | 6.9% | 64 | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 1,499 | +2.9% | 84 | 5.6% | 63 | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 1,598 | +6.6% | 76 | 4.8% | 60 | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | 1,707 | +6.8% | 122 | 7.2% | 76 | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
16件
- 近畿日本鉄道 有価証券報告書【沿革】(単体)
- 株式会社年鑑 1952年版「近畿日本鉄道」
- 会社銀行八十年史(1955年)「近畿日本鉄道」
- 株式会社年鑑 1958年版「近畿日本鉄道」
- 企業の歴史 明治百年(1968年)「近畿日本鉄道」
- ダイヤモンド 1965年
- 日経ビジネス 1978年7月31日号
- 日経ビジネス 1978年1月30日号
- 日経ビジネス 1981年9月21日号
- 日経ビジネス 1987年3月2日号
- 日本企業要覧 1960年版「近畿日本鉄道」
- 日本企業要覧 1964年版「近畿日本鉄道」
- 日本企業要覧 1966年版「近畿日本鉄道」
- 日本企業要覧 1970年版「近畿日本鉄道」
- 日本企業要覧 1973年版「近畿日本鉄道」
- 日本企業要覧 1979年版「近畿日本鉄道」